88 / 185
第五章「新説地獄変(しんせつじごくへん)」
【魂魄・弐】『胡蝶は南柯の夢を見る』36話「許嫁と幼馴染」
しおりを挟む
権八はその手を握りしめて考える。あと少しで自分もこうなる。薄汚れた牢屋のなか、言い知れぬ恐怖感に襲われる。
磔にされ槍で貫かれるらしいが、処刑の方法などどうでもよかった。この腕で二度と小紫を抱きしめられないことが、本当に悲しくて――恐ろしかった。
「小紫……来るなよ」
狂都で権八の判決が下ったあと、穢土に向かう籠の中から小紫の姿が見えたような気がした。もし自分を追って来たのであれば、共犯として小紫も捕まる危険がある。それだけは何としても避けたい。
「処刑の時間だ。来い」
一番聞きたくない声が無慈悲にも牢屋に響き渡る。看守は権八を縄で縛り牢屋から出し磔台に誘導する。たった一歩が一時間と思えるほど重く感じたが、進むごとに人々の叫び声が無慈悲にもより鮮明になる。
「あれが権八か。見るからに悪人面だなッ」
「見ろ、あの体中の傷。脂屋に火を付け十人も殺したらしいぞッ」
群衆は身勝手だ。誰が俺のことを知っていると言うのだと権八は思う。隣の見知らぬ誰かが白と言えば白と言い黒と言えば黒と言う。誰もが何の責任も持たず面白半分に発言する。
こんな群衆の暇潰しに処刑されるのか。怒りすら通り過ぎて悲しみさえ湧いてくる。
「これにて脂屋の襲撃ならびに十人斬りの科でお前を処刑する。何か言い残すことは無いか」
役人が最後に情けをかけ権八に尋ねるが、群衆の中に小紫を探している彼の耳には届かなかった。嘲るように自分を見つめる群衆の中に彼女の姿はない。それだけが救いだ。
「……」
「それでは罪人を磔にせよ」
権八が澄んだ眼差しで群衆を見る。役人に指図された処刑人が権八を磔にすると、誰かが投げた石により額が切れて血が滲む。
「人殺しめッ」
「疫病神ッ」
口々に罵る人々、投げつけられる無数の石、そして感じる衝撃。口に感じる鉄の味。権八は体中に新たに刻まれる傷を感じながら静かに目を閉じる。すると、何処からともなく厳格な囃子が聞こえてきた。
――シャラン……シャラン
――イヨォ……イヨォ
――ポン……ポン……ツ……ツ……タッポ
――イヨォ
石で腫れた瞼を開き権八は薄目でそれを見る。花魁道中だ。目にするのは初めてだった。鮮やかな衣装に身を包んだ遊女たちの真ん中に、地獄の炎が描かれた見事な衣装の太夫が足を一歩ずつ八の字に結んで練り歩いて来る。
(フフ、地獄からのお迎えってやつか)
自虐的に嗤う。地獄からの使者があんな別嬪とは粋な趣向というものだ。誰かに似ている気もするが……。
(……ん、あれは?)
男衆の先頭にいるヨイチとサロクに気付く。助けに来てくれたというのか。もう一度、冷静に群衆を見回すと、滄溟だけでなく野分と婀國の姿まで見て取ることができた。彼らは権八と目が合うと力強く頷いた。
(あ、あいつら……へへ)
自然と涙が零れ落ちる。彼らが来てくれたなら心強い。死中に活とはこのことだ。権八はもう一度諦めずに生きようと決心した。さぁどうする。どのような方法で自分を助けてくれるというのだ。
彼は縛られた両腕にグッと力を入れて花魁道中を見た。すると真ん中の地獄模様の太夫に背後から声をかける遊女の姿が見えた――。
○
「クミ……クミさん」
「えっ……誰、なぜウチの本名を?」
「あたいはムネ。滄溟の友達だよ」
「そーめいのッ?」
地獄太夫の背後からムネが密かに話しかける。傾城である小夜衣は太夫の次に位置する遊女なので花魁道中でも太夫の前方という目立つ位置にいるが、一時的に加わったムネは目立たない太夫の背後。
それが逆に好都合だった。普段では近付くこともできない地獄太夫に最も接近し話すことができる。
「助けに来た。ヨイチとサロクも一緒、男衆に紛れて前にいるよ」
「ヨイチとサロクもっ」
「滄溟は向こうに見える権八を救い出す計画さ。一度にやるから逃げ出す準備しておいてね」
「あの……」
「?」
「野分……という女性は……」
「にゃは。滄溟と一緒っ」
「……」
「んにゃ?」
顔を曇らせて俯くクミの心の変化にムネは気付くことができなかったが……無理はない、彼女の滄溟に対する想いなど、出会ったばかりのムネは知る由もないのだ。
ムネは気を限りなく細く操り、さらに細分化して群衆に解き放つ。
「皆……『騒ぎが起きたら権八を無実と認識』しなさい」
