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第86話

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「愛の力がアベルを動かしたのだろう。ナギ様、彼を婿の候補の一人にしてはどうですかな?」

それまで黙って若者たちの話を聞いていた老人がナギに向かって口を開いた。その老人に敬意を払っている長のナギは、老人の話を頭から否定することもできず顔を赤くしつつ頷いた。アベルも同様にかっと顔を赤くした。宴会場は一気に甘やかな雰囲気が酒の酔いに混じって漂っていた。

そんな宴会場の雰囲気など知らぬまま集会所を離れ自宅に戻ったリリカは、部屋の壁に寄りかかっている人影を見つけて、思わず声をあげそうになってしまった。大声をあげなかったのは、その男が優しい微笑を浮かべてリリカに一礼したからだった。その男は漆黒のマントを身に纏っていた。こんな色のマントを身にまとっている魔法使いは一人しか思いつかなかった。

「あなたは・・・トモヤを迎えに来ていた魔法使いさん?」

「蓮と申します。宴会の席に人間が顔を出してはその場の雰囲気が壊れると思い、失礼ながら勝手にリリカさんの部屋に無断で侵入しました。お許しください。」

リリカは動揺しつつも呼吸を整えて、彼に質問した。
「トモヤは無事にお返ししました。もう、王宮の方がこの村に用事があるとは思いませんが?」
そうリリカが聞くと、蓮は微笑んで口を開いた。
「実は、側室の智也さまからつわりに聞く薬草パンの作り方を教わってこいと命じられまして。あの方は、なかなか人使いが荒くていつも振り回されているのです。」
「まあ、薬草パンの作り方ですか?」
「はい、教えていただけるとありがたいのですが。」
リリカはトモヤが薬草パンを美味しそうに食べた姿を思い出し思わず微笑んでいた。そして、彼女は快く了承して貴重な紙に薬草パンの作り方を黒石を磨いだペンで書き込んだ。そして、その薬草パンのレシピを魔法使いの蓮に手渡し口を開いた。

「質の悪い紙でごめんなさいね。文字が汚いわね、恥ずかしい。それに、私は獣族の文字しか書けないので・・・読めるかしら?」
「十分読めますよ。俺は、獣族の文字を読めますので問題ないです。ありがとうございます、智也さまに必ずお渡ししますね。」
そう言うと蓮は自身のマントの裏に貰ったレシピを入れた。その紙がスーっと闇のようなマントに吸い込まれる所を見たリリカは目を丸くして、素直な質問をした。

「レンさんのマントには見えないポケットがいくつも付いているのかしら?」

その質問に、蓮は微笑んで応じたが返事はしなかった。その代わりに、蓮はリリカに質問した。
「リリカさんは、側室の智也さまと楽しいお話をされたようですね。特に、女同士の恋愛観のお話は興味深かった。」
「あら、いやだ。トモヤったらそんな話をレンさんにしたのですか?」
「いえ・・どうも魔法使いの悪い癖でつい、側室の智也さまの考えていることをつい覗いてしまうのです。いつも、それで彼女に怒られてしまいまうのですがね。」
リリカは獣の耳をぴくぴくさせながら口を開いた。

「野生の勘が働きましたわ。レンさんは、トモヤがお好きなのね。」

蓮は彼女の言葉に興味深そうに耳を傾け、そして口を開いた。
「野生の勘は、よく当たりますね。俺の『愛する人』は智也だと思います。ところで、その野生の勘で、智也の『愛する人』を教えて頂きたいですね。彼女の『愛する人』は誰ですか?」
リリカは獣の耳をぴくぴくとさせながら笑って口を開いた。
「彼女の心を読める魔法使いさんなら、トモヤの『愛する人』がどなたなのか分かるのではないですか?」
「それが、女性の心は魔法陣よりも複雑で読めないのです。アーサーが好きなのかと思えば、恨んでいたはずのカインと自ら交わして子を宿し産もうとしている。智也は、いったいどちらの王子がお好きなのでしょうか?」
リリカは、微笑みながら口を開いた。
「まだ彼女は、ひな鳥なのよ。求めるものは、親鳥。庇護者と言い替えるべきかしら?その彼女が、子を生み親鳥になった時に本当の『愛する人』に出逢うのかもしれませんね。」

「『もし、あなたが生んだ子があなたにとって『愛する人』になったとしたなら、その子を託す事ができる人こそあなたにとって、本当に『愛する人』じゃないかな?』と、あなたは智也に言った。」
「まあ、そんな会話の一言一句まで正確に魔法で分かってしまうのですか?なんだか、怖いですわ。」

リリカがすこし眉を顰めたが、蓮はそっと笑っただけで話を続ける。
「リリカさん、あなたはまだひな鳥の智也に『愛する人』の概念を刷り込んだのですよ。」
「私が?」

「そう、あなたがね。リリカさん、智也は素直にその『愛する人』の概念を刷り込まれたようだ。それは、俺にとっては好都合なのです。俺ならその概念の『愛する人』になることができるからです。でも、本当にそれで俺は智也に愛されていると言えるのでしょうか?」

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