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天下人への道

剣先の饅頭

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―――

 結局鈴木孫一は他の仲間数人と共に連署を出して降伏を申し出たが、信長はそれを許さず処刑。中心を担っていた人物は一人残らず亡き者にされた。だが本願寺の非門徒の者だけは今後織田家に協力する事を条件に命を助けた。



―――

 岐阜城、大広間


「どうして非門徒の者は助けたのですか?全員皆殺しにしても良かったのでは?」
「雑賀衆の所持している鉄砲や武器はそこら辺の大名よりも規模が大きい。それが手に入るのなら見逃してやってもいいと思ってな。しかしそうなると孫一や他の有力者の存在が邪魔だ。降伏するという話を鵜呑みにして放免してもいずれ奴らはまた蜂起するだろう。裏切りの目は摘んでおかんとな。」
 光秀の問いに冷たく言い放つと、信長は鼻でふんと笑った。


 二週間後、織田軍は全員岐阜に帰ってきた。雑賀川で痛手を被った堀秀政も無事に戻ってきて、信長もホッと一安心したようだった。

「ですがこれで雑賀衆は信長様の配下ですね。」
「あぁ。心強い後ろ盾を得た。武器については心配する事はないだろう。もし万が一裏切る者が出てもその時は即座に潰す。」
「そうですね。何人かは密偵として送り込んでおきます。何かあればすぐにわかるでしょう。」
「頼む。」
「はい。」
 秀吉が頷くと信長は微かに微笑んだ。その様子を隣で見ていた光秀が複雑そうな顔をする。それを一部始終見ていた蘭は光秀以上に複雑な顔になった。

(信長のこの二人に対する態度の違い……最初の頃はむしろ光秀さんの方を頼っていたように見えたのに。今じゃ逆だもんな。これからの事を考えると光秀さんにもっと優しくして欲しいんだけど……)

 蘭が心の中でそう思っている間にも話は進む。


「それにしても義昭は何をのんびりしているのやら。俺をいつまでも放っておいたらどうなるか、身に染みてわからせてやらんといかんな。」
「どうするのですか?」
「比叡山、本願寺の次は高野山というところか。」
「高野山ですって!?」
 光秀が立ち上がりながら大声を出す。それに対して信長は面倒くさそうに耳を掻きながら横になった。

「大声を出すな。煩いだろうが。」
「す、すみません……でも高野山って……」
 すごすごと座り直しながら呟く光秀。蘭は顎に手を当てながら考えていた。

(高野山って真言宗の総本山だろ?全国に寺院や門徒がいっぱいいる一大勢力だ。そんなところを攻めるって言うのか?)

「今の時分、僧兵の力が馬鹿にならない事は俺が一番わかっている。延暦寺と本願寺が立て続けにやられたとなれば高野山だとて黙ってはいられまい。あちらこちらに散らばる門徒をけしかけて、いつか俺に報復しに来るだろう。宗教というものは宗派が違っていても仲間意識を呼び覚ますものだからな。」
 一瞬遠い目をした信長だったがすぐに鋭い目つきになる。僧兵に大事な人を奪われた事を思い出したのだろうか。蘭は目ざとくその表情の違いを読み取って俯いた。

(この世の中にいる僧兵という者を一人残らず抹殺したいんだろうな……)

「まぁ、今すぐにどうこうしようとは思っていない。しかしお前らも頭に入れておけ。」
「はっ!」
 即座に頭を下げる秀吉に対して終始何かを言いたげな光秀だったが、信長に人睨みされると慌てて頭を下げた。

「これで話はお終いだ。俺はもう寝る。」
「お疲れ様でございました。おやすみなさいませ。」
 乱暴な仕草で立ち上がると大広間から出て行く。蘭達三人は深く頭を下げて見送った。



―――

 その頃、摂津では大きな動きがあった。
 永禄9年(1566年)の本圀寺での戦いで信長が三好一族とそれに協力した大名達を皆殺しにした一件以来、摂津国内は混乱を極めていた。有力大名同士の戦が後を絶たず、永禄11年(1568年)には茨木重朝・伊丹親興連合軍と池田勝正軍の戦いがあった。その後は茨木重朝を支援する足利幕府の幕臣の和田惟政と、池田城から主君である勝正を追い出した荒木村重と中川清秀の連合との対立へ変化した。

