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【前編】君への妄想を実践してみせようか

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「ああもう! また誰か変な所にピース置いてる~。絶対ここじゃないのに......」
「デイジー、あんただって正解がわかってる訳じゃないじゃん」
「確かに。俺デイジーのが間違ってる方に掛ける」
「ひどぉい!」

ウッドヴィル伯爵家の階下、使用人一同が集まる食堂は今日も賑やかだ。
夕方忙しくなる時間の前、昼下がりに軽くお茶を飲む時間が設けられていて、使用人たちが集まって談笑している中に雑用女中ジェネラルメイドのデイジーもいた。

デイジーの趣味はジグソーパズルだ。
しかしあまり強くはない。
先月無謀にも千ピースの大作にチャレンジしようとして玉砕し、食堂の広いスペースにパズルを置いてみんなの助けを募っている状態だ。

しかし弄られキャラでもあるデイジーを揶揄って、出鱈目な置き方をして余計に頭を悩まされる姿を楽しむ者も中にはいて、なかなか完成しない。パズルも含め階下の者たちのいいコミュニケーションツールになっていた。

「あ~早く出来上がったところが見たいなぁ」
デイジーのサラサラしたまっすぐな金髪は纏めてもすぐに落ちてきてしまう。
一度髪をほどいて編み直しながら、デイジーは並べ直したバラバラのピースをじっと眺めて正解を導き出そうとした。

「マストは上の方、この蒼いのは海でしょ......」
ジグソーパズルの絵柄は、有名なロマン派の巨匠の手によって描かれた海戦の風景画だ。
光と水の表現が秀逸と評価されて高名を博した、かの画家は 絵の中央に勝利した帆船ヴィクトリー号の勇姿を配置した。パズルの難易度としてはちょうど良く、出来上がったら壁を飾るのにふさわしい作品となる。

パズルと向き合ってかがみ込んでいたデイジーの横に、とん、とお茶のカップが置かれた。
見上げると、押し付けがましくない有能さを発揮して、屋敷内で悪い話を聞かない近侍トーマスがデイジーの分のお茶を受け取ってきてくれていた。

「デイジー、絵の全体像は見たことあるかい?」
「箱の蓋に描いてあるけど、ここにはなくって......ありがとう」
デイジーはトーマスの顔を見ながらお茶の礼を言って、編み込んだ髪で手が離せないままパズルに視線を戻した。

「元の絵だとヴィクトリー号のメインマストのてっぺんに提督が掲げたシグナルフラッグが描かれてるから、まずそれを探して置いてごらん」
「え......旗っぽいのいっぱいある......どれがどれだか分かんない」
ピースの中から風に靡く小さな四角が描かれたものをいくつも見つけ、デイジーはそこでもう音を上げる。

「メインマストに掲げた旗は、全部で七枚」
デイジーの斜め上から腕を伸ばし、トーマスの指がピースを選り分けた。
「一番下の〈七番〉に "信号終わり" の一枚が来る」

「提督が掲げた文はなんだったかな? デイジー」
「なんだっけ......」
デイジーは眉を寄せて考えた。五十年前の戦争の話だ。近所のおじいちゃんの昔話でしか聞いたことがない。
「"全国民は各員がその義務を尽くすことを期待する"...... 最後の三文字は "義務DUTY" のUTY だ」
歴史の授業みたい。と思いながらポカンとしてデイジーはトーマスを見上げた。
「よく覚えてますねぇ......」
トーマスは苦笑して言った。
「覚えてるうちには入らないかなぁ......まだこれからだよ」
講義はまだ続くらしい。

「海事信号書は文字が数字の組み合わせで示される。Uは21、Tは19、Yは24。それぞれ二枚ある信号機の組み合わせはこれと、これと、これ......で、上から順番に七番までの正しい場所が分かったよね」
「......おぉ」
「次に探すのはミズンマストとフォアマスト。敵艦はヴィクトリー号の船首に寄りかかるように倒れてるからその分も見つけるといいよ。あと、海は青で描かれてはいないからこのピースは下じゃない」
「画集を持ってるの? よく知ってるんですね」
「有名な絵だから、何度か印刷されたものを見たけれど、それだけだよ」

