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第五章「新説地獄変(しんせつじごくへん)」
【魂魄・弐】『胡蝶は南柯の夢を見る』39話「神獣」
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――数日後
ヨイチとサロクは彼らの大切な幼馴染が入った壺を抱えて鳩州に戻っていた。
婀國は貢と紺を引き取った。権八と小紫は人目を避けるように穢土を離れたらしい。小夜衣と千太郎はヨイチ達を手助けし、鳩州までの費用を負担してくれたが、彼らにかける言葉を見出せずに無理につくった笑顔で見送った。
――鳩州に左派院の無敵艦隊が攻めてくる
故郷に戻った二人の耳に飛び込んだのは鳩州の危機的状況だった。
いち早く情報を掴んだ異人たちは日ノ本から抜け出し、主不在の鳩州は政治的機能を失って、他国に攻め入られる絶好の環境を与えてしまった。鴎州は蜜柑船の失敗を口実として鳩州を制圧しようとしているのだ。
二人は故郷の未曽有の危機を打破しようと、義勇軍を率いた青江公に加わっていた。
「ヨイチ君、滄溟どのは本当に来ないのか」
「アイツは……来ませんっ」
水平線の先で無数に浮かんだ黒船を睨み付ける青江公に、同じく鋭い視線を放ち吐き捨てるようにヨイチは言った。
「そうか……」
青江公は義勇軍の風神部隊に指示を出すと、数百の隊員が慣れないルドラをぎこちなく構えた。
「これで対抗するんですか……無茶だ」
「あちらは巨大なルドラ――大砲を備えた軍艦が数十隻。こちらはたかが数百のルドラでは話にならない。だが、鳩州を誰かが守らねば……日ノ本は異国の手に落ちる」
こめかみに脂汗を垂らしたサロクが青江公に詰め寄るが、義勇軍を束ねる大将自身もこの勝ち目のない戦いを覚悟していた。
この鳩州を落とされる訳にはいかない――そんな覚悟だけで立ち上がる者達を寄せ集めた軍は疲弊を極めている。
「私が気操術で敵を蹴散らかす。十二代目宗久の名にかけて……半分は減らしてやる」
青江公達の後ろから颯爽とムネが歩み寄った。故郷の危機に彼女はいつものようにおどけてはいない。そればかりか真剣そのものと言った表情で無数の戦艦を睨み付ける。
「く、来るぞッ」
――ドォォォォンッッッ
耳を貫く爆音がすると、防御壁が火煙を上げて吹き飛び数名が倒れた。初めて目の当たりにする大砲の威力に青江公はただ茫然としている。
「この距離でこの威力……悪夢だ……」
「ヨイチ、奴らの頭を叩こう。敵将を討ちとれば奴らは怯むハズだ」
「ああ、いま狙ってる」
ヨイチは雷神を構え、遥か遠い海上に浮かぶ黒船に狙いを定めるが、甲板で腕を組んでいる宣教師を撃ち抜くには距離が遠過ぎた。ヨイチの放つ気は宣教師の横を通り過ぎて、彼が甲板に倒れることはなかった。
「クソッ、遠すぎる」
「オホホホ、コノ距離デ当テラレル訳ガアリマセーン」
宣教師は愉快そうに笑い、次の大砲を撃つように指示を出した。数発の大砲が黒船から発射される。その度に味方陣営の防御壁が激しく吹き飛び、多くの隊員が叫び声をあげる。
「ムネッ、頼むッ」
「あぁッ」
ムネはそう言うと上着を脱いで立ち上がり、崖の上から海に向かって跳躍した。彼女が進むたび、足元には二色の波動が次々に現れる。
彼女はサラシで巻かれた胸を揺らしながら、柱の上を疾風のごとく駆け上がり続け、勢いよく宣教師が高笑いする黒船へと向かう。
「そろそろか」
ムネは気操術が機能する距離まで近付いたのを確認すると、最後の柱を大きく踏み込んで空高く跳び上がった。彼女は天才波動士だが二種類の波動を同時に発動させることは出来ない。極細の気で大衆を操るためには極太の気を手仕舞う必要があった。
「敵方の兵士達……『誰かが斬られれば同士討ち』を始めよッ」
ムネは無数の戦艦の兵士に条件を出すと「今だッ、サロク!」と叫んで、そのまま海に落下する。すると彼女の背後から同じように柱を跳躍したサロクが現れ、声を聞くや否や、両手を伸ばして敵兵の一人の気を操った。
「隣の男を斬れェェッ!」
そう叫びムネに続いて水柱を上げて落下する。すると黒船に乗った兵士の一人が隣の兵士を斬り付けた。それが合図となって、ムネの気操術の条件が発動され、次第に敵兵は同士討ちを始めた。
