悲隠島の真実

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エピソード1:運命の輪

回顧

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―――

 最初は教師という仕事に誇りを持っていた。幼い頃からなりたかった職業でもあったし、自分が教えた子ども達が立派になって巣立っていくのを見るのが好きだった。だが、いつからだっただろう。生徒達によって作られたイメージが自身を苦しめ始めたのは……


『氷の女王様』
 それが私のあだ名だった。誰がいつつけたのかはわからないがいつの間にか学校中に広まっていた。
 自分の容姿については少なからず自信はあったし、生徒とベタベタするタイプではなかったからそのあだ名は案外気に入っていた。

 高校生という多感な年頃の子どもには友達同士のような教師よりは少し距離があるがいざという時に頼りになる教師の方がいいと思っていた。だから私の事を敬遠して近づいてこない生徒よりも、勇気を持って相談を持ちかけてくる生徒の方に対して親身になってあげた。その結果ますます『氷の女王様』というあだ名は一人歩きをし、じわじわと私の首を締め付けてきた。

 私生活では教師になって五年目に結婚をし、仕事を続けたいという私の意志を汲んで子どもはまだ作らない事にした。友人の紹介で出会った彼は、とにかく優しかった。家事が苦手な私の代わりに家の事は全てやってくれて、それでも不平不満は口に出さなかった。いつも明るく元気で、自分も仕事があって疲れているはずなのに私を気遣ってくれる良い旦那だった。だけど私にはそれが重荷だった。ほんのちょっとでも欠点があったのならその隙につけこんで責める事が出来たのに。

 彼と一緒にいると何も出来ない自分が駄目な人間に見えて、劣等感が段々私を押し潰していった。友人に相談するも『あんなに良い人の何が気に入らないの?』と逆に責められるし、結婚をとても祝福してくれた家族にはがっかりさせたくなくて言えなかった。もちろん学校ではそんな姿はおくびにも出せなかったからストレスは積み重なっていった。

 そして私は家に帰る事が苦痛になり、夫が寝る時間になるまで毎晩飲み歩くようになった。そんな時ふとした事がきっかけで出会ったある男と不倫をしてしまったのだ。

 あれはその彼と付き合い始めて半年経った頃だった。いつものようにホテルに行く流れになり、私達は腕を組んで談笑しながらその入口を潜ろうとした。その時だった。声が聞こえたのは。

『先生……?』
『……楢咲さん?』
 当時二年生だった楢咲陽子だった。慌てて腕を解いた私だったが、楢咲さんも同じように隣りにいた男の腕を振り解いた。暗くて良くわからなかったけどスーツ姿の背の高い男性で、年は30を超えているように見えた。明らかにこのホテルに入ろうとしていたのだ。

『これは一体どういう事?』
『あ、あの……これは……』
 私の問いかけに焦る楢咲さん。それはそうだろう。未成年の身分で男とホテルに入ろうとしていたのだから。立派な校則違反、そして不純異性交遊だ。教師という立場上見過ごす訳にいかない。しかしふと今の自分の事を思い出す。夫以外の男と不倫をしているという事実だ。

『先生……どうか今日の事は……!』
『わかってる。私も大きな声で言えない立場だもの。そうだ、こうしましょう。今日ここで会った事は誰にも言わない。約束できる?』
『はい!』
『じゃあ今日のところは帰りなさい。これは教師として言ってるの。何があったのかわからないけどもうこういう事しては駄目よ。悩みがあるなら聞くからいつでも相談にいらっしゃい。』
『……わかりました。』

 相手の男には教師という事を打ち明けこのまま帰ってもらい、楢咲さんとはそのまま別れた。しかし罪悪感は消えなかった。そして生徒の秘密を知っていながら放置しているという事が耐え難かった。