トーマスは有能だとこぞってみんなが褒める訳が分かった。
デイジーはひたすら感心した。
「トーマスさんって......いっつも完璧ですよね。優しいし、朝もシャキッとしてるし、怒ったとこ見たことない」
「そんなことないけど。ほら時間が終わっちゃうよ」

軽食に用意されたジャムサンドの皿を示されるが、デイジーはまだもたもた髪を丸めている。
トーマスからサンドイッチを口元に差し出されて、ついデイジーは素直にかぶりついた。これを逃したら六時間くらい空腹のまま働く羽目になる。
「お茶を飲んで、髪はやってあげるから」

「......」
無心で目の前の甘味を味わいお茶と交互にお腹に入れながら、デイジーはされるがままに任せた。
トーマスの指が髪の間を通って地肌を撫でるのは気持ちがいい。
「できた」
どこも吊れない状態できっちり纏められている。
しかも前髪も一緒に編み込まれちょっと可愛くしてくれていると、出入り口の姿見で確認出来て、デイジーはため息をついた。

「前から思ってたんですけど。トーマスさん、完璧すぎて嫌味っぽい。あ、やってもらっておいて、こんな言い方してごめんなさいだけど」

トーマスは目を丸くしてデイジーの顔を見た。
「一人で全部完結してる感じする。陰で死ぬほど努力してる? 完全体になろうとしてるみたい。恋人もいないし。自分以外に興味がないナルシストなんじゃないですか」

デイジーは前々からこの近侍のことを、”何か裏があるに違いない” と思っていた。
誰にでも欠点はあるものなのに、彼だけは誰にも負の面を見せた話を聞かない。

『強いて言えば弱点は生活リズムの変化に弱くて体調を崩しやすい事くらいで、オレもいつも助けられてる側だな~』と、トーマスの相棒・女たらし(こういうのを欠点と言うんだ)のジョルジュも話してくれた事がある。

(ジョルジュさんなら裏の顔を知ってるかと思ったのに)
デイジーには、こんな完成された人が自分と同じ人間として存在しているのが理解できなかった。
寝坊も多く、忘れ物や勘違いで "うっかり屋" と評される自分・デイジーとは対照的だ。
今の発言もうっかりなのだが、本人には自覚がない。

食堂に居合わせた者はデイジーの爆弾発言に、なんてことを言うんだ、このアホ!と凍りついて、トーマスが怒りだすんじゃないかとハラハラしていた。
しかしトーマスは静かなままだ。これは予想外の展開になりそうだと察し、一同は素知らぬ顔をしながら興味津々で耳をそば立てている。

トーマスは口を開いた。
「ナルシスト」
どうやらこの出来すぎた近侍はメイドの失礼な発言を面白がっているようだ。
「僕はデイジーの目に、そう映ってたんだ。」
「違うの?」
トーマスは笑って言った。
「違うよ、全然違う。ちゃんと他人にも興味あるよ」

そしてこう続けた。
「君のことは可愛いと思ってる。なかなか懐いてくれないよね」
今度はデイジーが目を丸くする番だった。



(昨日のトーマスさんからの、アレは、告白......なんだろうか)

「ちょっと、デイジー! それもうやったやつ!」
「はっ」
同僚が仕上げ磨きを終えた革靴に、また靴墨を塗ってしまったデイジーは叱責を受けた。
「失礼しました!」
デイジーはこの同僚ジャネットとはあまり相性が良くなくて、イライラさせてしまうことが多い。気をつけようと思っていたのに、やってしまった。

デイジーが間違えて靴墨をつけてしまった靴を取り上げようとする彼女に謝った。
「あと、私がやります......! 済みませんでした」
しかし彼女は無理やり靴を奪って、ブツブツ言いながら磨き始めた。
「どうせうまく磨けないでしょ、なんでアンタみたいな子が......、」

デイジーに接する者はたいてい、ものすごく好きか嫌いの両極端に分かれる。こういう人に対してどう振舞っても納得させられることはない。そう経験で学んでいたデイジーは、仕方がないので最後の一足を残し、広げた靴と道具をまとめた。

