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1~10話

恋のはじまり【下】

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 右手を振り上げた酔っぱらいを前に、私は身体の前で箒を構え、衝撃に備えてグッと奥歯を噛みしめて――、けれど酔っぱらいの拳が私を捉えることはなかった。

「何をしている」

「ヨルグさん!」

「あぁ!? なんらてめぇ!」

 いつの間にか酔っぱらいの背後に立っていたヨルグが、振り上げられた手首を掴んでいる。

「放せっ! このっ!」

 実を言うと、ヨルグは騎士としては非力なほうだと思っていた。

 人と顔を合わせたくないのか髪で目元を隠しているし、お店でのちょっとした会話ですらオドオドとして、そこはかとない頼りなさが漂う。
 だから体格はよくても実戦には不向きで、恐ろしい敵を前にしたら敵前逃亡してしまうのでは、くらいに思っていた。

 ――それがどうだろう。
 丸太のような腕をした酔っぱらいが全力で手を振りほどこうとしているのに、ヨルグに掴まれた手首はビクともしない。

「大人しく家に帰るなら放してやる」

「誰がてめぇなんかに従うか! 俺に命令するんじゃねぇ!!」

「無駄に歯向かえば連行することになるが」

 恐ろしい形相で恫喝されても淡々として、ついには反撃のために突き出された反対の手までも掴み、酔っぱらいの両手を背中でひとまとめに捻りあげてしまった。

「いででででっ、おいっ、放しやがれ!」

 手の先で厳つい男がもがいているなんて思えないほど平然と、ヨルグがこちらを向く。

「おはよう、リゼット。その……すまない。詰め所に『届けもの』に行かなくてはならないから、今朝は店に寄れそうにない……」

「――!!」

 普段からは想像もつかないヨルグの堂々とした姿に見惚れていたのに気付き、ハッと我に返る。

「あのっ、ちょっと待っててください!」

 急いでお店に駆け戻り、焼き上がったばかりのパンのなかからヨルグ好みの物を手当たり次第紙袋に詰め込むと、また入口から飛び出した。

「これ、助けてもらったお礼です! 本当にありがとうございました!」

「いやしかし、治安維持は元々騎士の職務であって、何も特別なことは……」

「いいからっ! またお腹が空いて倒れたら大変でしょ! 持ってってください!」

「……では、ありがたく」

 こうして焼きたてパンと生まれたての恋心が詰まったほかほかの紙袋を、ヨルグの胸にぎゅっと押しつけたのだ。
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