白い箱庭

イヲイ

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白い箱庭

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~シロイはこにわ~

 目が覚めると、真っ白い空間にいた。
 地面、天井、前後ろ。その全てが真っ白なんだ。終わりが見えないわけではないけど、まるで、そこは真っ白な箱に入れられているようだった。
 「ここ、どこだろ?」
 横たわっていた体をゆっくり起こすと、辺りを見渡す。ぼやける視界を擦ってみると、まばらにではあるものの、人がいることがわかった。
 ただ、やっぱりそれ以外は真っ白で、人以外には色もない、広い広い閉鎖空間だ。
 …そもそもなんで、こんなところにいるんだろう。
 「確か…私は…」
 私、『軒下 空』はここに来た経緯を考えてみる。…だけど解くに思い当たる節はない。ベッドの上で寝ころんだ所までは覚えているものの、それがこの場所にたどり着くという理由になっていない。
 ――ならもしかして、夢だろうか?
 そう思うと、幾分か不安が和らぎ、より全体を見ることができる。そうだ、これは夢…
 自分に言い聞かせながら立ち上がって下を見ると、足はいつの間にか靴を履いていた。種類はローファーだ、よく学生が履くような茶色い…
 「って、あれ?私、何を着てる?」
 もしかして、素っ裸じゃあ…?という夢でも許容しがたい新たな非常事態の元の種を早期に解決するため、慌てて視線を太股辺りから胴体辺りへと動かす。
 結果としては私は一応、服は着ていたのだが…全体的に水色のもんぺとセーラー服、つまりは私の持っていない服を着ていた。おまけに胸元のリボンは純白と言って良い程白い。
 …それはそれで気味が悪い。まるで誰かに着させられたようで…
 「って、これは夢なんだ、これは夢…明晰夢…」
 慌てて私は言い聞かすが、それでも何故か夢を夢だと思えなかった。どうにかして、夢だという証拠を手にいれたい。でも、どうやって?いっそ舌を噛みきって死んでみるか?だけど万一、これが現実なら…?ああもう、ジレンマだ。夢なら早く覚めてよ…!
 そんな調子で私がうーんうーんと唸っていると、背後から声をかけられた。慌ててバッと振り向く。すると相手も驚いたようで、一瞬目を丸くした。けれど私に話しかけることはやめなかった。
 「えーと、君女の子?」
 思ったよりかは高く、少しとぼけたような声で拍子が抜ける。
 「?は、はい…」
 しかし初対面で女の子?とは、随分と変わった質問だと思う反面、見知らぬ厳つく屈強な男でも人が声をかけてくれたのには安心感がある。なので私は不思議に思いながらも、素直に答える。
 すると男は驚くでも、笑うでもなく、ただ神妙な顔つきになり、私の肩に手を置いた。
 「じゃあ君、この場所が『どうなる』か、わかるかい?」
「いや…」
 弱く首を横に振ると、男は険しい表情になり、深くため息を着いた。
 「君は…『間違って降りてしまった』んだね…」
「降りて…?」
「悪いことは言わない、ここから今すぐ立ち去るんだ。ほら、あっちに君の家があるから。」
 訳のわからないまま、男は会話を進める。私は理解に困ったが、それでも昔の軍に所属していそうなデザインの、青い軍服に身を包んだその男の話を中断しなかったのは恐らく、男が徐々に焦ったような顔になっていったからだろう。
 というか、あれ?
 「あ、あの…貴方、私と会ったこと、ありますか?」
「…………?無いけど…多分。」
「ならなんで、私の家の場所?を知っているのですか?」
「はあ?」
 おずおずと尋ねた私の質問に、今度は男が酷く理解に苦み、困惑状態にさせてしまった。
 しかしそれも一瞬のことで、男はただ白いだけの壁の側面を指差す。私から見て右側の壁。唯一他の面と違うところと言えば、その壁だけが何故か少しだけ、ほんのり光っているように見えるくらいだ。
 私が首をかしげて、それから男の方に説明を求めると、男は黙って人差し指を交差させて×のマークを作り出す。
 「こっからは見えないだろうが、もっと近くまで行けばうっすらこのような形の溝が見えるだろう。君が『上、右、下、左』のどの地区に生まれたかはしらないが、青い服だから恐らく地区は上だろう。門番は味方には優しいから四人の内の青の服の槍をもつ門番に声をかけて中を通してもらうと良い。きっと君の家まで案内してくれるよ」
「門番?」
「ああ、俺達みたいな『ソジ』はあの建物どころか十メートル以内にすら近付かせてもらえないが、ここに来てしまった君なら殺されやしないだろう。さ、早く!」
 男は私をどうしてもあの壁まで行かせたいらしい。門番、地区、ほんのり光る壁、×という溝…それらから推測するに、あの壁の奥は……人が住まう場所、マンションのよう担っていて、ここからは見えない×の印を境に地区分けをしているのだろう。そしてあの壁以外に人が住む場所がないなら、男が私があそこに住んでいると容易に予想出来るわけだ。
 私が自分の推理に納得していると、焦れったく感じたのか男は私の右腕を引っ張り、右を向いてから、やや強引に前進する。
 「わっちょっ!」
「すまないがちょっと急いでくれ!このままじゃ帰れなくなるぞ!」
「へっ!?」
 恐らく、何らかの時間制限があって、それまでにあの壁まで行かないともう入れないということなのかな?
 他に頼れそうな人もいないので、警戒心は持ったまま、男のスピードに小走りでなんとか引きずられないようにする。そのスピードがあまりにも早いので、着いていくのに必死で、自然と口数は減ったというよりかはなくなった。
 途中、何人かの人間に高速ですれ違ったが、どの人の服も青か赤か黄色か肌色で統一されていたのが少し不思議だった。得に肌色は忠実に人間の肌とそっくりそのままだったので、私があれを知らずに着ていたら裸だと勘違いして発狂するとこだった。不幸中の幸い…かな?
 と、そんなどうでも良いことを考えていると、いつの間にか壁とは僅か十メートルほどの位置に着く。
 そこへ行くと、ぼんやりながらも×状の溝が見える。更にはその壁辺りには四人程、それぞれ火縄銃を持って私達を睨み付ける。得に、赤い服と黄色い服と肌色の服の男達に至っては煩わしげに火縄銃を肩から下ろしていた。
 「さ、こっからは君一人で。俺はここから先には帰れないからね」
 そう言われて足元の地面を見てみると、いつの間にかうっすらと黒線が浮かび上がっていた。同時にトンっと背中を押され、私は体制を崩すように線を越える。
 「わっと…」
「そこのソジ!とっとと帰れ!この線を越えるな愚か者!!」
 青服の門番に指を指され、ブーツを鳴らしながら近付いてくる。私はその気迫に押されて線を再び越えようとするも、今度はここまで私をつれてきた男にそれを阻まれる。
 「青の門番殿!この女は恐らく迷い子かと思われます。門番殿の寛大で聡明な処置を頼みます」
「青の門番殿、だ。青を省くな!低級ソジが!」
 私の目の前の男の左手が私の脇を通りすぎ、直後乾いた音がした。左頬を痛々しい赤に染めた男は無表情のまま、頭を垂れる。
 「大変失礼いたしました。」
「それから低級ソジよ、お前はどうやってこの小娘が女ソジではないことを証明するのだ?それがわからなければ中へは入れられんぞ」
「そ、それは…」
 ――そもそもソジとはなんなんだろう?というこの男二人にとっては初歩的な疑問であろうそれすらも解消出来ないまま、始めに出会った男の方が押し黙ってしまう。比喩ではなく位置的に二人の板挟みとなってしまった私は、交互に二人の顔色を伺った。さっきのようにこの距離で怒鳴られては鼓膜が破れてしまうかもしれないから。
 そんな私の思考など毛頭わからないであろう門番は、やがてため息をつき、そして思い出したように目を見開いてから、小さく厳粛な声で私に尋ねる。
 「お前、青い紙はポケットに入ってないか?」
「青い…紙?」
「ああ。すっかり忘れていた。ソジ達以外で地上に降りるには、特別な許可証が必要になるだろう。」
 ほら、と漆黒の瞳をギロリと向けられ、慌ててもんぺのポケットを漁る。左側のポケットには何やら十センチほどの木の柄の手触りがある。紙ではないのでそれは手に取らず、右の方を漁るとカサリと音がした。それを勢いのまま、取り上げる。
 「はいっ、これじゃないでしょうか?」
 そうして門番の掌に置くと、門番はみるみる顔を赤くする。
 「お前、これ赤い紙じゃねえか!やっぱり迷い子じゃねえんだな!この、最下級ソジめ!五秒以内に離れないと撃つ!!」
「ええ!?」
「ちょっと待ってください、これは何かの間違いで…」
 男は私を庇おうとしてくれたが、まもなく門番はカウントを取り始めるので、慌てて私達は黒線から離れていった。

