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2話
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*****
燃えるように色づいた葉が、秋の訪れを告げている。薄くちぎれ雲が空に浮かび、鹿が切ない鳴き声を上げている。
セレガは腕まくりをして、剣を構えた。
「……大丈夫、できる、できる」
彼の目の前にあるのは、藁を束にまとめたもので、見習い騎士ならばひと振りで両断できるはずのものである。セレガはふらつく足に力をぐっと込めて、剣を振った。
風を割く心地よい音は聞こえない。
「わっ……!」
思い切り振った剣は藁を半分ほど切ったところで止まってしまった。セレガは己の腕を恥じた。
「オメガかぁ……」
かつて、セレガはこの程度の藁ならたやすく切ることができた。それが、彼の第三の性が明らかになると、徐々に体の筋肉が衰えていってしまったのだ。
セレガは自分の手を見つめた。
士官学校時代、豆だらけだった掌は、いまではすっかりやわらかくなり、指も細くなった。ただ骨までは変わらないらしく、ほっそりとした指に、太い節がよく目立った。
セレガは、この手が自分のものだということがいまだに信じられなかった。
藁もまともに切れない軟弱者になってしまったと息をついても、セレガにはどうすることもできない。
医者によると、ついに発情期が近いらしく、それにあわせて体も変化する速度を上げている。
もう一度、セレガが剣の柄を握ったとき、彼を呼ぶ声が聞こえた。
「セレガ」
「……ハンストン、呼び捨てにするな。また父上に叱られるぞ」
セレガの忠告を無視して、ハンストンと呼ばれた男はまたセレガ、と呼んで用件を伝えた。
「セレガ、私、王城に行く」
「なぜ?」
「王が呼んでる」
「そうか。……それもそうだろう」
このハンストンは、セレガが”ドラゴンの巣”から連れ帰った男だ。
ハンストンを初めて見た時、父はセレガを怒鳴りつけた。
それもそのはずだ。婚約者を見つけるためのパーティーに向かわせた末息子が、婚約者どころか浮浪者を連れて帰って来たのだから、彼の怒りはもっともだ。
しかし、彼の怒りはすぐに驚愕に変わった。
ハンストンが口笛を一度鳴らすと、たちまち街は大きな陰に包まれた。何事かと窓の外を見れば、天に巨大なドラゴンが浮かんでいた。
街は恐慌状態に陥った。
ハンストンは恐れおののく人々の間を縫ってバルコニーに出た。ドラゴンはハンストンの姿を認めると、その手に巨大な体躯を押し付けた。さながら猫のようであった。
その後、ハンストンがぽつりぽつりと話したことをまとめると、彼は10歳のときに親に捨てられ、その後ドラゴンに育てられたのだという。
彼は歳不相応に幼い口調で、語彙を多く知らない。
しかし、類稀な火耐性能力を有し、ドラゴンの背に乗って大空を飛んだ。
ドラゴンに殺されるつもりのセレガだったが、このハンストンがドラゴンの尾を一度叩いたことで、ドラゴンは熱波を収め、そのまま地に伏せて居眠りを始めてしまった。
拍子抜けしたセレガは、間抜けな顔でのこのこと家に帰るほかなかった。——ハンストンを連れて。
セレガの父はドラゴンに乗る人間を迎え入れ、この「ハンストン」という名を与えた。その名は翌日の新聞紙面を大いに賑わせ、ついに王城から呼び出しがかかるに至ったのだ。
「それで? いつ王城に?」
セレガが尋ねると、ハンストンはゆっくりと指を折って数え始めた。彼は礼儀作法や子どもが習うような簡単な読み書き計算を習っているところなのだ。
「1、2、3、4……5日後」
「そうか。頑張れよ」
セレガの言葉を聞いて、ハンストンはうつむいた。その拍子に彼の長い髪がさらさらと顔にかかった。
浮浪者のようだったハンストンは、ガラケレム家の使用人たちの手によってみちがえた。泥で固まった髪は銀色に、薄汚れた肌は健康的な小麦色に、そしてスミレ色の瞳が輝いた。
