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1巻

1-3

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 ガツン! と何かを壁にぶつけたような音が聞こえてきて、俺は目を開けた。
 ――あれ……俺、寝てた……?
 起き上がって、キョロキョロと辺りを見渡す。底冷えする冷気が、俺の寝惚けた頭にこの場所を知らしめてくる。

「あ、保管室か、ここ……」

 自分がいる場所を思い出して、ぼんやりと入口の扉を眺めていると、前触れもなく扉が音を立てて思い切り開き、誰かが慌てたように飛び込んできた。

「レイ!」
「だ……誰?」

 強く抱きしめられ、広い胸にぎゅうぎゅうと顔を押し付けられて身動きができない。かろうじて視線を動かすと、少し赤みの強い栗色の髪が俺の視界を掠めた。

「マ……マイナさん?」
「レイ、大丈夫ですか? 閉じ込められて怖かったでしょう。ああこんなに冷えてしまって! 寒かったでしょう? 気分は? 悪くないですか?」

 抱きしめられたまま矢継ぎ早に問われて、言葉を返す隙もない。唖然として、なされるがままになっていると、マイナさんの向こうから低く野太い声が聞こえてきた。

「おい、落ち着け」
「ガンテ室長?」

 きょとんと何度か瞬き、ようやく現状を理解する。

「ちょ……え、なんでマイナさんがここに?」

 ――ガンテ室長が探しに来るなら分かるけど、マイナさんが一緒なのはなんでさ。
 俺はジタバタと手を動かし、マイナさんの腕の中からの脱出を試みるけど、背中に回された彼の腕はびくともしない。

「いい加減にしろっ!」

 ガンテ室長の怒りを含んだ声と共に太い腕が腹に回され、ひょいっと持ち上げられ、「は?」と思う間もなくマイナさんから引き離される。
 立ち尽くす俺を心配そうに見ながら、ガンテ室長は服に付いたほこりを払ってくれた。心なしか、マイナさんの腕が回されていた背中がやけに丁寧に払われている気がする。

「ったく。大丈夫か、レイ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 さすがに上司にほこりを払わせ続けるわけにはいかない。
 俺は慌てて二人から距離を取ると、寒さを堪えて頭を下げた。

「出られなくなっていたから、助かりました」

 頭を上げると、二人は俺を見て微笑んでくれた。
 ……けど、顔を上げる一瞬に見えた二人は、睨み合っていたような気がする。でもそれはあんまり深く考えては駄目な気がして、俺はそっと口を噤んだ。

「ちょっとアンタたち、邪魔! も~こんなほこりっぽくて寒い所に、いつまでレイちゃんをいさせるつもり!?」

 大柄な二人に入口を塞がれて入れなかったのか、ルーデル先輩の声が開きっぱなしの扉の向こうから聞こえる。

「ルーデル先輩も来てくれたんですか? ありがとうございま……ックシュ!」

 身体の冷えのせいか、抑えきれずにくしゃみがでた。はなすすりながら自分の腕を擦り身体を震わせていると、マイナさんとガンテ室長がハッとなり慌て始めた。

「そうでした! すみません、レイ。寒かったですよね!」

 濃紺のペリースを肩から外したマイナさんは、それで俺を包み込み、ふんわりと抱きしめてきた。

「てめっ! 俺の目の前でっ!」

 いきり立つガンテ室長には目もくれず、マイナさんはゆっくりと俺の頭を撫で、頬を寄せた。

「貴方をこんな目に遭わせた者たちは、きちんと断罪しましょうね。死んだほうがましだと思うくらいひどい目に遭わせてあげましょう」

 マイナさんは甘やかすような口調で、しれっと物騒なことを言っている。俺は取り繕うことも忘れて慌てて言葉を返した。

「だ、断罪って……。別にいいよ。こんなの子供の悪戯いたずらみたいなもんだし」
「ダメですよ。悪いことをしたのなら、それなりの罰が必要です。何より私が許せないので、処罰は必至です」
「それには同意だ。なあなあにすると他に示しがつかねぇ。自分がやらかしたツケは自分で払わせねえとな。じゃねぇと、俺の気も済まねぇ」