「み、見ろっ、形勢が逆転するぞッ」
青江公はその様子を見ながら興奮し嬉々として叫んだ。船上では敵兵が互いに斬り合い、戦艦は隣の黒船に大砲を打ち込む。ムネが宣言した半数以上の船が煙を上げて沈没していった。
「勝てるッ、勝てるぞぉぉッ」
「まだ、安心するのは早いみたいだぜ……」
半狂乱で喜ぶ青江公をヨイチが制止する。彼の視線の先には水平線の彼方から出現した黒船が、先ほどの数倍はある船団を引き連れ、鳩州目がけて押し寄せる姿があった。
「なんだ……あの数は……」
「コレガ無敵艦隊ト言ワレル所以デースッ。獅子ハ全力デ兎ヲ狩ルノデースッッ」
勝利を確信した宣教師が高笑いし、青江公は頭を抱えて震えたが、海を見つめるヨイチは、何かを見つけカッと目を見開いた。
それは空中に浮かんだ鳩州の君主、黒い外套に身を包んだ――滄溟の姿だった。
「滄溟ッ」
遠目でよくは見えないが、その姿は確かに滄溟だった。彼は背後に付き従える歪な姿をした二匹の獣に指示を出す。
「迦楼羅……黄龍……やれ」
滄溟が緩やかに腕を動かし合図を送ると、二匹の神獣は俄かに輝き出したと同時に、無敵艦隊が次々と爆発していく。「ヤ、ヤメ……ガッデムッ」と最後の戦艦に乗った宣教師が泣き叫ぶまでに、数秒しか要しなかった。
「す、すごい……」
「無敵艦隊がッ……」
青江公とヨイチは驚愕の声を震わせる。
鋼鉄製の巨大な軍艦がいとも簡単に爆発音と共に沈没していくのだ。それも数隻ではない。数十、数百の船団が次々に海の藻屑と化していく。それも滄溟一人の手によって……。
「滄溟ッ」
ヨイチは崖の先端に設けられた柵に飛び付く。幼馴染の雄姿を少しでも間近に見たかったのだ。滄溟は二匹の獣を背後に従えて、空中からゆっくりとヨイチに向かって移動する……が。
「お前……滄溟……か?」
ヨイチは近付く幼馴染を見て驚いた。黒い衣服の幼馴染は最後に見た時より数年は年上に見え、表情は今までに見たこともないほど冷徹なものだった。
薄ら笑いでもしていれば少しはサマになるのだろうが、完全なまでに無表情。そして漆黒の瞳は悲しみや怒りというものを通り越し、感情の全てを駆逐していた。
「滄溟……だよな……どこ行ってたんだよ。みんな心配してたんだぞ」
「……」
ヨイチとサロクは彼らの大切な幼馴染が入った壺を抱えて鳩州に戻っていた。
婀國は貢と紺を引き取った。権八と小紫は人目を避けるように穢土を離れたらしい。小夜衣と千太郎はヨイチ達を手助けし、鳩州までの費用を負担してくれたが、彼らにかける言葉を見出せずに無理につくった笑顔で見送った。
――鳩州に左派院の無敵艦隊が攻めてくる
故郷に戻った二人の耳に飛び込んだのは鳩州の危機的状況だった。
いち早く情報を掴んだ異人たちは日ノ本から抜け出し、主不在の鳩州は政治的機能を失って、他国に攻め入られる絶好の環境を与えてしまった。鴎州は蜜柑船の失敗を口実として鳩州を制圧しようとしているのだ。
二人は故郷の未曽有の危機を打破しようと、義勇軍を率いた青江公に加わっていた。
「ヨイチ君、滄溟どのは本当に来ないのか」
「アイツは……来ませんっ」
水平線の先で無数に浮かんだ黒船を睨み付ける青江公に、同じく鋭い視線を放ち吐き捨てるようにヨイチは言った。
「そうか……」
青江公は義勇軍の風神部隊に指示を出すと、数百の隊員が慣れないルドラをぎこちなく構えた。
「これで対抗するんですか……無茶だ」
「あちらは巨大なルドラ――大砲を備えた軍艦が数十隻。こちらはたかが数百のルドラでは話にならない。だが、鳩州を誰かが守らねば……日ノ本は異国の手に落ちる」
こめかみに脂汗を垂らしたサロクが青江公に詰め寄るが、義勇軍を束ねる大将自身もこの勝ち目のない戦いを覚悟していた。
この鳩州を落とされる訳にはいかない――そんな覚悟だけで立ち上がる者達を寄せ集めた軍は疲弊を極めている。
「私が気操術で敵を蹴散らかす。十二代目宗久の名にかけて……半分は減らしてやる」
青江公達の後ろから颯爽とムネが歩み寄った。故郷の危機に彼女はいつものようにおどけてはいない。そればかりか真剣そのものと言った表情で無数の戦艦を睨み付ける。
「く、来るぞッ」
――ドォォォォンッッッ
耳を貫く爆音がすると、防御壁が火煙を上げて吹き飛び数名が倒れた。初めて目の当たりにする大砲の威力に青江公はただ茫然としている。
