ブルーフォックス

イヲイ

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ブルーフォックス

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~ブルーフォックス~

 「じゃあ笹野、野原、春野、襟野、また明日。遅れんなよ」
「お前もな」
「六時に虹色山だからな!寝坊すんなよ!」
「午後六時で寝坊するか!」
「また明日…ってか、今日か」「じゃ、おやすみ」
 俺はチャットメンバー全員がおやすみに反応したところでパソコンを閉じる。
 今は深夜十二時。俺と四人はチャットで明日、いや、正確には今日のキャンプの最終確認をしていた。もっともそれも、今終わったが。
 俺は『渦野 竜太』、現在大学四年生を一浪中の二十二歳だ。最近はネットにはまっていて、ネット上で有名な話題となった誇らしい実績がある。
 そんな俺は、ある四人とついさきほどまで文字で会話をしていた。その四人とは、気弱で最近不幸続きな『春野 連』と、筋肉質で運動神経の良い『笹野 陽太』、陽太と大変仲の良く最近彼女と別れた『野原 甚』、あとはおちゃらけて女遊びの激しく、また俺と同じ頃にネットによりのめり込んだ『襟野 仁』…彼らはオカルトサークル時代の同士で、俺以外の四人が卒業した後もそれなりに連絡を取り合う仲である。
 俺は座っていたキャスター付きの青い椅子の背もたれにもたれ掛かる。「予定って、うまく行かないもんなんだな」と誰に言うでもなく、呟く。
 実は今回のキャンプは本来は来年、俺が社会人になった夏に行こうと皆で計画していた。が、俺は予定を早めたのだ。
 何故そんなことをしたのか…今回のキャンプの真の目的は、社会に出てから上手くいっていないらしい四人を予定を早めたキャンプでストレス発散させて、悩みも解決してあげよう!という俺の気遣いなのだ。
 我ながら名案である。
 俺は自画自賛を終えると明日…じゃなく今日のために集めたキャンプ用バッグをベッドの隣に置くと、布団に潜り込んで今日の六時を待った。


 虹色山といわれる山は、言わば曰く付きの山である。というのも、かつて残忍な殺人事件により二名が命を落としたのだ。今では皆恐怖しすっかり人はほぼほぼ寄り付いていない。それが夜を過ごすとなると、余計に。

 俺達は山の麓で集合すると、全員揃ったところで山に登る。
 山に詳しい春野はあらかた登ったところで程よく開けた場所へ行くために、道をそれる。わざわざ調べていてくれていたらしい。さすがは他のメンバーと違って計画するのが大好きな男だ。
 「うええ、こんな草道通るのかよ?笹野、もうここら辺でテント建ててくれよ」
 そう弱音をはいた襟野のいうここら辺は、全くテントを建てられるほどの広さがない。襟野は全く、面倒くさがりで困るものだ。
 「まあまあ。せっかく春野が調べてくれたんだし、もうちょい進もうぜ」
「渦野はいっつもポジティブだなぁ…」
「そんなことないさ。俺は切り替えが上手いだけ!」
「切り替えねえ…でも俺渦野は切り替えるとしてもポジティブとポジティブしかねえと思うんだけどな」
 羨ましいと言わんばかりに襟野は俺の頭のセットを崩す。俺としては、こいつの方がよほど気楽でラフでポジティブだと思うのだが、襟野を逆に誉めるのはあえてしなかった。別に今言わなくたっていいからな。

 と、そうこうしているうちに、春野のいう目的地についた。
 そこは本当に程よく一組がキャンプを堪能出来るくらいには開けた場所だ。回りは木々に囲まれているが、ここは日当たりもよく、綺麗な夜空も見られそうである。
 遠くでは微かに水の音がする辺り、近くに川があるのだろう。虹色山というだけあって、様々な木が生い茂っている。しかも夏だというのに、枯れ葉がそこらじゅうにある。全く、外界から遮断されたようだ。
 「本当はもっと他にもこんな場所があったんだけどね。地割れとか色々な都合で崖みたいなのが多い山らしくて、ここが一番安全でよかったんだ。」
 すると野原は「まあそっちの方が元オカルトサークルっぽいけどな!」と笑った。が、足は震えていた。案外怖がりなのか、こいつ。
 そんなビビりの隣で笹野は(自ら様々な重いものを持ってくれていたので)それらを次々に地面に落とす。いつもの通り大変がさつだが、テント等は壊れていないか心配だ。
 特に、野原は大切なものも笹野に持たせていたらしく、落とされたことに酷く憤慨していたが、春野の仲裁もあって喧嘩までには至らなかった。

 ぱっぱとテントを建てると、空は既に大分暗い。これが冬ならもう真っ暗だろう。腕時計をチラリと見やる。
 「さて!もう七時過ぎだ。ごはん食べよう」
「え、もうか?…腹は減ってるが。」
「まあ六時に集合だったしな…」
 俺が提案すると、四人は口々に意見に賛成してくれる。と、同時に俺のお腹も盛大に鳴ったので、今から食べることにする。
 さて…夕食はカレー!といいたいところだが、俺達がカレーの用意等はずもなく、また前回のカレー作りで思い出すのもおぞましいほどの失敗をしてしまったので、今夜は笹野が用意してくれた缶詰を頂くことにする。ついでにビールも。

