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21~30話
積年の想い【下】
しおりを挟む小指の先よりも小さな可愛らしい花、湖の色を写し取ったような蝶々、涼やかな風が運んでくるまだ見ぬ花の香り。あちらこちらを眺めながら歩を進める。
草影から覗くこの青い実は、食べられる実だろうか? においを確かめようと鼻を寄せた矢先、ガサガサと揺れた茂みに『茶色い毛並み』が垣間見え、ドキリと心臓が跳ね上がった。
まさか、まだファングボアが――!?
息を詰め警戒心たっぷりに見つめる視線の先で、茂みが割れたかと思えば、土色の野うさぎがピョンと飛び出した。
野うさぎはこちらの気も知らずきょとんと小首を傾げ、呑気にピョンピョンと過ぎ去っていく。
「……なぁんだ、ファングボアかと思ったじゃない……。――っぷふ!」
緊張が緩んでみれば、あんまりな自分の誤解におかしさが込み上げてきた。こんなに小さな野うさぎをファングボアかと思うなんて!
「ふふっ、あははは! ヨルグさん、今野うさぎが――」
笑いながら振り向くと、手の届きそうなほど近くにヨルグがいてピシリと固まった。
「ようやくこっちを向いた」
「あぅ……」
意図的に目を逸らしていた自覚があるだけに、申し開きのしようもない。気まずさに顔を伏せる私の元へ、ヨルグがゆっくりと歩み寄る。
「リズ、顔を上げてくれないか?」
「はい……」
勝手にプレゼントを渡して、勝手に反応を怖がって避けて、自分でも何がしたいのかわからない。ヨルグもきっと呆れているだろう。
捕縛された犯人よろしく観念して面を上げれば、ヨルグの手がくすぐるように耳元に触れて、そっと離れた。
「心のこもった贈り物をありがとう。ちゃんとしたお礼は、またの機会に」
「え?」
そろりと左手で触れてみれば、こめかみの横にやわらかな花びらの感触。
「やはりリズの髪には白がよく似合う。マホガニーの髪に、深緑の瞳。森のような美しい色合いだと思っていたんだ」
ありふれた赤褐色の髪に、炒めた青菜みたいな濃い緑の瞳。
自分では気に入っているけれど、取り立てて優れた点もない。そんな凡庸な私の色が、ヨルグの目を通すとそんなにも素敵なものに見えるのだろうか。
さわさわと、風が草葉を揺らす。
鮮やかに世界を映す湖面に、はらりと木の葉が落ちて淡く波紋を描く。
心地よい静けさのなか、ゴクリと大きな音を立てて、ヨルグの喉が鳴った。
「……リズ。俺のこれまでの態度から、とっくにバレていたとは思うが……」
ヨルグのただならぬ緊張感に気圧されて、無意識にじり、と足を引く。
「きゃっ!?」
太い枝に乗り上げて大きくバランスを崩した瞬間、ぐっと腰を抱き寄せるようにしてヨルグに受け止められた。
「あ、ありがとうございます、助かりました。…………あの、ヨルグさん?」
腰に回された腕は固く強張って、拘束が解かれる気配はない。
ドクン、ドクンと、破裂しそうな鼓動はどちらのものだろう。
いたずらな突風が、ブワリと空気を巻き上げた。
「――好きだ、リズ。愛している。初めて会った日から、ずっと」
長い前髪がはためいて、ヨルグの素顔があらわになる。
困ったように下がった眉。
赤く染まった目元に、左目の下の古い傷跡。
切れ長の目は、満月みたいな金色で。
ああ……、金糸で月の刺繍を入れればよかった。
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