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前章「反魂香」
【魂魄・肆】『鬼神啼く声儺にて聞く』0話「鬼神」
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その女は深い穴の奥底へと向かっていた。
一歩、また一歩と目標に近付くごとに鼓動が高鳴る。「あのお方」に再び会えると心に思い浮かべると、狂おしい恋慕に駆られるのだ。
しかし、自分自身も数多の異形の者と呼ばれる妖怪たちを支配する身。配下の者共にこの動揺を悟られる訳には行かない。この場所に一人で来たのは正解だった。
――魔界
それはかつて、あのお方を封じた憎き仙人によって作られた異空間。元いた世界から強制的に剥離され、彼女たち異形の者が閉じ込められた魂の牢獄。
多くの妖や物怪がそこで生まれ死んでいく。故郷の空気を再び吸うこともなく淀んだ大気に苦しみながら。
「俊宗め……我らを懊悩の獄に陥れただけでなく、あのお方まで封じるとは」
ギリリと歯ぎしりするが、復讐の念に駆られた彼女は瞬時に口角を上げて不敵に微笑む。
そう……自然に微笑みが漏れてくる。
なぜなら永年求めていたもの――反魂香が手に入ったのだ。これさえあれば「あのお方」の魂を冥府から呼び寄せることができる。
「クククッ……積年の恨み晴らしてくれん。人間どもを屠り食らい尽くしてやる」
女は魔界と呼ばれる暗黒の地中奥深くにある祠に到達する。その祠は何百年もの間に、封印された者の魔力によって禍々しく造形され、多くの妖怪を従える女でさえも身震いするほどの邪気を放っている。
――恨み
――怒り
――悲しみ
あらゆる負の感情を纏いながら、ただ自分を封じ、妖怪たちを魔界に隔離した俊宗に復讐を願い続ける……妖かしの王、
百鬼夜行を付き従え、膨大な魔力で人間たちを震えあがらせた鬼神が、この祠に封印されている。女は瞳に涙を溜めて鬼神を呼び寄せるための呪文を唱えた。
「……よって、我ここに汝の封印を解く。鬼神大獄丸の魂よ、再びその姿を現したまえッ」
――グォォォォォォンンッッ
祠の奥から響き渡る重低音。その振動は洞窟を揺らし魔界全土に響き渡る。
間違いないと女は確信する。反魂香は本物であった。そして、この懐かしい悠然とした咆哮は紛れもなく鬼神のものだ。
数百年ぶりに聞く、主のたくましい声に、目頭だけでなく下腹部までも熱くなる。
「……予は戻ったのか」
「……ッ」
尋ねる声は女の背後から聞こえてきた。彼女は頭をうな垂れて暫く返答することができない。歓喜のあまり体が震え、声を容易に放つことができないのだ。
「再び問おう。予は戻ったのか」
「……はい。約八百年、お眠りになっておいででした」
「そうか」
女は必死に声をふり絞ると、涙を拭いながらふり返る。するとそこには彼女の数倍はあろうか、巨大な肉体を持った大男が立っていた。
「久しいな……」
「はい……」
お咎めを受けてもいい。理性を欲望が上回った途端、彼女の身体は自然に吸い寄せられるように、鬼神の体に抱き付いていた。心が「愛おしい」と叫び続ける。しかし……
――スゥ
彼女の両手は鬼神のたくましい体に触れることなく、空を掴んだ。「あっ……」と呟いて踏みとどまる。脱力感に襲われながらも、彼女は気丈にふるまった。
「八百年の時が、余の躰を消滅させた。新しき器を探すのだ」
「しかし……大嶽丸さまの巨大な魂をおさめきれる魄がある者など……ッ」
――いる訳がない
思わず出かかる言葉を飲み込む。
言葉はまるで投げた刃物のようだ。一度放たれれば傷つけても後戻りはできない。彼女も、そして大嶽丸も。
「俊宗だ。予を封じた仙人だけが、余の魂を受け入れる器を持つ」
「……ッしかし、あの者はもうとうに死んでおります」
「ヒトの命は短い。だから奴らはある行為で己を未来に残す」
「も、もしや……隔世転生?」
