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第一章「外套男郷愁(だんだらおとこのたそがれ)」
【魂魄・参】『時空を刻む針を見よ』5話「ホムラの決意」
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レオンが何かを発見し急に走り出す。叫び声をあげる人だかりだ。ホムラも急いであとを追う。
「鬼だッ、鬼が出たぞッ」
「食われたぁッ、俺の腕がぁぁッ」
人々は手に様々な耕作道具を持ち、逃さぬように取り囲んでいた。二人が群衆をかき分けて見たのは激しく形相を変えた行商の姿だった。
瞳孔は開き口元から泡が吹き出している。そして額には皮膚を破いて二本の角が空高く伸びていた。鬼と化した行商はヒトとは思えない力で人々をなぎ倒し、俊敏な動きで次々に襲いかかった。
「こ、これは……」
「僕が行こう」
激しく動揺するホムラを置いてレオンが腰に携えた刀を握り行商に振り上げるが、ホムラの「やめろっ」という制止を聞いて刀をおさめ、肘で行商の鳩尾を突いた。
行商はぐぅと呻くと倒れ込んで動かなくなり、二人は群衆に預かると言い残して彼を担いで立ち去った。
「これはいったい……なんなんだ」
獅子王が驚いた様子で捕縛された行商を見る。角が生えて狂暴になった男は鬼そのものだった。ホムラは行商の変化の理由を知っていたが獅子王に伝える気はなかった。
なぜなら、これこそ月から逃げてきた理由――月の病と言う伝染病だったからだ。
月ではツクヨミという者が病の最初の犠牲者となった。病は生物から生物にのり移り伝染して繁殖する。ホムラは行商を牢に入れて隔離し、胸元から石鉢を取り上げると獅子王に言った。
「この石鉢が鬼に変えてしまったのだろう。欠片程度の大きさでは問題ないが、この大きさは危険だ。どこか誰も手の届かない場所に封印する必要がある」
「そうか……」
「明朝に私が責任をもって処分しよう。よいな」
「あぁ頼む」
獅子王は石鉢を持って退室するホムラにそう声をかけたが、息子のレオンは怪訝な視線を送り、父王に耳打ちした。
「なにか変です。ホムラは知り過ぎている。なにより石鉢を持っても何も起こらない」
「考え過ぎだろう。彼は多くの者に慕われる人格者だ。疑うだけ時間の無駄だ」
「そこがさらに怪しいのです。放浪した彼らがこの国に辿り着いて数年。今では父上より慕われています。もしや……国を乗っ取るために来たのかも知れません」
「そんなはずが……」
「無いと言いきれるでしょうか。どうもただのトリ族ではない。何かを隠しています」
「ううむ……もうよい。お前は出て行きなさい」
獅子王は心配する息子を退室させて一人で考えた。確かにあの親子――ホムラとサツキには不審な点が多い。彼らが多くの半獣から慕われるのも妖術の類かも知れない。
「確認してみる必要があるな」
獅子王は呟くと深夜が来るのを待った。
深夜に王はホムラの寝室に忍び込んだ。夕食に眠り薬を混ぜたから多少の物音では起きるはずがない。獅子王は王らしくない忍び足で、台の上に置かれた石鉢に手を伸ばし。
「うん? なんの変化もないではないか」
石鉢を手にとり首を傾げる。鉢は禍々しく光り輝き異様な雰囲気を醸し出しているが、「ホムラの杞憂だ」と獅子王が安堵して寝所を出ていこうとした折、ふと彼は思い出した。
「行商は確かこれで水を……」
好奇心は彼の心から離れずに徐々に勢力を増していく。いつの間にかそれは強い欲望へと変わり、王は石鉢に水を入れると遂には飲んでしまった――。
――ドクン
心臓が大きく脈打ち王は蹲る。両手を見ると若返った毛並みの手があり、爪は艶を取り戻し、黒く光り輝いている。鏡を見ると、息子と同年の艶々とした立派な鬣をもつ獅子がいた。
「これは……」
喜びが自然に口元から漏れ、歓喜に体が震える。この石鉢さえあれば若返ることが出来るのだ。
ゴクゴクと勢いよく水を飲む。すると体中に以前の力が漲り、深夜にも関わらず駆け回りたい衝動に駆られる。彼はそのまま宮殿を出ると、深夜の平原を縦横無尽に駆け回った。
「スゴイッ、凄いぞッ……体が軽いッ、何だこの躍動感は」
若き日のように駆け回るが、少しも息は乱れない。そればかりか視力も良くなり、真っ暗な世界で僅かに動く物音さえも聞き分けることができた。
「キャンッ」
獅子王は小動物に獰猛に飛びかると一瞬のうちにそれを狩った。そして先ほどまで生きていた獲物を口に咥えると、久しぶりの血の香りで胸が躍る。
彼は百獣の王として生きる以上、永いこと民を食していなかったのだ。
