上 下
54 / 124
混乱の尾張

それぞれの胸の内

しおりを挟む

―――

 信長と蘭が伊勢守家と戦をする為に城を出立した翌日、蝶子は自分の部屋に市とねねを呼んだ。


「そろそろ向こうに着いた頃かしら。」
「そうですね。それにしても帰蝶様、今回はお見送りしなくて良かったのでございますか?蘭丸は寂しく思ったのでは……」
「いいんですよ。顔見ると色々考えちゃいそうだし、会わない方が逆に楽だもん。それにあいつの事は一応信用してるから。今回もきっと蘭を連れて帰ってくるって。」
「まぁ、それを聞いたらお兄様喜びますわ。」
「ちょっ……ちょっと!言わないで下さいよ、市さん。」
「大丈夫ですよ。ふふふ。」

「帰蝶様は信長様の事をわかっているのですね。羨ましいです。」
「ねねちゃん、どうしたの?元気ないのね。」

 部屋に来てからずっと黙ったままだったねねが落ち込んだ様子で口を開いたので、それに気づいた蝶子はねねの表情を窺った。

「えぇ、実は……旦那様に側室を迎えるという話がきて、旦那様はそれを受け入れるそうなのです。」
「側室?」
「正室以外の妻の事です。帰蝶様。」
「え!?それって愛人って事?何でそんな事になるの?」

「信長様は旦那様に早く子を授かって欲しいと思っているのですが、私はまだ未熟で中々子が出来ません。それを憂いた信長様は他の方に、と……」
「側室に産ませるって事?酷いじゃない!こっちの都合でねねちゃんを15才で結婚させたくせに、子どもが産めないからってそんな……」
「いえ、いいのです。側室を迎えて少しでも子を多く残す事はこの世の中で必要な事ですし、私も理解しております。」
「わたしの父上にも母上以外に何人も側室がおりました。それでも父上は正室である母上を一番大切にしていたと、そう思う事で納得しています。」
「市さんまで……」

 二人からそう言われ、蝶子は思わず泣きそうになった。

(どうしてこの世は女が我慢しないといけないのよ!)

 そう叫びたくなるのをグッと堪える。

「それでねねさんは何を気に病んでいるのですか?」
「はい。さっきも言いました通り、側室を迎える事は納得しています。でも旦那様が私に相談もなく決めてしまわれたのが少し…悲しくて……」
「ねねちゃん……」

「木下家の後継ぎに関わる事ですから一言欲しかったのですが、光秀さんから聞いたところ、旦那様はその場ですぐに返事をなさったそうです。それを聞いて私……旦那様の事、わからなくなって。でもそう思ってしまった事が申し訳なくて……」
「そんな……そんな事思うのは当然じゃない!だってねねちゃんは秀吉の事、好きなんだもん。そうでしょう?」
「…はい。でも私はっ……」
「諦めちゃうの?それでいいの?」
「正室は私だけ。あの人の一番は私。そう思うしかないのではないかと思っております。ですがやはり胸が痛みますが。帰蝶様と信長様は仲が宜しくて、本当に羨ましいです。」
「別に私達はそんな……」

 本当の夫婦だと思われている手前、蝶子はそれ以上何も言えなくなった。

 しかしこの時代の夫婦の実情や女性の苦しみを目の当たりにして、蝶子は複雑な気持ちになった。

(じゃあ好きな人の側にいられている私って本当は幸せなのかな……)

 蝶子は蘭の顔を思い浮かべながらそっと目を閉じた。



―――

 その頃、信長軍は浮野うきのという地で敵軍と鉢合わせ、そこで戦が始まった。


「はぁ~…可成さっ……じゃなくて父上って本当に凄いんだ……」

 蘭は草むらに隠れながら、父親代わりの森可成の戦いぶりにため息を吐く。

 以前前田利家に可成は強いと聞いていたが、想像以上の迫力にビビっていた。

「どうした。ため息など吐いて。」
「あ、信長様!いいんですか?こんなところに来て。」

 突然信長が草をかき分けて入ってきたので驚きながらそう言うと、信長は苦笑して地面に腰を下ろした。

「可成や勝家に任せておけば大丈夫だ。伊勢守家の勢力は思った程強くないようだからな。数だけはあるが見かけ倒しという訳だ。俺の出る幕はない。」
「そうなんですか。それにしても父上って凄いんですね。いつもの優しい姿しか知らなかったから、印象が変わっちゃいました。」
「そうでなければあいつを側に置かん。あいつは人望があって下の者をよく纏めてくれているからな。それに見ての通り、戦い方を知っている。いざ剣を持つと残酷非道になれるところが俺は気に入っているのだ。」

 信長はそう言うと、近くにいるであろう可成に視線を送った。


「なぁ、蘭丸。」
「何ですか?」
「お前には心に決めた女がいるか?」
「へっ!?」

 突然の言葉に蘭は悲鳴のような声を上げた。

「な、何ですか?急に……別にいませんよ。好きな人なんて……」
「そうか。帰蝶の事はどのように思っている?幼馴染というだけの関係なのか?」
「え……蝶子ですか?と、とんでもない!あいつの事は何とも思ってないですよ。」
「そうか……」
「えっと、信長様……?」

 いつもと違う信長を不思議に思いながら様子を窺うと、パッと顔を上げて立ち上がった。

「わっ!」
「勝敗が決まったようだ。蘭丸、行くぞ。」
「え?あ、はい!」

 信長に続いて草むらから出ると本当に決着がついていた。可成や勝家、そして他の面々が軽い怪我はしているものの無事な様子を見て、蘭はホッと胸を撫で下ろした。

「よし、戻るぞ。これで帰蝶に煩く言われずに済む。」
「……そうですね。」

 何事もなかったように意地悪な笑みを見せてくる信長に、蘭は若干ひきつった顔を向けた。

(何だろう……信長は何を言いたかったんだろう。俺と蝶子の関係?そんなのただの幼馴染……だよな?)

 帰り道、蘭の心中は穏やかではなかった。



―――

 1558年(永禄元年)、信長は2,000の軍勢を率い出立し、浮野の地において3,000の軍勢を率いる伊勢守家の軍と交戦した。

 激戦が繰り広げられたが信長軍が圧倒的な強さでこれに勝利し、信長の尾張統一に向けて幸先の良い戦となった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

王子は婚約破棄をし、令嬢は自害したそうです。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「アリシア・レッドライア! おまえとの婚約を破棄する!」 公爵令嬢アリシアは王子の言葉に微笑んだ。「殿下、美しい夢をありがとうございました」そして己の胸にナイフを突き立てた。 血に染まったパーティ会場は、王子にとって一生忘れられない景色となった。冤罪によって婚約者を自害させた愚王として生きていくことになる。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

婚約破棄?貴方程度がわたくしと結婚出来ると本気で思ったの?

三条桜子
恋愛
王都に久しぶりにやって来た。楽しみにしていた舞踏会で突如、婚約破棄を突きつけられた。腕に女性を抱いてる。ん?その子、誰?わたくしがいじめたですって?わたくしなら、そんな平民殺しちゃうわ。ふふふ。ねえ?本気で貴方程度がわたくしと結婚出来ると思っていたの?可笑しい!  ◎短いお話。文字数も少なく読みやすいかと思います。全6話。 イラスト/ノーコピーライトガール

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

処理中です...