磨き上げた靴を揃えて、鞄の手入れをしていた衣装部屋の女中に渡しながら談笑する。
「ここに並べたらいいですか? ......旦那様のお履き物よりセオドア様の方が大きいんですねぇ」
「奥様が背が高くていらっしゃるし、若様はお母様に似られたんでしょうねぇ~」
「確かに髪も目も奥様譲りですよねっ」
衣装部屋の女中は陽気でデイジーと気が合う。

「無駄なおしゃべりはしないでッ」
尖った声で、靴を磨いていたジャネットが注意してきた。
確かに、雑談が多いのは良くない。デイジーは口を抑えたが、衣装部屋の女中は意にも介さず、
「おおこわ、ご機嫌ななめねぇ」
揶揄するように言って、デイジーにしか聞こえない声で話しかけてきた。
「昨日のトーマスさんの発言がショックだったのよ、彼女」

「......トーマスさんって、モテる?」
「まぁモテるでしょ、出世頭だしねぇ、そうでなくても真面目で誠実そうな男性だもの。」
「ふうん」
私には近寄り難くて胡散臭いようにしか見えなかったけどな......、とデイジーは首を捻った。

トーマスは見た目は特徴のない地味な男性だ。
枯葉色の髪に地味茶の瞳(本人曰く)で、高くも低くもない身長に、細くも太くもない標準体型。
顔立ちはシンプルで『よく見ると整っているんだな』と分かる。

パズルのピースを動かしていた時の横顔はスッキリとしていて、清潔感があって美しくも見え、ドキッとさせられた。
何せ、日常的に隣に並ぶのがキラキラの王子様フェイスの持ち主ジョルジュや、美形揃いな当主の一家だ。埋没するのは仕方ない、基準がおかしくなっているのだ。

「......そうか、付き合ったらいいんだ」
デイジーはポロッと心の声を外に漏らした。
トーマスが実際どういう人なのか、自分の見立てが間違ってるかどうか、付き合ってみれば分かるはず。
悩みの種がなくなったデイジーはご機嫌で、自分に突っかかってきた彼女、ジャネットがすごい目で睨んでいることにも、その様子を面白そうに見ている衣装部屋の女中にも気がつかない。

可愛くしてもらった髪はその日の夜まで弛まず、後れ毛も出なくて快適だった。まずはそのお礼を言いに行こうと、デイジーが休憩時間にトーマスを探すと、菓子室コンフェクショナリーで午後の茶会の打ち合わせをしていたトーマスを発見した。
気難しい菓子職人ペストリーコックがごねている。

「今日は急に寒いからメニューを変更できるかって? こっちは食材もう用意しちゃってるんだよ」
「メインの食材は林檎だったから、それは変えなくていいと奥様はおっしゃってるよ。 あとは厨房の方に頼むし、食器の色を暖色系に変えて対処する。頼むよ」
トーマスは険悪にならないように物腰柔らかく指示している。

トーマスの脇からヒョイと顔を出し、デイジーは菓子職人に声をかけた。
あったかアップルパイ! ダニエルさんのあれ、貴族の奥様方にもきっと受けますよー。ね、あれにしたら?」
「デイジーちゃん」「デイジー」

デイジーは欠けた切れ端をもらった時のことを思い出してうっとりした。
「ダニエルさんのパイ、外がパリッとして中がとろっとして......りんごの汁が染みてて......あ~また食べたい。夢に見るんですよ、時々。あれって味の決めてはクローブ? カルダモン?」
菓子職人のダニエルは自分の菓子を褒められて、しかも的確に工夫した点を指摘され、気持ち良くなった。

「そうかあ、古臭い菓子だと思ってたけど、若い子にそんなに気に入られるんなら、貴族の方のお口にも合うかも知らんなぁ」
「古臭くなんかないですよぅ。でも私パイ食べるの下手なのかボロボロ溢れるのが悩みの棚なんですよねぇ。服が汚れちゃうの」
「女の子はそういうのが気になるもんなんだな? よし、食べ易いのおじさんが作っちゃる、待っとれ」

すっかりダニエルは乗せられて、鼻歌混じりに作業台に向かう。
今日のおやつは期待できそうだとデイジーはホクホクした。

「助かった、ありがとう」
トーマスはデイジーに小声で礼を言った。
デイジーは何に礼を言われたのかわからなかった。
「え?」
口の端によだれを垂らしそうになっているデイジーを見て、トーマスは言い直した。
「楽しみだね、今日のおやつ。残り物があるといいな」
「ああ~そっか、大人気でみんな食べられちゃう可能性もあるかぁ......。評判がいいのは嬉しいけど。複雑」
りんごに砂糖をまぶし、色づけのためにレッドカラントを煮始めたダニエルが豪快に笑った。
「取っとくから、心配すんな!」