 なぜかガンテ室長がマイナさんの肩を持つ。
 ――この人たち、仲良いの? 悪いの?
 思わず俺が二人の顔を見ると、マイナさんはにこにこと、ガンテ室長は人の悪そうな笑みを浮かべていた。なんか怖い。
 収拾がつかないその場を収めたのは、二人の隙間からなんとか身体を保管室に滑り込ませたルーデル先輩だった。

「ちょっとぉ! 人の話、聞いてる!? いつまでレイちゃんをこんなとこに立たせてんのよ。ああん、もう! こんなに冷え切って! 顔も真っ青じゃないの!」

 ツカツカとヒールの音を立てて俺に近寄ったルーデル先輩は、引っ付いているマイナさんをベリッと引き剥がし、俺の頬や手に触れた。
 そしてぷりぷりと立腹したまま、マイナさんが掛けたペリースで俺をしっかりと包み込み、肩を抱いて「アンタたち邪魔!」と二人を押しのけて保管室から連れ出してくれた。

「ルーデル先輩、ありがとうございます」
「うふふ、いいのよ」

 先輩に支えられながら薄暗い廊下を歩いていると、地上に上がる階段の手前で誰かが転がっているのが見えた。ぎょっと目を見開いていると、俺が見ているものに気が付いたルーデル先輩が肩をすくめた。

「ああ、アレ? おいたが過ぎたみたいだから、ちょっとしつけたの。放っておいていいわ」

 にこっと笑ってルーデル先輩が答える。

「はぁ……」

 ルーデル先輩もなかなか容赦がない人みたいだ。ちょっと怖い。
 脇を通る時に顔をチラリと見てみると、確かに大図書館で俺に陰口を叩いていた二人だった。
 ――うん、まぁ仕方ないな。
 あえて言及する必要性を感じず、俺はルーデル先輩に促されるままその場を通りすぎた。


    ◇◆◇◆◇◆


 レイをルーデルに奪われてしまった私は、苛立つ気持ちのまま髪をグシャッと掻き上げた。
 レイが保管室から戻ってこないとガンテから知らせを受けて、急いでこの場所に向かってみればこの状況だ。苛立つな、と言うほうが無理である。
 ガンテは信頼できる人物ではあるし、レイを守るという意味では大変心強い存在だ。しかし、何かと私とレイの邪魔をしてくる厄介な人間でもある。
 この男、レイにはまだ秘密にしているようだが、彼の血縁者にあたる。そのレイが王宮に勤めることが決まると、元々就いていた騎士団副団長の座を辞してまで現部署を立ち上げた。
 有象無象のやからからレイを守る、ただそれだけのために。
 まぁ、もっとも、その実力を惜しんだ陛下の指示で、騎士団副団長との兼任となっているけれど。
 立ち去るレイを追っていた視線をチラリと隣の男へ移す。
 そもそも、かなり前からレイが私の番じゃないかと勘づいていたのもこの男だけだ。もしかしたら、その『有象無象のやから』の中に私も含めているのかもしれない。
 ――ただの筋肉の塊のような人間ですが、なかなか勘はいいようですね。性格は難ありですが、さすが副団長まで昇っただけはあります。

「お前、今、涼しい顔して俺の悪口思い浮かべていただろう」
「……何を根拠に?」

 こういうのを野生の勘とでもいうのだろうか。人族のクセに獣人より動物じみた男だ。

「その腹黒さがにじむ目を見りゃ分かるわ!」
「随分失礼ですね」
「お前もな!」

 彼は周りに粗野な印象を与える言動を取っているが、決して頭は悪くない。あえてその話し方なのは、対峙する相手を油断させるためだ。その罠を見破れずに自滅していった人間は両手の数では足りない。そんなガンテを探るように見ていると、彼は思い出したように告げてきた。

「そうそう、レイのことだがな。やっとあの子の出生届を手に入れたから、俺との養子縁組の手続きを開始したぞ」

 だからその言葉を聞いた時、レイを自分の手元に囲い込み、私に渡さないつもりかと一瞬疑った。
 もちろん、その場合は受けて立つし、なんなら彼の家であるクラウン伯爵家を潰すことも辞さないつもりだ。
 横に並び立つガンテを無言で睨むと、呆れたような声が返ってきた。

