上 下
68 / 124
舞台は日本の中心へ

駒か、牙か

しおりを挟む

―――

 次の日蘭と蝶子は市に別れを告げ、小谷城を後にした。

 既に外で待っていた秀吉と共に帰路につき、三人は無事に清洲城に帰ってきた。


「ご苦労だったな。市には会えたか?」
「はい。お変わりないようで安心しました。お子さんには会えなかったんですが、元気に育っているようですよ。」

 蘭がそう言うと、信長は少し表情を緩めて頷いた。


「で?どうだった?浅井の若き当主は。」

 信長は大広間の定位置であぐらをかきながら言った。帯に差していた扇子を抜き取ってパッと広げる。


「俺なんかより若いのに全然しっかりしててビックリしました。でも凄い優秀らしいです。」
「そうか。ところで市に宛てた文にも書いた事だが、武田や他の部将への牽制の為に長政に上杉と朝倉を見張るよう命じた。特に謙信は川中島で信玄と交わした会話と武田との戦がぱったりと止んだ事から、俺を倒す為に武田と上杉が密約を結んだ事は明らかだ。そして朝倉義景は浅井のご近所さんだ。ここで押さえておいても無駄ではないだろう。」

(はぁ~相変わらず凄いなぁ。それにしても朝倉義景か。詳しく知らないけど、確か浅井と同盟を組むんだっけ。で、最後には浅井は織田を裏切って朝倉に……)


「ほぉ、成程。」
「えっ!あ……もしかして今の……?」

 パチンという扇子の音と信長の低く冷たい声が響く。蘭は慌てて顔を上げた。


「また視たんですか?」
「あぁ。」

 悪びれずにそう言うと、信長は背筋を正して蘭を真っ直ぐに見つめた。


「確かなのだな。」
「……はい。詳しい事情はテキストを見ないとわからないですが、浅井は裏切って朝倉と同盟を結びます。」
「そうか。」
「あの……そうなった場合、市様とお子さんはどうなるんですか?まさか……」
「心配するな。その時は勝家か秀吉にでも頼んで城から脱出させる。その後は信包のところにでも預けるさ。」

「信包さんですか。本物の濃姫様……いえ、於濃の方様のところですね。」
「あぁ。あそこは年が大分離れていて、しかも強引な政略婚だったにも関わらず円満で子宝にも恵まれている。信包自身も穏やかな性格であるから居心地は良いはずだ。何かあれば協力してくれと今から頼んであるからその辺は抜かりない。」
「凄い、流石ですね!」

 光秀の言う通り先々の事をこれでもかという程考えている信長を尊敬の目で見る蘭だった。


「於濃の方様はお元気ですかね?」
「聞いた話によれば元気に過ごしているそうだ。」
「それは良かったです。」

 蘭は斎藤道三の娘である本物の濃姫の事を思い出して微笑んだ。

 信長の正室になるはずだったのが、蝶子が濃姫として信長と結婚してしまった為に弟の信包と年の差婚を強いられた彼女。ずっとどこかで気になっていたのだが、元気に幸せに暮らしているようで蘭は安心した。後で蝶子にも教えてあげようと思った。


「それはそうと、上杉と朝倉以上に厄介なのが三好長慶だな。」
「三好……確か畿内で強大な勢力を誇っていて三好政権って呼ばれてるんでしたっけ。」

「そうだ。特に今の当主の長慶は何度も将軍と戦をして、勝つ度に将軍を京から追い出すという愚行を犯している。今は条件つきで和睦をして服従の姿勢をとっているが、腹の中では何を企んでいるのやら。反三好の連中もいるにはいるがどれも心許ないときた。まぁ俺も人の事は言えないか。美濃との決着もまだついていないし、兵力は減る一方だ。天下統一の為だから仕方がないが、やらなければならない事が多くて敵わんな。」
「でも、やらなきゃダメなんですよね?」
「当たり前だ。」