 そして信長が雑賀に出陣した少し後の元亀2年(1571年)7月、西国街道上の白井河原を挟んで両軍は対峙した。

 まず茨木・和田連合軍から攻撃を仕掛けた。しかし約500騎の茨木・和田連合軍に対して約2500騎の荒木・中川連合軍は圧倒的な強さで迎え撃ち、和田惟政は中川清秀が首を取った。その流れで荒木村重は茨木城を攻め落とし、郡山城を攻略して高槻城を包囲。さらに城下町を二日かけて全て焼き払った。

 しかし高槻城周辺にはキリスト教会があり、和田惟政、そして高槻城の高山友照の庇護を受けていた。摂津で布教活動をしていたルイス・フロイスは戦況を見守っていたが戦が大きくなっていく事に危機感を感じて、日本人ながらイエズス会に所属していて共に布教活動をしていたロレンソ了斎を信長の元に派遣した。



―――

 岐阜城、大広間


「荒木村重、か。確か奴は池田勝正の家臣ではなかったか。」
「はい。ですがその主君をあろう事か追い出して、池田家の実権を握りました。今や池田家は村重の手中に落ちたといっても過言ではありません。」
「成程。あの勝正を追放するとはな。豪胆な奴だ。」
「このままだと高槻城は落ちてしまいます。信長様、何とかして頂けませんか?」
「うむ。おい、蘭丸。光秀はまだいるか。」
「えっ!?あ、たぶんいると思いますけど……」
 突然振られた蘭がどもりながら言うと、信長は扇子で膝を叩いた。

「よし、光秀を向かわせよう。高槻城を包囲している村重に撤兵するように説得させる。」
「ありがとうございます!」
 ロレンソ了斎は恭しく頭を下げた。

「蘭丸。光秀を呼べ。」
 見上げた黒い瞳は、『面白い事が起こるぞ。』とでも言いたげだった。



―――

 光秀の説得は容易ではなかったようだったが、最終的に村重は高槻城からの撤退に応じた。しかし条件があり、その条件とは信長と対面したいというものだった。迷った光秀は取り敢えず信長に伺いを立てる。諦め半分であったが信長は意外にも会うと返事をし、あれよあれよという間に村重と信長の対面が実現した。



―――

 岐阜城、中庭

「お前が村重か。」
「はっ!お目にかかれて光栄でございます。」
 中庭の土が額につく事も厭わずに村重が低く頭を下げる。それを満足げに見た信長は、何故か用意させた饅頭を口に放り込んだ。

「時に、村重。どのようにして池田家を手に入れた?是非とも聞いてみたいものだが。」
「後継者争いで対立していた知正を味方につけ、共に力を合わせて勝正を追い出しました。その後はその知正をも追放した次第です。」
 事もなげにそう言う村重にその場にいた全員が息を飲む。蘭は開いた口がふさがらなかった。

(何ていう事を堂々と言う人だ。まぁ、こういう人だから主君を追放なんて大それた事が出来たんだろうけど……)

「ははは!気に入ったぞ、村重。そのくらいの気概がないとな。」
「ありがとうございます。」
「それではこういう場合、お前ならどうする?」
 そう言うと信長は腰に差していた刀を抜いて、傍らの饅頭を突き刺した。そしてそれを村重の顔の前に持っていく。誰かが『あっ!』と声を漏らした。蘭も思わず声が出るところだったが、余りの事に固まってしまった。

 村重がゆっくりと目を上げる。剣先の饅頭との距離はほんの数センチ。緊迫した空気が辺りを支配した。誰も何も発しないし動けない。
 しばらく膠着状態だった二人に動きがあった。村重が刀に刺さっている饅頭を大口を開けて食べたのだ。すぐさま信長が刀を脇に置く。そして肩を震わせると思い切り天を仰いで声を出して笑った。

「天晴れだ!よし、村重よ。今からお前を俺の重臣にしてやる。池田城の城主として摂津を任せる事にする。」
「はっ!」
 饅頭をほおばりながら再び額を地面につける村重。金縛り状態だった周りの者達はやっと息をする事が出来たようで、あちこちで溜め息が零れる。蘭も胸に手を当てながら深呼吸をした。

(どうなるかと思った……でも凄い人だな。饅頭が刺さっていたとはいえ、剣の先を向けられても平気でいられるなんて。しかもそれを食べるなんて……)

 未だに大声を出して笑っている信長と静かに饅頭を咀嚼する村重を見て、蘭は思わず苦笑した……


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