「お前さ、平民と貴族が結婚するには、平民が貴族籍を得る必要があるってこと、忘れてんじゃねぇか?」

 嫌そうに眉間に皺を寄せたガンテの言葉で、私はそれを思い出した。

「そんな大事なこと、忘れるわけないじゃないですか」

 ――嘘です。愛しいレイが見られるようになって浮かれていて、すっかり忘れていました。
 平民が貴族籍を得るには、養子縁組が一般的だ。しかし平民の見目のよい子供が、無理やり貴族の養子にされることを防ぐために、養子縁組には貴族院の精査と承認が必要とされている。
 そして、その手続きには恐ろしく時間がかかるということも思い出し、重いため息をついた。
 私の反応を見ていたガンテは、胡乱うろんげな眼差しを向けてきた。

「お前ね……。確かにレイは成人したし婚姻もできる年にはなったけど、環境に馴染なじむまでは手ぇ出すなって言ったのも忘れてんだろ」
「そこはさすがに覚えていますよ」

 ただでさえレイは食が細いし、さらに慣れない仕事で身体に負担がかかっているのを知っている。
 ――そんな彼に、この私が無体なことをするわけがありません。

「はっ、どうだか。最近じゃアレコレ手ぇ出してるそうじゃねぇか。噂になってんぞ」
「ギリギリ許容範囲です」
「完全アウトだよ!」

 ギリッと目尻を吊り上げてガンテが睨んでくる。

「堂々と抱き上げて医務室に運ぶわ、途中でキスするわ、これで手ぇ出してねぇなんざ、片腹痛いわ」

 フンっ、と鼻を鳴らす男を、私は無表情に眺める。

「いいか、もう一度言うがレイに手ぇ出すんじゃねぇ。養子縁組の承認が下りて、婚姻が確実になるまで我慢しろ」
「貴方は我慢我慢と言いますが、その我慢に対して私には何一つ利点がないではありませんか。そもそも彼は成人しているのですから、本人の同意があれば何の問題もないはずです」
「なんでお前に利点を与えなきゃならんのだ。……俺は知ってるぞ」

 ガンテは一旦そこで意味深に言葉を区切ると、声を潜める。

「お前、もう夢の中でレイを喰ってんだろ」

 やたらと確信めいて言うガンテに、私の片眉がぴくりと上がる。

「…………随分な言い掛かりですね」
「はっ! 言い掛かり、か?」

 ジロリと睥睨へいげいする彼に、これはなんらかの確信を得ているのかと思い付く。確かに勘だけはいい男だから、彼に気付かれてしまうのは想定内ではある。

「人族とはいえ、俺もこの王宮勤めは長いんだから知ってるぞ。この時期の、身体が成熟した番から漂う香りが、お前たち獣人にとって最高の媚香だってことくらいな!」

 びしっとガンテに突き付けられた指を、無感情に眺める。
 レイからは理性を焼き切るようなかぐわしい香りが常に漂ってきているのは事実だ。それに必死に耐えているのは、レイの身体に配慮してのことだった。
 レイはこの春から働き始めて環境が激変している。環境の変化は体調を損ないやすいし、愛や恋にうつつを抜かす精神的な余裕もないだろう。
 だからこそ彼との逢瀬は、人が多く集う食堂で我慢している。人目があれば、番の香に当てられてもある程度自制が利くだろう、と考えてのことだ。
 でも意外に適応能力が高かったレイは、一ヶ月もしない内にすっかり今の環境に馴染なじんでいた。
 ――本当に素晴らしい。私の番は最高ですね。
 そうなれば私が我慢を強いられるいわれはない。ただ現実世界でレイに手を出すにはガンテの鉄壁の守りが邪魔だし、私の番だと周りに知られることで彼の身が危険に晒される恐れもある。
 だから私は、レイとの逢瀬の場を夢に限定したのだ。
 ただちゃんと貴族籍を得て私の屋敷に囲い込めるようになるまで、彼は何も知らないほうがいい。
 純粋な彼が世間を誤魔化すように振る舞うのは難しいだろう。だから、彼が夢の中の出来事を忘れるようにと力を調整していたのだ。
 だけど「忘れる」ということがこれほど精神を摩耗させ、レイの体力を奪うとは思っていなかった。この点は完全に私の落ち度だ。
 ――どうにか彼の体力を消耗させずに手を出す方法はないでしょうか……