「旨い、旨いぞ…………ウッ、ウグウゥッッ」
束の間の若さを楽しんだあとに激しい動機が胸を襲う。深呼吸するが眩暈で倒れてしまった。
「ダメだ……あの石鉢がなくては」
瀕死の身体で宮殿に戻ると、再び目にした鏡の前で愕然とした。そこには以前より老いて憔悴した自分の姿があったからだ。
獅子王は大きく震えて石鉢に水を入れた。石鉢から水が零れるが気にせずに勢いよく飲み干す。すると再び体中に活力が戻り鏡の中の自分が若返っていく。
「ハァ……ハァ……」
獅子王は呼吸を落ち着かせるとホムラの枕元に立ち、両手で石鉢を大切そうに持って彼の寝顔を見下ろした――。
○
――翌朝
「獅子王ッ、石鉢はどこだ」
「大したものだ。見ろ、私の姿を……この石鉢があれば永遠に若さを保てる」
「くっ……お前まで魅入られたか」
ホムラは額に汗を垂らし獅子王を睨み付ける。昨日の行商を見てわかった。あれはまさに月の病の症状だった。宙船に付着したのに気付かず、この星に運んでしまった。
そうだとすると自分の責任だ。月のように感染爆発を引き起こしてはならない。早急に手を打たねば……そうホムラは考えた。
「王よ、その石鉢は危険だ……持っていては国が亡ぶぞ」
「……」
「王?」
「フハハッ、国を滅ぼし乗っ取りたいのはお前の方ではないか。なぜ石鉢の秘密を知るのだ」
「そ、それは……」
「言えぬのか……私に秘密がある以上、お前をこの国に置くわけにはゆかぬ。娘と共に出て行け。せめてもの情けに命だけは奪わぬようにしてやる」
獅子王はウットリとした表情で石鉢を撫でて愛でる。ホムラは王を守る衛兵に取り押さえられ、必死に訴えたが、王に声が届くことはなかった。
「獅子王ッ、石鉢を離せ」
「フフフッ……」
――狂都付近
「サツキよ、もう王国へは戻れない。お前はこの子を連れて身を隠すのだ」
「お父様はっ? 石鉢を……月の病をどうするおつもりです」
「なんとか奪い火口に封印する。きっと溶岩が獅子の手を阻むだろう」
「……」
「あの石は危険だ。禍々しく邪悪な意思はいずれ本来の姿……九尾狐を取り戻すだろう。そうなってからでは何もかも遅い」
「はい……」
「私の命も賭けなければな……この星に病を持ち込んでしまった責任がある。分かってくれサツキ。私の分まで生きよ。そして蓬莱族を守るのだ」
「お父様……」
そう言うとホムラは赤子と共に娘を抱きしめ、懐から巻物を取り出し彼女に渡すと、踵を返し急ぎ半獣の王国へと向かったのだった――。
「鬼だッ、鬼が出たぞッ」
「食われたぁッ、俺の腕がぁぁッ」
人々は手に様々な耕作道具を持ち、逃さぬように取り囲んでいた。二人が群衆をかき分けて見たのは激しく形相を変えた行商の姿だった。
瞳孔は開き口元から泡が吹き出している。そして額には皮膚を破いて二本の角が空高く伸びていた。鬼と化した行商はヒトとは思えない力で人々をなぎ倒し、俊敏な動きで次々に襲いかかった。
「こ、これは……」
「僕が行こう」
激しく動揺するホムラを置いてレオンが腰に携えた刀を握り行商に振り上げるが、ホムラの「やめろっ」という制止を聞いて刀をおさめ、肘で行商の鳩尾を突いた。
行商はぐぅと呻くと倒れ込んで動かなくなり、二人は群衆に預かると言い残して彼を担いで立ち去った。
「これはいったい……なんなんだ」
獅子王が驚いた様子で捕縛された行商を見る。角が生えて狂暴になった男は鬼そのものだった。ホムラは行商の変化の理由を知っていたが獅子王に伝える気はなかった。
なぜなら、これこそ月から逃げてきた理由――月の病と言う伝染病だったからだ。
月ではツクヨミという者が病の最初の犠牲者となった。病は生物から生物にのり移り伝染して繁殖する。ホムラは行商を牢に入れて隔離し、胸元から石鉢を取り上げると獅子王に言った。
「この石鉢が鬼に変えてしまったのだろう。欠片程度の大きさでは問題ないが、この大きさは危険だ。どこか誰も手の届かない場所に封印する必要がある」
「そうか……」
「明朝に私が責任をもって処分しよう。よいな」
「あぁ頼む」
獅子王は石鉢を持って退室するホムラにそう声をかけたが、息子のレオンは怪訝な視線を送り、父王に耳打ちした。
「なにか変です。ホムラは知り過ぎている。なにより石鉢を持っても何も起こらない」
「考え過ぎだろう。彼は多くの者に慕われる人格者だ。疑うだけ時間の無駄だ」
「そこがさらに怪しいのです。放浪した彼らがこの国に辿り着いて数年。今では父上より慕われています。もしや……国を乗っ取るために来たのかも知れません」
「そんなはずが……」
「無いと言いきれるでしょうか。どうもただのトリ族ではない。何かを隠しています」
