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現在
薄明かりの攻防
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「火野~まだ出来んのかぁ?」
パソコンに向かって眉間に皺を寄せていた俺に向かって、ヒカルが話しかけてくる。さっきからしつこく何回もだ。
流石に面倒くさくなって仕方なく彼の方を見た瞬間、固まってしまった。
ヒカルがすぐ目の前にいて、しかもいかにも風呂上がりといった格好だったから。襟足が長い髪からポタポタと滴が落ちている。俺は慌てて目を逸らした。
彼に道ならぬ想いを抱いている俺にしてみたら、それは何というか目の毒で。
そんな俺の葛藤など知らないヒカルは、あろう事か机に手をついて覗き込んできた。
……やめてくれ。心臓に悪い。
上から見下ろされて、何となく目のやり場に困った。
「火野?聞いてる?」
ヒカルの声を無視して、俺は無理矢理脳を仕事モードに切り替えた。
「……何だよ。せっかく捗ってたのに邪魔するな。」
「嘘つけ。さっきから見てたけど全然進んでへんやないかい。」
「…………」
(っていうか、ずっと見てたのかよ!)
バレてた事に恥ずかしくなって思わず心の中で突っ込む。
「わかった。正直に言う。今日は全然さっぱり浮かばない。調子が悪いようだ。」
お手上げというジェスチャーをすると、頭を叩かれた。それはもう思い切り。
「『調子が悪いようだ。』じゃないわ!無理して出せ!明日締め切りなんやぞ?」
「そんな事言われても出ないものは出ない。」
「開き直るな!」
今度はポカポカと殴ってくる。俺は頭を庇いながら、ヒカルの髪を指差す。
「そ、それより早く髪の毛乾かせよ。風邪引くぞ。」
「え?あ……忘れてた。」
ヒカルは髪に手を当てると、そそくさと自分の部屋に行ってタオルを持ってきた。そしてソファーに座って豪快に拭く。
(あぁ~あんなに乱暴にしたらせっかくの綺麗な髪が痛むじゃないか……)
何ていう心配も何のその。実際はどんなに雑な扱いをしても、ヒカルの髪の毛は不思議とサラサラなのだが。
ボーッと見ていると拭き終わったヒカルが再び俺の所に来て、机に手をついた。今度は勢いをつけて。
「ちゃんとドライヤーで乾かせよ。」
「ええの。俺は自然乾燥派やから。」
何故か偉そうに言い張るヒカルに苦笑しつつ、俺はパソコンに視線を移した。
「でもな~さっきから一行も浮かばない。これは明日までにはちょっとむ……」
「無理ちゃう。この間もそう言って締め切り延ばしてもらったんやから、これ以上はあかんで。絶対明日までに仕上げる事!」
ビシッと言われて二の句が告げない。確かに一度締め切りを延ばしてもらった。もうこれ以上は待ってくれない。
「……何とかする。」
「宜しい。あ!俺がチェックする時間も考えてな。えーっと今十時やから……三時がタイムリミット。」
チラッと時計を見てそう言う。あと五時間。うん、死ぬ気でやったら何とかなりそうだ。でも……
「お前はそれでいいのか?三時まで待たす事になるぞ?」
「あぁ。大丈夫や。終わるまでそこのソファーで仮眠取るから、出来たら起こして。」
「え……」
言うが早いか、さっき髪を乾かす時に座ったソファーに行き、陰から毛布を引っ張ってきた。そしてそれを頭から被って『おやすみ!』と言って寝転んだ。
「あー……ヒカル?」
「何や。はよ書け。」
「本当にそこでいいのか?部屋で休んだ方がゆっくり寝れるんじゃ……」
「ここでええ。だって部屋で寝たら朝まで起きへんで、俺。」
「まぁ、確かにお前は一度寝たら朝まで起きないけど……」
「ここならお前が声かけてくれたらすぐ起きれると思うし。あ、でも邪魔なら自分の部屋行くよ。」
慌てた様子で毛布から顔を上げる。茶色い瞳が不安げに揺れた。
(まったく……)
勝手に決めたかと思ったらこうして不意にご機嫌を窺うような表情をする。気まぐれな猫みたいだ。
俺は心の中でため息をつくと、笑顔を浮かべた。
「邪魔じゃない。こっちこそ煩いかも知れないぞ。キーボードの音とか。」
「慣れてるから平気や。むしろ子守唄代わりになる。」
そう言ってヒカルも笑った。
「じゃあ部屋の照明下げていいぞ。俺はこれがあるから。」
『これ』と言ってライトスタンドを指差す。それを見たヒカルは頷いて、リモコンで電気の照度を下げた。
「おやすみ。」
「あぁ、出来たら起こすから。」
「よろしく~」
軽い返事の後モゾモゾと動く気配がして、やがて小さな寝息が聞こえた。そっとパソコンを閉じて気配を窺う。
ぐっすりと寝ている様子にホッと息をついた。
「はぁ~……」
予想だにしなかったシチュエーションにいまだ頭がついていってない。自分の部屋に好きな奴が無防備に寝ているなんて状況、どう処理するべきかわからないのだ。
しかし今の俺には悩んでいる暇はない。取り敢えず何か書かなくては、ヒカルに殺される。
「……よし!」
しばらくヒカルの方を見つめていたが、気を取り直すように小さく気合いを入れる。そしてパソコンに向き直った。
―――
電気を落として毛布にくるまる。私は何となく思いついて寝た振りをした。
どうしてそんな事をしたのかわからない。とにかく私はそっと息を潜めて火野の様子を窺った。
「はぁ~……」
火野のため息。どうしたのだろうか。やっぱり浮かばないのだろうか。
心配になって声をかけようとした時、……視線を感じた。
火野のいる方から刺すような視線が……
何で彼がそんな視線で私の方を見るのか、分からなくて焦る。背中にじっとりと汗が吹き出した。上げかけていた頭をソファーの肘掛けにそっと乗せる。
しばらくするとパソコンのキーボードを叩く音が聞こえたのでホッと息をし、今度は吸い込まれるように夢の中へと旅立っていった。
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