セレガはその変わりように驚嘆した。そしてそれと同時に奇妙な感覚を覚えた。それは快とも不快ともいえない感覚だ。セレガはハンストンのスミレ色の瞳を見るたびに、その感覚に襲われ、長く見つめていると吸い込まれそうになる。
セレガはハンストンの顔を見ないようにしながら、さらに尋ねた。
「衣装の用意はできたのか?」
「……わからない」
「しかたないな、ついて来い。俺が確認してやる」
そう言って歩き出すと、ハンストンはぱっと破顔してセレガの後ろについてきた。餌を貰った野良犬のようだ、とセレガは思った。
ハンストンはセレガに対して恩を感じているらしく、何かと寄って来る。セレガも、オメガであることが発覚してから士官学校の宿舎を追われ、屋敷で暇をもてあましていたため、ハンストンの相手をするようになった。
ハンストンの正確な歳はわからないが、セレガは同い年くらいだと思っていた。
2人はよき友人になっていた。
*
「おーい、ハンストン、着替えたか?」
セレガがハンストンのいる客間に向かって声をかける。中からハンストンの返事が聞こえて、部屋の中へ入ると、煌びやかな衣装をまとったハンストンがいた。
「おお、いいじゃん。父上もいい趣味してるんだな」
すらりと高い背、整った顔、そして、濃紺の布地は彼のスミレ色の瞳をより際立ててた。セレガは素直に賞賛を送った。
「くるしい……」
「正装はそんなもんだ」
言って、セレガは父が選んだというハンストンの衣装をじっと見つめた。
マントルと呼ばれる半円形状の毛皮は上流騎士の証である。セレガが欲しくてたまらなかったものを手にしたハンストンに対して、羨望というよりもやや薄暗い気持ちが彼の心につもった。
「どれくらいこれを着る?」
「叙勲式と、式のあとのパーティーが終わるまでだ。長いぞ。覚悟しとけよ」
ハンストンは眉を寄せた。屋敷に来てすぐのころは無表情だったハンストンだが、この屋敷にやってきて三カ月経ち、少しずつこうした感情を出すようになってきていた。
「めんどくさいな」
セレガの欲しいものを手に入れたハンストンの言葉に、セレガは苦笑するしかない。
「そういうなよ。騎士っていいもんだぞ?」
「そうなの?」
「そりゃあ、そうさ。みんなの憧れの存在だ。かっこいいし、強いし」
「セレガも憧れる?」
「……もちろんだよ」
セレガは笑った。それは本心だ。喉から手が出るほどに憧れている。でも、オメガでは騎士にはなれない。セレガの細くなった手足がその事実を雄弁に語る。
セレガの顔を見て、ハンストンは尋ねた。
「セレガ、どうしたの?」
「なにが?」
「悲しいの?」
「……そう、か?」
セレガは自分の頬に触れて、それからもう一度笑顔を作った。ハンストンはぐいっと顔を突き出した。
「セレガ、何が好き?」
「え?」
「何が好き?」
唐突な話に、セレガは目線を泳がせ、ハンストンの腰に佩いているものに目が留まった。
「剣が好きだ」
「剣? じゃあ」
はい、と言わんばかりに、宝飾が大量についたその剣をハンストンはセレガに差し出した。
セレガは大慌てでそれを押し戻す。
「こら! それは父上がお前のために用意したものだろ! 大事にしろ」
「でも、セレガ好きでしょう?」
「剣なら俺も持ってる」
セレガは苦笑した。ついさっきセレガは自分の剣を振っていたのだが、ハンストンはすっかり忘れてしまっているようだ。
剣を突き返されて、納得いかない顔のハンストンはさらに続けた。
「じゃあ、青い剣は好き?」
「青い剣?」
「うん、昔、ドラゴンが見せてくれた。山のむこうにある剣。岩に刺さってる」
「へぇ。勇者の剣みたいだな」
「勇者って?」
セレガはハンストンのためにこの国に昔話として伝わる伝説の勇者の話を語った。ハンストンは無邪気な子どものように、勇者の冒険譚を聞いて目を輝かせた。
「勇者、すごいね。セレガは勇者好き?」