「この距離でこの威力……悪夢だ……」
「ヨイチ、奴らの頭を叩こう。敵将を討ちとれば奴らは怯むハズだ」
「ああ、いま狙ってる」
ヨイチは雷神を構え、遥か遠い海上に浮かぶ黒船に狙いを定めるが、甲板で腕を組んでいる宣教師を撃ち抜くには距離が遠過ぎた。ヨイチの放つ気は宣教師の横を通り過ぎて、彼が甲板に倒れることはなかった。
「クソッ、遠すぎる」
「オホホホ、コノ距離デ当テラレル訳ガアリマセーン」
宣教師は愉快そうに笑い、次の大砲を撃つように指示を出した。数発の大砲が黒船から発射される。その度に味方陣営の防御壁が激しく吹き飛び、多くの隊員が叫び声をあげる。
「ムネッ、頼むッ」
「あぁッ」
ムネはそう言うと上着を脱いで立ち上がり、崖の上から海に向かって跳躍した。彼女が進むたび、足元には二色の波動が次々に現れる。
彼女はサラシで巻かれた胸を揺らしながら、柱の上を疾風のごとく駆け上がり続け、勢いよく宣教師が高笑いする黒船へと向かう。
「そろそろか」
ムネは気操術が機能する距離まで近付いたのを確認すると、最後の柱を大きく踏み込んで空高く跳び上がった。彼女は天才波動士だが二種類の波動を同時に発動させることは出来ない。極細の気で大衆を操るためには極太の気を手仕舞う必要があった。
「敵方の兵士達……『誰かが斬られれば同士討ち』を始めよッ」
ムネは無数の戦艦の兵士に条件を出すと「今だッ、サロク!」と叫んで、そのまま海に落下する。すると彼女の背後から同じように柱を跳躍したサロクが現れ、声を聞くや否や、両手を伸ばして敵兵の一人の気を操った。
「隣の男を斬れェェッ!」
そう叫びムネに続いて水柱を上げて落下する。すると黒船に乗った兵士の一人が隣の兵士を斬り付けた。それが合図となって、ムネの気操術の条件が発動され、次第に敵兵は同士討ちを始めた。
「み、見ろっ、形勢が逆転するぞッ」
青江公はその様子を見ながら興奮し嬉々として叫んだ。船上では敵兵が互いに斬り合い、戦艦は隣の黒船に大砲を打ち込む。ムネが宣言した半数以上の船が煙を上げて沈没していった。
「勝てるッ、勝てるぞぉぉッ」
「まだ、安心するのは早いみたいだぜ……」
半狂乱で喜ぶ青江公をヨイチが制止する。彼の視線の先には水平線の彼方から出現した黒船が、先ほどの数倍はある船団を引き連れ、鳩州目がけて押し寄せる姿があった。
「なんだ……あの数は……」
「コレガ無敵艦隊ト言ワレル所以デースッ。獅子ハ全力デ兎ヲ狩ルノデースッッ」
勝利を確信した宣教師が高笑いし、青江公は頭を抱えて震えたが、海を見つめるヨイチは、何かを見つけカッと目を見開いた。
それは空中に浮かんだ鳩州の君主、黒い外套に身を包んだ――滄溟の姿だった。
「滄溟ッ」
遠目でよくは見えないが、その姿は確かに滄溟だった。彼は背後に付き従える歪な姿をした二匹の獣に指示を出す。
「迦楼羅……黄龍……やれ」
滄溟が緩やかに腕を動かし合図を送ると、二匹の神獣は俄かに輝き出したと同時に、無敵艦隊が次々と爆発していく。「ヤ、ヤメ……ガッデムッ」と最後の戦艦に乗った宣教師が泣き叫ぶまでに、数秒しか要しなかった。
「す、すごい……」
「無敵艦隊がッ……」
青江公とヨイチは驚愕の声を震わせる。
鋼鉄製の巨大な軍艦がいとも簡単に爆発音と共に沈没していくのだ。それも数隻ではない。数十、数百の船団が次々に海の藻屑と化していく。それも滄溟一人の手によって……。
「滄溟ッ」
ヨイチは崖の先端に設けられた柵に飛び付く。幼馴染の雄姿を少しでも間近に見たかったのだ。滄溟は二匹の獣を背後に従えて、空中からゆっくりとヨイチに向かって移動する……が。
「お前……滄溟……か?」
ヨイチは近付く幼馴染を見て驚いた。黒い衣服の幼馴染は最後に見た時より数年は年上に見え、表情は今までに見たこともないほど冷徹なものだった。
薄ら笑いでもしていれば少しはサマになるのだろうが、完全なまでに無表情。そして漆黒の瞳は悲しみや怒りというものを通り越し、感情の全てを駆逐していた。
「滄溟……だよな……どこ行ってたんだよ。みんな心配してたんだぞ」
「……」
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