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【恋愛編】

紳士は負けず嫌いな令嬢に自分の過去を語る

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シャーロットの父母には数ヶ月前から打診し、求婚の許可をもらい済みだったこともあり、シャーロットが諾の応えをしたことを報告するだけで、婚約はすんなりと成立するはずだ。

問題はレジナルドの父に対しての報告と、両家の顔合わせが済んでいないこと。

この三年、レジナルドは寄宿学校で見つけた親友をビジネスパートナーにし、仕事に邁進しているというポーズを実家に対してとり続けて(実際その通りだったが)、女性との噂は微塵もない状態を保っていた。
父や祖母からすれば、レジナルドに意中の女性が存在することも、寝耳に水の状況だろう。

レジナルドは継承の時期まで実家には寄り付かないつもりで自分の事業を軌道に乗せたが、それでも最低限やらなくてはいけないことがあるのは理解している。
頑固で保守的で女性を虐げる父。父を溺愛し、家に入った貴族の女性を偏執的に甚振る祖母。
そんな父と祖母に心身共に虐待を受け、母は心を病んだ。

外聞が悪く極秘となっているが、父には愛人もいる。
両家の顔合わせでは、ウッドヴィルの人々に不快な思いをさせてしまう可能性がある。

シャーロットと共に戦うのではなく、のらりくらりと躱し、うまく乗せながら彼らから逃げ切る。
シャーロットとウッドヴィル夫妻にこの事情を話して、納得してもらう必要がある。
レジナルドの口から実家の話をシャーロットにするのは初めてだ。
セオドアにも詳しい事情は語った事がない。

馬車の中はちょうど、事情を知っておいた方がいいメンバーが揃っている。
移動時間を使ってレジナルドは昔話をすることにした。

+++                                                                                                  

レジナルドという名には、"王の補佐" "統治者" という意味がある 。
いかにも父上の好みそうな言葉だ、と、それを知った時は妙に納得した。
グレイ侯爵家の後継者たれと、宮廷の重鎮だった時代に爵位を賜った家門の歴史を背負えと、祝福に見せかけた呪いを生まれながらにかけられたのだ、自分は。

寝台から足を下ろすと冷たい床の冷気が素足に伝わってきて、レジナルドは肚にグッと力を込めた。侍女が用意したぬるま湯で洗面し、自分で最低限の身支度をする。

まだ薄暗い早朝の部屋でレジナルドは朝の活動を開始したが、そこへそっと忍んで母が来た。

髪を結わず少女のように下ろしたままの姿で、幼い息子の部屋を明け方に訪れる奥方について、周囲はどう思うだろう?
暗く重い髪色と目には光がない。

「レジー、会いたかったわ。誰もあなたに取りついでくれないから......どこへ?」
「朝食の前には木剣素振りを五百と、鍛錬するのを習慣にしろと言われています」
「なんて無茶なこと......、手が痛いでしょう?」
「そのためにやっています。マメを潰して、皮を丈夫にするのだと」
「それじゃペンも持てないのに。勉強もさせられるのでしょう」
「布でくくりつければ平気です」
「......もう我慢できない、まだ五歳なのよ、これは虐待だわ」
「やめてください、母上。僕は平気です」
平気だと、思わせて欲しいのに。
なぜ言うのだろう。
母に会うと、自分が可哀想な子どものような気持ちになる。
自分の日常を受け入れる気持ちが揺れてしまう。

僕はもう知っている。
こんなふうに言うけど、結局母は父に楯突くことはない。意見を通そうともしない。
ただ僕の前で、僕の味方のふりをするだけだ。

その日の晩餐で家族が揃い、前菜が終わったところで父上が口を開いた。
「レジナルド。課題の提出が出来ていないそうだな?」

父上は冷たいグレーの瞳で僕を見る。
まるで僕を天秤の上の上に乗せ、量るかのように。
後継としてふさわしいか、能力が足りなくはないか。
足りてなかったら、底上げをするために何かのノルマがまた増えるんだろう。

「......はい、申し訳ありません」
「原因はなんだ? 時間か、能力か」
「時間です。できると思った期限内に終わりませんでした」
カシャンとナイフを置いて母が口を出した。珍しい。
「レジナルドは、鍛錬のせいでペンが握れなかったのです......!」
ひや、と部屋の温度が下がったように緊張した。