「ああ、大好きだよ」
セレガはそう言って、さらに勇者の寓話をいくつか披露した。
そうしているうちに2人は時間を忘れて、床に座り込んで話し続けた。
しびれをきらしたメイド長から衣装が傷むと苦情が出て、ようやくハンストンは窮屈な衣装を脱ぐことができた。
*
翌日、ハンストンはドラゴンに乗って出かけていった。彼は馬かなにか便利な乗り物のようにドラゴンを呼び出す。最初は恐怖で怯えていた街の人々だったが、害がないことを察すると、次第にそれは日常の風景に溶け込んでいった。
一部の住民からはいまだに反発の声があるそうだが、ハンストンが国王に謁見すればそれもおさまると思われた。
ハンストンは夕方に戻ってきた。相変わらず修練場で剣を振るっていたセレガは、巨大な影で帰還を知った。
ハンストンは屋敷に戻るなり、セレガのもとにやってきた。
「セレガ、これ」
「……?」
「青い剣だよ」
それは、昨日ハンストンが言っていた山の向こうにあるという剣であった。ハンストンがそう呼ぶとおり、剣身が青い。柄は金だ。
セレガは目を見開いた。
「お前、これ……! 勇者の!」
柄には勇者の象徴である鷹が彫られ、さらに巨大な魔石が象嵌されている。素人目にも、その剣が発している魔力は異常だ。
それを飄々と片手で持つハンストン。セレガは叫んだ。
「お前、この剣に主と認められたのか!?」
ハンストンが勇者の剣を抜き、主と認められたという報せは瞬く間に広まった。ハンストンの存在に警戒していた人々でさえ、新しい勇者の剣の持ち主を一目見ようとガラケレム家に集まった。
王宮や神殿は使者を寄越し、その剣の真贋を確かめた。
セレガの父はひっくり返りそうなほどに忙しく対応に追われながらも、セレガを賞賛することを忘れなかった。
「よくやった。よくぞハンストン殿を連れてきた。セレガは我が家の栄誉だ」
セレガは苦笑するしかない。末息子が死ぬつもりで”ドラゴンの巣”に行ったことなど、すっかり父の頭からは抜け落ちてしまったようだ。
「どうも」
セレガはそう言うのが精一杯だ。
「ハンストン殿」
「ハンストン殿」
今、屋敷の中のみならず、国中がこの名前の話でもちきりだ。そして、そのハンストン本人は、集まった人々の前で伝説の勇者の剣をセレガに渡した。
「セレガにあげる」
これには、その場にいた者は全員固まった。王宮の使者は口をあんぐりと開け、神殿の使いは頭を抑えて倒れ込んだ。
「は!?」
セレガも急に衆目の注目を集めて、嫌な汗が背中を伝った。
なおもハンストンは繰り返した。
「あげる。剣が好きでしょ?」
「いやいや!」
伝説の剣を押し付け合う2人を見て、セレガの父は一度手を叩いて注目を促した。
「はは、ハンストン殿と我が息子は篤い友情で結ばれているのです。父として鼻が高い。ささ、皆さま、今日は祝宴をご用意いたします。どうぞ食堂へ」
セレガは父に感謝した。
セレガはまだ納得できない顔のハンストンの横腹をつつき、小声で念を押した。
「その剣はお前のものだ」
「セレガのために持ってきたのに」
きゅっと眉を寄せたハンストンの顔を見て、セレガは思わず噴き出した。
「お前、犬みたいなところあるよな」
ようやくハンストンは剣を差し出した腕を下した。そうしてこう言った。
「セレガが笑ってくれてうれしい」
「は? よく笑ってるだろ」
「そんなことない。初めて会った時から、暗い顔をしてた」
言われて、セレガは自分の境遇を思い出した。そして、息を吐いた。
「生きてるといろいろあるんだ」
「いろいろ?」
「そう。オメガになることもあるし、ドラゴンの巣に行くこともあるし、勇者の剣を渡されそうになることもある」
ここまで言って、セレガはもう一度笑った。彼はようやく自分の人生に起きた変化を受け入れることができた。そう、オメガになったことは、いろいろあるなかのひとつなのだ。
「ありがとう」
セレガは礼を述べると、ハンストンの背中を叩いた。
「行こう。お前の祝宴だ」
