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第三十二話 新聞

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 呼び出し音は、無限に鳴り続けるだけであった。

 ――電話は、どこにもつながらなかった。

 ルーカスは受話器を置いて、首を振った。
「だめみたい……」
 知らず、息を止めていたケイは息を吐いた。
「君の家、田舎なのに電話あるんだな……」
 電話は田舎では集会所や地主などの大きな家にしかないものだ。いまいるルーカスの家は大きいとはいえない。電話があるのが意外だった。
 ルーカスはため息とともに力なく言った。
「一応、父さんが学校の先生だったから……」

 ルーカスはじっと手帳に目をおとした。
 これが唯一ルーカスの親についての手がかりだった。それが途絶えてしまった。ルーカスはゆっくりと絶望が胸に広がっていくのを感じた。

 ケイは首を伸ばして手帳を覗き込む。
「電話番号、見せてくれ」
「え? あ、ああ」
 ケイは顎に手を置く。都会育ちの彼はルーカスよりもものをよく知っている。彼はその番号を見ただけで、地域を言い当てて見せた。
「カルヴァの番号だな。昔の」
「そうなの?」
 ルーカスは驚いて顔を跳ね上げる。電話番号の最初の三桁は地域ごとに割り振られているのだ。電話をあまり使ったことがないルーカスはそれを知らなかった。
 ケイは続ける。
「カルヴァは空襲が激しくて、電話線が全部焼け落ちて、バートン総司令官が電話線を引き直したんだ。それで、番号は全部ダン帝国風に変わった。戦前の番号はつながらない……」
「……そっかぁ……」
 すべて、振り出しに戻る。ルーカスは肩を落とした。

 しかし、ケイはまだあきらめていない。彼は部屋を見渡してから言った。
「ほかに何か手がかりはないのか?」
 ルーカスは首を振る。
「うーん……」
 そして、ある人の名前を思い出す。
「あの、ファン・リーっていう人が何か知ってるかもしれないんだけど」
「ファン・リー?」
 ケイは片眉を跳ね上げた。ルーカスはぼそぼそと説明を付け足す。
「たぶん、海軍の人……父さんの友達みたいで。でも、名前と、海軍の人ってことしかわかってないんだ」
 ケイは天を仰ぎ、眉間を押さえた。
「……それだけ、わかっていれば十分だろう?」
「え?」
「ファン・リーって、海軍将校の名前だぞ」
「将校!?」

 ルーカスは素っ頓狂な声をあげた。
 将校といえば、陸軍、海軍、空軍にそれぞれひとりしかいない最高司令官である。そして同時に、カントット国の高位貴族でもある。
 ファン・リーがそのような人物であること、そしてその人物と父がつながっていることが信じられなかった。

 ルーカスが驚いていると、ケイが呆れたように言った。
「連日新聞で大騒ぎしているだろう」
「新聞? ……ごめん、読んでない」
「……もうちょっと世間に目を向けろ。こんな時代なんだ。食い物にされるぞ」
「……ごめん」
 ケイはリビングに放り投げた自身の荷物の中から新聞をひっぱりだした。それは鉄道で移動中に買ったものである。
 ケイはそれを差し出した。
「ほら、これ」
 受け取って、ルーカスはその見出しにまた驚く。
「裁判……?」

 新聞の見出しには「元海軍将軍の裁判来月結審へ」とある。
 ものものしい書き出しに、本文も馴染みのない小難しい言葉が並んでいる。
 
 頭の上に疑問符をうかべて首をかしげるルーカスのために、ケイが説明した。
「ファン・リー。カントット国の元海軍将校で、いまは戦争犯罪人として裁判を受けている最中だ。居場所は、カルヴァの拘置所だってさ」

 ルーカスは息を呑む。
 そして、ファン・リーについて尋ねたときのバートンの返答が脳内に響いた。

 ――いまは、難しい時代だから。

 彼は、どんな気持ちでそう言ったのだろうか。
 同じ大学で学んだ三人。
 ノウは死に、バートンは戦勝国の総司令官、かたや、ファン・リーは敗戦国の戦争犯罪人。

 ルーカスはその新聞から目が離せなかった。
 そして脳裏には、はじめてカルヴァの街の中を車に乗って回った日のできごとが走馬灯のようによみがえった。
 あの日、カルヴァの裁判所の前には大勢の新聞記者たちがいた。ロイが説明してくれたはずだ。
「今日はカントット国の陸軍将校のひとりに戦争犯罪についての判決が出る日ですから、記者たちが集まっています」と。
 ルーカスはその説明をたいして気に留めなかった。その日は陸軍将校だった。そして、次は海軍将校。その人物は、自分の出生の秘密を知っている人かもしれない。
 ルーカスの親が、バートンなのか、それとも……。

 ――いや。

 ノウの手帳に遺されていたのはカルヴァの電話番号だ。「もう一人の親」の電話番号。
 これが、そのときダン帝国にいたであろうバートンの番号であるはずがない。
 現に、徴兵が決まった時、ノウはカルヴァに行こうとしていたではないか。
 カルヴァへ。

 あの夜、盗み聞きした、ノウと何者かの電話でのやり取りを思い出す。

 ――ああ……そうだ。……そう……ひとりで育ててきたんだ。君の子でもあるんだぞ。……自分の子どもに愛情はないのか? 責めているわけじゃない、ただ、ひとめ顔を見るだけでも……助けてくれたっていいだろう? 入営は来月だ。なぁ、ルーカスは……とてもいい子だから、きっとすぐに君になつく……まだ十五歳だ……。

 あの電話の相手。それがルーカスの「もう一人の親」だ。電話番号は、カルヴァのもの。
 頭がぐるぐると回る。
 求めていた答えが、出た。

 ――バートンさんじゃない。

 ルーカスは胸を抑える。心臓が激しく脈打って、いまにも体外にはじけとびそうだった。
 答えを見つける機会は、身近にあった。見逃したのは、ルーカスが無知だからだ。なぜ、自分はこんなにもものを知らないのだ。

「馬鹿だ……僕……」
 つぶやいた。そして、奥歯を噛みしめた。

「ファン・リーが僕の親なのかもしれない……」
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