「ううむ……もうよい。お前は出て行きなさい」
獅子王は心配する息子を退室させて一人で考えた。確かにあの親子――ホムラとサツキには不審な点が多い。彼らが多くの半獣から慕われるのも妖術の類かも知れない。
「確認してみる必要があるな」
獅子王は呟くと深夜が来るのを待った。
深夜に王はホムラの寝室に忍び込んだ。夕食に眠り薬を混ぜたから多少の物音では起きるはずがない。獅子王は王らしくない忍び足で、台の上に置かれた石鉢に手を伸ばし。
「うん? なんの変化もないではないか」
石鉢を手にとり首を傾げる。鉢は禍々しく光り輝き異様な雰囲気を醸し出しているが、「ホムラの杞憂だ」と獅子王が安堵して寝所を出ていこうとした折、ふと彼は思い出した。
「行商は確かこれで水を……」
好奇心は彼の心から離れずに徐々に勢力を増していく。いつの間にかそれは強い欲望へと変わり、王は石鉢に水を入れると遂には飲んでしまった――。
――ドクン
心臓が大きく脈打ち王は蹲る。両手を見ると若返った毛並みの手があり、爪は艶を取り戻し、黒く光り輝いている。鏡を見ると、息子と同年の艶々とした立派な鬣をもつ獅子がいた。
「これは……」
喜びが自然に口元から漏れ、歓喜に体が震える。この石鉢さえあれば若返ることが出来るのだ。
ゴクゴクと勢いよく水を飲む。すると体中に以前の力が漲り、深夜にも関わらず駆け回りたい衝動に駆られる。彼はそのまま宮殿を出ると、深夜の平原を縦横無尽に駆け回った。
「スゴイッ、凄いぞッ……体が軽いッ、何だこの躍動感は」
若き日のように駆け回るが、少しも息は乱れない。そればかりか視力も良くなり、真っ暗な世界で僅かに動く物音さえも聞き分けることができた。
「キャンッ」
獅子王は小動物に獰猛に飛びかると一瞬のうちにそれを狩った。そして先ほどまで生きていた獲物を口に咥えると、久しぶりの血の香りで胸が躍る。
彼は百獣の王として生きる以上、永いこと民を食していなかったのだ。
「旨い、旨いぞ…………ウッ、ウグウゥッッ」
束の間の若さを楽しんだあとに激しい動機が胸を襲う。深呼吸するが眩暈で倒れてしまった。
「ダメだ……あの石鉢がなくては」
瀕死の身体で宮殿に戻ると、再び目にした鏡の前で愕然とした。そこには以前より老いて憔悴した自分の姿があったからだ。
獅子王は大きく震えて石鉢に水を入れた。石鉢から水が零れるが気にせずに勢いよく飲み干す。すると再び体中に活力が戻り鏡の中の自分が若返っていく。
「ハァ……ハァ……」
獅子王は呼吸を落ち着かせるとホムラの枕元に立ち、両手で石鉢を大切そうに持って彼の寝顔を見下ろした――。
○
――翌朝
「獅子王ッ、石鉢はどこだ」
「大したものだ。見ろ、私の姿を……この石鉢があれば永遠に若さを保てる」
「くっ……お前まで魅入られたか」
ホムラは額に汗を垂らし獅子王を睨み付ける。昨日の行商を見てわかった。あれはまさに月の病の症状だった。宙船に付着したのに気付かず、この星に運んでしまった。
そうだとすると自分の責任だ。月のように感染爆発を引き起こしてはならない。早急に手を打たねば……そうホムラは考えた。
「王よ、その石鉢は危険だ……持っていては国が亡ぶぞ」
「……」
「王?」
「フハハッ、国を滅ぼし乗っ取りたいのはお前の方ではないか。なぜ石鉢の秘密を知るのだ」
「そ、それは……」
「言えぬのか……私に秘密がある以上、お前をこの国に置くわけにはゆかぬ。娘と共に出て行け。せめてもの情けに命だけは奪わぬようにしてやる」
獅子王はウットリとした表情で石鉢を撫でて愛でる。ホムラは王を守る衛兵に取り押さえられ、必死に訴えたが、王に声が届くことはなかった。
「獅子王ッ、石鉢を離せ」
「フフフッ……」
――狂都付近
「サツキよ、もう王国へは戻れない。お前はこの子を連れて身を隠すのだ」
「お父様はっ? 石鉢を……月の病をどうするおつもりです」
「なんとか奪い火口に封印する。きっと溶岩が獅子の手を阻むだろう」
「……」
「あの石は危険だ。禍々しく邪悪な意思はいずれ本来の姿……九尾狐を取り戻すだろう。そうなってからでは何もかも遅い」
「はい……」
「私の命も賭けなければな……この星に病を持ち込んでしまった責任がある。分かってくれサツキ。私の分まで生きよ。そして蓬莱族を守るのだ」
「お父様……」
そう言うとホムラは赤子と共に娘を抱きしめ、懐から巻物を取り出し彼女に渡すと、踵を返し急ぎ半獣の王国へと向かったのだった――。
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