「だから、お前は……。手ぇ出す気満々じゃねぇか」
「人の思考を、動物的直感で読むのは止めていただきたいものですね」

 バチバチと睨み合う。しかし、ガンテは眉根を寄せたまま諭すように口を開いた。

「冗談言ってる場合じゃねぇ。お前、自分が貴族の子息らにとって最高の婚姻相手だってこと分かってんだろ。そのお前が手ぇ出せば、平民のレイが奴らに目を付けられんのも当たり前だ。だからあの子はこんな目に遭ったんだぞ」
「それは……」

 痛いところを突かれて、私は言葉に詰まる。

「『宰相閣下の番』であるレイは、お前の最大の弱点だ。レイが俺たちの知らない間にどう利用されるかも分からん。だから食堂でのみ会うようにと忠告したし、その食堂でも周りを俺の身内である騎士たちで固めて、レイの姿を有象無象の奴らに晒さないようにしたっていうのに」

 はぁ……とため息をついたガンテは、去っていったレイの姿を追うように開いたままの扉に目を向けた。

「もうあの子の噂は広まりつつある。それはどうしようもねぇ。ただな……」

 ジロリと翡翠ひすいの瞳が私を睨む。

「そろそろトランファームから大使が来ようっていう微妙な時期だ。間が悪すぎる。お前も俺もさすがに忙しくなるし、そうなったら誰があの子を守るんだ」
「……すみません」

 正論を言われてしまうと、さすがに何も言い返せない。
 トランファームは隣の国であり、魔道具の発明、製造で発展を遂げた国である。
 魔道具に必要な魔石の生産国である我が国とは、何かにつけ一触即発の状態が続いており、かろうじて国交を保っている相手だ。

「トランファームは魔法師の国だ。どういう手段を使ってくるか読めねぇ。奴らにレイの存在がバレたら、交渉材料として人質にもされかねん。今はかなり危うい状態なんだ。そこは分かってくれ」

 ぽんと私の肩に手を乗せて宥めるように言うと、ガンテは身をひるがえし保管室を出ていった。
 それをため息と共に見送る。

「私としたことが、ガンテに諭されるとは……。どうやら想像以上に浮かれていたみたいですね」

 頭を一振りして雑念を追い払い、私もガンテのあとに続いて保管室から出た。



   第二章


「あはははははっ! 聞いたぞ、大変だったみたいだな!」

 その後、ルーデルによって医務室に連れていかれたレイを見舞っていると、国王陛下からの呼び出しがかかった。
 レイの側から離れたくなかったけれど、「大至急来い」という伝言を受けて渋々謁見の間へ向かう。
 しかも陛下は私の顔を見た瞬間、玉座に座ったまま大笑いし始めたものだから、怒りが抑えきれずに額に青筋が立つ。どうやら保管室での出来事は、とっくに陛下の耳に入っているようだ。

「……何の御用でしょうか、陛下」

 無表情のまま冷ややかな目を向けると、陛下は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、しなやかな尻尾しっぽをひらりと揺らした。
 ライティグス国王陛下は、濃い金の髪と、金の瞳が特徴的な獅子の獣人だ。
 私やガンテと比べると幾分細めの身体だが、あふれんばかりの覇気があり周りを圧倒する存在感を放っている。正しく「国王」の地位に相応ふさわしい人物だった。

「お前がガンテに論破されたと聞いて、顔を見てみたくなったのだ!」

 陛下はニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべる。

「お前、番の子が抱けなくて、欲求不満なんだろ」

 下品な物言いではあるが、まあ、確かに私は欲求不満ではある。認めるのはしゃくだが当たっているため、陛下を睨むだけに留めた。

「お前と番の子の関係が微妙な時に悪いが、トランファームの大使が来る日程が決まったぞ」

 陛下は片方の口角を吊り上げて、ニヒルな笑みを浮かべた。陽気でふざけた態度から一転、国政を担う覇者の雰囲気を醸し出す。金の瞳には獲物を狙うかのような獰猛どうもうな光が宿っていた。