 夜空の光も程々に、俺達は程よく酔う。ブルーシートの上、酒とおつまみと空の缶詰を中心として円になり、酩酊した俺達はやがて本音を語り出す。
 「もぉ~、俺は最近何も上手く行かねえんだよぉ!!彼女は浮気されて別れたしぃ~!」
 野原は笹野に抱きつきながら大泣きしていた。さっきまで喧嘩しかけた仲というのに、全く仲の良い二人だ。酔いを感じさせない笹野は野原の頭を「やれやれ」といったように撫でてやっていた。
 「大変だなぁ、お前は!俺なんか、最近新しい彼女が出来たんだぜ!」
 と、襟野はわざとらしく自慢する。
 すると野原は笹野から離れて立ち上がり、そして襟野の胸ぐらを掴んだ。
 「お前の事だよ、襟野ぉ!お前が彼女を取ったんだろ!」
 酔っているからなのか、野原は泣きながら叫ぶ。そして勢い余った襟野も、胸ぐらを掴まれたまま、野原を睨み付けた。
 「何だよ、浮気した彼女の方を恨めよ!というかあの子、男を取っ替え引っ替えしてたって話だぜ!お前の前は気弱な男と付き合ってたみたいだし…男なら誰でも良いんだよ、あいつ。お前もその内の一人だったんだよ!それに、俺から近づいた訳じゃねえし!」
「でも結果取ったんじゃねえかぁ!」
「ああもううるせえ!じゃあ俺から取り返してみろよ!」
「ぐっ…………」
 確かに、襟野から女を取り返す自信は俺にもない。
 「と、というかあの子に飽きたからもう俺捨てたし」
「んなっ…!」
 野原は暫く襟野を鬼の形相で睨み付けていたが、やがて胸ぐらを掴むのを止め、酒を手に取る。
 「だああ!もういい!今日は酒呑みまくる!おい春野!テントから持ってこい!」
「わ、わかったよ」
「春野。」
「何?笹野」
「ついでに、俺の鞄からケーキの入った缶詰持ってきてくれ。」
「わかった」
「え?笹野そんなん持ってきてんの?じゃあ何個かあったら俺にも一個取ってきて!」
「はいはい」
 野原に続き、更に笹野と襟野から要求された春野は嫌がる素振りも見せずにブルーシートから立ち上がった。俺は春野を手伝おうとしたがやんわり断られたので、おとなしく待っていることにする。春野は俺の右を数メートルあるいた場所にある、オレンジのテントの中に入っていった。
 そんな春野の後ろ姿を見て、俺は改めて一流の電子機器会社でバリバリ働く彼が眩しく見えた。
 「にしても、この中じゃあ春野が一番のエリートだよな」
 そう本人のいない所で春野を褒めたのは野原だ。…いや、この場合は春野を使って笹野に喧嘩を売ったというべきか。
 「…そうだな。」
「笹野は建設会社、俺は本屋の店員。渦野はまだ大学生か」
「まあ今年は卒業できるけど。」
 前年度とは違い、今年度は単位も足りる。
 そして俺は、野原が次に何を言うか分かっていた。にやにやしながら襟野を見る。
 「そんで?襟野はニートだっけ?専業主夫?」
「フリーターだ!」
 そう、襟野は就活で躓き安定した職業につけなかった。しかも襟野が一番働きたかった所が春野の働く会社だったのだ。
 これはまた喧嘩が始まるな…と笹野と視線を交わす。
 案の定、今度は襟野が野原の胸ぐらを…というところで、両手に色々抱えた春野が帰ってきた。
 「まあまあ。俺の会社、最近不景気だしそれを免れたと思えばいいじゃないか」
 と、気休めにもならないような励ましを言いながら、春野はブルーシートの中心にケーキの缶詰二つとビールを幾らか置く。竹製のフォーク二本は春野の持ち物な辺り、本当に春野は用意が良い。
 「そーいや、俺渦野が食うと思ってケーキ持ってきたんだが、襟野にとられちまったが、悪いな」
「あ、それ俺も思った。渦野が甘いもの食べないのって変な感じ」
 笹野と春野は俺を気にかけてくれたが、最近糖質を控えているから大丈夫だと伝えておく。襟野は食べかけをくれようとしたが、遠慮しておいた。
 笹野は早速缶詰に手を付け、それを見た襟野も野原との言い合いを半ば強引に終了させてケーキにがぶりついた。野原は不服そうだったが。

 暫くして、俺が持参のチーズを食べていると、笹野が突然しくしくと泣き出した。
 「どっどした?」
「車…」
「車か…」
 そう言って野原はげんなりと涙を流す。基本寡黙な笹野は車オタクで、どっかの高いスポーツカーを愛車としていたはずだ。本当に車のことになると喜怒哀楽が激しくなってしまう奴だな、と当然のことを思う。
 そういえば、どこに行くにもあの赤い車に乗っていた笹野は、今日に限って電車で来ていた。襟野はどうしたのかと訊ねる。
 「愛車と一緒じゃなくて寂しいのか?」
「壊れた。」
「え!?!?」
 この前、事故ってさ…と涙ながらに訴える笹野の缶詰は既に空なのに、ずっとフォークが入ったそれを握ったままだ。うわあ、話、長くなりそう…
 襟野をチラリと見ると、向こうも話が長くなることに関して嫌悪感を抱いていれるらしく、上手く話を切り替えさせてくれそうだった。襟野は野原に視線を移す。
 「そっ、そう言えば、野原!野原も今日バイクじゃなかったよな。珍しい」
「え?あー…ま、まあな。」
 どこか口ごもる野原を笹野が睨んだ気がしたが、そんな気は次の瞬間には無くなっていた。ともあれ話の腰を折られたお陰で笹野はまた黙り、長話は回避できたのであった。…………まあ、このキャンプの予定は皆のストレスを解放することなんだけど。