 暫く走ったところでやっとコウジロウさんに続いて私も立ち止まる。
 「はあ、はあ、…なんだったんだろ、急に…」
「…さっきの紙は、君のかい?」
「たっ、多分そうだと思います…多分」
 あの紙は今は手元にないとはいえ、自分のポケットに入っていたのだからそうなのだろう。
 「じゃあ君も、迷い子ではなくソジなのか」
 また出た、ソジ。
 「あの、ソジって?」
 今逃せばもう後がないと、ソジについて尋ねてみる。すると男の茶色い瞳は丸くなり、それから風も吹いていないのに前髪がふわりと動くほどに俯いて、ぶつぶつと呟きだす。
 「ソジも知らないのに、ソジに選ばれてしまったのか?嫌でも、学校では絶対に習うはずだし……」
「あ、あの…」
「まあなってしまったものは仕方がないか…」
「あのー」
「でも俺に守れるのか?この前のだって…」
「あのー!」
「へっ!?」
 何度目か呼び掛けたところで、やっと男は反応してくれる。
 「えっと…よくわからないけど、とりあえず私のために色々ありがとうございました。あの、お名前は?私は軒下空です。」
「軒下空…俺は『コウジロウ』だよ。それでね…」
 コウジロウ…パッと思い付いた漢字は幸次郎だが、ペンも紙もそもそも漢字があるかすらわからないし、何よりコウジロウさんはどこか急いでいるので名前の話を深めるのは止めておく。
 「それで…どうしたんですか?」
「俺は空の知識がどれだけあるのか知らない。だけど知らないならこれだけは言っておく。今からここは……惨劇そのものが繰り広げられる。

 ――殺し合いが始まるから。」
「…………え?」
 思わず聞き返してしまうが、コウジロウさんのまっすぐにこちらを見る目、若木の幹のような若々しく壮大に感じさせる瞳の奥には苦しそうな鉛があるように見えた。人間観察が苦手な私にもわかるくらい明らかにどす黒い、鉛のような何かが。

 ――途端、サイレンがけたたましくなり響く。門番の時とは比べ物にならないくらい不快に響き渡るそれは、まるで鼓膜を突っ切って脳内に直接伝わっているかのようだ。ぐらりと視界が歪むほどに、何秒、何十秒にも渡って。私は慌てて耳を塞ぐが、そんなの気休め程度にしかならなかった。

 やがて騒音が鳴り止むと、どこからなのか低く嗄れた声でアナウンスが入った。
 「コレヨリ、他色間ノ殺シ合イヲキョカスル。繰リ返ス、コレヨリ、他色間ノ殺シ合イヲキョカスル……スベテハカミサダメシウンメイノママニ……」
「?…他色間の殺し合い?」
 嫌な予感がした。
 「まずい、もうなのか…!?空、ここは形的には立方体の中だ。だからどこかの隅に逃げよう!そこなら多少は安全だ!」
 今度は自分の嫌な予感もあり、私は手を引っぱられる前にコウジロウさんの後を追った。
 直後、背後に誰かが回る。「お命頂戴」という声が聞こえて、とっさに振り向こうとする…………

 その時だった。


 パァンという、至極軽やかな音が私の髪の先端をすり抜ける。
 一直線に伸びた鉛玉は幸次郎さんを横目に私を越えて、目に求まらぬ早さで風を切り、その先の黄色い誰かに当たった。
 完全に振り返った途端、さっきまで黄色だった服は濁った赤に変わり、遅れてブチュッという人の中身が潰された時のような、しかし直感では感じたものの全く聞き覚えのない不快な効果音がしてから、重いものが倒れる音がした。
 血飛沫が異様なほどに激しく多く飛び散り、視界までもを赤く染め上げる。
 誰かの心臓を撃ち抜いた弾丸はその誰かの中に沈み、まるでその人が初めから存在していなかったかのような静寂が訪れる。
 誰かが持っていた大きなナイフは主人の血を吸い鈍く光っていた。

 今、ここで、一人、死んだんだ。

 …あっけなく。

 「あ…あ…!!」
「大丈夫かい!?」
 私がうまく声を出せないでいると、コウジロウさんと全く同じ服を着た男が、私を心配そうに見つめていることに気がついた。
 「人が…」
 どうしよう、と言う前に男は私の頭を軽く撫でる。そして何故かよく頑張ったと誉めたのだ。
 「ああ…こいつは敵ソジだ。うまく注意を引いていたのは良かったけど、隙だらけだったよ。敵は何百といるんだから、支給された武器くらい手に持っときなよ。」
 ほら、と男は死んだ男から鈍く光るナイフを乱暴に奪い、ナイフを私の手に持たせる。それから死んだ男の左脇腹を蹴りあげて横を向かせる。左側のお腹には革製の、血が半分ほど染み込んだ腰ポーチが付けられていた。
 そして死んだ男からポーチを奪うように取ると、中を漁り始める。ポーチから顔を出したのは金細工の高価そうなペンダントと手紙で、それを捨てるとそれ以外のポーチも含めた中身を男は持ってどこかへ駆けてしまった。平原のように見渡しだけは良いので目で追うことも出来るが、それをせずにしゃがみこむ。
 目は見開いたまま、光だけが失われた眼球の白目は濁っていた。この人は死んでいる。
 なのに、今だ止まらない血液は私のローファーを少しだけ赤く染めた。
 さっきの人は筒を持っていた。きっとあの筒からあの鉛はな放たれたのだろう。なのに私は殺されなかった。カツン、と靴の先で何かが当たる。金細工の楕円形のペンダントだ。
 赤の他人が死んだところで、驚くところで涙はひとつも流れない。助けられたかもしれないという後悔が少し、心に残るだけだ。
 手を合わせることはしなかった。もし私の今置かれている状況に友達とか、彼氏とかが陥ったとすれば、彼らは深く後悔して、手を合わせるんだろうけど、私にそんな余裕はなかった。冷静になるとわかる、お命頂戴と誰が言ったのか、何故さっきの人がこの人を殺したのか。

 要は、赤と青と黄色と肌色で敵対していて、殺し合ってるということだろう。

 私は立ち上がると、先程の一連の出来事に全く反応しなかったコウジロウさんの方を見る。彼は一人の赤い服の男の右腕を切り付けていた。赤い服の男は焦り、敵前逃亡を謀る。
 もしも殺るなら絶好のチャンスではあるが、しかしコウジロウさんは何もせず、左腕から流れ出る血を、手拭いを使って腕を縛り上げ、流血を止めていた。生きているからこそ意味のある行動だ。
 「お待たせ。じゃあ急ごうか。って、血!?」
「え?」
 見ると、セーラー服の白いリボンは血飛沫で汚れていた。
 簡潔に先程の出来事を語ると、絶対に手を離すなと手首を掴まれ、一気に駆けていく。
 引きずられるように走っていると、辺りは他の色同士で撃ち合い、刺し合い、殴り合いのオンパレード。血が流れて、轟く悲鳴、銃声、飛ぶ血潮。抉れた身体に見える内蔵。
 でも、だからといって目を、耳を塞ぐことは許されない。だって、塞いでしまえば…
 「コウジロウさん、右!!」
「死ねええええ!!」
 一瞬早く、コウジロウさんの刃が肌色の服の男のナイフを持つ右腕を突く。
 短い悲鳴をあげて、その男はその場に踞った。その人を跨いで先に進む。
 ――私がコウジロウさんのすぐ後ろから辺りを見ないと、すぐに殺されてしまうのだ。


 それからも恐怖を感じながらなんとか隅について、座り込んで、やっと数時間。
 聞こえていた叫び声も段々聞こえなくなり、どの色が優位なのかも見えてきた。
 一番弱いのは黄色、次に肌色、そして赤。一番強いのは青だ。
 いくら遠目で見て聞いていたとしても、数時間気を張りながら周囲を観察していたら、青勢の武器はほとんどが火縄銃だったり、盾も持っている者もいるが、黄色は長さのないナイフ、下手をすれば素手や竹槍など、危険ではあるが鉄砲に劣る武器ばかり。肌色と赤は毒ガスも持っているものも沢山いたが、ほとんどが自分も喰らい相討ちで、悶え苦しむ二人を漁夫の利を得るかのように青が狩る。
 そんなこんなで時間が過ぎ去ると、やがてまたどこからかアナウンスが入った。
 「午後八時四十分、青以外ノ全テノ色ガ死亡シタ。青ノ生キ残リ十五名ハ、明日ノ昼マデニ門番ノ前ニ直チニ集合セヨ」
 同時にどこからか盛大な歓声が、静まり返った空間に広がった。