「口を出すな、ウィロー。レジナルドの教育を失敗するわけに行かない、それは誰のせいだ?」
ブルブル震えて青ざめた母は、蚊の鳴くような声で答えた。
「......、申し訳」
「厚かましい嫁だこと。務めも果たせないくせに」
父の左隣の、女主人の席に座っている祖母が高慢にピシャリと言った。
「当主の話に口を出す態度の悪さは、子の躾にも良くないわね」
グッと母が奥歯を噛み締める。

母は「嫁としてのつとめ」を果たせない女だ、だから父と祖母から侮られている、らしい。
父と祖母は、そのせいで「僕の教育」に失敗できない。
だから僕に劣った所がないように育てなくてはいけなくて、毎日の課題と厳しい教師をつけている。

どん、と母の肩が揺れた。
「きゃあ」「失礼しましたぁ......っく」
スープをサーブする従僕が、ビシャっとビスクのスープを母の左袖にこぼした。
テーブルも皿もスープが飛び散っているのに、棒読みで心がこもらない謝罪をする。にやにやと意地悪く笑ってる。

屈辱に顔を歪めている母の髪は、だらしなく崩れていた。
自分でなんとか形にしたのだろう。
当主に侮られる妻は、使用人からも侮られる。
母の世話をする使用人がいないのだ。
控えている使用人たちは無表情でそ知らぬふりをして立ったまま、お腹の中では笑っているのが、目を見ると分かる。

僕は見かねて、侍女に言いつけた。
「母上に布巾トーションを渡して、拭いてあげて」
僕から直接言われたら従わないわけにはいかない侍女は、従順にその通り動いた。

「あんな、使用人ごときに辱めを受けるなんて!どうなってるの、この屋敷は」
晩餐後、部屋に下がる時に待っていた母に捕まった。
晩餐の時の仕打ちにだいぶ腹を立てている。
「私だって名門の娘なのよ? それを馬鹿にして......」
僕の肩に爪をたて、縋りついた母は言う。

「レジー、あなただけよ、この家で私の味方をしてくれるのは」
やめて。僕は、誰の味方にも、敵にも、なりたいとは思わない。
「母上、これくらいで。これから課題をしなくては」
「必要ないわよ!そんなの」
「......は」
今、なんて?

「どうせあなたしかいないじゃない、この家の後継は。私が嫡男として産んだのよ。遊んだって、怠けたって、結果は同じでしょう?」

......驚いた。ショックだった。
僕の母は、......僕よりも、幼い考え方の人のようだ、と。
僕はこの時初めて理解した。
この家に対する恨みを、僕で晴らそうとしているのだ、この母親は。

いくら虐げられて、心が歪んでしまったとしても。
息子の幸せを考えられない人だとは思ってなかった。
僕が衝撃を受けて言葉に詰まって、しばらく下を向いているうちに、いつの間にかその場に現れた父上が母の腕を掴み、打擲した。

「ああ!」
どさり、倒れ伏した母上の胸ぐらを掴んで仰向けにし、平手で二度、三度と叩く。
「最低の女だ。いよいよお前は、母親としても、嫁としても失格だな!」
怒鳴りながら激しく平手を打っている。

そんなに殴ったら、母上が壊れてしまう気がして、そうなったらどうしようと思うと息ができなくなり、僕の目の奥からはブワッと涙が湧いてきた。
「ち、ちうえ......、やめて、」
こわい。
泣き叫ぶ母も、容赦無く殴ることを平気でする父も、怖い。

僕は息をするのが辛い。
生きてる限りずっとこの暮らしが続くんだろうか。
僕はどうすればいいんだろう。

+++                                                                            

母がスペアを産めないことで「嫁失格」と言われ父と祖母から罵られる、その理不尽さを、五歳の俺はまだ分かっていなかった。
父上と母上の関係は冷え切っていて、夫婦生活がなかったのだ。
それなのに二男一女を産み育てよと、できもしない要求を突きつけ、全てを母のせいにしていた卑怯な父。

ただ気に入らない女を傷めつけることで自分の優位性を保ち、嗜虐の歓びを見出している男だということを、理解していなかった。
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