 それからどれくらいしただろうか。笹野はふと立ち上がり、焦った顔つきでキョロキョロと辺りを見渡す。そして何かを思い出したとでも言うように、春野を見た。
 「なあ春野、トイレってあるか?」
「トイレ…?…あ。」
 その、「あ」で俺は全てが分かった。
 すっかり失念していた。この辺りにはトイレがないのだ。
 そしてそれは笹野も粗方理解していたのか、さほど驚くこともなくため息をついて訊ねる。
 「じゃ、川あるか?」
「川ぁ?」
「あ、俺さっき川のせせらぎ聞いたぞ。多分近くにある。」
 俺が記憶を辿り助言すると、笹野は安堵した顔をして立ち上がる。
 「じゃ、行ってくる」
「あ、俺も行くー!」
「んじゃあ俺も」
 笹野、春野、野原は特に酒を呑んでいたからかそそくさと茂みに消えていった。
 取り残された(?)俺と襟野は向い合わせで酒を口に含む。その時襟野はケーキを食べながらポツリと呟いた。
 「野原…ウザいよな。弱いし笹野の影にかくれてるくせに、偉そうぶって」
「まあ…調子の言い奴ではあるな。」
「だよな!?それに、あいつ…」
 襟野はたかが外れたように野原の愚痴をぶつぶつと呟く。それは長くて下らない。これはまるでネットの中で匿名なのを良いことに、ある作品や一つの物事に対して愚痴愚痴と文句を吐き出し議論する者達のようだ。

 適当にそれを流していると、茂みの向こう、早歩きをしながら男が帰ってくる。不安げなその顔、そいつは…
 「野原じゃねえか。春野と笹野は?」
「まっまだ向こう。今は俺だけだ。…結局川、無くてさ。用は足せたんだけど、ふ、二人とも川を探すなんて、馬鹿なこと…」
 ガタガタと震えていた。
 夜空は晴れているが、それでも暗いことにはかわりがない。と、なると野原は…
 「なぁんだ、怖いのか、夜にうろちょろするのが甚君は怖がりだなぁ!」
「甚君呼び止めろ!ってか、そ、そそそんなこと言ってねえだろ!?憶測で決めつけるのは止めろよ襟野!!」
「え、違うのか?」
「渦野まで!?!?そーゆーの言うの止めろって!」
「へえ、否定はしねえんだな」
 随分と酔っている襟野は野原の反応をにやにやしながら楽しんでいた。にしても二人とも、よく流暢に話せるな…俺と春野と笹野はこの二人に比べて控えめに呑んでいたからともかく、この二人はごくごく酒を呑んでいた。酒豪だったんだと、始めて知る。
 そこで俺と襟野は会話を終わろうとしていたが、野原はそれじゃあ気がすまないみたいで、自らが醜態だと思う話を掘り返す。
 「うるせえうるせえ!だって、目え合っちまったんだよ!あれ見たら逃げちまうのも仕方がねえよ!」
「目?」
「ああ!遠くで二つの青白く光る目が…」
「誰かいたんじゃね?それか兎とか?」
「いや!あれは間違いなく生き物の目じゃなかった!絶対に化け物…『ブルーフォックス』が出たんだ!」
「「ブルーフォックス?」」
 恐怖に染まった野原を前に、俺と襟野はほぼ同時に首をかしげる。野原はそんな俺たちに驚いていると、はぁ、とため息をついて語り出す。
 「お前ら、知らないのか。仕方がないから教えてやるよ。ブルーフォックスってのはなぁ、目があっちまうと最期、悪いことをしたやつは殺されちまうんだ。この山で殺人事件が起きたのもそのせいだと噂だぞ」
 どや顔でブルーフォックスについて簡潔に語る野原の足はやっぱり震えていた。
 にしても、そんな怪談話聞いたこともない。そういったオカルトは例えネットに転がる些細な話でさえ見逃さない自信があったのに。俺は怖くはなかったが、ソースがどこなのかは大変興味が湧いた。
 にしても、その話しは知らないにしても、ブルーフォックスという単語はどこかで聞いたことがある。つい最近、俺の身近に…………やっぱり、思い出せない。そしてふと見た襟野も『同じ疑問』を持っているらしく、茶髪のちじれ髪を掻きむしっていた。襟野の気持ちも代弁して、野原に問いかける。
 「野原、そのソース…その話の出所って…」
「話の出所?それは勿論――」

 「…れか!!誰か助けてくれ!!!!」

 ブルーフォックスについて聞こうとしたその時、突如聞き覚えのある声が聞こえる。
 「春野!?」と、いち早く気が付いたのは襟野で、襟野は慌てて立ち上がり声の出所まで走る。続いて襟野の追随をする野原に俺も続いた。