作業の邪魔になりそうなので菓子室から退出し、トーマスは改めてデイジーに訊いた。
「こんなところでどうしたの? まだ持ち場に就くには早いだろう?」
「はっ。そうだトーマスさんを探してたの」
今日も、スルスルと指通りの良かった明るい金髪の後れ毛が出ている。トーマスはデイジーの髪が気になっていたが、無断で触れるのは女性に対し失礼だと思い我慢していた。

「お礼を言いたくて。昨日髪型可愛くしてくれてありがとう、崩れなかったし、上手でびっくりした」
そう思ってくれるなら、今日も僕にやらせてくれないか......とトーマスが口にしようとすると、デイジーは先を読むように言ってきた。

「トーマスさんにいつも髪を編んでほしいなぁって思ったんだけど、そんなのって図々しいでしょ? それでどうしたらいいか考えたの。トーマスさんは私を可愛いって思ってくれてると言ってたし、付き合ったら私の髪を毎日してくれるんじゃないかって。だめ?」

昨日まで懐かない猫を手懐けるような、慎重な気持ちで距離を測っていたトーマスは、デイジーの方から急に距離を縮めてこられ、余りにも予想外だったために面食らって、何度か目を瞬かせた。

「それは......僕にとってはお安い御用、というか願ったり叶ったりな取引、......提案なんだけど」
「本当? よかった」
「僕が払うものに対して、君が与えてくれるものが大きすぎて釣り合わないと思うよ、解ってるのかな」
「......?」

菓子室の出入り口そばの、通路の壁に寄りかかって話していたデイジーは、首筋にトーマスの指が触れてきて肩を跳ねさせた。
まとめていた髪をサラリと解かれて、あぁ早速やり直してくれるのか、と納得したものの、急に空気の密度が高くなったような気がして息がしにくい。

「僕が自分以外に興味がないから、恋人を作らないって思ってたんだっけ? デイジー」
「あぅ......うん」
デイジーはなぜか自分の顔が熱くなっていくのを自覚した。

トーマスはいつもと変わらない態度、のはずだ。言葉遣いも、話し方も。
昨日だって髪をいじられて、別に何も意識せずに済んでいた。
なのに今はなんで自分の顔が赤くなるのか、緊張して息がしにくくなるのかわからない。

「僕が君にどれだけ興味があって、君のこと見て妄想したか、実践してみせようか。付き合ってくれるって、そういうことだよね」
「......!」
デイジーは自分が考えもなく、到底太刀打ちできない相手に自分の体を明け渡す権利を与えてしまったことに、この時ようやく気づいて危機感を覚えた。全くもって手遅れだったが。

指が地肌をくすぐって、うなじを通って、何度も繰り返し撫でてくる。
指先が這う地肌から、うなじに。うなじから背筋にくすぐったいのが移って、デイジーの足元はぶるぶる震えてきた。
必死で逃げる言い訳を考える。

「ま、前からじゃ......やりにくいでしょ......」
顔を見られているせいで、恥ずかしさが増して緊張するんじゃないかと思い、せめて顔が見えない方を向きたかった。
「じゃあ後ろを向いて」
クルリと壁の方を向かされる。

今度は背後で動く手の予測がつかなくて、思いがけないところを触れられる刺激にビクビクしてしまって、デイジーは自分の判断が誤っていたことを思い知った。
髪を持ち上げられる感触がして、キスされたのがわかる。
髪の毛には神経が通っていないはずなのに、感じてしまうのはなぜだろう。

「ずっとこんなふうに触りたかったよ、デイジー」
トーマスの声はチェロのような、柔らかく響く心地よいテノールだ。

......今まで、トーマスさんがこんなにいい声の持ち主だってことにも気づいてなかった、私。迂闊だった。みんなが「うっかり屋」って笑うけど。本当にそう。

恋愛でうっかりすると、かなり追い詰められて大変なことになる......と、デイジーは十八歳になって初めて体感したのだった。

「髪を纏めるために明日から朝の時間を空けておいて。頑張って起きるんだよ」



「あら? デイジーがいつもより可愛いわ!」
五ヶ月前社交界デビューした伯爵家の令嬢シャーロットは、ソフィア夫人のお茶会に参加するため、セッティングの場にいて、めざとくデイジーの変化に気づいて声をかけてきた。

