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【恋愛編】

負けずぎらいな令嬢は初恋の紳士と出会った糸の始まりにたどり着く

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母の葬儀はあっという間に終わった。
喪に服すため、予定をしていたそのシーズンの社交や入学は一年あと回しとなった。
監獄の虜囚の刑期が一年延びたに等しい、拷問の時間だった。

レジナルドを襲った苦痛は一つだけではなく、新たな悩みとなったのが身体の成長に伴う変化だった。
レジナルドが精通を迎えたことを使用人の報せで知った父は、寝室に手解きの女を寄越したのだ。

継承教育の一環だと言われれば、拒む事はできない。
救いだったのは、女性が比較的さっぱりした性質で、女の体について分析的に教授してくれた事だった。

レジナルドはこの先自分が女性に愛情を抱けるか、かなり懐疑的だった。
が、結婚については義務として行うことになるだろうと、他人事のように思っていた。
せめてその時、相手の女性に苦痛を与えない程度の思いやりは見せたい。

父に合わせて優秀な嫡男を演じているのと同じように、妻にとって紳士的な良い夫を生涯演じれば良いだけだ。
こんなことの繰り返しで俺の人生は過ぎていくんだろう、そう思っていた。

事件以来すっかり萎れ、やつれた乳母は暇を出され城から去っていった。
口封じに殺されてもおかしくない状況で、レジナルドは彼女が無事に城外に出るまで警戒を緩めなかった。

母の死から半年が経ち、冬の風が吹き始めた頃。
レジナルドは遺品を整理するために再び部屋を訪れた。

従者は部屋に近づくのを嫌がったため、いつも通り階下で待たせた。
来年の秋には自分は学院にいる、と気づいて、あまり長く放置しない方がいいと考えた結果の行動だ。
精神的なショックが蘇るかと危惧していたが、意外と平静な心に、自分の薄情さを思い知った気がしてレジナルドは自嘲した。

机の上に置かれたままになっていた、表面が波打ってザラザラした手触りの母の手帳を撫で、そういえば、と思った。
あの日「思い出したことがあるから」と書き付けていたのは、何についてだったのだろう。

ぺらぺらめくると、最後のページはなか程にあった。
最初の一言で、レジナルドは自分の喉が詰まって、胸に支えていたものが溢れるような感覚を覚え、嗚咽を塞ぐために口元を手で覆った。
最後のページにはこう書かれていた。

"レジー"

"私の息子
あなたは間違えないでね
ほんとうの幸せは、外側にはないんですって
どうか、幸せになって"

"リヴィ"

"貴女に感謝しています
大事なことを教えてくれてありがとう
いつか、感謝が伝わりますように"

"ばあや"

"ごめんなさい
ばあやは精一杯やってくれました
苦しまないで"

"最後に
私の持つものは全て、
愛する息子レジーに託します"

「は......ははうえ......っ」
ぐしゃっと己の髪を掴み、あの日以来封印してきた呼びかけの言葉を口にすると、レジナルドは座り込んで声を殺しながら泣いた。

存在したこと自体忘れられたかのような、正妻の部屋へ近寄るものはこの日もいない。
そのため静かに啜り泣く声に気づく者も、誰一人いなかった。
ひとしきり涙を流し、落ち着いてから、レジナルドは丁寧に最後のページをノートから外し、畳んで懐のかくしに入れた。

手帳の前のページを見ると母は日記を書くのが習慣だったらしいと分かった。
他にも残されたものはないかと探してみると、実家を離れて寄宿学校に入った日から付けられた日記が、鍵のかかった引き出しいっぱいに収納されているのが見つかった。



馬車の中では誰も声を発さず、沈黙が満ちていた。
聴いてる全員が、目を真っ赤にして必死で泣くのを我慢している。
わたしも、少年時代のレジーを思うと声も出せず、なんと言葉をかけても意味がないように感じて、ただ涙を堪えるしかできなかった。

話を一区切りさせ、レジーは淡々とした表情で一同を見渡して言った。
「重い話を聴かせて済まない。君たちに気を遣わせるのが申し訳なくて、今まで話していなかった」

今は乗り越えたから気にするなという口ぶり。
森の中で体を丸めて眠る手負の獣のように、傷めた心をレジーはひとりで舐めて癒したのだ。

「俺は......おかしな言い方かもしれないけれど、母を亡くして、自分にもっとできる事はなかっただろうかと後悔する事はあるけれど、母の死によって損なわれたものがあるとは思っていないんだ」
損なわれたもの......
「......愛とか、精神的なショックを受けたこととか、温かい親子の関係とか、機会とか、そういうこと?」

「そうだね。"損なわれた"と自己憐憫するのは簡単だけど、その割にどう考えても、得たものが大きいんだ。
母が亡くなっていなかったら、俺は普通に入学していた。そうしたらセオと学年が違っていたはずだ。セオやロッティと出逢えなかったら、今の幸福はなかった。俺の性格や考え方も、母の死がなければもっと幼かった。母の死を経験した俺だからこそ、セオと友達になれたんだ。そう考えたとき......」

「......」
ここで、堪えていた涙が溢れてしまった。お兄様も拳で涙を拭ってる。
わたし達のことを、そんなふうに思ってくれてたの。
レジー......。貴方はなんて、