「なに……それ」
「気操術だよ。まぁ見てて」
ムネがニッコリと微笑み背後の様子を伺うヨイチサロクと頷き合うと、彼らは花魁道中から離れ、磔にされた権八の元に走り出した。
「ボクが処刑人を操るっ、ヨイチは縄を狙って」
「合点だっ」
走り出した二人は呼吸を合わせて気を解き放つ。
サロクが片方の処刑人に向けて言霊を放つと、今にも権八の胸を槍で貫こうとしていたもう片方の処刑人とが小競り合いを始めた。
「雷神、行けぇッ」
ヨイチは呼吸を整えて目を閉じ意識を集中させて銃の引き金を引く。雷神から放たれた気の塊は、権八の両手を縛る荒縄を見事に打ち抜くと、彼は力なく崩れ落ちた。すると……。
「なんだ、どうしたッ」
「罪人が自由になったッ、逃げろ」
「お、おい……あの男は無実だよ」
「そうだよな。処刑しちゃならねぇ」
騒ぎに驚いた群衆が口々に権八の無実を訴え始めた。その様子を見たムネは満足そうに微笑み、クミに向かって叫んだ。
「今だっ、滄溟の元まで走って」
「……」
「どうしたのっ、早く」
「……」
いくら待っても走ろうとしないクミに珍しくムネは動揺する。この作戦は権八とクミ……二人を同時に助け出さなくてはならない。自分はいくら天才波動士と言え、一度にニ種類の気操術を発動させることは出来ない。
クミが滄溟の元に走り出してくれなければ意味が無いのだ。
「そーめい……」
クミは前方に見える滄溟を見つめて佇んでいた。その隣には野分がいる。滄溟の許嫁として突然現れた女性。自分から滄溟を奪った女性……クミは深呼吸してから再び一歩ずつ八の字に歩き出した――。
○
野分は前方の道中で優雅に練り歩く地獄太夫を見ていた。隣にいる滄溟が「クミ……」と呟いただけで動悸が激しくなる。その絢爛な衣装に身を包んだ女性は男たちを手玉に取る大人の女性。
彼も他の男達同様に心奪われてしまうのではないだろうか……。
「滄溟……」
急に野分は得も知れぬ孤独感に襲われる。滄溟は隣にいるにも関わらず、果てしない距離を感じた。
磔にされ槍で貫かれるらしいが、処刑の方法などどうでもよかった。この腕で二度と小紫を抱きしめられないことが、本当に悲しくて――恐ろしかった。
「小紫……来るなよ」
狂都で権八の判決が下ったあと、穢土に向かう籠の中から小紫の姿が見えたような気がした。もし自分を追って来たのであれば、共犯として小紫も捕まる危険がある。それだけは何としても避けたい。
「処刑の時間だ。来い」
一番聞きたくない声が無慈悲にも牢屋に響き渡る。看守は権八を縄で縛り牢屋から出し磔台に誘導する。たった一歩が一時間と思えるほど重く感じたが、進むごとに人々の叫び声が無慈悲にもより鮮明になる。
「あれが権八か。見るからに悪人面だなッ」
「見ろ、あの体中の傷。脂屋に火を付け十人も殺したらしいぞッ」
群衆は身勝手だ。誰が俺のことを知っていると言うのだと権八は思う。隣の見知らぬ誰かが白と言えば白と言い黒と言えば黒と言う。誰もが何の責任も持たず面白半分に発言する。
こんな群衆の暇潰しに処刑されるのか。怒りすら通り過ぎて悲しみさえ湧いてくる。
「これにて脂屋の襲撃ならびに十人斬りの科でお前を処刑する。何か言い残すことは無いか」
役人が最後に情けをかけ権八に尋ねるが、群衆の中に小紫を探している彼の耳には届かなかった。嘲るように自分を見つめる群衆の中に彼女の姿はない。それだけが救いだ。
「……」
「それでは罪人を磔にせよ」
権八が澄んだ眼差しで群衆を見る。役人に指図された処刑人が権八を磔にすると、誰かが投げた石により額が切れて血が滲む。
「人殺しめッ」
「疫病神ッ」
口々に罵る人々、投げつけられる無数の石、そして感じる衝撃。口に感じる鉄の味。権八は体中に新たに刻まれる傷を感じながら静かに目を閉じる。すると、何処からともなく厳格な囃子が聞こえてきた。
――シャラン……シャラン
――イヨォ……イヨォ
――ポン……ポン……ツ……ツ……タッポ
――イヨォ
石で腫れた瞼を開き権八は薄目でそれを見る。花魁道中だ。目にするのは初めてだった。鮮やかな衣装に身を包んだ遊女たちの真ん中に、地獄の炎が描かれた見事な衣装の太夫が足を一歩ずつ八の字に結んで練り歩いて来る。
(フフ、地獄からのお迎えってやつか)
自虐的に嗤う。地獄からの使者があんな別嬪とは粋な趣向というものだ。誰かに似ている気もするが……。
(……ん、あれは?)