 「イテテ…悪いね、治療もままならなくて…」
「いえ、お気になさらず。寧ろ私の方こそ、色々ありがとうございました。」
「仲間だろ、助けるに決まってる」
 そうはっきりと言えるのは、本当に心が強い人だけだ。
 辺りを見る。静かだ。どこに光源があるのかは分からないけど、何故かいつのまにか辺りは薄暗い。だから門番が守る壁に埋め込まれた建物の斑な光が眩しく思えた。
 「…………結局、隅に着てからは誰も私達の事、遅いに来ませんでしたね。」
「皆、それぞれ我が国が一番、その国こそ正しいと猛進しているからね。隠れるなんていう概念、恐怖は殴って押し込めるのさ。」
 押し込めるということは、恐怖は健在ということだ。
 「そうですが…でも、あまりにもこの隅に近づかなさすぎじゃないですか?それで、助かったけど…」
 なにも私達が見えていないわけではあるまいのに、違和感が…
 「ああ…それは『ソジの誓い』のせいだよ。それをした人が地上に降りて、極度の緊張感や不安に襲われると、その原因を消すために、それに関係しない知覚や聴覚などの五感は感じられなくなるんだ。あと、誓いは恐怖を押し込める手伝いをする。」
「ええ!?」
 それは誓いと言うより、呪いでは。そして続けてコウジロウさんはその誓いを更新していないため、恐怖を押し込めることが出来ていないとも教えてくれた。
 「その点で言うと君はソジのことすら知らなく、この場所は不安なはずなのに、右から来た僕たちを襲おうとした人を見つけられたよね。尚且つ恐怖も存在しているのなら、君はもしかするとソジの誓いはしていないのかもしれないね。」
「そうですか…」
 恐怖はあった。だからこそ、逃げると選択を選んだのだ。
 しばらく、また静寂が私を襲った。男が持っていた包帯で丁寧に左腕を巻き終わると、まだ苦痛に顔を歪ませている男も多少顔を柔らかく緩ませた。
 そして続いて男の腰ポーチから出てきた固いパンを頂くと、力の限りを尽くし、千切ってゆっくり食べ進める。味は不味いが、無いよりはましだ。
 「不味いけど、これくらいしかないからね。黄色や赤はもっと旨いものを支給されたと聞くけど…うちの青の地区はその分のお金を武器に回してしまっているからね…」
 はあ、とため息を聞きながら、そこで私は私を助けてくれた火縄銃を持つ青い服の人が、殺した人のポーチを奪ったことを思い出した。あれは食料を奪う為の行為だったのかもしれない。
 人の欲深さに恐怖しながら、しかしそのお陰で生きていられる私がいるということも含めて、あの男が正しい行動を取ったのか、私はもっとちゃんと感謝すべきなのかも分からない。だけど、あのような殺人はもう行ってはいけないとだけは分かる。かといって、仮に繰り返されたとて、それを止めるだけの力はない。

 パンを半分食べ終わったところで私はやっと思い出す。
 「そうだ…コウジロウさん、ソジってなんですか?結局聞けていないので…」
 するとコウジロウさんは弱く笑いながら答えてくれた。
 「ああ、今から答えるよ。どこから話せば良いのかな。…まず、この『箱庭』には四つの地区がある。赤、青、黄色、肌色の四つだ。門番が守る壁の中には、四つの地区があって、それぞれ分けられた地区の中で独自に発達してきたんだ。」
 私は軽く相槌を打つ。
 「でもね、その四つはとても仲が悪くて、やがて四つどもえ状態が悪化して…それでその四つの地区の代表が話し合いの場をもうけたんだけどね、中々決まらなくて。だから――考えた。」
 そこでコウジロウさんが俯いたのを私は見逃さなかった。
 「なにか揉め事が起こると、まず門番を指示監督とする。そしてその人に殺し方を教え、人を収集して役職をソジとし、門番を通して少し人の殺しかたを覚えた後に、今俺達がいる地上に投げ出されて、それで色ごとに分かれて殺し合うんだ。ソジの人数は地区によって違うし、他地区で援助もし合うこともたまにあるけど、今はそれぞれが対立してるから…」
「ちなみに、対立の理由は?」
「恐らく文化の違いだよ。俺が教師だったときに、門番…つまりは地区の特に偉い人のことね。その人に授業で他地区のちょっとした粗相を、文化と絡めて盛大に批判しろと言われていたから、それが原因だと思う。でも恐らくはそれも代表が決めたことだろう」
「…ソジの選び方は何ですか?」
「基本は若い男、特に長男以外が選ばれやすいな。君みたいな例外もあるみたいだけど。」
 文化の相違、か。それは人と人とが違うのと同じようなものだけど、人とは違って認め合うことが大変難しいことだ。
 ともかく、やっと大体の仕組みは理解した。
 あとは、ここからどうやって帰るかだけど…。
 大きな箱の中で、外に出口がないためとりあえずは門番が守る建物のなかに侵入するべきだ。
 ――いや。
 でも仮に入れたとしても、私のような青い服の者は青い地区にしか入れないだろう。それに、一度出ると地上と呼ばれるここに戻れない可能性が高い。なら、もっと別の…全ての事を知っているような、効率の良い場所に行くべきだ。
 効率の、良い……つまりは、権力の集中してる……

 あ。

 「コウジロウさん、門番達より偉い人って、四つの地区の代表ですか?」
「ああ。」
「その四人って、どこにいるか分かりますか?」
 極端に仲の悪い地区が、わざわざ一つの地区に集まることはしないだろうから、恐らくどこかもっと別にその四人専用の場所、あるいは建物があるはずだ。
 「ああ…それなら、アナウンスが流れる場所、つまりは天井の外にいる。」
「その中に、入る条件は?」
 食い気味で聞くと、コウジロウさんは痛みとは別の理由で顔をしかめる。
 「代表になるか、門番になるか、代表にこっそりついていくかだけど…まさか、行きたいのかい?」
 こくり、と迷わず頷いた。
 「それは、何故?」
 無機質に、私を見ずに問いかけられる。理由は一つで、ただここから帰りたいから。
 そして、あと一つは…
 「……おかしいと思いませんか?」
「何が?」
「この世界の仕組みが。文化の違いで、沢山の人が死んだ、悶え苦しんだ。それは幾度となく繰り返されているのでしょう?なのに、何度やっても終わらない。それで…恐怖を押し込めて得たものはなんですか?それは、何百人もの人が命を賭けて、命を落としてまでして必要だったものなんですか?」
「得られたものは…次のソジ同士の殺し合いが始まるまでの優越感と、ほんの少しの賠償金。でもこれはあくまで勝ったときの場合だ。それで、あとは…」
「あとは?」
 そこでコウジロウさんは押し黙ってしまった。青ざめて、中々言いたそうにしない。無理強いするのは悪手だろう。
 「…いや、ありがとうございました。それより…これ、先程私を助けた青いソジ?さんが黄色のソジさんを殺して、その場に投げ捨てていたものなんですけど…」
 露骨に話をそらしながら、私はポケットに詰めていた金細工のペンダントと、白紙の長方形の手紙。殴り書きで何やら書かれているが、殴り書き過ぎるのか、私の知る文字ではないのか、読めない。そしてそれに加えて地面に置いていたナイフの柄をコウジロウさんに向けて手渡した。
 「これ、黄色の服の人の者の遺品です。せめて遺族の方に届けてあげたいんですが…敵ならば渡せなさそうですね…ならばせめてのせめて、これを持っていた人のそばにお返ししたいと思っています。駄目でしょうか?」
 コウジロウさんはペラりと中身を読みながら、顎に手を当てる。
 「うーん、名前を見る限り、なんとか遺族の方に渡す事は出来そうだけど、遺体に返すことは不可能だね。」
「えっと、なんででしょうか?」
 名前確認を追えるとすぐに手紙を閉じたコウジロウさんは、こちらをまっすぐに見た。
 「遺体は消えるのさ。そして血は明日には拭い取られるだろうから。」
「消え…?」
「誰が捨てるでも、焼くでもないのに、翌日に死体は跡形もなく消える。血液以外の内蔵、骨、その他全て、体の原型がなくても、等しく消える。」
 風なんて吹いていないのに、首筋辺りがゾッとする。
 私が言葉に詰まっていると、そんな私をよそにコウジロウさんは続いてペンダントに目を通して、そして体を震わせた。
 「あの、どうしたんですか?」
 しかしコウジロウさんはまるで聞こえないかのように、私の問いを無視する。その代わり、しきりにペンダントを弄り、やがて意を決したように側面の凸部分を押した。パカッと、楕円形が縦に割れ、同じ楕円形の金細工が隣に並び、代わりに一つ一つの楕円形が薄くなったペンダントの中から何かが出てきたようだった。
 ロケットペンダントのようなそれのチェーン同士で擦れ、チャリっと小さく音が聞こえた。
 「ケイコ…」
 目の前の青年が何を思い、誰を想っているのかは私には分からない。ただ沈黙が薄い膜のような静寂を守るように、笑顔もない時間だけが過ぎていった。


 「…ん……」
 ぼやけた視界を手で遮って、少し擦った後に起き上がる。パサリと肩から何かが落ちた。
 そうだ、私、いつのまにか眠ってしまったんだわ。早く行かないと……

 ――どこに?