侯爵家の嫡男であり密かに憧れる令嬢も多い貴公子・スタンフォード卿を射止めたと、レディ・シャーロットについての噂が今社交界ではもちきりなのだ。二ヶ月後には結婚パーティも開かれる。今日の茶会は皆、その話をどうにかして聞き出そうと集まってくるに違いない。

そんなプレッシャーをものともせずに、シャーロットは使用人の細かな変化に目を止めた。余裕があるのか、マイペースすぎるのか。

「髪を編み込むの、自分でできるようになったの? とても上手ね。わたしの髪もデイジーにやってもらおうかしら......」
風向きがまずい方向に行き、デイジーは白状せざるを得なくなった。
「すみません......自分でやってるんじゃないんです......」

シャーロットはくるくるデイジーの周りを回って観察する。
「そうなの? 侍女の誰? エリィのやり方と違うと思うけど、ここまで上手な人いたかしら?」
鋭い。シャーロットお嬢様は気になることをとことん追求なさるかただ。逃げられない。

「トーマスの仕業ですよ」
ニヤニヤ笑いながら近侍のジョルジュが横から口を出してきた。普段は夜勤が多いジョルジュだが、女性が集まる茶会がある時はイケメンの彼が表に出てくる。今は招待客のリストと最近の新聞記事を貼り付けたスクラップブックを確認して、席次をあらためていたところだった。

トーマスはなんでも器用にこなします、女性の髪までセットできるとは予想してなかったですが」
「まぁ......! えぇと......そうなのね?」
シャーロットは何かを察したような顔をした。

トーマスはこの場にはいない。いなくてよかった。いたらきっと何か途轍もなく恥ずかしい目に遭っていただろう、というデイジーの予想は間違いではないはずだ。デイジーにしては珍しくその勘は当たっている。

「いくら上手でも、トーマスに貴女の髪をいじらせる訳にはいかないでしょう、諦めなさいな」
ソフィア夫人が話を打ち切りにきた。
「そんなことしたらスタンフォード卿はトーマスの手首を切り落としますね。お嬢様、お命じにならないようお願いします」
「しません、そんなの。デイジーも可哀想でしょ」

デイジーはトーマスの指が、目の前にいる人形のように可憐な令嬢の首筋や、蜂蜜色に艶めき波打つ髪を撫でるところを想像して、言葉で言い表せない黒いモヤモヤが胸に渦巻くのを感じていたところだった。

お嬢様は私がこういう気持ちになるのを、ご存知だったんだ......、すごい。なんでわかるんだろう、自分でも今知ったとこなのに。



茶会は始まり、美しいドレスに身を包んだ女性たちがソフィア夫人と令嬢シャーロットを中心として挨拶をしあい、順調に進行していった。
ティーセットやテーブルセッティングを暖色系のものに変え、提供するサンドイッチはトーストしたパンにチーズとハムを挟んだウェルシュラビットに変更したのが功を奏し、道中の寒さに縮こまった参加者たちをほっとリラックスさせた。
トーマスが厨房に手配して用意させた熱々のシチューはジョルジュによって優雅にサーブされ、夫人や令嬢方のお腹を温めて話も弾んでいる。

何より、ダニエルが即興で作った一口サイズのアップルパイは大好評だった。
可愛らしいダイヤ型にカットされ、中からとろりとレッドカラントで色付けされたピンク色の林檎煮が溢れてくる。セッティングの色合いと調和して、宝石のようだ。温かいうちに提供されたため、バターの香りも歯触りも心地いい。

「このようにして頂くと、気難しくなくていいですわね」
「そうですわ~。伝統的なアップルパイをお茶会に出して頂く時は、皆様こう、眉間に皺を寄せて......」
「正直会話も上の空で」