燃えるように色づいた葉が、秋の訪れを告げている。薄くちぎれ雲が空に浮かび、鹿が切ない鳴き声を上げている。
セレガは腕まくりをして、剣を構えた。
「……大丈夫、できる、できる」
彼の目の前にあるのは、藁を束にまとめたもので、見習い騎士ならばひと振りで両断できるはずのものである。セレガはふらつく足に力をぐっと込めて、剣を振った。
風を割く心地よい音は聞こえない。
「わっ……!」
思い切り振った剣は藁を半分ほど切ったところで止まってしまった。セレガは己の腕を恥じた。
「オメガかぁ……」
かつて、セレガはこの程度の藁ならたやすく切ることができた。それが、彼の第三の性が明らかになると、徐々に体の筋肉が衰えていってしまったのだ。
セレガは自分の手を見つめた。
士官学校時代、豆だらけだった掌は、いまではすっかりやわらかくなり、指も細くなった。ただ骨までは変わらないらしく、ほっそりとした指に、太い節がよく目立った。
セレガは、この手が自分のものだということがいまだに信じられなかった。
藁もまともに切れない軟弱者になってしまったと息をついても、セレガにはどうすることもできない。
医者によると、ついに発情期が近いらしく、それにあわせて体も変化する速度を上げている。
もう一度、セレガが剣の柄を握ったとき、彼を呼ぶ声が聞こえた。
「セレガ」
「……ハンストン、呼び捨てにするな。また父上に叱られるぞ」
セレガの忠告を無視して、ハンストンと呼ばれた男はまたセレガ、と呼んで用件を伝えた。
「セレガ、私、王城に行く」
「なぜ?」
「王が呼んでる」
「そうか。……それもそうだろう」
このハンストンは、セレガが”ドラゴンの巣”から連れ帰った男だ。
ハンストンを初めて見た時、父はセレガを怒鳴りつけた。
それもそのはずだ。婚約者を見つけるためのパーティーに向かわせた末息子が、婚約者どころか浮浪者を連れて帰って来たのだから、彼の怒りはもっともだ。
しかし、彼の怒りはすぐに驚愕に変わった。
ハンストンが口笛を一度鳴らすと、たちまち街は大きな陰に包まれた。何事かと窓の外を見れば、天に巨大なドラゴンが浮かんでいた。
街は恐慌状態に陥った。
ハンストンは恐れおののく人々の間を縫ってバルコニーに出た。ドラゴンはハンストンの姿を認めると、その手に巨大な体躯を押し付けた。さながら猫のようであった。
その後、ハンストンがぽつりぽつりと話したことをまとめると、彼は10歳のときに親に捨てられ、その後ドラゴンに育てられたのだという。
彼は歳不相応に幼い口調で、語彙を多く知らない。
しかし、類稀な火耐性能力を有し、ドラゴンの背に乗って大空を飛んだ。
ドラゴンに殺されるつもりのセレガだったが、このハンストンがドラゴンの尾を一度叩いたことで、ドラゴンは熱波を収め、そのまま地に伏せて居眠りを始めてしまった。
拍子抜けしたセレガは、間抜けな顔でのこのこと家に帰るほかなかった。——ハンストンを連れて。
セレガの父はドラゴンに乗る人間を迎え入れ、この「ハンストン」という名を与えた。その名は翌日の新聞紙面を大いに賑わせ、ついに王城から呼び出しがかかるに至ったのだ。
「それで? いつ王城に?」
セレガが尋ねると、ハンストンはゆっくりと指を折って数え始めた。彼は礼儀作法や子どもが習うような簡単な読み書き計算を習っているところなのだ。
「1、2、3、4……5日後」
「そうか。頑張れよ」
セレガの言葉を聞いて、ハンストンはうつむいた。その拍子に彼の長い髪がさらさらと顔にかかった。
浮浪者のようだったハンストンは、ガラケレム家の使用人たちの手によってみちがえた。泥で固まった髪は銀色に、薄汚れた肌は健康的な小麦色に、そしてスミレ色の瞳が輝いた。
セレガはその変わりように驚嘆した。そしてそれと同時に奇妙な感覚を覚えた。それは快とも不快ともいえない感覚だ。セレガはハンストンのスミレ色の瞳を見るたびに、その感覚に襲われ、長く見つめていると吸い込まれそうになる。
