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第十話 空の想い出

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柏木は中学時代、蒼の弟の空と同じクラスで、すでに病気を発症していた彼が困っているときには何度か手助けをした記憶があった。だが、日記にたびたび自分の名前が書かれているとは思わず、少し照れくさかった。

蒼の母親は、懐かしむような顔で言葉をつづけた。

「空が柏木さんの事が大好きだったことは、日記を読んでいると自然と伝わってくるの。家にお友達を呼ぶことのなかったあの子が、唯一家に連れてきたのも柏木さんだった。そうそう、空からあなたが小説家になる夢を持っているって聞いたことがあるのだけれど実現したのですってね!すごいことだわ!中学時代の夢を叶えるなんて」

小説の話に話題がおよび、正直なところ柏木は焦った。まさか、本命のミステリーでは食べていけず、BL小説を書いているとはいえるはずもない。それに、知られたくもなかった。そのあたりの気持ちを蒼が察したのか、そっと話題を変えてくれた。

「母さん、お喋りが過ぎるよ。空も日記の内容を暴露されたら、天国で恥ずかしがってるんじゃないのかな?」

「まあ、お母さんはそんなつもりはなかったのよ。ただ、空は柏木さんに感謝の気持ちを伝えることなく逝ってしまったから、伝えたかったのよ」

柏木はにっこりと笑って口を開いた。

「空の気持ちは、ちゃんと伝わりましたよ。大したことはできなかったから、そんなに感謝してくれてるなんて思ってもいなかった。でも、俺も空の事が大好きだったし、その気持ちは空にも伝わっていたのかもしれませんね。あの、空のお墓参りに行きたいのですが、この近くの寺でしたよね?」

「ええ、お墓参りしていただけるなら空も喜ぶわ。蒼、一緒にお墓参りに行ってきて」

「ん、わかった。それと母さん。頼んであったことだけど、大学の友達が俺の居場所を電話とかで聞いてきても、柏木と同居していることは言わないでね」

蒼がそう言うと、母親の表情は急に曇った。

「電話どころか、池田君がこの家に訪ねてきたわよ?あなたがどこにいるのかすごく知りたがってたわ。あなたに口止めされてたから言わなかったけど、池田君がすごく心配していて、ちょっと胸が痛んじゃったわ。池田君と喧嘩でもしたの?」

「してないよ。新しい環境になれたら、こちらから池田には連絡するよ。だから、それまでは柏木の事は内緒だよ」

「そう?それならいいんだけど。」

蒼の言い訳は苦しいものだったが、母親はそれ以上は追及してこなかった。そんな蒼と彼の母親のやり取りを見守っていた柏木は、知らずため息をついていた。

まさか母親は、息子と池田が元恋人だとは思いもしていないだろう。大切な息子が男と恋人関係だったと母親が知ったなら、どれほどショックを受けるか考えるだけで怖いと柏木は思った。張本人の蒼も母親には知られたくないらしく、池田の話題を切り上げたがっているようだった。

柏木はそんな蒼の様子を見て、手伝ってやることにした。蒼の母親に空の思い出話を振ると、母親はすぐに話題を切り替え話に乗ってきた。これ幸いにと、蒼は荷物の整理をしてくると言って二階の自室に向かう。そして、夕方になるまでごそごそと二階で荷造りをしていた。その間、柏木は蒼の母親の相手をすることになった。

ほとんど初対面の相手だったが、意外と話が合い話好きの母親は古いアルバムを取り出して柏木に見せてくれた。そのアルバムには、小さい頃の蒼や空が家族と一緒に写っていた。健康そうな空の笑顔に、柏木の視線は自然と向かった。母親はそんな柏木の視線に気が付いたのか、悲しげに微笑み口を開いた。

「この頃は、まだ空は元気だったわ。遺伝病の因子を持っていても。このまま、発症しないことを天に祈ってた。でも、祈りは届かなかった。ねえ、柏木さん。この遺伝病はほとんどの場合が、子供時代に発症するの。だから、今発症していない蒼は・・たぶん、病気は発症しないはずなの。でも、可能性はゼロじゃない。あの子は子供の頃から発症の不安を抱えて、生きてきた。そして、今もその不安をぬぐいきれないでいる」

「・・・・」

柏木は黙って母親の言葉を聞くしかなかった。

「それに、弟の空が亡くなった夏になると、すごく情緒が不安定になるんです。たぶん、大学を辞めたのもそれが原因かもしれないわ。だから、あの子を一人にするのは、すごく不安だったの。でも、柏木さんがあの子と同居してくれると知って、父親とともにとっても感謝しています。本当に、あの子のことをよろしくお願いしますね」

蒼の母親の目は、わずかに涙で潤んでいた。柏木は思わず真剣な声で応じていた。

「分かりました。蒼の事は俺が何があっても守ります。安心してください、お母さん」

柏木はそう言ってから、これでは本当に『お嬢さんをお嫁に下さい』状態ではないかと思った。だが、言葉を撤回することもできず居心地の悪い思いをした。そんな時に限って、蒼が二階から降りてくるのだからたまらない。

おそらくは柏木の恥ずかしい発言を聞いた蒼は、やや頬を赤めながらぼそりと呟いた。

「夕方になったし、外も少しは涼しくなったんじゃない?そろそろ、墓参りに行こうよ、直人」

「ん、そうだな」

その会話を皮切りに、蒼の家を後にした。蒼と柏木は沈黙を保ったまま空のお墓に向かっていたが、先に沈黙を破ったのは蒼だった。

「何が『蒼の事は俺が何があっても守ります』だよ。俺、スゲー恥ずかしくて死ぬかと思った」
「悪かったな。俺も無茶苦茶恥ずかしかった。でも、話の流れでああなったんだから、仕方ないやろ?それに、お前の母親も安心させたかったしな」

不意に蒼が柏木の腕を掴んで立ち止まったので、柏木はびっくりして振り返った。蒼は柏木の腕を掴んだまま俯き、ぼそりと呟いた。

「・・ありがとうな、直人。」
「ん?」

「ちょっと、俺・・嬉しかった。迷惑ばっかかけてるのに『守る』なんて言ってもらえて、本当にうれしかったんだ、直人」

「あほか。照れくさいこというな」

柏木は自身の腕を掴んだままの蒼を、そっと胸に引き寄せていた。どうしてそんな行為を取ったのか、柏木にもわからなかった。だが、もしかすると己の腕を掴む蒼の手が、わずかに震えていたからかもしれない。

夕日が重なり合う二人を、赤く染め上げていた。


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