 だから私は――


「懺悔します。私は許されない事を致しました。」



―――

「それは本当ですか、植本さん!」
 坂井さんが半ば責めるような口調で言う。しばらく目を閉じていた植本さんは一つ息を吐くと口を開いた。

「本当です。」
「じゃあ本当に陽子が……」
 星美さんが言葉に詰まる。流石の白藤さんも顔を青くしている。
「ホテルの前で会った次の日、楢咲さんから聞きました。お金が必要で二十歳だと嘘をついてキャバクラでバイトをしていると。普段は客とは店以外では会わないようにしていたけど、あの日に限って男がしつこくてホテルに行く羽目になったんだと。ホテルに行ったのは初めてで、隙を見て逃げようと思っていたんだと。」
「それでは陽子はまだそういう経験はなかったって訳だ。」
 服部さんが例のねちっこい喋り方でその場の空気を乱す。一瞬静かになったところに早乙女さんの声がした。

「約束を破ったのは私の方。でもだからといって何でこんな無人島に呼ばれて閉じ込められなきゃいけないの?不倫の事は夫に全てを話して謝罪したし、激昂した夫から突きつけられた離婚届にサインもした。校長にも話して辞表も出した。今は別の高校で教師を続けていけてるけど、失った物が多かったのは私よ。楢咲さんがあの後どうなったのかは知らないけどね。」
「しかし未成年の不純異性交遊を黙っていたのは教師としても大人としても見過ごせないですね。」
 大和刑事が刑事目線で言うと、早乙女さんの瞳がキラリと光った。

「それは自分自身が痛いほどわかっています。だから全てを懺悔した。……もういいでしょう。朝から見たくもない死体を見せられて気分が優れないの。部屋で休ませてもらってもいいかしら。」
「ではお部屋までお連れいたしましょう。」
「結構です。じゃあ皆さんごゆっくり。」
 小泉さんの申し出を冷たく断ると早乙女さんはスタスタとダイニングを出ていった。

「はぁ~……何か衝撃的過ぎて頭が痛くなってきた。」
「だな。まさか陽子がキャバクラで働いてたなんて。」
 白藤さんと新谷さんが揃って額に手を当てながら言う。そういう僕もズキズキと頭が痛むのを感じていた。

 早乙女さんの告白の内容を僕は全部知っていた。知っていたけど改めて聞くとショッキングな事だった。あの陽子がキャバクラで働くと言った時は頑なに止めたし、母親に正直に言ってお金を貸してくれるように一緒に頼むと言った。だけど陽子はそんな僕を振り切って行動に移した。早乙女さんに見つかって親にも知られて……責められて泣いている陽子を僕はただ慰める事しか出来なかった。そんな自分が惨めで恥ずかしくて、早く大きくなって陽子を守れるようになりたかった。でも、僕が大人になる前に陽子は逝ってしまった。

「と、とにかく斉木さんの事は犯人が誰かわからないにしろカードの事や手紙の事は解決したんだし、もう少し皆さんで話しませんか。まだお昼にもなっていませんし。」
 坂井さんが場を和ますように明るく言うと、あちこちから溜め息がこぼれた。

「そうですな。小泉さん、わしにもビスケットを下さらんか。チョコレートは飽きたんでね。」
「かしこまりました。」
 相原さんがチョコの皿を避けながら言うと小泉さんが厨房へと姿を消す。すると新谷さんや坂井さんもそれに便乗した。

「あ、俺も。」
「それじゃあ私もお願いします。」
「それでは大皿で持ってきます。少しお待ち下さい。」
 星美さんが慌てて小泉さんの後を追う。一瞬僕も頼もうかと思ったけれど大皿で持ってくると言っていたから上げかけた手を降ろした。

「それにしても植本さん。早乙女さんと接点があったんっすね。何で知らないフリしてたんですか?」
「それは別に聞かれたかったからな。それに……」
 無邪気な顔で言ってくる新谷さんをやんわりいなすと、植本さんは言葉を切った。

「他にもいると思うが?他人のフリをしている方々が……」
 その瞬間、その場が冬のように凍りついた。


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