上 下
20 / 53
番外編 なくなってしまった未来①

ハリボテのキス

しおりを挟む
「ここよ」
 あのジジイ、本当に稼いでるんだな。
 門扉を潜ると、庭には噴水があり、何人かのメイドが箒で掃除をしていた。立派な玄関から屋敷の中へ入ると、最新の赤い香料で染め上げられた絨毯が真っ先に目に入った。壁には最近流行りの印象派の絵画が飾られていた。いかにも俗っぽい、ゴールドバーグらしい趣味だ。
「ここは別宅なの。あなたの言う通り、非嫡出子はこういう扱いを受ける」
 リサは階段を登りながら嘆息した。たしかに、この手の邸宅にはありがちな、お嬢様を出迎える執事の姿もない。何人かのメイドがいるのみで、お抱えの馭者や、庭師だって雇っているのか怪しい。広大な屋敷はどこか寂れた、陰鬱な雰囲気に包まれていた。うちによく似ている。
「一般人も大変なんだね」
「私は、あなたのほうが大変そうに見えるけれど」
「ま、諸説あるね。それは」
 リサのあとを追って階段を上る。彼女は通りがかったメイドの一人を呼び止めて、お茶を用意するように言付けていた。
「こっち」
 長い廊下を通って、その突き当たりの扉を開く。広い屋敷には不釣り合いな、ごく一般的な女の子の部屋だった。ベッドがあって、机とランプがあって。玄関に敷かれたカーペットのような、派手な香料は使われておらず、全体的に地味な色味だった。こういった成金のお屋敷は、たいてい緑の壁紙が使われているのに意外だった。
「ずいぶん地味なお部屋に住んでるのね」
「ハリボテだから、この屋敷も、私も」
 椅子に座って、窓の外を眺めていた。窓から夕陽が差して、その様子は寂寥を感じさせた。
 部屋の扉が軽くノックされて、歳をとったメイドが入ってきた。黙って紅茶と、歪な形のクッキーをローテーブルに置いて出ていった。椅子はリサが座っている一脚しかなかったので、仕方なく床に座った。
「嫌われてるのよ、私」
 リサは、それをあまり気にしている様子はなかった。ただ、現在の状況を受け入れてるような。私が今まで会ったことがないような美しい外見なんだし、内面もきっと恬淡なんだろう。そう思わせた。立ち上がって、なぜか私の隣に座る。
「私たち、似た者同士かもね」
 紅茶を一口飲んだ。古臭くて、型落ちの茶葉を何度も漉したような味がした。歪なクッキーはパサパサで、口内の水分を勢いよく吸い取った。
「私もそう思う」
 テーブルに紅茶を置くと、その手首を強い力で掴まれた。びっくりして手が滑り、カップが倒れそうになる。咄嗟に魔法で元に戻した。
「なにっ……んっ、ふ」
 紅茶をこぼさないことばかりに気を取られて、リサの動きにまで対応できなかった。遠くから見たらあんなに美しいと感じた顔も、こんなに近づいたらただの白い肌にしか思えないことを知った。それと、人間の唇は存外柔らかいということも。
 力が強くて、というより私の力が弱くてろくに抵抗できない。魔法を連続で繰り出すには、いささか気力が足りなかった。床に後頭部を打ちつける。これ以上バカになったらどうしてくれるんだ。リサが不敵に、ニヤッと笑った。彼女の美しく、長い金髪が重力に従って私の顔にかかる。
「私たち、いい“お友達”になれると思わない?」
 顔が熱くなるのがわかった。命を狙われたときと同じように、心臓が早鐘を打つ。
「こ、子供に欲情するなんて、異常性癖の犯罪者だって、うちの兄が言ってた」
「十八歳なんでしょ? まさかキスの経験もないわけ?」
 恬淡そうだと思ったのは撤回したほうがよさそうだ。ようやく私の上から退く気になったのか、
物騒な選択肢攻撃魔法を取らずに済みそうだ。
「うちは、どっかの誰かと違って嫡出子しかいないから、誰彼構わずキスしたりしないだけ」
「そりゃ、他とは徹底の仕方が違うものね」
 ものすごく性格が悪い。さすがあの成金ジジイの娘。しょせん美しいのは外見だけで、腹の底を隠して、おべっかばかり並べる下劣な一般人と同じなんて、がっかりだ。
「ねぇ、それで、お姉さんの事故って――? 私それ、詳しく知らないの」
 私にピッタリくっついて、手を握る。古びた紅茶風味の吐息がかかった。
「姉のベアトリスは、去年列車の工事を担当してたけど、事故を起こして今は精神病院にぶち込まれてるの」
「ふうん、魔法使いの一族も色々苦労があるのね」
 姉の様子はずっと前からおかしかった。おかしくならないほうが稀だ。頭がおかしくないと魔法が使えないんじゃないか、と言われるほど一族の者は狂っていた。姉は五年も前からヒステリーを患って、主治医を三十人以上クビにしていたし、兄も屠殺の仕事が大好物という変わり者だ。私がきっと一番まとも、なんて全員が思ってるのかな。
私たち下の兄弟は、死ぬまで回ってきた仕事をこなすだけ。だけどすぐ上の兄ももっと悲惨。いずれは叔父のやってる、墓地の管理人をやらされるんだから。鉄道工事は花形だよ、目立つし、感謝されるし、新しいし」
「あなたはなにをしてたの?」
「言いたくない」
 下水道の工事、とは言えなかった。テムズ川の異臭騒ぎで政府が配管の整備をすると発表してからずっと、てんやわんやしていた記憶がある。
「あっそ」
 リサは私から初めて距離を取った。もう窓からの夕日は暗く陰って、ランプに火を灯すような時間帯だった。
 私は手のひらを天井に広げた。そうすると、パッと部屋が明るくなった。いくつもの光を放つ球体が部屋中を飛び回る。
「明日からも学校があるなんて、本当に憂鬱。勉強なんてさっぱりだし」
「教えてあげようか?」
「私の代わりにラテン語の翻訳をやってよ、“友達”でしょ?」
 宿題をあんなに出すやつがいるか? 教師という生き物は、全員狂ってる。私の言葉に、リサは小さく笑った。魔法の光で照らされた彼女の顔は、昼間とは違った妖艶さを演出した。
「魔法でチャッチャと解決できないの?」
「魔法の力が及ばない分野だってあるんだよ」
 そうだな、たとえば、人を生き返らせたり、知らない言語を操ったり、恋愛感情を制御したりとか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は婚約破棄したいのに王子から溺愛されています。