「さて、今回の奴らの目的は何だろうな」
「それはもう魔石一択でしょう。なんとしても手に入れようと、向こうも頑張っていますからね」

 何がなんでも魔石が欲しい国と、世界で唯一魔石を産出する我が国。考えなくても答えは明らかだろう。

「ふん、なら一番手っ取り早い方法は、魔石の鉱山を保有している貴族との婚姻か」
「それはどうかと……」

 顎に指を掛け私は首を傾げる。
 我が国の貴族が他国の貴族と婚姻するには、我が国の国王陛下、つまり目の前にいる男の裁可が必要だ。この陛下の性格なら、散々引っ掻き回した挙げ句に許可を出さないくらい平気でやる。そして、そのくらいはトランファーム側も容易に想像がつくはずだ。
 それにあの隣国の陰湿な魔法師たちが、そんな真っ当な手段を選ぶとも思えない。
 その時、チリっと胸の奥に嫌な感覚が湧き上がってきた。それと共に先ほどのガンテの言葉が蘇る。

『奴らにレイの存在がバレたら、交渉材料として人質にもされかねん』
「……まさか」

 情けなくも洩れ出る声が掠れた。大使の派遣に今この時期をあえて選んだ理由を考えると、レイの存在が無関係とは思えなくなる。
 ――これはレイの守りを強化したほうがいいかもしれませんね。
 考えに沈む私を引き戻したのは、陛下の一言だった。

「今回のトランファームの件はお前に任せる」
「は?」

 私は思わず眉間に皺を寄せて顔を上げた。

「なぜ私が? それは外務府の担当でしょう」
「明らかに何かを企んでる魔法師が相手だ。ただの人間には荷が重い。こういう時こそ、お前の能力を発揮すべきだろ?」
「私をこき使うつもりなら、それなりの褒美が必要だということはご存知で?」
「ふふ……」

 陛下はゆったりと脚を組み替えて、からかうような雰囲気と共に私を見た。

「もちろんだとも。褒美だろ? そりゃあ、ちゃんと考えてるさ」

 姿勢を崩して行儀悪く頬杖をつくと、陛下はニッと笑った。

「貴族院に働きかけて、番の子の養子縁組の許可を速やかに出してやろう。そうすれば、ことが片付き次第、即婚姻だな」
勅令ちょくれい、謹んでお受けいたします」

 気付くと、私はあっさり陛下に向かってこうべを垂れていた。
 ――褒美がレイとの甘い蜜月というのは悪くないですね。どうせなら、長期休暇も欲しいところです。
 そう内心でほくそ笑んでしまう。

「これでお前の欲求不満も多少は緩和できるな!」

 顔を上げずとも陛下がニヤニヤ笑っていることくらい分かる。ことが片付いたあかつきには、絶対に長期休暇をもぎ取ってやろうと私は固く決心した。
 ――なに、私が不在で仕事が回らなくても、きっと有能な陛下がなんとかしてくれますよ。
 こうべを垂れたまま、私は「ふん!」と大きく鼻を鳴らした。


    ◇◆◇◆◇◆


「あー……今日は散々だった……」

 あれから寮の部屋に帰宅した俺は熱いシャワーを浴びたあと、濡れた髪をタオルでガシガシと乱暴に拭きながらベッドに腰を下ろした。
 本当なら、たっぷりと贅沢に湯が張られた浴槽に浸かりたいとこだけど、さすがに寮の部屋にはシャワーしかない。しっかり温まったとは言い難いけど、ホットミルクでも飲んでさっさとベッドに潜り込めば、少しは身体の芯に残る冷えもなくなるだろう。
 あおのいて、息をつく。そしてそのまま、チラリと椅子の背に掛けられたものに視線を流した。
 保管室でマイナさんが俺に掛けてくれたペリースだ。
 髪を拭いていたタオルを放り投げ、腕を伸ばしてそのペリースを手に取った。極上の生地が使用されているのだろう。手触りがよくてとても温かい。
 そろりと端を持ち上げて頬にそれを押し当ててみると、ふわりとマイナさんの優しい匂いがした。
 あのあと、陛下との謁見を終えて戻ってきたマイナさんに返そうとしたけど、彼は柔らかく笑いながら首を横に振って受け取ってくれなかった。