 定期的に聞こえる声に向かって走っていると、徐々に川のせせらぎの音が大きくなっていく。そしてそれは四回目の声が聞こえたとき、それはもう目の前だった。
 「崖…!?」
「おーい、春野!どこだ!」
「したっ!」
 俺達はその声が言うまま、崖の下を見下ろそうと崖のそばによる。覗くと、そこには両手で必死に崖から飛び出た岩を掴む春野がいた。
 慌てて、状況が理解できていない野原の代わりに俺と襟野はそれぞれ春野の手首を掴む。
 「引き上げるぞっ、渦野…!」
「ああ…!せーっの!」
 俺の掛け声を皮切りに、急いでぐいっと春野を引き上げる。

 細い春野は、案外簡単に持ち上がった。春野を崖から完全に持ち上げたとき、遠くでカタンと音がしたが、放心状態の春野にそれは恐らく携帯だろうと言われる。
 「うわっやば…」
 俺と野原はへなへなと座り込む春野の脇を通って崖を覗いた。
 崖は大変高いと言うわけではないが、落ちたら恐らく死ぬだろう。怖くなり、崖から離れると、ふと一人足りないことに気が付く。
 「おい、そう言えば笹野は?笹野がいれば、お前一人くらい、軽々持ち上げられるだろ?」
「……………………」
 …が、春野は何も話そうとしない。余程怖かったのか…?と疑問に思ったが、やがて春野は震えながら崖の方を指差した。そして、一言。
 「あいつ、落ちてっ…!たっ…助けようとしたけどっ…!」
 俺はもう一度崖から下を見下ろす。今度は深く。

 すると。

 そこには赤い血が飛び散っていた。
 そして頭だった何かから血を流す誰かがいた。直感で分かった。
 あれは……

 ……笹野だ。

 「あ…あ…!」
 俺はその場に足から崩れ落ちるように座る。体が震えてしかたがない。
 そんな俺を異様に思ったのか、野原と襟野も崖下を覗き込む。
 そして、二人も俺同様に驚き、声を失っている。
 「けけけっ、警察…!」
 と、慌てて俺は携帯をズボンの後ろポケットから取り出す。
 警察って、何番だっけ?いや、俺の携帯のパスワード何番だ?俺の……
 「貸せっ」
 そう叫んだ野原は俺の携帯を取り上げた。俺の少し携帯を見て、それから野原は襟野を見る。
 「渦野のは駄目だ。襟野、貸せ」
「え?おう」
 焦っていたからか、襟野は言われるがまま野原に携帯を差し出した。
 ――ん?俺のは駄目だって、一体…
 「なあ、のは…」
「えいっ!」
 ガシャッ。
 ……野原が何をしたのか理解するのに、俺達は数秒を要した。

 野原は、投げたのだ。俺達の携帯を、自分のものと一緒に。

 「お前っ!何してるんだ!」
「ふざけるな!」
 俺と襟野は同時に怒鳴ったが、野原は一人、崖から離れる。
 そしてさっさとさっきまで辿ってきた道を歩き始めてしまった。胸ぐらを掴みたいが、崖の近くでは危険なので出来なかった。代わりに襟野は即座に野原に食って掛かる。
 「てめぇ!?笹野が死んだんだぞ!?なんで携帯を捨てた!これじゃ警察どころか救急車でさえ呼べねえんだぞ!」
「…………だろ」
「アァ!?」
「これ、笹野を殺したって疑われちゃまずいだろ!?」
「すぐに通報しねえ方が怪しまれるだろうが!!」
「あっ…」
 こいつ、馬鹿か。
 俺は心の底からため息をついたが、それで携帯が直る訳でも、取りに行けるわけでもない。
 「二人とも、落ち着け」
「はあ!?携帯壊されて落ち着けるわけ…」
「気持ちは分かるが、今何を言っても携帯は戻らねえよ。とりあえずテントの中に戻ってから明日山を降りよう。今日はもう暗いからな。」
「…………あぁ」
 俺が諭すと、渋々襟野は胸ぐらを掴む手を緩めた。
 笹野の死体を放置するのは少しだけ気が引けるが、あれを取りに行ってこっちまで落ちたら元も子もない。俺達は崖を後にする事にした。
 道中、ずっと春野は自信を責めていたが、どう励まして良いのかも分からず、とりあえずお前のせいじゃないとだけ伝えていると、あっという間にオレンジ色のテントが見えた。
 「…これからどうするよ」
「とりま、今日はもう寝ようぜ。どっかの誰かが俺達の生命線を絶ったせいで人も呼べないからな。」
 チラリ、と襟野は野原を睨んだが、肝心の野原は上の空で何も聞いていなさそうだ。そんな野原にキレるのを我慢しつつ、俺は野原に軽く別れの言葉を告げるとテントの中に入った。というのも二つのテントの部屋割り的には野原と笹野、俺と春野と襟野という割り当てだったのだ。
 「ったくよぉ、俺の携帯壊しやがって…あれ高かったんだぞ、野原のクソヤロウ」
「なんだよ、テンパってたんだから仕方ないだろ」
「俺のせいで、俺の…」
 …………皆の悩みを聞くつもりだったんだけどな。寧ろ俺も含めて悪化してしまった。
 「……ってぇ!?なんで野原がここに!?入ってくんなよ狭い!」
「そうだよ、なんでいんだよ!?」
「ただでさえ、狭いのに…」
「皆冷たい!」
 しかし野原は俺達の帰れコールに文句をいいつつも一向に出ていこうとしない。そうか、こいつ、怖がりだもんな…
 仕方がないので、俺は俺のスペースと春野のスペースを野原に少しずつを貸してやる。ちゃっかり荷物まで持ってきていた野原は満足げに携帯ゲームを取り出してゲームをし始めた。呑気なやつめ。
 それから暫く、ゲームのBGMと効果音と野原の「あっ…」だとか「くそっ」だとかいう一人言以外は何の音もしなかった。左側が煩すぎる。やっぱりこいつ、向こうのテントに追い返してやろうか…
 そんなことを思っていると、野原とゲーム機以外からある音がした。
 ギュルルルル…………
 生々しい、腹の音だ。反射的に野原を見るが、野原はゲームに夢中でその音は気にしていない。代わりに野原と春野を越えた奥の襟野がため息をつく。
 「何だ、腹でも減ったのか?」
 と訊ねると、襟野は弱々しく首を横に振った。
 「まあそれも少しはあるが…それよりさっきから、何か調子悪いんだ。誰か腹痛薬もってねえ?」
「あ、ごめん、俺持ってない…」
「珍しいな、春野が持ってねえのって…笹野なら持ってたんじゃないのか?」
 俺も野原も勿論持っていないと断言できるが、かといって顔も青白い襟野に何の代替案を提案しないのも申し訳なくなったので、まだ薬を持ち歩きそうな笹野の鞄を漁ってくるよう促す。
 隣のテントの笹野の荷物を漁るため、よろよろと襟野は俺達のテントを後にした。