 蘭が伺うように信長を見ると、信長はふんっと鼻で笑ってそう答えた。


「とにかく今は人を集めて少しでも戦力になるよう秀吉らに言ってある。目下の敵は美濃の斎藤。しかし予測不可能な世の中だ。今後どうなるかわからない。だが俺にはお前がいる。これまで以上にお前を連れ歩く事になると思うが、そのつもりでいてくれ。」

 そう言われ一瞬蝶子の笑顔が脳裏を過ったが、次の瞬間には勢いよく返事をした。


「はい!」
「頼むぞ。」

 信長はおもむろに立ち上がると、襖を開け放つ。そして鋭い目を虚空に泳がせた。

 その真っ黒な瞳に映るのは目的を達成した自身の姿か、それとも……

 蘭は何故か溢れてきた焦燥感で体が震えた。



―――

 京都御所


「この度は関東管領に任じて頂き、誠にありがとうございます。」

 そう言って上杉謙信は頭を下げた。それをじっと見つめていた第13代将軍、足利義輝は短く頷く。


「貴方には期待しています。今まで以上に良い働きを見せて下さいね。」
「はっ!」
「ところで武田とは最近どうですか?先年の川中島での合戦の後は特に大きな衝突はないようですが。」
「……っ、はい。実はご報告が遅れましたが和議を結びました。申し訳ございません。事後報告になってしまいまして。」
「いえ、別に謝る事ではありませんよ。良い事ではないですか。しかしあの信玄が大人しく言う事を聞きましたね。」
「えぇ……」

 謙信は何と言ったらいいかわからず、言葉を濁す。義輝はそれに気づいているのかいないのか、話を逸らした。


「尾張の……織田信長でしたか。その後の動きは?」
「はい。今は美濃の斎藤を攻略するのに必死のようです。まだまだ一地方領主という事ですね。」
「そうですか。しかし油断はしない方が良いですよ。何と言っても今川を破った人物です。何をしでかすかわかったものではない。」
「畏まりました。」

 謙信が先程よりも深く頭を下げると、義輝は笑みを湛えていたその顔から一瞬にして表情を消した。



―――

 今、京都ではやっと将軍義輝の政権が復活していた。

 それというのも、三好長慶との幾度にも亘る戦の中で何度も京を追われていたからである。

 しかし義輝と長慶の間でようやく和睦が成立し、義輝は数年ぶりにこの御所に帰ってきたのであった。

 それでも三好の勢いが衰えた訳ではなく実権はまだ長慶が握っていて、義輝にとってはもどかしい思いを抱いていた。

 だが反三好派の数は少なくなく、将軍の権威に従ってくれる部将も全国に何人もいるという事が義輝にとっての希望であった。


「織田信長……我々の駒になってくれるのか、それとも牙を向けてくるのか。」

 義輝は密かにそう呟いた……



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

王子は婚約破棄をし、令嬢は自害したそうです。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「アリシア・レッドライア! おまえとの婚約を破棄する!」 公爵令嬢アリシアは王子の言葉に微笑んだ。「殿下、美しい夢をありがとうございました」そして己の胸にナイフを突き立てた。 血に染まったパーティ会場は、王子にとって一生忘れられない景色となった。冤罪によって婚約者を自害させた愚王として生きていくことになる。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

婚約破棄?貴方程度がわたくしと結婚出来ると本気で思ったの?

三条桜子
恋愛
王都に久しぶりにやって来た。楽しみにしていた舞踏会で突如、婚約破棄を突きつけられた。腕に女性を抱いてる。ん?その子、誰?わたくしがいじめたですって?わたくしなら、そんな平民殺しちゃうわ。ふふふ。ねえ?本気で貴方程度がわたくしと結婚出来ると思っていたの?可笑しい!  ◎短いお話。文字数も少なく読みやすいかと思います。全6話。 イラスト/ノーコピーライトガール

「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。

桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。 「不細工なお前とは婚約破棄したい」 この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。 ※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。 ※1回の投稿文字数は少な目です。 ※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。 表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年10月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 1ページの文字数は少な目です。 約4500文字程度の番外編です。 バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`) ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑) ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

処理中です...