セレガはハンストンの顔を見ないようにしながら、さらに尋ねた。
「衣装の用意はできたのか?」
「……わからない」
「しかたないな、ついて来い。俺が確認してやる」
そう言って歩き出すと、ハンストンはぱっと破顔してセレガの後ろについてきた。餌を貰った野良犬のようだ、とセレガは思った。
ハンストンはセレガに対して恩を感じているらしく、何かと寄って来る。セレガも、オメガであることが発覚してから士官学校の宿舎を追われ、屋敷で暇をもてあましていたため、ハンストンの相手をするようになった。
ハンストンの正確な歳はわからないが、セレガは同い年くらいだと思っていた。
2人はよき友人になっていた。
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「おーい、ハンストン、着替えたか?」
セレガがハンストンのいる客間に向かって声をかける。中からハンストンの返事が聞こえて、部屋の中へ入ると、煌びやかな衣装をまとったハンストンがいた。
「おお、いいじゃん。父上もいい趣味してるんだな」
すらりと高い背、整った顔、そして、濃紺の布地は彼のスミレ色の瞳をより際立ててた。セレガは素直に賞賛を送った。
「くるしい……」
「正装はそんなもんだ」
言って、セレガは父が選んだというハンストンの衣装をじっと見つめた。
マントルと呼ばれる半円形状の毛皮は上流騎士の証である。セレガが欲しくてたまらなかったものを手にしたハンストンに対して、羨望というよりもやや薄暗い気持ちが彼の心につもった。
「どれくらいこれを着る?」
「叙勲式と、式のあとのパーティーが終わるまでだ。長いぞ。覚悟しとけよ」
ハンストンは眉を寄せた。屋敷に来てすぐのころは無表情だったハンストンだが、この屋敷にやってきて三カ月経ち、少しずつこうした感情を出すようになってきていた。
「めんどくさいな」
セレガの欲しいものを手に入れたハンストンの言葉に、セレガは苦笑するしかない。
「そういうなよ。騎士っていいもんだぞ?」
「そうなの?」
「そりゃあ、そうさ。みんなの憧れの存在だ。かっこいいし、強いし」
「セレガも憧れる?」
「……もちろんだよ」
セレガは笑った。それは本心だ。喉から手が出るほどに憧れている。でも、オメガでは騎士にはなれない。セレガの細くなった手足がその事実を雄弁に語る。
セレガの顔を見て、ハンストンは尋ねた。
「セレガ、どうしたの?」
「なにが?」
「悲しいの?」
「……そう、か?」
セレガは自分の頬に触れて、それからもう一度笑顔を作った。ハンストンはぐいっと顔を突き出した。
「セレガ、何が好き?」
「え?」
「何が好き?」
唐突な話に、セレガは目線を泳がせ、ハンストンの腰に佩いているものに目が留まった。
「剣が好きだ」
「剣? じゃあ」
はい、と言わんばかりに、宝飾が大量についたその剣をハンストンはセレガに差し出した。
セレガは大慌てでそれを押し戻す。
「こら! それは父上がお前のために用意したものだろ! 大事にしろ」
「でも、セレガ好きでしょう?」
「剣なら俺も持ってる」
セレガは苦笑した。ついさっきセレガは自分の剣を振っていたのだが、ハンストンはすっかり忘れてしまっているようだ。
剣を突き返されて、納得いかない顔のハンストンはさらに続けた。
「じゃあ、青い剣は好き?」
「青い剣?」
「うん、昔、ドラゴンが見せてくれた。山のむこうにある剣。岩に刺さってる」
「へぇ。勇者の剣みたいだな」
「勇者って?」
セレガはハンストンのためにこの国に昔話として伝わる伝説の勇者の話を語った。ハンストンは無邪気な子どものように、勇者の冒険譚を聞いて目を輝かせた。
「勇者、すごいね。セレガは勇者好き?」
「ああ、大好きだよ」
セレガはそう言って、さらに勇者の寓話をいくつか披露した。
そうしているうちに2人は時間を忘れて、床に座り込んで話し続けた。