 「おはよう。」
「あ、おはよう…ございます!コウジロウさん!」
 声をかけられたことで頭が一気に冴えた。そうだった、私変なところで一日を過ごしたんだった。
 「はい。朝御飯、やっぱり不味いけど。後、水ね。」
 瓢箪の形をした水の容器と、例のパンをた渡される。お礼を言ってから口に含んでみるが、やっぱり不味い。コウジロウさんは既に食べ終えたようで、私をぼんやりと眺めていた。どうにも気恥ずかしくなり、慌てて視線をそらそうとすると、そこで初めてコウジロウさんはよれたシャツ一枚な事に気が付く。
 じゃあ、パサリと落ちたものは…
 「あっこれ!ありがとうございました!」
 私のからだにまとわりついていて、尚且つ起き上がったときに落ちたのはコウジロウさんのコートだった。慌てて畳んでて渡す。
 「勝手に上着、かけてごめん。でも深夜は冷えるから…」
「いっいえ!こちらこそすみません、暖かかったです」
「それは良かった。ケイコくらいの年の君に風邪を引かれるわけにはいかないからね」
 穏やかに笑うコウジロウさんが発したケイコという人物が誰なのか気になったけど、昨日の事もあり訊ねるのは止めておいた。

 パンを慌てて食べ終えると、コウジロウさんに時間が分かるか聞いてみる。すると彼は腕時計を見て「朝六時」と答えた。
 「集合時間って、朝八時でしたよね?」
「うん。でも早く行くのに損はないから、準備が出来たらそろそろ向かおうか」
「あっ分かりました!」
 そう答えると、コウジロウさんは愛想笑いに似た笑顔を向けながら、昨日渡した一式を返してきた。
 「やっぱり……これを返すのは、無理だよ。出来るって言ったけど、それは君じゃ無理だからね。」
「そ、そうですか…」
「基本的にソジ同士の殺し合いで奪ったものは自分のものに出来るからね。だからソジが身に付けるのは、基本的に自分を奮い立てさせるための手紙か、かつてソジから奪ったものか、それとも、誰かから奪ったか…」
「誰からか…奪った?」
「ああごめん、気にしないで」
 依然としてコウジロウさんは何かを隠しているようだったが、私にはそれを聞ける権利がない。そこまで考えて、権利だなんだというなんて理屈過ぎる、私らしいなと思う。
 なのに、何故か私はこの手紙とペンダントを持ち主か遺族に返したいと思った。無理だと分かっても諦められなかった。

 歩いていると、そこらじゅうに血の痕があった。ただし死体や肉体やその他内蔵などもない。ただ全くないわけではなく、途中で幾つかの人の肉片と、断片が血の隙間から垣間見える左足が一つだけ遠目からなものの、見えた。
 思わず口元を押さえ、吐き気を必死にこらえる。だが、その気持ち悪さとは裏腹に目を逸らすことは出来なかった。
 そんな私を不思議に思ったのだろう。私と同じ方を向き、そしてその足を見つける。
 「…見ない方がいい。」
 さりげなく、その足から遠ざけてはくれたが、脳裏にこびりついた足は離れない。今だ震える私の代わりに、さらにコウジロウさんは気休めの言葉をかけてくれた。
 「大丈夫。消えていないならその人は生きている。夜を越せたんだから、今から死ぬことはほぼないだろう。」
「そう、ですか…」
 気休め程度にしかならない。痛かっただろうに。抉られた肉片だって…
 「やっぱり、おかしいです。こんな、こんな、こんな……こんな残虐性より大切なものなんて、ありやしない!」
 思わず、腹の底から叫んでしまう。それを慌ててコウジロウさんに抑えられると、小声で教わった。
 「シッ!誰かに聞かれれば、死刑じゃすまない!この仕組みや青の地区を否定するのは万死に値してしまう!」
 しかし私の勢いは止まらず、らしからぬ、私の長所である冷静さと私の短所である冷酷さとを極度に失った言動をまたもやしてしまった。
 「だから皆、否定しないんだ!そうやっていつまでも歪めたままだから、悲劇は延々ループなんだよ!」
「っ!」
 ほぼ八つ当たりのような怒りをコウジロウさんにぶつけてしまったが、コウジロウさんは図星だとでもいうように立ち止まった。
 ぐるぐるループされる殺し合いは誰が裁ち切ろう?
 ――私だ。
 昨日、死んだ男に手すら合わせなかった私が何で世界を変えようとしたのか何て分かりゃしない。この惨劇を見たのか、もしくはコウジロウさんの涙か…
 どうだっていい。
 私にまだ、ほんの少しの他人への良心が残っているのなら……

 どうにかしてでも、終わらせよう。

 「…………俺の、少し下の妹は、捕虜になった。一つしたの弟と二つ下の弟はこの前のソジに選ばれて、俺を置いて黄色のソジに殺された。俺、口ごもっただろ?」
「ええ…」
「ソジに選ばれた時、同時に同じ家から一人捕虜候補が選ばれる。――勝った地区が手にするのは次のソジ同士の殺し合いが始まるまでの優越感と、ほんの少しの賠償金。そして、生き残ったソジには負けた地区からの捕虜数名。だからソジは一度に同じ家から何人も選ばれるんだ、合法的に捕虜がより少なく出来るから。俺の家は六人兄弟で、下から二人の弟はさっきの通り死に、一番下の妹は捕虜だったから連れ去られ、今は上から二番目の姉さんが捕虜候補にされてる。これでなんとか姉さんが捕虜になるのは回避は出来たけど、次は分からない。でも、このままじゃ、次もある。」
「…………」
 その言葉達は、重く想いが詰まっていた。やるせなさだろうか、悔しさだろうか、涙、悲しさ…
 そんなことを悶々と考えていると、ポン、と頭に手をのせられる。
 「ケイコが生きていれば、君くらいの大きさだった」
「え?」
「さっきペンダント渡してくれたろ?あれ、ケイコのだよ。写真にケイコと俺が写っていた。ケイコは、何があってもあれだけは手放さないと言っていた…捕虜の虐殺なんてよくあることだから。だから、きっとケイコは…」
「…………」
 半透明な雫が地面に落ちるが、それは中々消えなかった。何故か私は泣いていた。血まみれの地面の上で、ポケットに入らなかったナイフを握ったまま、私も。
 「黄色のソジは、俺を見つけて返そうとしてくれたのかもしれない。他地区同士が交わるのはここだけだし、虐殺は地上に出たことのある者以外は現実じゃないようなんだよ。それが例え家族であっても、この感覚はソジが伝えない限り気付くことがないし、ソジが伝えたとしてもそれを聞いた人がそれについて考えないと結局は知らないままだ。だけど、全ての地区はこの惨劇を伝えることはおろか、隠す。ソジが伝える事と変わりない力を持つ文字を使わない。ソジが伝える事とかわりない力を持つ写真さえ撮らない。」
 伝えないから、伝わらない。隠すから、見えない。作らないから、分からない。
 理屈は分かるけど、それは…ソジ一人でどうにかなるものでもない。…いや違うか。一人も立ち上がれない環境にあるから、駄目なんだ。一人でもこれを改善すべく立ち上がれば、きっと、この世界は変わる。でもそれは、ソジさえ知らない、何も知らない無知な私では…
 「…………各地区の代表は、辺りが眩く光った後に現れる。そして、もう一度光った時に消える。その間約数秒だ。」
 頭上から聞こえた声は、どっしりとした声だった。
 「数秒の内に、各地区の代表の誰かにしがみつこう。それなら門番にも邪魔されないし、きっと代表のいる空間へ行けるはずだ。」
「え!?」
「そこは人を管理している。君の持つ遺書を家族に返せる。俺も、こんなふざけたルールの実態を知れる。」
 凛と光るコウジロウさんの瞳の置くには、暑い炎が燃えていた。
 「君が、言ったんだ。否定しろって。俺も…『加担するよ』。」
「嘘…!?」
「嘘じゃない。でも、殺されるかもしれないよ。君を守りたいけど、守れないかもしれない。」
 その言葉に即答はできなかった。死ぬのが怖いというより、私がするだけの価値があるのかを考える。
 ――ある。
 コウジロウさんへ恩返しだ。
 「私は、私一人くらい守れるから。よろしくね、コウジロウさん!」
 それを聞いたコウジロウさんは、優しく笑った。