 「にしてもまあ、本当に運の無いやつだったな、笹野は。」
 襟野の帰りがあまりにも遅いので、俺と野原はテントから出る。その最中、自らを責めているであろう春野を励ますために、あえて春野に運がなかったと話しかけたのだ。春野はそれを聞いて、「ああ、そうだな」とだけ答えた。
 うーむ、隣のテントはほぼ隣接している様なものなので大変近いのだが、しかしそんな沈黙すら辛く感じる。
 だから俺は、ついつい口走ってしまう。どうにかして元気を取り戻してほしかった。でなければ、このキャンプを提案したのが水の泡だから。
 「まあ、笹野の不幸に比べたら、彼女に振られた挙げ句にその子が死んだくらい、なんてこと無いように思えるな!死んだって言ったって浮気女だったんだろ?」
 途端、左頬に衝撃が走る。
 「痛っ…!」
 そう言ってから、殴られたことにやっと気が付く。俺より低い背丈の春野を見上げるように睨むと、右手拳を作り、瞳がアニメでよく見る殺人鬼のそれだった春野は慌て出す。
 「あっ…ごめん!思わず…」
 …今はこいつを刺激しない方がいいな。
 「いや、今のは俺が悪い。俺が言いたいのは、別に笹野のは春野のせいじゃないってことだけだ。」
「うん…わかってる。お前が俺の前で、俺の大切な人を軽んじた理由も。」
「わかってくれて、ありがたい。」
 …そう、そうなのだ。ここは『ネット』じゃないから、今、春野の目の前にいるのは『匿名』じゃなく『渦野』だから、何を言うのか慎重にいかないと。
 「……にしても、今の音を聞いても襟野は出てこないな。」
「もしかして、倒れてたり…?」
「まさか、あのプレイボーイに限ってそんな…」
 まさかとは思いながらも、テントの扉を開ける。幸い、チャックは開いていたからすぐに中には入れた。

 そして俺達は、息を呑んだ。

 「あっ…」
「そ…んな…襟野!」
 テントの中、木偶の坊の俺と違い春野は大の字で倒れていた襟野のそばに駆け寄り、呼吸確認もろもろをする。遠目で見ても、ただ寝ているだけではないと何となく分かる。これは……
 「…………何で…………」
 最後まで言わずとも、その言葉で襟野は最期を向かえたのだと分かった。

 テントに戻るなり、俺達は早速何があったのか伝えた。野原は暫く冗談だと思っていたらしいが、野原に襟野だったソレを見てもらって、現実を理解してもらった。
 「お…おかしいって、こんなの……!!」
「襟野って、持病持ってたか?」
「いや、そんなの聞いたことねえし、あいつに限って、そんな……」
 あんな、さっきまで元気だった奴が。死体との距離が近い分なのか、笹野の時よりショックが大きかった。
 信じたくないのに。一体、何のせいで…
 「……ブルーフォックスだ」
「「え?」」
「ブルーフォックスが、俺達を殺しに来たんだ…」
「ブルーフォックスって、野原、そんなわけ無いだろう。そうだよな、春野」
「どうだろう…」
 俺はとりあえず春野と宥めてみるが、春野は曖昧だし、この言葉は恐らく届かない。野原は随分と憔悴しているのだろう。オカルトを持ち込むなんて、訳の分からないことを言い出したのだから。だから俺は宥めると同時にはなで笑ってやったが、野原はもう自分の世界に入ったようだった。
 「いやそうに違いない、きっと俺達は殺されるんだ…」
「あ、おい…!」
 そう呟いて、ふらふらと、しかし迅速に野原は木々の奥へ消えていく。止めようにも突然すぎて、止められなかった。しかも、暫く俺達はその場を動けなかった。
 が、少ししてから我に返った春野が俺を指差す。
 「俺、野原追いかけてくる!渦野はここにいてくれ!」
「お、おう!」
 そう言うと、春野も暗い木々の奥へ消えていった。
 俺は大人しく自分のテントの中に戻ることにした。元々数人用のテントな為それなりに広い。
 テントの中で座り、一息つくと、そこでやっと頭が回ってきた。