しびれをきらしたメイド長から衣装が傷むと苦情が出て、ようやくハンストンは窮屈な衣装を脱ぐことができた。
*
翌日、ハンストンはドラゴンに乗って出かけていった。彼は馬かなにか便利な乗り物のようにドラゴンを呼び出す。最初は恐怖で怯えていた街の人々だったが、害がないことを察すると、次第にそれは日常の風景に溶け込んでいった。
一部の住民からはいまだに反発の声があるそうだが、ハンストンが国王に謁見すればそれもおさまると思われた。
ハンストンは夕方に戻ってきた。相変わらず修練場で剣を振るっていたセレガは、巨大な影で帰還を知った。
ハンストンは屋敷に戻るなり、セレガのもとにやってきた。
「セレガ、これ」
「……?」
「青い剣だよ」
それは、昨日ハンストンが言っていた山の向こうにあるという剣であった。ハンストンがそう呼ぶとおり、剣身が青い。柄は金だ。
セレガは目を見開いた。
「お前、これ……! 勇者の!」
柄には勇者の象徴である鷹が彫られ、さらに巨大な魔石が象嵌されている。素人目にも、その剣が発している魔力は異常だ。
それを飄々と片手で持つハンストン。セレガは叫んだ。
「お前、この剣に主と認められたのか!?」
ハンストンが勇者の剣を抜き、主と認められたという報せは瞬く間に広まった。ハンストンの存在に警戒していた人々でさえ、新しい勇者の剣の持ち主を一目見ようとガラケレム家に集まった。
王宮や神殿は使者を寄越し、その剣の真贋を確かめた。
セレガの父はひっくり返りそうなほどに忙しく対応に追われながらも、セレガを賞賛することを忘れなかった。
「よくやった。よくぞハンストン殿を連れてきた。セレガは我が家の栄誉だ」
セレガは苦笑するしかない。末息子が死ぬつもりで”ドラゴンの巣”に行ったことなど、すっかり父の頭からは抜け落ちてしまったようだ。
「どうも」
セレガはそう言うのが精一杯だ。
「ハンストン殿」
「ハンストン殿」
今、屋敷の中のみならず、国中がこの名前の話でもちきりだ。そして、そのハンストン本人は、集まった人々の前で伝説の勇者の剣をセレガに渡した。
「セレガにあげる」
これには、その場にいた者は全員固まった。王宮の使者は口をあんぐりと開け、神殿の使いは頭を抑えて倒れ込んだ。
「は!?」
セレガも急に衆目の注目を集めて、嫌な汗が背中を伝った。
なおもハンストンは繰り返した。
「あげる。剣が好きでしょ?」
「いやいや!」
伝説の剣を押し付け合う2人を見て、セレガの父は一度手を叩いて注目を促した。
「はは、ハンストン殿と我が息子は篤い友情で結ばれているのです。父として鼻が高い。ささ、皆さま、今日は祝宴をご用意いたします。どうぞ食堂へ」
セレガは父に感謝した。
セレガはまだ納得できない顔のハンストンの横腹をつつき、小声で念を押した。
「その剣はお前のものだ」
「セレガのために持ってきたのに」
きゅっと眉を寄せたハンストンの顔を見て、セレガは思わず噴き出した。
「お前、犬みたいなところあるよな」
ようやくハンストンは剣を差し出した腕を下した。そうしてこう言った。
「セレガが笑ってくれてうれしい」
「は? よく笑ってるだろ」
「そんなことない。初めて会った時から、暗い顔をしてた」
言われて、セレガは自分の境遇を思い出した。そして、息を吐いた。
「生きてるといろいろあるんだ」
「いろいろ?」
「そう。オメガになることもあるし、ドラゴンの巣に行くこともあるし、勇者の剣を渡されそうになることもある」
ここまで言って、セレガはもう一度笑った。彼はようやく自分の人生に起きた変化を受け入れることができた。そう、オメガになったことは、いろいろあるなかのひとつなのだ。
「ありがとう」
セレガは礼を述べると、ハンストンの背中を叩いた。
「行こう。お前の祝宴だ」
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