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番外編 なくなってしまった未来①

ドブネズミの憂鬱

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「ねぇ、もう帰っちゃうの?」
 下校の鐘が鳴って、まだお喋りして残っている生徒はちらほらいるのに、リサは素早く鞄に荷物をまとめていた。
 十歳前後の背丈では、立ち上がったリサとは身長差がありすぎる。本当に綺麗な髪をしている。彼女が立ち上がると、その美しい金髪はまっすぐ腰まで伸びる。
 以前担当していた下水工事の現場では、臭すぎて髪を伸ばせなかった。私にはいつも、汚い仕事ばかりまわってくる。
「どうして私にばかり構うの?」
「言ったでしょ、召使いにしてやってもいいって」
 小さく笑った。形の良い唇、大きくてパッチリした目。非嫡出子のくせに、随分楽しそうに笑うじゃないか。
「私、あなたの友達にならなってもいいけど」
「ともだち?」
「一緒にお茶を飲んだり、勉強をしたりするのよ」
 知らないの? なんて首を傾げる。
 知るわけない。私の知ってる“友達”は共に酒を飲んで、賄賂を渡して、中抜きの割合を相談して、見下し合う関係だ。それともリサが言っているのも、“そういうこと”なんだろうか。やっぱり一般人って下劣! 私のことを利用しようとするなんて! 魔法も使えない一般人なんて、召使いがお似合いなんだ。
 だけどその、欠点のない完璧な顔面を見せつけられると決心が揺れる。だってつい最近まで、下水工事で汚いネズミや、感染症に罹った作業員や、歯の黄ばんだ媚びへつらう上司なんかを相手にしていたものだから、本当に同じ世界の人間なのかと頭の中にいくつも疑問符が浮かぶ。
「それとも“非嫡出子”とは遊びたくないとか?」
 だんだんと人が減ってゆき、お喋りの声だってもうほとんどない。シンと静まり返った教室に、リサの声が響いた。他の子がいるときと違って、不敵に微笑んでいるようにも見えた。どんなに見た目を取り繕っていても、中身はみんな同じ。十八年の人生で、私はそれをうんざりするほど知っているはずなのに。
「いいえ、誘ってくれるの?」
 マジックの要領で、背丈に合わない机に手をかざす。仕事で部品を作るときよりもずっと簡単だった。椅子にも同様に魔法をかける。明日からはまともなサイズの椅子に座れるというわけだ。
「本当に使えるんだ、魔法」
「それ以上言ったら見物料を取る」
 疲れるんだよ、これ。なんの苦労もしてないように見えるかもしれないけど、眠たくて仕方ない。紅茶でも飲んで眠気を醒さないと。
「じゃ、行きましょ」
 真っ黒な通学鞄。これも指定なの、ますます葬式っぽい。
「ちょっと待って」
 リサが、私の背丈に合わせて屈んだ。滑らかな髪が流れる。顔が近づいて、どこを見たらいいのかわからずドギマギした。
「タイが曲がってる」
 まるで子供を相手するときのように笑って、私のリボンタイを治した。子供扱いされることは慣れていた。だけどこんな歳下の小娘に、ナメた態度を取られるなんて。
「行こ」
 手を取った。子供じゃないんだから、こんなの必要ないのに。でも、そんなに悪い気はしなかった。それはリサの容姿が飛び抜けて優れているからに他ならない。そうでなければこんな失礼な一般人、すぐに始末している。
 長い廊下を通って外に出る。その間もずっと手を繋いでいたものだから、なんだか少し汗ばんできた。一般人の、非嫡出子の、こんな小娘に感情を揺さぶられているなんて認めたくないから、手を振りほどいた。
「メアリーは、どうしてこの学校にきたの?」
 両手で鞄を持って、いかにもどこかの令嬢です、って感じだ。私と同じ中流階級で、しかも非嫡出子だっていうのに、この佇まい。
「どうしてって、知ってるでしょ? 姉のベアトリスが事故を起こして、それで色んな事業から一旦手を引くことになったの……それで、厄介払いにあの学校に押し込まれたってわけ」
 私たちブラッドリー家は、歩いたり走ったりするのと同じように空を飛んで、マッチを擦るのと同じように指を鳴らして火をつけた。それが普通のことで、できないやつらの気持ちなんてわかるはずがない。嫌いな人間を消すことだって簡単だから、皆が私たちの機嫌を取った。
 公共事業に携わり、代々独占していた。私は主に、退屈で汚い下水道の工事を担当させられて――下の兄弟の扱いなんてこんなものだ。
 その能力を独占することで莫大な富を得ている。土地を持たない中流階級で唯一、爵位を継承していた。遺伝によってのみ発現する魔法の能力をコントロールするために、下の兄弟たちは無理に成長を止められた。結婚する権利があるのは、爵位を継ぐような、上の兄だけだ。
「そう……ねぇ、あそこで、あなたに向かって手を合わせてる黒装束の方々は、知り合い?」
「黒ミサ会の連中」
「なにそれ?」
私たち魔法使いを神だと崇める一部の特殊な方々」
 あいつらの目的は昔からわからない。姉のベアトリスがまだまともだったときに聞いた話によると、何世紀も前から存在していたんだとか。
「つまり、やばい宗教に絡まれてるってわけね」
「石を投げられたり、崇拝されたり、忙しいもんよ」
 下水道工事より汚い仕事をいくつもやった。人を殺したり、拷問したり、そうやって発展してきたんだ。恨みを抱かれないはずがない。一般人がどれだけ喚いても、意味なんてないけど。
「ついたわ」
 リサが立派な邸宅の前で足を止めた。私のこの、血に汚れた人生で、優雅にアフタヌーンティーを洒落込める日がくるなんて。
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