 笹野は不慮の事故だとしても…襟野は何で死んだ?パッと見たところ外傷はなかった。この山には恐らく俺達以外の人間はいないだろう。なおかつ、襟野に持病がないとすれば…
 「…毒?」
 それならあり得る。ならいつ襟野に呑ませたとなるが、さっきまで夕飯やビールを飲んでいたんだ、それくらい容易いだろう。……いや、それなら俺達の誰かが襟野を殺したと言うことになるのだが。
 俺は除外するとして、春野と笹野には動機がないような気がするな。だが野原は充分にあり得る…
 そうだ、そもそもあいつは俺達の携帯を投げ捨てた。
 じゃあ野原が?怯えていたのは全て狂気的な演技?
 「にしてもあいつ、ブルーフォックスとか言ってたが、あれって野原の作り話じゃないのか?」
 それなら何となくあり得る気がする。にしてもブルーフォックスって奴…どこかで俺、聞き覚えが…
 ズキリ、とふと頭痛がして頭を抑える。その時丁度、指と指の隙間から春野のリュックが見えた。
 「そういえば…!」
 春野は笹野の死に際を間近で見ていたから気が動転していたが、笹野は大手IT企業の社員だし、ネット系に詳しいし、準備もいいから携帯の代わりになる何かを持ってはいないだろうか?
 人の鞄を漁るのには少しの抵抗はあったが、しかし状況が状況だと、俺は躊躇うこと無くオレンジのリュックサックのチャックを開けた。

 しかし、携帯の代わりどころかラジオのひとつも入っていない。中に入っていたのは、キャンプで使った必要最低限のものと、使い振るされた赤い手帳と、ずっしりとした黒い木箱。
 春野ともあろうものが、こんなに準備が悪いとは。
 「まあ、それは俺には言えねえが…それより、だ。」
 俺は勝手に出した物品の中で、ある二つに注目する。手帳と木箱は、友達の家のベッドや棚の隙間を覗き見る時のような好奇心が湧く。そもそも木箱が重いって、何を持ち歩いてんだという疑問が湧く。
 ――見ちゃおう。
 俺は一瞬テントから顔をだし、春野の気配がないことを確認してから手帳を開き、続いて木箱を開けた。
 まず、手帳の中身を読む。日記…というよりは、その時その時に思った事や、一日の事…つまりは春野の感情と思いが書かれていた。ほとんどは、真面目な春野が思いそうな正義感の強い事。はっきり言うと、つまらない日記のようだ。
 「…………ん?」
 パラパラとめくっていると、終わる数ページ前で気になることが書かれていた。
 「野原にブルーフォックスについて教えてやった。我ながらちゃっちい作り話だとは思うが、野原は簡単に信じ込んだようだ。」
 これは比較的最近の日付だ。…にしてもブルーフォックス、それは春野が教えたのか。しかもこれ、もしかして春野が作ったんじゃないのか?からかったのか、野原を使って話を盛り上げたかったのか。でもなら、さっきなんでブルーフォックスを否定しなかった?「どうだろう」と、春野は何故そう言った?
 首をかしげてみる。けれど答えはでないので、諦めて木箱の方を見る。
 蓋の開いた木箱を開けると、黒い布が何かを何回も包んであった。これだけ厳重となると、水晶玉みたいに割れやすいものを扱っているのかもしれない。俺は慎重に、一枚ずつ布を剥がしていく。
 数回それを繰り返した後に、俺は思わずそれを落としてしまった。


 それは、本物の銃だった。


 「何だ、これ…!?」
 偽物でも、レプリカでもない。重さ、作り、形…それらから、銃について多少の知識しかない俺でも本物だと分かった。いや、多少あるからこそ分かったのかもしれないが。とにかく、それは本物だ。
 俺は酷く慌ててテンパりながらその銃を仕舞おうとしたが、その時ほぼ無風ながらも偶然めくれた手帳の中の文字を読んで、一気に冷静になる。
 「『僕の人生は不幸続きでした。幼少の頃から、運が無さすぎましたが、そんな僕の一番の不運は大学時代のサークル友達です。彼らは僕の愛する人を軽んじました。特に笹野と野原は彼女を轢き殺し、挙げ句その時の証拠を棄てるためにここに来たのです、彼らは害獣です。だから僕は、制裁を加えます。』」
 読み上げてみて、俺は俺の名前がないことに安心したのだ。自分は殺されないことが分かっていれば、まだ安心――
 …いや、なら襟野は?
 こいつは、全員殺そうとしていないか?少なくともいつもの一人称ではない僕と書いている辺り、一連の事件は春野の計画どおりなのだろう。それに、笹野と野原だけなら『サークル友達』とか、『特に笹野と野原』という表記はおかしい。…俺達もどこかで小さな恨みを売っていたのかもしれない。