「そうだ。仙人の子孫を探すのだ……頼んだぞ……珠梓」
そう言って大嶽丸の魂は虚空へと消えた。彼を慕う女を残して――。
一歩、また一歩と目標に近付くごとに鼓動が高鳴る。「あのお方」に再び会えると心に思い浮かべると、狂おしい恋慕に駆られるのだ。
しかし、自分自身も数多の異形の者と呼ばれる妖怪たちを支配する身。配下の者共にこの動揺を悟られる訳には行かない。この場所に一人で来たのは正解だった。
――魔界
それはかつて、あのお方を封じた憎き仙人によって作られた異空間。元いた世界から強制的に剥離され、彼女たち異形の者が閉じ込められた魂の牢獄。
多くの妖や物怪がそこで生まれ死んでいく。故郷の空気を再び吸うこともなく淀んだ大気に苦しみながら。
「俊宗め……我らを懊悩の獄に陥れただけでなく、あのお方まで封じるとは」
ギリリと歯ぎしりするが、復讐の念に駆られた彼女は瞬時に口角を上げて不敵に微笑む。
そう……自然に微笑みが漏れてくる。
なぜなら永年求めていたもの――反魂香が手に入ったのだ。これさえあれば「あのお方」の魂を冥府から呼び寄せることができる。
「クククッ……積年の恨み晴らしてくれん。人間どもを屠り食らい尽くしてやる」
女は魔界と呼ばれる暗黒の地中奥深くにある祠に到達する。その祠は何百年もの間に、封印された者の魔力によって禍々しく造形され、多くの妖怪を従える女でさえも身震いするほどの邪気を放っている。
――恨み
――怒り
――悲しみ
あらゆる負の感情を纏いながら、ただ自分を封じ、妖怪たちを魔界に隔離した俊宗に復讐を願い続ける……妖かしの王、
百鬼夜行を付き従え、膨大な魔力で人間たちを震えあがらせた鬼神が、この祠に封印されている。女は瞳に涙を溜めて鬼神を呼び寄せるための呪文を唱えた。
「……よって、我ここに汝の封印を解く。鬼神大獄丸の魂よ、再びその姿を現したまえッ」
――グォォォォォォンンッッ
祠の奥から響き渡る重低音。その振動は洞窟を揺らし魔界全土に響き渡る。
間違いないと女は確信する。反魂香は本物であった。そして、この懐かしい悠然とした咆哮は紛れもなく鬼神のものだ。
数百年ぶりに聞く、主のたくましい声に、目頭だけでなく下腹部までも熱くなる。
「……予は戻ったのか」
「……ッ」
尋ねる声は女の背後から聞こえてきた。彼女は頭をうな垂れて暫く返答することができない。歓喜のあまり体が震え、声を容易に放つことができないのだ。
「再び問おう。予は戻ったのか」
「……はい。約八百年、お眠りになっておいででした」
「そうか」
女は必死に声をふり絞ると、涙を拭いながらふり返る。するとそこには彼女の数倍はあろうか、巨大な肉体を持った大男が立っていた。
「久しいな……」
「はい……」
お咎めを受けてもいい。理性を欲望が上回った途端、彼女の身体は自然に吸い寄せられるように、鬼神の体に抱き付いていた。心が「愛おしい」と叫び続ける。しかし……
――スゥ
彼女の両手は鬼神のたくましい体に触れることなく、空を掴んだ。「あっ……」と呟いて踏みとどまる。脱力感に襲われながらも、彼女は気丈にふるまった。
「八百年の時が、余の躰を消滅させた。新しき器を探すのだ」
「しかし……大嶽丸さまの巨大な魂をおさめきれる魄がある者など……ッ」
――いる訳がない
思わず出かかる言葉を飲み込む。
言葉はまるで投げた刃物のようだ。一度放たれれば傷つけても後戻りはできない。彼女も、そして大嶽丸も。
「俊宗だ。予を封じた仙人だけが、余の魂を受け入れる器を持つ」
「……ッしかし、あの者はもうとうに死んでおります」
「ヒトの命は短い。だから奴らはある行為で己を未来に残す」
「も、もしや……隔世転生?」
「そうだ。仙人の子孫を探すのだ……頼んだぞ……珠梓」
そう言って大嶽丸の魂は虚空へと消えた。彼を慕う女を残して――。
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