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第三話 車

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 ルーカスは車の後ろの席に放り投げられた。両手と両足は縛られ、腰縄までついている状態だ。ルーカスは不満を言った。
「丁寧に扱えよ!」
 ルーカスの言葉を無視して、両側に男たちが乗り込み、ルーカスを挟んだ。運転席には白い手袋をつけた別の男がいて、ハンドルを握る。

 男の一人が言う。
「こっちが下手に出たら調子に乗りやがって。くそが。これだからガキは嫌いなんだ」
「やめろグレン。これも任務だぞ」
「おい、聞いてるか、クソガキ。逃げようとするなよ。これから車だ。車って知ってるか? 馬より早く走る。逃げ出して落ちたら、痛いじゃ済まねぇぞ」

 グレンと呼ばれた男はそう言って、縛られたルーカスの腹の上にルーカスの荷物を放り投げた。
 投げた瞬間に靴墨の蓋が空いて男の衣服に跳ねた。
「げえ! 最悪!」
「グレン。間抜けすぎるぞ」

 車は音を立てて走り出す。ルーカスは体に力を入れた。
 ルーカスは車に乗るのがはじめてだった。しかも、運転手のついた車だ。
 こういう車は金持ちだけが乗れるものである。それも、半端な金持ちではない。
 ルーカスは一度だけこういうアーモンドの形の車を見たことがあった。乗っていたのは地方の視察に来た貴族院の議員だった。
 それがいま、孤児で小脇に靴磨きの道具を抱えたルーカスが乗っているのだ。おまけに両脇にはダン帝国軍人である。ルーカスはこれが夢なのか現実なのかわからなかった。

 車の中で、右側に座ったグレンヴィルという男は鏡を取り出し、前髪をなでつける。
「服も汚れるし、おまけに鬼ごっこしたせいで髪が乱れた」
「もとからくるくるの髪だろう?」
「うるせぇ。直毛の奴と俺は永遠に分かり合えねぇ」
 グレンヴィルは瓶を取り出して蓋をあけた。途端に車内にむせかえるような油の匂いが充満した。
「こぼすなよ、グレン」
「わーってるよ」
 次の瞬間、車は左折し、グレンは瓶をひっくり返した。
「ぎゃー!」
「グレン、間抜けすぎるぞ!」

 車内で大人2人が大騒ぎしている間も、どんどん車は進んでいく。
 見慣れた街の景色を抜け、郊外、そして街道。
 さすがに不安になったルーカスはこれまでの勢いを失って、小さく尋ねた。

「どこに行くの?」
 男たちは口々に言う。
「けっ。ようやくしおらしくなったか」
「グレンが間抜けすぎて抵抗する気が失せたんじゃないか」
 左手側の男――トニーがルーカスの顔を覗き込む。
 ルーカスが顔面蒼白になっているのを見て、彼はルーカスを安心させようと目的地を言った。
「首都カルヴァまで行きます」
「そんなに遠く?」
 ルーカスは目を見開く。首都カルヴァといえば、ここから歩けば10日はかかる。鉄道を使っても乗り継ぎを含めて3日はかかるはずだ。
「大丈夫です。イレから船に乗ります。あっという間ですよ」
「船……」
 ルーカスは船にも乗ったことがなかった。急に全身萎えてしまう。ルーカスはぐったりと身を座席に預けた。

 車の運転席の前には鏡がついていて、ルーカスはその鏡越しにちらりと運転手の顔を盗み見た。彼は立派な髭を生やして、目じりに皺がある。
 顔の造形はルーカスたちカントット人によく似ているが、彼の髪は金色で、瞳は青い。――ダン帝国人の特徴である。

 ルーカスは急に怖くなった。ルーカスが暮らすカントット国は長らくダン帝国と戦争をしていた。それが一年前、終わった。カントット国は降伏したのだ。ダン帝国の軍人が続々とやって来て、カントット国を占領した。

 帝国軍はカントット国の主要都市を占領しているが、田舎のキルスにまではめったに来ない。思わずルーカスはつぶやいた。
「ほんとうにダン帝国人だ……」
 運転手は一瞬ハンドルを握る手に力を入れた。少し間を置いて、ルーカスの右手側に座る男が答えた。
「もう一度言いますが、あなたのα親も、ダン帝国人ですよ」
 ルーカスは言葉を失った。自分の心臓の音が耳元で聞こえた。

 ルーカスはこの男たちの言葉を信じるべきかどうか、悩んだ。
 詐欺と捨て置くには、あまりにも、男たちの身のこなしがごろつきのそれとは違っていた。
 そして、車に、船。

 ――ほんとうに、この人たちは帝国軍人なのか……? じゃあ、この人たちが言ってることは……。

 車はキルスの街の往来を抜けていく。歩いている人はみな立派な車に目を丸くして、誰が乗っているのかを覗きこんでは後方へ消えていった。
 初夏の太陽は痛いくらいの光を地上に注いでいる。往来の脇に植えられたカンボという植物がどこまでも続く緑の不気味な道を作っていた。

 ルーカスは顔を伏せた。彼の中途半端に伸びた髪が彼の顔を隠す。
 ダン帝国人といえば、とんでもない乱暴者が多く、女子供を見たら頭からばりばりと食べてしまうという話だ。
 自分のα親が、ダン帝国人? ダン帝国人の血が、自分にも流れている? それは受け入れがたいことのように思えた。
 彼は自分の体が石になっていくような感覚を覚えた。


 そして彼は3年前のとある1日のことを思い出した。それはいまよりもっと暑い真夏の、父に徴兵を告げる手紙が届いた日だ。
 父は「あっはっは。参った参った」と笑っていた。
 父の汗の匂いや、月と星の位置、庭で育てていた植物からこぼれ落ちる水滴の音。それらが感触を伴って蘇った。

 その日、ルーカスは「もうひとりの親」の話を盗み聞きしたのだ。


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