白雪みなと
恋愛
この世界は乙女ゲームであると気づいた悪役令嬢ポジションのクリスタル・フェアリィ。 筋書き通りにやらないとどうなるか分かったもんじゃない。それに、貴族社会で生きていける気もしない。 ということで、悪役令嬢として候補に嫌われ、国外追放されるよう頑張るのだったが……。 王子さま、なぜ私を溺愛してらっしゃるのですか?

私と運命の番との物語

星屑
恋愛
サーフィリア・ルナ・アイラックは前世の記憶を思い出した。だが、彼女が転生したのは乙女ゲームの悪役令嬢だった。しかもその悪役令嬢、ヒロインがどのルートを選んでも邪竜に殺されるという、破滅エンドしかない。 ーなんで死ぬ運命しかないの⁉︎どうしてタイプでも好きでもない王太子と婚約しなくてはならないの⁉︎誰か私の破滅エンドを打ち破るくらいの運命の人はいないの⁉︎ー 破滅エンドを回避し、永遠の愛を手に入れる。 前世では恋をしたことがなく、物語のような永遠の愛に憧れていた。 そんな彼女と恋をした人はまさかの……⁉︎ そんな2人がイチャイチャラブラブする物語。 *「私と運命の番との物語」の改稿版です。

皇国のオスティナート~無実の罪で処刑されたので、皇妃候補は降ります。~

中谷 獏天
ファンタジー
中世、逆行転生モノ。

公爵令嬢は薬師を目指す~悪役令嬢ってなんですの?~【短編版】

ゆうの
ファンタジー
 公爵令嬢、ミネルヴァ・メディシスは時折夢に見る。「治癒の神力を授かることができなかった落ちこぼれのミネルヴァ・メディシス」が、婚約者である第一王子殿下と恋に落ちた男爵令嬢に毒を盛り、断罪される夢を。  ――しかし、夢から覚めたミネルヴァは、そのたびに、思うのだ。「医者の家系《メディシス》に生まれた自分がよりによって誰かに毒を盛るなんて真似をするはずがないのに」と。  これは、「治癒の神力」を授かれなかったミネルヴァが、それでもメディシスの人間たろうと努力した、その先の話。 ※ 様子見で(一応)短編として投稿します。反響次第では長編化しようかと(「その後」を含めて書きたいエピソードは山ほどある)。

