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甲斐の虎暗殺計画

延暦寺の最期

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―――

 永禄11年(1568年)8月13日の未明。光秀率いる織田軍は比叡山へと向かった。


「向こうに着いたら蘭丸はすぐに蔵へ行け。柴田殿の話だとやはり酒はそこで保管されているそうだ。場所は本堂の裏手にあるらしい。明智殿に気づかれないように私が上手くやっておくからその間に探し出してくれ。」
「わかりました。あの~……その酒の事について信長様から何か聞いてますか?」

 蘭は軍の最後尾を歩きながら隣にいる秀吉に聞いてみる。秀吉は蘭の方をちらっと見た後、遠くを見つめながら頷いた。


「飲んだ者が能力者になるという酒だと聞いた。そして一番最初に飲んだのが私の祖先かも知れないとも。」
「そう、ですか……」

 それについてどう思っているのかを聞きたいと思った蘭だったが、聞ける雰囲気ではなかった。


「『瞬間移動』の力は気づいたら備わっていた。何もわからなかった頃は突然違う場所に移動している事を不思議に思ったよ。この力を初めて自分の意思で使ったのは八つの頃だったか。でもその時母に酷く叱られて、それ以来力を使う事はなかった。信長様に出会うまでは。」
「…………」

 自分から話してくれた事に少し驚きながらも、蘭は秀吉の次の言葉を待った。


「『お前の力を必要としている。是非とも俺の元で仕えてくれないか。』あの方はそう言って頭を下げた。貧乏で名もない足軽の私に、尾張では知らない者のいない織田信長が、だ。信じられなかった。夢でも見ているのかと思った。だけど信長様は本気で私を必要としてくれた。ずっと封印してきた力をこの人の為に使おうとその時に決めたのだ。」
「秀吉さん……」
「お前も似たようなものではないのか?」
「え?」

「未来から来てこの先どうなるのか、知っているのだろう?そして信長様はお前のその知識を必要としている。お前も私もあの方の為に生きているようなものだ。」
「そっか。確かにそうですね。」

 蘭が今気づいたと言わんばかりに目を大きくすると、秀吉はふんっと鼻で笑った。


「さぁ、無駄話はこれで終わりだ。もうすぐ着くぞ。」

 ハッと前を向くと暗闇にうっすらと山のシルエットが浮かんでいた。蘭の顔が引き締まる。


(あれが比叡山……)

 気を抜いたら震えそうになる体を必死に押さえながら、蘭は山頂の延暦寺を目指して進んでいった。



―――

 蘭と秀吉が延暦寺に着くと、ちょっとした騒ぎになっていた。


「どうしたんですか?」
「あぁ、蘭丸君。先程延暦寺の座主の覚恕かくじょを捕らえたのですが、浅井と朝倉の軍は昨日ここを出てそれぞれの国に帰ったと言っていて……」
「えぇっ!?籠城していたはずじゃ……」
「それが延暦寺側も突然の事で、止める間もなく行ってしまったと。どうやら私達が来るという情報が洩れていたようです。」
「そんな……」

 蘭が茫然としていると秀吉がさっと間に入ってきた。


「行ってしまったものは仕方がない。我々がすべき事は予定通りこの山にいる者全てを処刑し、跡形もなく焼きつくす事だ。」
「……わかっています。ただ情報が洩れた事は事実ですから、戻ったら早速信長様に報告して対処しないといけません。」
「それこそわかりきっている事だ。」
「ちょっ……ちょっとお二人共、落ち着いて……」

 険悪な二人のムードに居たたまれなくなった蘭が止めに入る。その時光秀の従者が寺の方から走ってきた。


「光秀様!寺の中にいた者は全員捕縛しました。後は少し下った所にある坊舎に僧兵がいるようですが、そちらも時間の問題だと思います。」
「わかった。あそこだな。」

 光秀が視線をやった方を見た蘭は、思わず目を見開いた。

 何十人もの僧達が手を後ろで縛られて項垂れている。その中で一人だけ挑戦的な目をして辺りを見回している者がいた。恐らく座主の覚恕だろう。蘭はその目と一瞬目が合った気がしたのだ。

 縛られてもうすぐで殺されるという状況にも関わらず、生きる事を諦めていないかのような眼差しに背筋が凍る。


「あ、火だ……」

 下の方が明るくなったと同時に微かにパチパチという音がした。別働隊が坊舎に火を放ったのだろう。それを確認した光秀は大声で叫んだ。


「火を放て!」



―――

 蘭は目の前の光景が信じられなかった。建物は全て炎に包まれ、僧達の断末魔の叫びと読経の声が耳にまとわりつく。光秀や秀吉や他の家来の皆が、まるで化け物のように思えた。次々と首を跳ねていく姿に恐怖で足が動かない。


「そ、そうだ!早く蔵に行かないと!」

 しばらく立ち尽くしていたがやっとの事で自分の任務を思い出した。蘭は誰もいないのを確認してから本堂の裏手へと向かった。


「ここだ……」

 そっと扉を開けて中に入ってきょろきょろと周りを見回す。時間がかかるかも知れないと心配していたけど、案外簡単に見つかった。


「結構でかいな。よいしょっと。」

 大きめの樽の中に酒は入っていた。だが大きいのは樽だけで中身は思ったより少ない。蘭は溢さないように注意しながら外に運んだ。


「えっと……まず蓋を開けるんだっけ。」

 蝶子に教えてもらった通りに蓋を開ける。そしてしばらく放置した後、勢いよく燃えている本堂の近くまで移動させた。素早く離れる。


「よし。こうやって火の近くに置いておいたらその内引火して燃えるはずだって蝶子が言ってた。樽は木製だし大丈夫だよな。」

 自分にそう言い聞かせながら様子を伺っていると、思った通り樽に火が移って燃え始めた。


「やった!」

 ガッツポーズをして飛び上がる。アルコールが燃える時に小さい爆発みたいなものが起きたが、後は順調に燃え続けた。


「能力者を生み出す酒は無くなったけど、これで信長は救われるのかな。」

 一人ポツリと呟く。そして未だに聞こえる読経の声を振り切るように走った。延暦寺の最期を見る為に。


「ん……?」

 ふと違和感を覚えて立ち止まる。


「あれは……」

 その時蘭は見た気がした。ここにいるはずのない人物を。

 背中から禍々しいオーラを放ちながら燃え盛る延暦寺を見つめる、信長の姿を……

 慌てて頭を振る。そっと目を開けるとそこには誰もいなかった。


「何だ、気のせいか。」

 深い溜め息が出る。気を取り直すと秀吉を探しに再び走り出した。



―――

 宇佐山城



「わざわざお越し頂いてありがとうございます。」

 真っ赤に燃える比叡山の方を眺めていた信長に、可成の妻・えいが話しかける。我に返ったように振り向いた信長は僅かに微笑んだ。


「来るのが遅くなって悪かったな。」
「いえ!お気になさらないで下さい。色々とお忙しかったのでしょう?こうして来て下さって旦那様も喜んでおられます。」

 そう言って可成の遺骨が入った壺を愛しそうに撫でる。信長は蓋に手をかけるとゆっくりと開けた。


「小さくなりおって……全く、戦上手が聞いて呆れるわ。」
「信長様……」

 信長は震える手で遺骨を一つ取ると、ぎゅっと握りしめた。その目には光るものが見えて、えいはそっと目を逸らして見なかったフリをした。


「お前の仇は取ったからな。」

 信長の目が再び比叡山に注がれる。その瞳はどこまでも暗く真っ黒に染まっていた。



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