 途中立ち止まりながら歩いていたので、集合場所にたどり着いたのは六時五十分頃だった。私とコウジロウさんを見つけた約一メートル先の昨日の青の門番は、見るなりいかにも怪訝そうな顔をしたのを、私は見逃さなかった。
 右足で歩く人、腕に大きな包帯を何重にも巻いた人達…集まったきた全ての人数を数えてみると、そこは十四人が集まってきた。恐らく私は含まれていないのだろう。赤い紙がポケットに入っていたのは…たまたま?
 誰も彼もが苦しそうに、今にも悲鳴をあげて崩れ泣きそうだった。昨日助けてもらった人はいたが、とても話しかけられる状態じゃなかった。

 「全員、集まったか!?」
 怒号ににた叫び声で、全員が門番に向けて姿勢をただす。青の門番は堂々と胸を張っていたが、赤と黄色と肌色の門番は頭を垂れて青の門番の後ろで跪いていた。それぞれ屈辱的だというように震えていたが、もしかするとずっとこの体制なのかもしれない。
 しかしそんなことを気にせず、青の門番は叫ぶ。黒線を越えていない私達でも迫力は感じた。
 「我々青の地区は、見事!他の卑しき色に勝利した。しかぁーし!!何故生き残るのがたったの十五人!?ソジならせめて、もっと生き残ろうとしないのか!?」
 命を賭けさせているくせに、身勝手な発言だ。
 「そもそも!こんなに傷だらけでお前達は…………」
 ――くどくどと長い愚痴を延々と聞かされるのはある種拷問のようだ。苦労をしていないこの奴に愚痴愚痴言われるのは、実に怒りとの勝負だからだよ。…………と昔幼馴染みが言っていたけど、私はそんなの気にしない。いや、気にしてられないっていうのもある。
 何せ、私たちの前には数人の生き残りソジがいて、数秒間の内にその間を縫ってまだ見ぬ代表を触れなければならないのだから。

 「まあまあ、良いではないか」

 私が頭を捻って考えていると、アナウンスのように、響いた声がどこからかした。しかし、嗄れているその声の持ち主はどこにもいない。
 私がキョロキョロと探していると、視界が急に白くなる。咄嗟に目を閉じた後に、眩しいのだと気がついた。目蓋をも透かす眩しさを防ぐため、さらに両目を手で覆う。
 次に目を開いた時、目の前には四人の中年男が立っていた。
 「全員、地面にひれ伏せぇ!神でもある代表方の御膳であるぞ!」
 声が枯れそうなほどの大音量を青の門番は発し、勢いのままにコウジロウさんや青の門番を含めた辺りは土下座をし始める。血の付いた地面なのにも関わらず、お構い無く。
 そうして、立っているのは四人と私だけになった。だというのに、目立つ私には目もくれずに青の地区代表と思われる、髭面の男は満足げに語り始めた。
 「うむ。我こそが神でもある、青の地区代表である。良く十五人も生き残ってくれた。では早速だが、捕虜の支給をしてやろう。私達には時間がないから、ちゃっちゃとするぞ!…………ん?」
 土下座をしていた青の門番が、青の代表の下から顔色を伺うように、ボソッと何かを言う。
 それを聞いた代表はみるみる顔を赤く染め、門番を踏み、怒鳴り付ける。
 「いっ、今やろうとしていたところだ!門番ごときが私に指図するんじゃない!」
「ヒィッ!も、申し訳ありません!!」
 あの門番をこの扱いとは、上には上がいるんだなと実感する。
 「ゴホン!では捕虜兼奴隷支給の前に、青の勝利の儀式を執り行う。赤、黄、肌の門番共は、前へ。」
 するとそれぞれ、青の地区代表のすぐ後ろに控えていた他の代表が、各々の色の門番の腕を引っ張り、前へ寄越す。
 それを見届けると、地区の代表達は一歩下がり、代わりに青の門番が勢い良く立ち上がった。
 「いいかお前ら!こいつらは憎っき敵の大将だ!お前らの同士を殺した他敵の大将である!」
 「…そうだ、そうだ!!」
 それに賛同するように、一斉に皆が立ち上がる。隣のコウジロウさんはゆっくり立ち上がって、小声で教えてくれた。しかし、誰も彼も怒りというより辛そうな顔だった。どんな人でもわかるくらい、明らかに。
 「負けた地区の門番は見せしめとして殺されるのが、勝った地区の特権なんだ。もっとも、この特権は誰も喜んでいないし、半ば自暴自棄になって苦しみを門番にぶつけてるんだ」
「じゃあ、無駄に殺人ってことですか?」
「まあ…昔からの伝統行事みたいなものだから…生き残って疲弊したソジ以外は知らないから、止める人もでないのさ。でも……」
 そこで君は諦めないだろ?
 そう最後までは言わなくとも、代わりにコウジロウさんは軽く背中を押してくれた。
 強くは押されていないけど、何故か羽が生えたかのように軽くなった体で勢いのままに前へ出る。
 「私は反対です!!」
 黒線ギリギリのところまでたどり着いたところで、まっすぐ青の地区代表を見る。青の門番は顔を真っ赤にして銃口をこちらに向けたが、その不意をついてコウジロウさんは青の門番をどうにかしてくれるだろう。
 青の地区代表の驚いた顔がそれを物語っていた。しかし、すぐに冷静さを取り戻したように咳払いをする。
 「反対…とは?憎き敵の対象であり、指示監督でもある奴らを一掃できるのだ。喜ぶべきではないのか?」
「でもそれも、あなた方が命じたことでしょう」
「その証拠は?」
「え?」
「私達はあくまで見守っていたのに過ぎない。むしろ私達は止めたかった…だけど、止められなかった。これは『濡れ衣』だよ」
 濡れ衣…その言葉をこの男が使うのに多大な疑問を抱いた。門番より代表の方が偉いといっていて、それは明らかだ。コウジロウさんは、門番に殺し方を教えたのは代表だと言っていた。
 もしかすると…コウジロウさんはその他大勢が信じることより真実に近付いている男…なのではないのだろうか。
 コウジロウさんが正しいことは、代表の門番への態度を見れば明らかだ。この殺し合いを止めたかったのならば十分止められる。それに、門番を怒りのままに蹴った辺り、見守っているというよりは支配している感じだった。
 が、辺りを見てみる。そこにはまるで、代表らが主犯格ではないかのように首を傾げ、私の意見に疑問を抱いている。
 多数決的にも負けているし、私はここのことをまだ皆よりは知らないし…どちらにせよ代表の言うことが正しいように見える、この現状。
 でも……私にはもうひとつ、確信がある。

 「青の門番殿、神とは貴方の事ですか?」
 すると門番は強く首を振る。
「とんでもない!習わなかったのか!?この世の神は代表様だけだと!本来なら謁見すらも許されない…」
「スベテハカミサダメシウンメイノママニ……全ては神の定めし運命のままに……これ、アナウンスで流れた言葉です。はっきりと存じ上げたのではないですか」
 睨むでも、敵意を剥き出すのでもなく私が見据えた相手は動揺していた。実に人間らしい反応だ。
 「そっ、そんなの聞き間違いだろう。ソジ達よ、皆もそう思うよな?」
 ――長らく続いてきたであろう信頼は、定期的なメンテナンスを怠ったが故に、簡単に崩れた。
 そんな代表の声など届かず、他の十余名の生き残りソジはざわつき出す。
 「そういえば…この前の殺し合いでもそういっていたぞ…?」
「言われてみればそうだ…じゃあ代表様は裏でこの頃試合を決定したというのか…?」
「でもならおかしいぞ!先程我らが代表様は止めたかったと言ったぞ!これは俺達が習ってきた、『神ハ我ラヲ導キ、常ニ真実ヲ唱エ続ケル』に反するぞ!」
「でも、神だって間違えの一つくらい…」
 そう誰かが呟いてしまった事で、一瞬代表への疑惑は揺るいだ。…が、この好機を逃すまいとでも言うように、青の門番を押さえつけたコウジロウさんは早口ぎみに口走る。
 「いや、『神ハ常ニ正シイ存在デアル』と矛盾が出るぞ!」
「あっ…」
 これだけ揃った「あっ…」は初めて聞くかもしれない。

 そして、次に沸き起こるソジ達の怒りと混乱とやりようのない苦しみの矛先は代表に向けられる。そして門番以外に見方も、護衛もない奴らを助けられるものは誰もいなかった。

 「返せ…友達を、父上を、母上を、信頼を返せ!偽りを持つお前らの掌で踊っていたこの苦しみを思い知れ!」
「そうだそうだ!僕らを騙していた奴らに正しさなど存在するものか!」
 罵詈雑言が蔓延ったが、代表達に止められる術は全く持っていなかった。仕方なく、後ろに控えていた他色の代表達は青の代表に耳打ちし、それから勝ち誇った笑みを浮かべて、強く言い放った。
 「たかが十五名のソジなど、すぐに抹殺出来る!真実を知ったのがたかがお前らだけなんだ。なにも怖くない!」

