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舞台は日本の中心へ

我が儘の理由

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―――

「うぅ~……何か緊張してきた……」
「何であんたが緊張するのよ。いいから早く入って。」
「ちょっ……!押すなよ。」
「はいはい。じゃあ頼むわよ。私はしばらくそこら辺散歩してるから、終わったら呼びに来て。」

 蝶子は早口でそう言うと、さっさと廊下を歩いていった。


「ったく!相変わらず強引だな。はぁ~…仕方ねぇな。ここは蝶子の為に一肌脱ぐか。」

 蘭はため息混じりに呟くと、奇妙丸の部屋の戸を叩いた。


「はい。」
「よぉ!久しぶりだな。」
「蘭丸!……さん。どうして?あ、母上に言われたから来たのですか?もしそうなら……」
「まぁまぁ。俺がお前に会いたかったんだよ。ほら、最近全然遊びに来てなかったからさ。どうしてるかなって思って。」
「……そうですか。じゃあ、どうぞ。」

 そう言って奇妙丸は座布団を寄越した。そのちょっと素っ気ない態度に苦笑しながら出してもらった座布団に座る。


「大きくなったな。もう8歳だって?」
「まだ8歳です。」
「え?」

「僕は早く大人になりたい。元服して一刻も早く父上のお手伝いがしたい。その為に剣の稽古をしたり銃の使い方を教わりたいのに、母上はそのような危険な事はまだしなくていいって言う。でも父上は僕より幼い頃から剣の稽古を始めたって聞いたし、他の兄弟達はもう中庭で訓練しているみたいなんだ。だけど僕はこうして机に向かって勉強してるだけ。勉強なんて将来役に立たないものをやるよりも、僕は父上の為に強くなりたい。それを母上はわかってくれない……!」

 堰を切ったように捲し立てた奇妙丸は目の前にあった机から教科書を乱暴に取ると、それを思い切り押し入れに向かって投げた。押し入れの戸が破ける。

 蘭は余りの事にビックリして固まったが、気を取り直すと言った。


「お前の気持ちはわかるよ。でもあいつの気持ちもわかる。自分の息子が人を殺す為の稽古なんかやらせたくないって事だろ。」
「……本当の母親ではないのに……?」
「はぁ~……やっぱりそこが引っかかってんだな。」

 蘭は頭に手を当てると神妙な顔で正座した。その蘭の様子に奇妙丸もつられて正座になった。


「いいか。あいつはな、子どもが大の苦手なんだ。」
「……え?」

「それが急におむつも取れてない、よちよち歩きのガキを預けられてさ、まだ19かそこらだぜ?結婚とか出産とか何も考えていなかったのに、色々すっ飛ばして子どもの面倒見なくちゃいけなくなって。最初は俺のガキの頃に似てるからとか何とか言ってたけど、大変だったと思うんだ。いくら乳母がいるからって母親の役目は果たさなきゃいけないって、真面目なあいつの事だからそう思って育ててきたんだろう。自分の子どもでもないのにここまで立派に育てられるなんて、俺には無理だ。マジで尊敬するよ。だからさ、本当の母親じゃないからって反発したり距離置いたりして欲しくないんだよ。あいつの悲しい顔は見たくないんだ。な?ちゃんとお前の気持ちをぶつけて何回も何回も時間をかけて話し合ったら、きっとあいつも最後にはわかってくれるさ。」

「本当に?」
「あぁ。信じろ、俺を。」
「……ぷっ!あはははは!」
「なっ!何で笑うんだよ!」

 キメ顔で言ったのに爆笑されて、蘭は思わず前のめりでツッコんだ。


「ありがとう、蘭丸さん。今日からでも母上と話してみる。」
「さんつけなくていいぞ。昔みたいに生意気に『蘭丸!』って呼んでくれ。」
「生意気は余計です。」
「ふはっ!」