悪役令嬢なのに下町にいます ~王子が婚約解消してくれません~

ミズメ
恋愛
【2023.5.31書籍発売】 転生先は、乙女ゲームの悪役令嬢でした——。 侯爵令嬢のベラトリクスは、わがまま放題、傍若無人な少女だった。 婚約者である第1王子が他の令嬢と親しげにしていることに激高して暴れた所、割った花瓶で足を滑らせて頭を打ち、意識を失ってしまった。 目を覚ましたベラトリクスの中には前世の記憶が混在していて--。 卒業パーティーでの婚約破棄&王都追放&実家の取り潰しという定番3点セットを回避するため、社交界から逃げた悪役令嬢は、王都の下町で、メンチカツに出会ったのだった。 ○『モブなのに巻き込まれています』のスピンオフ作品ですが、単独でも読んでいただけます。 ○転生悪役令嬢が婚約解消と断罪回避のために奮闘?しながら、下町食堂の美味しいものに夢中になったり、逆に婚約者に興味を持たれたりしてしまうお話。

公爵家次男はちょっと変わりモノ? ~ここは乙女ゲームの世界だから、デブなら婚約破棄されると思っていました~

松原 透
ファンタジー
異世界に転生した俺は、婚約破棄をされるため誰も成し得なかったデブに進化する。 なぜそんな事になったのか……目が覚めると、ローバン公爵家次男のアレスという少年の姿に変わっていた。 生まれ変わったことで、異世界を満喫していた俺は冒険者に憧れる。訓練中に、魔獣に襲われていたミーアを助けることになったが……。 しかし俺は、失敗をしてしまう。責任を取らされる形で、ミーアを婚約者として迎え入れることになった。その婚約者に奇妙な違和感を感じていた。 二人である場所へと行ったことで、この異世界が乙女ゲームだったことを理解した。 婚約破棄されるためのデブとなり、陰ながらミーアを守るため奮闘する日々が始まる……はずだった。 カクヨム様 小説家になろう様でも掲載してます。

乙女ゲームの世界へ転生!ヒロインの私は当然王子様に決めた!!で?その王子様は何処???

ラララキヲ
ファンタジー
 乙女ゲームの世界のヒロインに転生していると気付いた『リザリア』。  前世を思い出したその日から、最推しの王子と結ばれるべく頑張った。乙女ゲームの舞台である学園に入学し、さぁ大好きな王子様と遂に出会いを果たす……っ!となった時、その相手の王子様が居ない?!?  その王子も実は…………  さぁリザリアは困った!! ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇【恋愛】もあるよ! ◇なろうにも上げる予定です。

悪役令嬢は所詮悪役令嬢

白雪の雫
ファンタジー
「アネット=アンダーソン!貴女の私に対する仕打ちは到底許されるものではありません!殿下、どうかあの平民の女に頭を下げるように言って下さいませ!」 魔力に秀でているという理由で聖女に選ばれてしまったアネットは、平民であるにも関わらず公爵令嬢にして王太子殿下の婚約者である自分を階段から突き落とそうとしただの、冬の池に突き落として凍死させようとしただの、魔物を操って殺そうとしただの──・・・。 リリスが言っている事は全て彼女達による自作自演だ。というより、ゲームの中でリリスがヒロインであるアネットに対して行っていた所業である。 愛しいリリスに縋られたものだから男としての株を上げたい王太子は、アネットが無実だと分かった上で彼女を断罪しようとするのだが、そこに父親である国王と教皇、そして聖女の夫がやって来る──・・・。 悪役令嬢がいい子ちゃん、ヒロインが脳内お花畑のビッチヒドインで『ざまぁ』されるのが多いので、逆にしたらどうなるのか?という思い付きで浮かんだ話です。

処理中です...