「こんなもの、替えはいくらでもあります。まだ貴方の身体は冷えているのですから、そのまま肩に掛けてお帰りなさい」

 そう言って、もう一度そのペリースで俺の身体を包み込んでくれた。やっぱりマイナさんは優しい。
 ペリースを手にしたまま俺はベッドに転がる。

「皺になっちゃうな……」

 そう思っているのに、マイナさんの匂いがするペリースを手放すことができない。

「俺、自分が思ってるより弱いのかも」

 俺がいた施設には何も思い入れはないけど、仲間と会えず話せずの状態は、想像を遥かに上回るほど淋しい。その淋しさが、俺の心を弱らせるのだ。

「そうさ、俺は淋しいだけ……」

 ――マイナさんが好きってわけじゃない。
 口に出して呟けば何かが崩れてしまう気がして、俺はギュッとまぶたを閉じて言葉を呑み込んだ。


『……んぅ』

 軽く詰めていた声が耐えかねたように洩れる。
 すりっと硬い掌が頬を撫でている感触が、俺の意識を呼び覚ました。これはいつもの夢だ、と気付く。
 どこかで寝転がっている俺の上に、誰かが圧し掛かっている。その誰かの掌はそのまま首を辿り、肩の線を撫で腰へ流れていった。

『――っ、っ……』

 やわやわと肌に与えられる刺激に、俺の身体は甘美な熱をはらんでいく。見なくても、俺のモノが刺激に反応して硬く勃っているのが手に取るように分かった。
 恥ずかしくて身を捩って熱を散らそうとしても、指一つ動かせない。
 閉じたまぶたも開けることができず、一体自分が「誰」に抱かれているのかすら分からない。
 ――なのに夢とはいえ、嫌悪感が欠片かけらも湧かないのはなんでさ……っ。俺、もしかして淫乱だった?
 頭は混乱しまくっているけど、俺の身体は与えられる快楽に素直に反応していく。俺のモノが男の掌に包まれたと思った瞬間、その手は容赦なく動き出し、さらなる快楽を身体に刻み始めた。

『――身体、随分温かくなりましたね』

 密やかにささやかれる男の声が耳元で聞こえる。くちゅっと濡れた音と共に、俺の耳孔じこうを舐め、耳朶じだを柔くんできた。

『ふふ……ペリースを抱きしめて寝ていたんですか?』

 耳と雄芯を同時に攻めたてられて、俺の身体が甘く震える。

『本当に貴方は可愛らしい……』

 ふふっと男の笑い声が俺の鼓膜を揺らした。

『こんな可愛い貴方を誰にも見せたくありませんね。本当に……今すぐ閉じ込めてしまいたい』

 そうささやいたかと思うと、目の前の人物は耳朶じだみ頬を辿って、俺の喉元に優しく噛み付いてきた。それに合わせて雄芯に絡みつく指が一層強く淫らな刺激を与えてくる。
 その刺激に俺は我慢できず精を吐き出した。全身に広がる甘い痺れに、思わず詰めていた息を吐き出し、新たな空気を求めて、はくっと唇を開く。
 その唇に、そっと唇が重なった。
 心から愛しているような口づけを、俺にしてくる意味が分からない。
 その甘い口づけは、あり得ないと分かっていても、俺自身がこの男に愛されているような錯覚を起こしてくる。でもそれが今日はとても悲しく感じた。

『レイ? どうしたんですか?』

 俺の様子を不審に感じたのか、男が俺の頬を撫でて問うてくる。
 俺はその時点でたぶんいろいろ限界が来ていたんだと思う。半ば自棄やけになって内心で呟いた。
 ――そんな緩い刺激じゃ全然足りない。もっとシて……
 悲しさも淋しさも、今だけは快楽に溺れて忘れてしまいたかったのだ。
 その言葉が聞こえたのか、男は黙り込む。男が醸し出し始めた冷ややかな気配を感じて、自分の夢にしては変な反応だなと思った。そして夢の中でも、俺のささやかな望みは叶わないのかとがっかりしてしまった。
 ――どうせ夢なのに、俺はなに期待してたんだろ……
 さっきまで身体にくすぶっていた甘美な熱も、一気に冷めてしまう。いつになったらこの夢から目覚められるんだろう……なんてことを考え始めていると、男が急にぎゅっと俺を抱きしめてきた。
 男の突然の行動に困惑したが、そんな俺にはお構いなしに、男は俺を抱きしめたまま呪詛じゅそを吐くように低い声を捻り出し始めた。

『そんな緩い刺激? では誰かからキツい刺激を受けたことがある?』

 何を言われたのか、俺の理解が追いつかない。

『その誰かは、貴方が満足するくらいたくさんシてくれた?』


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