 ふくれっ面になった奇妙丸に今度は蘭の方が吹き出した。


「で?何でお前はそんなに焦ってるんだ?」
「え?」
「早く大人になりたいとか言うからさ。」
「…………」

 奇妙丸が俯く。不味い事を聞いたかなと蘭が後悔していると、顔を上げた奇妙丸が意を決したように口を開いた。


「父上も本当の親ではないと知ったからです。」
「……え?」
「半年前、父上に呼ばれてお部屋に行きました。大事な話があるからと言われて凄く緊張したのですが、本当の父親ではない事と父上の『心眼』の力の事を聞かされました。」
「そう……だったんだ。」
「はい。驚いたし信じられなかったけど、その力を使って僕の心を読んだのを目の当たりにして本当の事なのだと思いました。まぁ、本当の父上ではない事は実は薄々気づいていたけど。」
「え、そうなのか?」

 驚いて聞き返すと奇妙丸は苦笑しながら頷いた。


「だってあんなに母上が父上の事を悪く言ったりしているのを聞いているんだもん。本当の夫婦ではないなとは思っていました。」
「あいつ……子どもの前でも悪口言ってたのかよ……」

 蘭ががっくりと崩れ落ちると、奇妙丸はぽんぽんと肩を叩いた。


「やっぱりさ、そういう時ってショックっていうか落ち込むもん?二人とも本当の親じゃないって知ってさ。」
「う~ん……母上が本当の母上ではないという事は小さい頃から嫌というほど聞かされてきたし、父上の方も案外すぐに受け入れられましたね。」
「そんなもんかね。」

「本当の父上は父上のお兄さんで、『心眼』の力が僕にないから僕を後継者にしたのだと言われました。でもそれって逆に言えば、力がないから織田家の跡継ぎに選ばれたっていう事ですよね?そう思った時、僕のやるべき事が見えた気がしたんです。僕は強くなって皆を……ううん、母上を守りたい。」
「奇妙丸……」

『母を守りたい』と語ったその顔は、もはや幼い子どもの顔ではなかった。将来を強引に決められた可哀想な子どもでもない。

 自分の運命に逆らうでもなく抗うでもなく、ただ前だけを向いた一人前の大人の顔だった。


「その言葉、あいつに言ってやれよ。泣いて喜ぶから。」
「嫌ですよ。恥ずかしいじゃないですか……」
「素直になるんじゃなかったのか?」
「蘭丸の意地悪……」
「ははは。」

「ちょっとぉ~まだ終わらないの?長過ぎじゃない?」

 その時蝶子が顔を覗かせた。蘭と奇妙丸は思わず揃って背筋を伸ばした。


「も、もう終わったよ。ちょっと雑談をしてたんだよ。なぁ?」
「う、うん。あ、母上。これからお時間いいですか?」
「時間?いいわよ、暇だから。」
「じゃあ……」
「おっと、お邪魔虫は退散するとしますか。蝶子、じゃあな。」
「あ、ちょっと!蘭!」
「また来るからな~」

 空気を読んで部屋から出ていく蘭を、蝶子は呆れた目で見送った。


「何なの……?」
「あの、母上。ごめんなさい。」
「うん?何の事?」
「今まで反抗的な態度ばかりとって。僕、母上の気持ちとか何も考えずに我が儘言って困らせてましたよね?本当にごめんなさい……」
「きーちゃん……」

 深く頭を下げる奇妙丸を蝶子は驚いた顔で見つめた。


「でもこれだけは許して欲しい。明日から剣の稽古を始めます。」
「!!」
「僕は織田信長の息子で跡継ぎです。その為に生まれてきた。だから僕にしか出来ない事をやる。それは強くなる事。そして貴女を守る事です。」
「……きーちゃん…」

 蝶子の目に涙が浮かぶ。奇妙丸はそれを見て微笑んだ。


「母上が泣いているところ、初めて見ました。」
「もう……バカぁ~…!」

 蝶子が着物の袖で目元を隠す。バカと言われた奇妙丸だったが、母の貴重な姿にずっとにこにこ笑っていた。


「何だ。上手くいったじゃん。何かあったら出ていこうとしたけど大丈夫そうだな。」

 廊下の角に隠れて様子を窺っていた蘭だったが、二人の様子を見て安心したように呟いた。そして足音に気をつけながら静かに去っていった。



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