ウフフと顔を見合わせて笑い合う。
淑女の皆様も、優雅に召し上がっているように見えるけど、実のところは苦心されているらしい。考えることは一緒だなぁ、と控えていたデイジーは嬉しくなった。

「ダニエルさん、ものすっごく、好評でしたよっ」
下膳バッシングのついでに菓子室へ駆け込んで、デイジーは評判を気にして気を揉むダニエルに、安心させる言葉をかけた。

「わざわざ言われんでもわかっちょる、当然だ、俺の腕に間違いあるもんか」
むっつりと背中を見せたままダニエルは助手と共に片付けを続け手を止めない。しかし前に回って顔を見れば口元がピクピクして笑顔を堪えてるのが丸わかりだ。
「ですよねぇ~!すいません」
デイジーはニコニコして茶会の片づけをしに引き返す。

すれ違いざま、皿とカトラリーを持った、気が合わない例の彼女、ジャネットが歩いてきたのとぶつかった。
避けたつもりだったのにぶつかってしまい、デイジーはおかしいなぁと内心疑問に感じた。
「何油売ってるの、忙しいのに」「あ~すいません、大丈夫ですか?」
返答はなかった。ジャネットはツンと顔をそらし、足早に洗い場の方へ遠ざかっていく。

ため息を吐きかけたところで、ジャネットが手前を曲がった廊下の奥からトーマスがやってきた。
「デイジー、茶会うえはどうかな?」
デイジーは今の出来事をすぐに忘れて、トーマスに言いたいことを矢継ぎ早に口にした。

「トーマスさん! もうお開きで、好評です。ダニエルさんに今報告してきたんですよ。淑女の方々も小さなパイだと食べやすくて嬉しいって。親近感湧きました!でもダニエルさんさすがですよね、希望を言ったらすぐアイデアが浮かぶんですね」

「そうか。レディがたの苦労に共感できて、茶会も成功して、よかったね。ダニエルさんもすごいよね、何十年もやって来られただけはある」

トーマスは愛おしそうにデイジーを眺めながら、彼女が言いたかったことを全て拾った。そんな彼を見ていると、デイジーは自分が特別に思われている気がして、嬉しくなる。

......私、別にトーマスさんのこと特別に思っていたわけじゃなかったのにな。
これじゃ、まるで、私もトーマスさんのことを好きみたい。......

自分の気持ちの変化に気づいて戸惑い、目をうろうろさせ出したデイジーを見て、トーマスはデイジーの腰を引き寄せると囁いた。
「デイジー、ちょっとだけ、いいかい」
「え、え?」
食品庫になっている小部屋へ素早くデイジーを引き込んで、トーマスは「ごめんね、二人になりたくて。君が僕の腕の中に来てくれたのが嬉しくて、浮かれてるんだ」と告白してきた。

デイジーは、トーマスが率直すぎることに驚いた。
間違ったことはしない優等生的な人物で、強引に自分のしたいよう進めるよりも当たり障りなく対処する方を選ぶ人だと思っていたのに。

デイジーはトーマスの腕に閉じ込められるように抱きしめられながら、信じられない思いで言った。
「トーマスさん、本当に好きだったんだ......私のこと」
「うん......そっか、信じられてないのか」
正直実感が湧かない。失敗ばかりで特に秀でたところがある訳でもない自分。美女でもなければ、スタイルが良くもない。

「あ、髪フェチとか?」
トーマスの肩に顔を埋めながらデイジーが言うと、トーマスは脱力した。
「髪、好きだよ? けど、僕はデイジーの全部が可愛くて仕方ないんだ......」
耳元にトーマスの唇が触れて、キスされた、とわかった。

「僕の手からサンドイッチを食べてくれた時は、可愛くてどうしようかと思った」
「え。そ、そんなことで、」
「そんなことすら可愛く思えるから、好きなんだ。信じた?」
トーマスの顔を見上げてデイジーは小声で言った。

「......私も、今日、トーマスさんが他の女の子の面倒を見たらって考えたら、やな気持ちになった、から。嬉しいし、信じたい......」
「デイジー」
トーマスの唇が今度はデイジーの唇に重なった。
優しく唇を吸われて、デイジーは目を閉じてトーマスが与えてくれる感覚に身を任せた。
何度か合わせた唇の隙間から、トーマスは囁いた。
「僕が面倒を見たいのは君だけだよ」
お互いの気持ちを確認できて満足したトーマスは、デイジーを怖がらせないように、深追いせずに身を離して、デイジーを仕事に戻した。