 兎に角、このままでは俺の命が危ない。

 俺は拳銃を手にテントの外に出た。
 右手の銃がネットの画像と少し違う気がするのは、やはり実物だからだろうか。
 春野はどこにいるだろうか。


 「ああ、お前、そこにいたのか。」
「!?渦野?」
 小さな悲鳴を辿っていくと、そこには春野がいた。所々に赤が飛び散ったようだが、それより懸念すべきは野原だ。
 野原の血は、春野の比じゃない。
 「た…けて…うず…」
 いや……血も凄いが顔の造形が変わるくらいぐちゃぐちゃな顔の方が凄い。春野は大学生時代、ロッククライミングサークルとオカルトサークルを兼部していたらしいが、ロッククライミングにそれほどまでの力があるのか?
 それはともかく俺は右手の銃を後ろに隠して、軽く左手を挙げる。
 「よっ。なにしてんだよ。」
「見てわからない?制裁だよ。…それにしても、渦野、お前あんまり驚かないんだな」
「たす…」
「いや、驚いてる。春野に野原をボコるだけの力があったことも含めてさ」
「いや…この血は俺の力だけじゃなくて、ナイフの力でもあるよ」
 そう言って、疲れたのか春野は野原の髪を雑に持ち上げていた左手を離し、右手にもつ赤く少し光るナイフを俺に見せびらかす。と、同時にずしりと重い落下音が春野の足元から聞こえた。
 「ブランドものなんだ」
「へえ」
 切れ味が鋭そうだ。あれで肉を裂かれたら、たまったもんじゃない…
 あ、忘れてた。
 「野原~、お前大丈夫か?」
「だす…けで…渦野…」
 大丈夫ではなさそうだよな。かといって、そっちに近づいて刺されればひとたまりもない。銃の標準を咄嗟に合わせる自信もない。
 説得して、できなければ『諦めよう』。
 「なあ春野、いくら野原がお前の元カノを轢き殺したからといって、やりすぎじゃねえか?下手すりゃ死ぬぞ?」
 そのときの俺は、まだ春野について大切なひとつの事を見逃しているのに気が付かなかった。
 春野は一瞬驚き、ずっと眼中になかった俺を漆黒の瞳に少しだけ入れてから、笑った。
 「大丈夫。皆殺して俺も死ぬから。」
「んなっ…!?」
 ただの復讐じゃなかったのだ。しかし俺までというのはどういう事だろうか?
 そのとき既に俺の脳内には野原は消え去り、ただ目の前の疑問だけが体を乗っ取っていた。
 「俺はなにもしてない!襟野もだ!お前が死にたいのは勝手にすりゃあいいけどよお、俺達まで巻き込むなよ!」
 森の木々が掻き消せず、天の果てまで届くほどの声量が俺の口から飛び出たことには、意識朦朧の野原を除く俺と春野の目を丸くした。

 そして…………
 春野は恐ろしく酷い形相で、俺を強く睨み付けた。

 「そうか、お前はお前の罪を知らないんだな。」
「罪?」
「俺は一番野原と笹野…特に彼女を奪った挙げ句、殺した後に彼女を乗り換えた、そして笹野が死んだ時警察と会うのが怖いからと友達を見捨てて携帯を投げた野原が許せないが、笹野も、襟野も…お前も許せない。……………………ブルーフォックス。つまりは、青い狐。」
「青い狐…」
 あ。
 野原に言われて、俺はやっと今までの既視感の原因を突き止めた。