 次の瞬間、光が舞う。目は開けられないから、ぎゅっと瞑って、握っていたナイフを放り出し、誰かの男の背広を強く掴む。カランとナイフの音が響くと同時に私の名前を呼ぶ声がして、左手をぶっきらぼうに空中に投げ出した。
 確かに誰かが私の左手を掴む感触、そして誰かが代表を逃すまいと発砲した音が耳鳴りに変わる。

 壊れそうな耳と、瞳を開けられない程の閃光。そして生暖かい液体の感触が、確かに左手に伝った。


 ぼんやりと瞳を開けると、そこはどす黒かった。
 「ここ、は……」
 そうだ、私、咄嗟に光に飛び込んだんだ。
 左手を見ると、そこには赤黒い液体がだらだらと流れていた。痛みはないから私のじゃない。だったらこれは、私の手を掴んだ…
 「コウジロウさん!」
 慌ててその名前を呼ぶと、後ろから上体だけ起こしたコウジロウさんが声をかけてくれる。
 「大丈夫、いる…よ……さっきはありがとうね、俺の手を…」
「そんなことより、血…」
 慌ててコウジロウさんの全身を見ると、彼は右腕を中心に血まみれだった。
 「こっコウジロウさん、血、血…!!」
「ああ、大丈夫、これは右手だから…」
 そういって弱く笑った彼だが、服は明らかに血だらけだ。
 私がそこを指摘すると、コウジロウさんは私を指差す。
 「君もじゃないか。ここの壁や床、血が大量みたいだね…倒れていたからついたんだろう」
 冷静に指摘され、慌てて私も服や腕やらを見渡す。驚くべき事に、私も同じように血がこびりついていた。よくよく見ると、私やコウジロウさんに着いた血は全体的に薄く広がっていた。
 ばくばくしていた心臓の鼓動が一気に収まったところで、私は立ち上がる。代表達を探すためだ。
 「あれっ」
 が、うまく立ち上がれない。理由としては地面が柔らかく、妙に凹凸があるからだろうが、それにしても滑りやすいというよりかは躓きやすい地面だ。
 そうお気楽に考えられていたのは、なれてきた目で地面を凝視するまでの数十秒だけだった。
 もう一度、躓きかけた時、私は何かと足が絡まる。ぐにゅっとした足触りのそれを蹴るようにどけると、今度はごりっと不快な音が鳴り響いた。
 煩わしく思いながらその原因を目にした途端、息が詰まった。

 それは、人の手だった。小指や人差し指があったであろう部分は血まみれで、肝心な小指や人差し指はない。掌は皮膚が千切れ、というかそもそも骨が粉砕しているのか本来曲がらない方向に指があった。
 「ひっ…………」
 声にならないような、何とも言えない悲鳴が、心臓の代わりに口から出る。後ろから尻餅をついてしまうと、丁度右手辺りに独特に固い何かが確かに当たる。
 恐る恐る振り向くと、それは人の頬だった。死後硬直というやつなのだろうか。だとすれば、この死体は比較的新しい…それこそ、昨日の…
 ポトッとなにかが落ちてくる。
 天井を見つめていると、地面から『血』が漏れているようだ。頬を伝うそれを拭わずに壁を見ると、血まみれではあるものの、人はいなかった。最後に、地面を見る。
 はっきりと、じっくりと見ると、そこは幾つもの死体で出来た地面だった。異臭はしない。だけど、死体だとわかる。
 つまり、原理はわからないけど…ここは地区の代表の住む場所ではなく、地上で死んだ人々を葬る場所?昨日の死体がないのは、吸い取られていたから?
 激しく頭痛がして、かといって地面に詰まれたそれを見た私はその場にうずくまることも出来ず、ただ震えることしか出来ず、直後こちらに来たコウジロウさんが私を背負う。
 「え…?」
「ここに長居はしたくない。住まないが、少し背負われてくれ」
 きっと両手ともに痛いだろうに、軽く私を持ち上げたコウジロウさんに、私は私を預けることにした。

 途中から私も歩き、無言の私達がだいぶ歩いたところでやっと扉が見つかった。扉に体当たりすると、そこはさっきとは売って変わって純潔の白の空間が広がっていた。
 目の前にはエレベーターみたいな箱があり、私達を待っていたといわんばかりに扉が開く。
 「どう、します?」
「ここまで来たんだ。行こう!」
 キラリと光る彼の瞳は、決意に満ちた色をしていた。


 エレベーターのボタンは一つで、それを押した瞬間に、一気に上へ上がり、少しだけからだが空中をさ迷った。 たどり着いた先には、重圧で高級そうな、大きな扉が待ち構えていた。茶色い扉に耳を当てると、微かに声が聞こえる。
 私達は息も止めるくらい音を立てず、ただその声に集中した。
 「…………たな…だが、たかがソジ…殺すとか…簡単…」
「今日は………明日なら……」
「そうだな……ついでに…………」
「に……も、奴ら…」
 途切れ途切れに聞こえすぎて、何を言っているのかわからない。だけど、少なくとも生き残ったソジ達を殺すないようだとはわかる。
 仕方がないので、扉を開けることにする。直接聞いた方が早い。
 ……が、私には今、ナイフがない。身を守るものがないとこんなにも不安なんだなと身に染みて感じたが、扉を開ける手を止める気はことさらなかった。どうせ、帰る道も分からないし…
 コウジロウさんと目を合わせて、同時に扉を押す。
 重そうだった扉はいとも簡単に開き、反動で勢い良く扉の先へ放り出されてしまう。慌てて立ち上がると、驚いた顔の四人から遠ざかった。
 代表達はいかにも高そうな、革製でふかふかそうな黒い椅子にゆったりと腰かけて、優雅にもワインとおぼしきものを片手に中心の四角いテーブルを囲んでいた。机の中心には四本、様々な種類のワインボトルが並べられている。
 壁にはいろんな肖像画、地面にはカーペットが敷かれている。強い柑橘系の香水の香りがはなをくすぐる。
 そんな現状把握をしていると、こちらを向いていた四人は声を震わす。
 「まっまさか、地下の火葬場から抜け出したというのか!?」
「『トクジロウ』殿、鍵はしっかり閉めたのか!?」
 赤の代表とおぼしき人は、トクジロウと呼んで肌色の地区代表らしき老人に視線を移す。肌色の地区代表は慌て出す。
 「わっ私は『ユウゾウ』殿に任せましたぞ」
 すると今度は青の代表の方を見る。
 「いやいや!黄色の…『トーロウ』殿に…」
「はあ!?わしは『イズノ』殿に…」
 こうして責任の擦り付け合いは赤の地区代表まで一周した。にしても、ここまで来て鍵を壊されたと思わないのは、よほどその鍵に自信があったのか、それともそんな余裕がないのか。
 というか、あの光の後、代表達全員も火葬場にいて、その後私達を置いて出ていったということだろう。彼らはあの死体の山を見てもなにも感じないんだろうな。それは、虚しくもある。私だって同情はせずとも、気分は悪くなったし。
 呆れたコウジロウさんははっきりと物申す。
 「鍵は開いてましたよ。この際、それはどうでもいいじゃないですか。」
 気が付けば、隣にいた私ですら気が付かないほどのスピードで、彼は一番近くのトクジロウと呼ばれた男の喉元にナイフを宛がっていた。
 「俺は…全て真実を知っているんです。疑問も持たないように、ただ他地区のソジを殺すように…でも…ケイコが連れていかれた時から、全ての考えを覆しました。どうしてもわからない。何故、嘘をついて、俺たちを殺し合わせていたんだ!」
「それは、深い訳が…」
 顔面蒼白なトクジロウは小刻みに震えていた。
 そんなトクジロウなどよそに、コウジロウさんは青の地区代表であるイズノに目を向ける。
 彼の被弾した腕からは血が尚溢れていて、今は手当てを優先したかったものの、コウジロウさんにはそんな余裕はない。
 そんなコウジロウさんの本気を見て、イズノも覚悟を決めたようだった。意を決し、重々しく口を開く。
 「二人のソジよ。私達が住む箱庭は、どうやって動いていると思う?」
「どうやって…?そりゃ、ひとが働いて…?」
 疑問に思いながらも当然のごとく、コウジロウさんは即答する。私も同意見だ。しかし、イズノはそれをはなで笑う。
 「それはあくまで社会が…四つの地区が動くに過ぎん。この箱庭は…私達が住む白い立方体全体が今のまま保持されているのは、かつて造られた地下の火葬場で人を焼いた時に出る骨。どういう仕組みかは分からんが、地下の火葬場で焼かれた骨が、この箱庭の現状を維持しておる。」
「それってつまり、この世界…いや、この箱庭は骨によって構成されている、と?」
 瞬時に脳内で簡潔にまとめて見せる。イズノは軽く頷き、後ろに飾られた肖像画に目をやった。
 「しかしその骨を手に入れるはたくさんの犠牲が必要だった。だから先代から続く方法で、私達はこの箱庭をうまく保っていたのだよ。自然に死んで逝く者達が地下に流れ込み、骨となった分量では到底足りないのでな。四つの地区の人口調節も兼ねて殺し合ってもらっていたのだよ。」
 イズノはそう、自慢げに語り終えた。
 要は、四地区同士の対立はこの代表達が意図的に産み出したものであり、その理由は人口調節と、世界の維持の為…
 でもなら、まだ疑問は残る。
 「なら、なんで捕虜や奴隷なんていう制度を?なんで四地区同士で敵対関係を築いたの?何故殺し合うという選択を選ばせたの!?同じ、人間でしょう!!」
 私はやりきれない思いを込めて叫ぶように問うた。それだけこの箱庭について詳しければ、あれほどの苦しみをソジ達に与えずともよかったはずだし、人数も…誰が生き残るかなどはわからないはずだから、やっぱり適当だ。大まかな人数や、それによって出来た穴等は全く気にしていない。
 何億歩も譲ったとして、その方法が適当でなければ、そしてもし仮に必ず犠牲が必要ならば、代表達が人を選別し、殺すのは仕方がないとまではいかずとも、ただ意味不明で残虐だけの行為ではなかったのに。

 「何でって…ならお前達は、箱庭の維持の為に喜んで命を差し出すか?地区同士が仲良かったとして、どう人が大量に死ぬ?殺し合えと言われて、人質がなければ誰も殺し合いなどしないんじゃないのか?同じ人間、されど違う生き物だ。」
「っ、それは……」
 イズノが言うことは決して正しくない。だけど、もし箱庭維持の為に本当に沢山の死人が必要として、こうでもしなければ沢山の死人は出ないかもしれない。いや、確実に大量に出ない。何故なら箱庭維持を見届けられるのは、生きている人だけだから。
 「…………だけど!じゃあもっと他に、打開策を考えましょうよ!この箱には人が沢山いる!なら優秀な人だって何人もいるでしょう?そしたらこんな、殺し合いはもう…」
「じゃあ考えてみろ。今まで信じていたのにいきなり、実は神はただの人で、実はこの箱庭は骨によって出来ていて…。そしたらどうなる?わし達はきっと勧善懲悪の言葉の元に殺されるかもしれない。少なくとも、今の地位を失う。わし達はこの箱庭維持の為に、皆に貢献してきたのに、だぞ!?」
 こいつは誰だっけ。ト、トーロ…ウ…そう、トーロウだ。
 トーロウの、最後の言葉はやや気になったが、今はそれより打開策を練ろう。
 するとコウジロウさんはポツリと呟いた。
 「なら、神だということにしておいて、この箱庭の真実も黙っておいて、その上で民に意見を問うのは?言い方を返れば気付かれることなく良い案が得られると思いますが。」
 なるほど、それは確かに名案――

 「そう、そうなのだよ、低級ソジ。」
「「え?」」
 ふと、トクジロウが笑みを浮かべているのに気が付く。そして私達が聞き返したのもお構いなしに、持論を述べ始めた。
 「かつて、私達四人の祖先はこの箱庭の真実に気が付いた。それから暫くは必要な分だけ殺戮を繰り返していたが、やがて効率は悪く、民の箱庭への不安が増すことに気が付いた。このままでは駄目だと思った四人は、わざと何世代もかけて四つの地区に箱庭の住居地を分裂させ、各々代表兼神に上り詰め、そしてより効率のよい死体搾取方法を模索した。そのなかで一番素晴らしかった案が、今も反映されているというわけだ。これは意見を聞くより、より効率がよい方法なのだ。なあ、ソジ。もしよい意見が集まらなければ、意見を聞くことで民に不信感が募ればどうなる?死体が一度でも集まらないときがあれば、私達は生きていけなくなる可能性が高い。お前も見ただろう、矛盾を知りえた後の信頼の崩れようを。」
 そうだ、私達が神ではないことを暴いたとき、いとも簡単に生き残ったソジ達は神に不信感を募らせ、疑った。中には代表達を弾で撃った人もいた。それは運悪くコウジロウさんに当たったが。
 「崩れるんだよ。常に誰かが、考える間を与えずに、疑問を生まさせずに支配しなければ。死体を必要とするこの箱庭は維持できないんだよ。」
「そんなの間違ってる!!支配と恐怖でつくられた箱庭で良いわけあるか!せめて全員でなくても、四人以外にも人を集めてこの問題を解決すべきよ!」
「その方法だって結局その他大勢には隠すだろう?結局、新たな代表が数人増えるだけさ。」
「そんなのわかんないじゃない!」
 どんどんヒートアップする。
 いや、相手の言い分もわからんでもない。だけど違う。ケイコさんの犠牲が正しかったとは思えない。流された血が当たり前だとは思いたくない。

 そして気が付けば、私はイズノに胸ぐらを捕まれていた。
 「いい加減にしろよ低級ソジが!」
「何すんのよ!」
「皆で考えればどうにかなる、そんな次元の話ではないことに気が付け!先代は正しい!俺達は正しい!そうやって俺達は教えられてきた!これからもそうだ!同じ人間なら、私達のいうことを理解しろ!」

 正しくない。
 そう思うのに、目の前の迫力が怖くて口が開かない。
 拳を握りしめ、呼吸を整える。落ち着け私、落ち着け……
 ――この箱庭が沢山の死体を本当に必要としていて。
 殺し合い、人質、洗脳。これが効率のよい死体の集め方で。
 これで何世代も紡いでいたとして。
 だからどうしたというのだ。
 先代は正しいと、そう思っていること自体が、洗脳ではないか。
 見せしめのために門番達を殺すのもそうだ。確かに門番はソジに人の殺し方を教えていた。でも、元をたどれば代表達が仕組んだことだ。なのに、しかも誰も満たされないのに、昔から、という理由だけで繰り返されていた。
 大切な伝統は守り抜くべきだ。大切な事は、それこそ文書や写真や言伝てだって良い、それにおさめて受け継ぐべきだ。
 でも……

 何も考えずに正しいと思い込むこと、それだって洗脳じゃないのか。
 そうだとしたら、私達は一生相容れない。
 恐らく相手は大事な情報をほぼこちらに渡したから、もう四人がいなくなった後も優秀な人物を集め、この最悪な現状の打開策を練ることも出来る。

 ふと、握りしめた拳をポケット辺りに近づける。そういえば何か、木製の何かがポケットに入っていたような…
 そしてそれに触れた瞬間、わかった。

 これは…………柄に収まったナイフだ。
 私はそのナイフを取り出すと……
 イズノの喉元にめがけて腕を伸ばした。

 「っ…………」
 ――いやいや今、私、何をしようとした!?
 驚いたイズノは私から手を放し、距離を取る。私も私がしようとしたことに衝撃を受け、暫くその場を動けなかった。
 どれだけ相手が理解できまいと、相手を排除する方法は代表達と同じ…いや、それより非人道的だ。

 「殺さないのか」
 ふと、コウジロウさんの声が響く。
 「…殺さないです」
「それは、何故?到底、理解し合えないだろ」
「同じ人間だから」
「同じ人間同士でも同じ人じゃない。全てが違う。四人を生かしたこのままではこの世界は変わらないよ」
 そうだ、私達は相容れない。
 でも。
 「相容れなくたって、理解は出来ると思います。」
 理解が出来ないから殺すというのは、なんと惜しい選択だろうか。感情に任せて命を奪うという事は、なんと危険なことだろうか。
 私は自分にそう言い聞かせて、ナイフを手放した。カツン、と『音がした』。