片付けは全て終わっていて、あとに残った仕事はサロンの清掃だけになっていた。
持ち場についていた使用人たちの観察によれば、解散する女性方は皆上機嫌だったそうだ。

令嬢シャーロットの恋バナで、集まった女性たちの好奇心は程よく満たされ、ジョルジュの美貌と愛想の良さで奥様方が程よく胸をときめかせ、ウッドヴィル伯爵家の菓子職人の腕前も程よく知らされ、夫人の采配の見事さが心に残る、後味の良いお茶会となった。

一仕事終えた使用人たちはこれからがお茶の時間だ。
デイジーはワクワクして階下に降りた。
しかし階下に降りると何やら重苦しい空気が漂っている。おやつとお茶を楽しむ雰囲気ではない。食堂の中央に執事と家政婦長が並んで立ち、周囲を威圧している。
従僕やメイドだけでなく、洗い場の女中、ダニエル、厨房メンバーもいて困惑したように立っていた。

「......!? 何ごと?これ」
近くにいた女中仲間に囁き声で聞くと「銀器の数が合わないってさ」と返ってきた。
「え! 窃盗っ......?」

デイジーの方を見て、家政婦長が響く声で言った。
「茶会のスタッフはこれで最後ですね」
デイジーの背後の出入り口に、スッとトーマスが立った。

犯人逃亡の防止のためだ、とピンときた。犯人がもし、屈強な男性だったら? トーマスさんが怪我したらどうしよう、とヒヤリとした。もしピンチの時は私も噛みついてやろう、と心に決める。

「最初に気づいたのは洗い場の女中スカラリーメイドです」
執事に現状を報告する形で、家政婦長のミス・スミスは告げた。

「全て洗い上げ磨きに出す前の拭き取りの段階で、種類別に分けていた際、数が合わないのに気づいたそうです。数が欠けているのは、デザートナイフです」
執事が家政婦長の言葉に続けて言った。

「お客さまがお食事を済ませるまではあった、ということは確実ですね。そこから食器を下げ洗い上げるまで関わったスタッフと、その時間に階下にいたスタッフは手を挙げてください」

デイジー、トーマス、ダニエル、菓子室の助手、デイジーと気が合わないジャネットを含め、茶会の配膳下膳に関わったメイドと従僕、洗い場の女中たちと、厨房スタッフが手を挙げた。
「皿に触っていないことが、周囲の者とお互いに確認できるスタッフは手を下げてください」
厨房スタッフの何人かと、ダニエル、菓子室の助手が手を下げた。

デイジーと気の合わない彼女、ジャネットがそこで声を上げた。
「あの、私、見ました。デイジーさんが、お皿とカトラリーを下げに行った時持ち場を離れてコソコソしてるの」
「ほぇっ!?」

ジャネットはデイジーが反論する間も無く続けた。
下膳バッシングしに行ったのに全然関係ないところから出てきたでしょう」
「あっ、あれは」
ダニエルがオロオロしながら発言する。
「違う、デイジーちゃんは......!階上うえの様子を、俺に......」

「静かに!持ち物を検査すれば分かる事です」
執事が一喝し、家政婦長がデイジーの前に回って、手のひらで叩くように全身をチェックし始めた。
デイジーはその時、ジャネットがニヤッと意地悪く唇の端を歪めたのを見て、ハッとした。

陥れるつもりだ......!

お皿とカトラリーを持ってるジャネットが、すれ違いざまににぶつかってきた時。
持ってるカトラリーを、私のポケットに入れた?
だとしたら......

盗みは即クビだ。ゾワっと鳥肌がたった。

「ま、まって......」
家政婦長の手が、デイジーのエプロンの左ポケットを叩いて、ピタリと止まった。
家政婦長が止めた手の下に硬く細長いものがある感触を、腿で感じ取れた。

どうしよう。泣きそうになりながら振り返ると、事の真偽を確かめるようにこちらをジッと見つめるトーマスの視線とデイジーの視線がぶつかった。
クビよりも、トーマスに誤解されることの方が、デイジーにとっては怖かった。
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