 ブルーフォックス…つまりは青い狐は、かつて襟野と俺がつくったネット上の名前だった。皆が働き始めた時、フリーターと大学生の襟野と俺は始めに人生を挫折したいたから、その腹いせにその名前…『青い狐』を使って当時の社会問題に対して文句や批評を世に発信していた。
 過激だと批判も来る一方、一理あるだとか、正しい意見だ等の賛成意見も沢山もらった。
 やがてそれを使うことはなくなっていた俺達だったが、代わりに他の名前…いや、無名で様々な愚痴を書き込んだり、今回のキャンプだってその様々な意見に触れたという経験を活かして皆を励まそうとしたのだ。
 でも…それが何だというのだ。春野には、関係ない。
 「お前らが書き込んだ悪口より悪質な言葉達の中に、俺の会社の風評被害を煽る内容があった。その辺りからだ、急激にその噂が事実とねじ曲げられて伝わり、どんどん不景気になっていった。」
「なっ…それは……」
 それは、きっと襟野がしたことで、俺はその件に対しては無関係だ。
 だが、春野はそれだけに恨みを募らせてはいなかった。
 「それに…俺の元カノが、笹野と野原の車とバイクの事故に巻き込まれ死亡し、すぐに逃げた為に犯人が捕まらなかったとニュース報道された時…お前ら、青い狐の名を語り、どんな冷たい言葉を発信してたと思うか?」
「…………」
 それは、覚えてない。
 そんな俺の反応見ると、春野は左ポケットから携帯を取り出した。
 「携、帯?」
「俺は崖で落としちゃいないぞ。教えてやるよ。あの崖で俺が落ちそうになった時、実は俺は腰にカラビナを着け、カラビナと繋がった縄を大木にくくりつけていた。それをしてから、ゆっくり崖を少し降りて叫んだ。つまり、ほぼほぼ安全だったんだ。…ついでに笹野を落とす時は、崖の下の川まで殺人の証拠を棄てようとした笹野を、俺の腰じゃなく、始めに木にくくりおいた縄の延長線上にある木にくくりつけて、その張った縄で笹野を転ばせて、ついでに背中を落として殺したんだ。すぐにばれるだろうが、俺はここで死ぬから証拠隠滅とかどうでもよかったし、俺が崖に落ちそうになっている演技をするリスクを背負ってもよかった。何かが落ちる音の正体は、引っ張ってもらっていた時に腰に着けてたカラビナを取ったとき、崖とぶつかったせいだろう。」
 そういいつつ、素早い手捌きで携帯をいじり終えた春野は俺に画面を見せつけた。
 それは、俺が使っていた青い狐が春野の元カノについてどんなことを書き込んでいたか、事細かに書かれていた。今見ると酷い内容ばかりで、俺は酔って書いていたと分かった。あまりにも酷く、犯人を責めるのではなく、何故か春野の元カノを責める文ばかりだ。
 でも…書いた覚えも、ある気がしてきた。
 「これはほんの一部だ。これらを見て他の奴らも感化され、結果俺の愛した人の両親を追い詰め、住所や電話番号やらも特定され、自殺に追い込んだ!」
「え…」
「それを聞いて俺は怒りも憤りも通り越して絶望したよ。その人達とも仲が良かったからな。両親どころか親族さえいない俺にとって、初めて感じた幸せだった。直後、不景気だからと会社をクビになったよ。」
「え!?」
 俺は驚くが、無視して春野はまだ喋る。
 「もう死のうかと思った。彼女には裏切られ、それでも愛していたのに殺され、会社はクビ、大切な人は死んだ。だけどその前に追い詰めた奴らと彼女を殺した奴を突き止めようと考えたんだ。笹野達は知り合いだからかな、案外簡単に…警察より早く突き止められた。お前らについては…俺は昔からこういうインターネット系に強かったから、お前らがこの書き込みを消す前に全てのデータをこちらで預かり、誰が書いたのか特定までできたんだ。」
「なんだよ、それ…」
 春野を追い詰めていたのは、俺達だったのか。
 殺人鬼の目の中には幾つかの粒が浮かび上がっては消え、やがてそれは縁に溜まり、頬を伝っていた。

 ――それは俺の心臓を、ぞくりとさせる。

 やがて、涙声で春野は言う。
 「最期だから、他にも教えてやるよ――野原の見たブルーフォックスの目は、俺があらかじめ携帯と連動して光る電球を木に付けといて、その場所に野原を誘い込み、タイミングを見て携帯から信号を送っただけ。あれさえ見せれば他の奴が死んだら、野原は壊れると思ったから。笹野はさっき言った通りで、襟野は…予めフォークに毒を塗っていた。だから笹野にも同じ毒が盛られてあるんだけど、あっちはそれが利く前に死んだからね。笹野がケーキを持ってくるのは知ってたから、これは本来、襟野じゃなくお前にやろうとしていたんだけど…まあ結果オーライだ。」
 とたん、背筋が凍る。あの時、襟野の食べかけのケーキを口に運んでいたら、俺は…
 そんなのんきなことを考えていると、春野は俺にナイフの標準を合わす。だから俺は、近づく前に拳銃を向けた。いや、そんなこと今はどうでも良い。

 ――俺は。

 これだけ危険なのに、俺が比較的冷静なのはこの銃のお陰だ。
 「春野。…青い狐については、本当に申し訳なかった。今お前がナイフを下ろせば、俺も拳銃を下ろし、改心する。」
 そうだ……今、春野の辛そうな顔を見て、やっと分かった。
 誰かをネットで叩くのは、見えない誰かを傷付ける。それだけじゃない。
 俺はネットという空間が楽しすぎて、いつのまにか友達すらも平然と酷く傷つけた。目の前で野原が死にそうな時、俺は…俺は、見捨てようとした。今まで酷く重かった『死』が、様々な事件に対する『死ね』『こいつが死ぬことは正しい』みたいな言葉を沢山見てしまった、書き込んでしまったせいで、大変軽く考えるようになっていた。春野が人の死に涙を流すまで、それが当然になっていた。
 もう一度、俺は謝る。
 「悪かった。春野。」

 ――しかし春野は涙ながらにこう言った。

 「お前が本当に反省しているなら、『悪かった』で済まさないはずだ。銃を下ろすはずだ。報いを受けるというはずだ。なあ渦野。一度歪んだ性格は中々元に戻らないんだ。お前も、俺も…」
 そしてナイフを振りかぶる。

 俺はその時はもう、春野の声は聞こえていなかった。夢中になってトリガーを、引いた。

 パンッと音がした。

 俺はその日、光を失った。



 静かな夜だ。
 二人の死骸を眺めながら、俺は血の付着したソレを首に当てた。
 先程まで話していた死骸の一つに話しかける。
 「言ったろ、俺、死ぬ気だって。自殺銃って知ってるか?玉が出るところが、撃った人に当たるようになってるんだ。それ、探すの苦労したんだぜ。」
 ポツリと、涙が流れる。
 最期にあいつは反省してた。だけど、もう、戻れないんだ。
 もう、俺は人じゃなくなってるから。
 もう、俺は復讐しか眼中に無かったから。
 もう、戻れない。
 もう、この手は止まらない。
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