「母があそこで命を絶ったのは、無駄ではなかった、と......。俺への贈り物だったのかもしれない、と思う時があるんだ。母は俺に、考える機会をくれた」

......なんて、強くて潔い人なんだろう。

「母の自死という不幸と、君たちとの出会いという幸運がセットだと気づいた瞬間、俺はやっと救われたような気がした。暗い面にばかり囚われて、自らを不幸に仕立てる事はないんだと思った。
『不幸と幸福は必ずセット』。これはリヴィが母に言っていたことだ。母が残してくれた手帳が、俺を救った。母はリヴィに "嫌なことがあった時は、出来事の両面を見るのよ" と何度も言われたと、書き残してくれたから」

「手帳......お母様の引き出しにあった日記には、そんなことが書かれてたの?」

「日記には、教師や同級生にされた嫌なことの愚痴や、噂話、好きとか嫌いとか、食事のメニューとか。女の子がよく考えるような取り止めのないことが多く書かれていたけれど......。例の『リヴィ』については、彼女の話してくれた内容が解らないといって、聞いた事をそのままに記しているものが多かったんだ」

がこん、と馬車が大きな石に乗って揺れた。バランスを崩したわたしを支え、倒れかけたステッキの握りをレジーは左手で持ち直した。
金属製の握り玉ポンメルハンドルの表面には蔦模様が彫られている。
今流行している自然の曲線の美しさを盛り込んだ意匠だ。

「......母の手帳を読んで分かったのが、リヴィはギルダー公国からの留学生だったという事だ。あの国の文化や芸術が優れているのはなぜか知ってる?」
わたしは頷いた。
よく知ってる。
レースは元を辿ると修道院の秘伝の技術だ。
神への信仰が形を変えたもの、とギルダーでは表現してる。

「宗教の歴史が長くて、布教のための絵画や修道院の製作物が、大衆にも発展したから......」
「正解。リヴィの言葉は、貴族社会を重視する考え方から出てきたものじゃなかったんだ。母国で長く伝えられてきた、昔からのスーナ教の言い伝えがベースになってた」

「スーナ教は理解するまでにすごく時間がかかるって聞くけど......」
「だから母は聞いても意味が分からなかったんだ。難解なスーナ教の智慧を持っているリヴィは、寄宿学校の女の子達とは一線を画す存在だった。
実はギルダーの大司教の孫娘だった・・・・・・・・・・・・・リヴィは、貴族制度に捉われず、かつ上手に利用する名人だ。
母がリヴィに言われたことを書きつけていたおかげで、それを読みながら俺自身に母と同じ貴族的な物の見方の偏りがあると気づけた。」

「?......待って、」
「おい、それって」
兄セオとわたしの声が被った。

「お母様のこと......?」「母上か!」
「確認したわけじゃないけれど、俺はそうじゃないかと思ってる」

わたし達のお母様、ソフィア・オリヴィア・ウッドヴィル伯爵夫人。
出身はギルダー、大司教の孫娘で、父親が侯爵位の身分を持っているくせに隣国の伯爵に嫁いだ変人。
ああ、確かに、"リヴィ" だ。

「スーナ教で、こういうのを"縁" relationship と言うみたいだね」

お兄様も、わたしも、ちょっと呆然としている。
「......まさか、そんなことってある?」

「けど、説明がつくだろ。父上と母上が貴族のくせに権威主義じゃない理由、僕らの性格を見極めて、型にはめずに育てたのも」
「変人、ってよく言ってたから、そのせいなんだと思ってた......」

母は母国の宗教観を押し付ける事はしなかったから、元々大司教の孫娘ということを、わたし達も普段は忘れているくらいだ。
言われてみれば、トラブルが起きた時や、わたし達がケンカした時にかける言葉が不思議だったような記憶がある。

お兄様の大事な思い出の模型をわたしが壊してしまったことがある。
カッとしたお兄様は、わたしを突き飛ばした。
わたしは転んだ拍子に唇を噛んでしまって、結構な出血になって大騒ぎになった。

その時、お母様はお兄様に一言も「男が女に暴力を振るうべきじゃない」「歳上なんだから我慢しなくては」と叱らなかった。
後悔で俯くお兄様に目線を合わせ、"なぜ、自分がカッとして、突き飛ばすという行動に出たのかを考えてごらんなさい" と諭した。

この模型が大事だった、一生懸命作ったものだから、失ったことが悲しかったのね?
あなたは、突き飛ばすよりも他に悲しみを表現する方法があったはずなのに、それを選ばなかった。
"これくらい、いいだろう" "僕の悔しさを思い知ってほしい" 
そういう思いがあって、突き飛ばす手段を選んでしまったのじゃないかしら?
思ったよりも酷いことになって、こんな事するんじゃなかったと、あなたが一番自分に腹を立てているでしょう。

あなたの行動は無意識の中で、あなたが理由をつけて、決めているの。
また同じことをしたくなかったら、自分の中に浮かぶ選択肢を増やして、結果を変えなさい。

そう諭して、最後に

"原因と結果の間にあるものが一番重要なのよ" と締めくくった。

多分、レジーのお母様、ウィロー様にも同じように『リヴィ』は接していたのだろう。
ウィロー様にその言葉の意味が伝わるのは、だいぶ時間がかかってしまったようだけれど......、だけど、無駄じゃなかった。
ウィロー様の死を通して、レジーに伝わった。

わたし達はこの母に育てられて、「こうするべき」よりも「自分はどうありたいか」を考える人間になって、そうして、レジーと出会ったのだ。
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