 パチパチパチ…
 誰かが手を叩いていた。
 見渡すと、そこは何もなかった。
 真っ白で、代表達も、肖像画も何もない。
 落としたナイフもいつの間にか消え去っていた。
 「いやあ、面白かったよ!」
「コウジロウさん…?」
 そこには、満面の笑みを浮かべるコウジロウさんがいた。暖かい笑みなのに、その存在全てが違和感で包まれていた。
「初めまして、僕は『道楽者』。世を旅する旅人さ。君は中々、予想を裏切ってくれて面白かったよ。どうだった?この『ゲーム』。」
「どうだったって…ゲーム?」
「そう。君がこの白い箱庭に来た時から…大体一日程かな?それらの期間、君は僕がつくったゲームに参加していたのさ。だから先に言っとくけど、本当は遺書も、ケイコも偽りさ。ゲームの要素にすぎない。」
「え!?」
 頭が追い付かない。つまり、残虐な非日常は、全てゲームだと……
 でも、ならば辻褄は合う、か?何故私がいきなりここに来たかとかも…
 「どうやって、は説明すると長いしややこしいから省くとして…まあ、イメージとしては明晰夢みたいなものかな。肉体的な痛みは受けてないと思うけど、それ以外はリアルだったけどね。」
「明晰夢…」
 それにしてはリアルすぎるけど、それは例えだから触れないで置く。
 今までの事が現実ではない事もわかった。夢のようという事もわかった。じゃあこれは、何の目的で?
 「おっと…君が何をいおうとしたのか、当ててあげよう。ズバリ、何が目的だ、でしょ?」
「まあ…」
「やったやった!読心術を習得したよ!」
 青年とは思えない程の喜びようで、コウジロウさん…ではなく道楽者は何度も飛ぶ。
 そんな彼(?)を冷ややかな目で見つめていると、道楽者は視線に答えるように笑う。
 「そんな顔しないでよ~!やっぱり、君にとっては異常事態?も慣れてきたみたいだね!」
「それはいいから、何が目的か教えてもらえます?」
 先ほどまでの一連の出来事で耐性がつかないわけがない。そんなどうでも良いことより、早く目的を教えてほしい。というか早く目覚めたい。
 私はそんな思いから低い声で脅すように聞くが、道楽者は依然として、飄々とした態度のままだった。
 ――そのまま、道楽者はさらりと口にする。
 「目的はないよ。強いていうなら、僕が楽しみたいからかな。僕は君の住む世界以外にも、様々な世界を漂っている。その中で興味を持った人の夢の中で自作ゲームの主人公にして、それで楽しむ!ちなみに僕もゲームのキャラクターだから、本当の顔ではないんだけどね!」
 君は、楽しかった?とコウジロウさんの顔で訊ねられる。

 開くいない台詞が、私の鬱憤をマックスまでに引き上げた。
 「――楽しいわけないじゃない!ゲームとはいえ、あんなリアルに人が死んで、箱庭の維持の為には犠牲だのなんだの、何が正しいのかもわからなくて……!!こんな、こんな無意味なゲーム…なにも楽しくなかったわよ!!」
 楽しくない。心の内には不快感が残っただけだ。
 なのに、何故だろう。
 たまった鬱憤をぶつけたのに、なにもスッキリしない。


 「そっかそっか。まあ聞いただけで、僕が楽しめたから良かったんだけどね」
「は?」
「そんな怖い顔しないでよ~!『無意味なゲームじゃない』って知ってるから、そんなにスッキリしないんでしょ?」


 その瞬間、視界は暗転した。
 「え、ここは…?」
 何も見えない。何も聞こえない。
 一瞬にして――不安で、一杯になった。
 ふと、目の前に光が差し込む。その光の合間から、人がいた。顔は見えないけど、私にとって大切な人だとわかった。
 ぶれる声で、その人は問いかける。
 『空は、光がほしい?』
「……え?」
『空が光を欲しがるのなら、俺は光を全部あげる。空が光を奪うなら、俺は命を捧げるよ』
 淡々と響く声は、私に光を与えてくれる存在だとわかった。
 奪うなんて、無理だ。
 このまま光がないのも耐えられない。
 かといって、貰ったとすれば?目の前の人はどうなる?
 「その二択だけ?」
 恐る恐る訊ねてみた。
 『…………俺が提示したのは、その二つだけだよ』
「だったら、…………わけあえない?」
『それが答え?』
「うん」
『じゃあ良いよ、わけ合おう!』
 フッと、視界が明るくなった。


 目を開くと、眩しくとも、暗くともない白い空間に、一人飄々とした道楽者がいた。
 「いっ、今のは…!?」
「今のは、ゲームで君に問いかけたかったこと。二つの選択肢を示されたとして、それが良くないことだとして、君はどうするのかを見たかった。そして、もう一つ……」


 再び、視界は暗転。目の前には、光を纏った、誰かはわからない、けれど確実にさっきとは違う人がいた。この人も、大切な人だ。
 『空。良く聞いて。私を特別なナイフで殺せば、世界は維持できる。』
「…………え?」
『ほら、ナイフ。私じゃ私を上手く刺せないんだ。』
 右手に重さを感じて見ると、てには先ほど手放したナイフがあった。
 「さ、刺せないよ、そんなの…」
『私がいなくても、空は生きてける。空の大切な人は私だけじゃないでしょ?友達だって、家族だって、彼氏だっているでしょ?』
「でも…」
『さあ、早く…!そうだ、私が死んだら、私の事を後世まで伝えてよ!ね?』
 目の前の大切な人が言うことは、一番正しく、それ以外の方法もないと思う。時間もないと、何故か明確に感じる。
 「…………わかった」
 嫌だと言いたいのに、否定したいのに、訳の解らない力が働いたのか、私の脳内は、目の前の大切な人をどう後世に伝えるかどうかで埋め尽くされていった。変わりに、息苦しくなる。呼吸が出来ずに私は……


 「ッ!!ハァ、ハァ…………いっ、今のは!?」
 また、もとの空間に戻っていた。背を曲げて必死に呼吸を整えながら、いるであろう道楽者に訊ねた。
 「やっぱり君は予想を裏切る。興味をもって良かったよ。今のはもう一つの問いたかったこと。僕はギリギリまで、空は大切な人を刺そうとしないと思ってた。だけど君は刺してからを考えた。イズノだって絶対に理解できないと悟った瞬間、刺しかけていたよね。…それは君の道理に反するから刺してなかったけど。ともかく、被害的には一人が犠牲になる方がいいよね。でも君は…それを実にハッキリと決める。その上で考えたくない選択を選ぶ前から、それを選んだ後、出来るだけましにする方法を考える。人は正しいこととは違う選択を選びがちだ。だけど君は理性と自身の道理を持った人の中で、最もとは言わずとも、より合理的な人物だと伺える。先をいく人だと感じた。僕はそんな、ほんの少し変わった人を間近で見て楽しみたかったのさ。」
「…………」
 もう私に話す気力は残っていなかった。
 さっき、大切な人を刺そうとした決意について、間違っているとは思えなかった。それが、他の人なら…私の身近の大切な人が私と同じ状況に立たされたとすると、きっと最後まで打開策を練り、何らかの方法を見つけるか、タイムアウトになるかのどっちかなのだろう。だとすると、やはり私は私が正しいと思う。
 だけど、じゃあその友達や彼氏が間違っているのかと聞かれれば、そうは思わない。私はむしろ、皆の選択を見習いたい。だからこそイズノをあの時殺さない選択が出来た。私の思う正しさに不要な人物だとしても、前から合理的より自分の正義を優先する、皆の道理を形からでも真似ていたから、留まれた。

 悶々と、思考が循環する。

 「そうだ空、僕を楽しませてくれたお礼に、目覚める前に一つ、いいことを教えてあげよう。」
「いいこと?」
「この世の選択肢はざっくり分けると、必ず二つにわかれる。それ以外の選択はない。だけど、細分化は出来る。選択のその先を変えるよう促す事は出来る。
 そして…君達は過去から夢見たへ導くためのなにかを託されている。平和維持のため、平穏のため、夢のため、幸せのため。そんな過去の人達の希望のなにかは、代々大切にされ、何らかの形で今も残されている。受け継がれている。
 選択肢を選んでいたのは君達だけじゃない。そしてその人達、過去に生きた人は過去に間違えたことがある。だから次は間違わない良いに、と君達は過去から託された大切な、平穏と平和と幸せを皆が感じられるための正しい選択肢を選ぶためのなにかは、大切にして、もっともっと大きくしなくちゃならないよ。だってそれを出来るのは、途絶えさせることのないように出来るのは君達だけだからね。」
 気まぐれな道楽者の名言さ。
 最後に聞こえたのはその言葉だけで、次の瞬間には、輝かしい光に包まれて…………



 目が覚める。
 回りを見ると、そこは箱庭ではないとわかった。頬をつねると、痛みが伴う。良かった、ここは現実だ。

 にしても最後まで、道楽者は良く分からないことばかりしていた。
 過去から託された、平穏のための選択肢を選べるためのなにかを大切にしろ。もっと大きくして、後世に伝えよ。
 そんなニュアンスの言葉だったはず。
 最後に、道楽者はこれは気まぐれだと言って去った。要はお遊びだと言っていた。
 確かに、道楽者はそう思って行動していたのかもしれない。私を巻き込んだかもしれない。

 ただ、幾つかだけわかったことがある。私の性格はある程度理解していたから省くとして。

 それは……

 それは、あのゲームは私にとっては無意味ではなかった事。そしてありがたいことに、私が生きる世界は、人の死体を、血を大量に欲す事がない……つまりはイズノ達代表達がソジ達に殺し合わせたやむを得ない理由が、この世には存在しないということだ。
 私は布団を剥がすと、友人達や彼氏や家族に、早速この夢について語ろうとベッドから出た。過去の人々が渡してくれたなにかを、より多く私の頭に取り込むために。
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