男衆の先頭にいるヨイチとサロクに気付く。助けに来てくれたというのか。もう一度、冷静に群衆を見回すと、滄溟だけでなく野分と婀國の姿まで見て取ることができた。彼らは権八と目が合うと力強く頷いた。
(あ、あいつら……へへ)
自然と涙が零れ落ちる。彼らが来てくれたなら心強い。死中に活とはこのことだ。権八はもう一度諦めずに生きようと決心した。さぁどうする。どのような方法で自分を助けてくれるというのだ。
彼は縛られた両腕にグッと力を入れて花魁道中を見た。すると真ん中の地獄模様の太夫に背後から声をかける遊女の姿が見えた――。
○
「クミ……クミさん」
「えっ……誰、なぜウチの本名を?」
「あたいはムネ。滄溟の友達だよ」
「そーめいのッ?」
地獄太夫の背後からムネが密かに話しかける。傾城である小夜衣は太夫の次に位置する遊女なので花魁道中でも太夫の前方という目立つ位置にいるが、一時的に加わったムネは目立たない太夫の背後。
それが逆に好都合だった。普段では近付くこともできない地獄太夫に最も接近し話すことができる。
「助けに来た。ヨイチとサロクも一緒、男衆に紛れて前にいるよ」
「ヨイチとサロクもっ」
「滄溟は向こうに見える権八を救い出す計画さ。一度にやるから逃げ出す準備しておいてね」
「あの……」
「?」
「野分……という女性は……」
「にゃは。滄溟と一緒っ」
「……」
「んにゃ?」
顔を曇らせて俯くクミの心の変化にムネは気付くことができなかったが……無理はない、彼女の滄溟に対する想いなど、出会ったばかりのムネは知る由もないのだ。
ムネは気を限りなく細く操り、さらに細分化して群衆に解き放つ。
「皆……『騒ぎが起きたら権八を無実と認識』しなさい」
「なに……それ」
「気操術だよ。まぁ見てて」
ムネがニッコリと微笑み背後の様子を伺うヨイチサロクと頷き合うと、彼らは花魁道中から離れ、磔にされた権八の元に走り出した。
「ボクが処刑人を操るっ、ヨイチは縄を狙って」
「合点だっ」
走り出した二人は呼吸を合わせて気を解き放つ。
サロクが片方の処刑人に向けて言霊を放つと、今にも権八の胸を槍で貫こうとしていたもう片方の処刑人とが小競り合いを始めた。
「雷神、行けぇッ」
ヨイチは呼吸を整えて目を閉じ意識を集中させて銃の引き金を引く。雷神から放たれた気の塊は、権八の両手を縛る荒縄を見事に打ち抜くと、彼は力なく崩れ落ちた。すると……。
「なんだ、どうしたッ」
「罪人が自由になったッ、逃げろ」
「お、おい……あの男は無実だよ」
「そうだよな。処刑しちゃならねぇ」
騒ぎに驚いた群衆が口々に権八の無実を訴え始めた。その様子を見たムネは満足そうに微笑み、クミに向かって叫んだ。
「今だっ、滄溟の元まで走って」
「……」
「どうしたのっ、早く」
「……」
いくら待っても走ろうとしないクミに珍しくムネは動揺する。この作戦は権八とクミ……二人を同時に助け出さなくてはならない。自分はいくら天才波動士と言え、一度にニ種類の気操術を発動させることは出来ない。
クミが滄溟の元に走り出してくれなければ意味が無いのだ。
「そーめい……」
クミは前方に見える滄溟を見つめて佇んでいた。その隣には野分がいる。滄溟の許嫁として突然現れた女性。自分から滄溟を奪った女性……クミは深呼吸してから再び一歩ずつ八の字に歩き出した――。
○
野分は前方の道中で優雅に練り歩く地獄太夫を見ていた。隣にいる滄溟が「クミ……」と呟いただけで動悸が激しくなる。その絢爛な衣装に身を包んだ女性は男たちを手玉に取る大人の女性。
彼も他の男達同様に心奪われてしまうのではないだろうか……。
「滄溟……」
急に野分は得も知れぬ孤独感に襲われる。滄溟は隣にいるにも関わらず、果てしない距離を感じた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。
KAKIDAMISHI -The Ultimate Karate Battle-
ジェド
歴史・時代
1894年、東洋の島国・琉球王国が沖縄県となった明治時代――
後の世で「空手」や「琉球古武術」と呼ばれることとなる武術は、琉球語で「ティー(手)」と呼ばれていた。
ティーの修業者たちにとって腕試しの場となるのは、自由組手形式の野試合「カキダミシ(掛け試し)」。
誇り高き武人たちは、時代に翻弄されながらも戦い続ける。
拳と思いが交錯する空手アクション歴史小説、ここに誕生!
・検索キーワード
空手道、琉球空手、沖縄空手、琉球古武道、剛柔流、上地流、小林流、少林寺流、少林流、松林流、和道流、松濤館流、糸東流、東恩流、劉衛流、極真会館、大山道場、芦原会館、正道会館、白蓮会館、国際FSA拳真館、大道塾空道
偽典尼子軍記
卦位
歴史・時代
何故に滅んだ。また滅ぶのか。やるしかない、機会を与えられたのだから。
戦国時代、出雲の国を本拠に山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し、当時の中国地方随一の大大名となった尼子家。しかしその栄華は長続きせず尼子義久の代で毛利家に滅ぼされる。その義久に生まれ変わったある男の物語
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる