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第七章 後悔しない選択肢を選べ
03.
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テストの朝は気持ちの良い冬晴れだった。
電車の窓から見下ろした井の頭公園は、朝露の装いを煌めかせていた。
駅から井の高への道も、日差しの下で眩く輝いているようだった。
時刻は七時半。
ホームルームは一時間後だが、通学路にも、校門から校舎までの間にも、結構な数の生徒たちがいた。早く来て最後の勉強をしたり、気持ちを落ち着かせたりするのだろう。私と同じだ。
職員室にも半数ほどの先生が来ていた。ちょうど青木先生の姿があったので、空き教室の鍵を借りることにした。
「おう、鶴崎。期末も期待してるぞ」
「すみません。今回、本気なんですよ。ネタ回答はちょっと」
「そこじゃねえよ! 順位だ、順位」
「最下位はないと思います」
「俺もねえと思うよ! 逆だろ、逆。狙うは一位、そうだろ?」
「当然ですよ」
それが何か? という顔をしたら、青木先生は「はっ」と愉快そうに笑った。
「……なあ、鶴崎」
そして先生は、私に鍵を手渡しながら問い掛けてきた。
「意味が、見つかったんか?」
そういえば、以前先生にも聞いたことがあった。報われない努力に意味なんてあるのかと。
そして先生は答えた。意味があるか決められるのはお前だけだと。
考えてみれば鹿島くんも似たようなことを言っていた。意味は見いださなければならないと。
「……見つけたような気もしますけど、まだ全部じゃないって気もしてます。だから、今探してるところですよ」
「そうか」
「先生も探してるんですか? 離婚に強い弁護士」
「お前はあれか、余分なこと言わないと死ぬんか?」
特別棟の廊下はいつものように寒かった。
いくら天気がよくても、日陰には関係ない。
空き教室の前に立つ。
そのドアを開けるのが、怖い。開けて確かめるのが……。
中を見るまでは、何も確定していない。
そこに鹿島くんがいるのか。
鹿島くんがテストを受けられるのか。
そして、私が彼に勝てるのか。
ふと、思ってしまった。
いつまでもあの頃が続いてくれればよかったと。
夏休みの、追追試のために補習を受けていたあの頃が。
夏の喧騒を向こうにして、ただ二人いられたあの頃が。
無為な思いにピリオドを打つため、私は空き教室のドアに手をかけた。
ドアが動くか動かないか、そんな微妙な力を込める。
手応えはなく、ドアは動いた。
「もしかして、君か?」
と、ドアの隙間から声が届いた。聞き慣れた彼の声だ。
ドアを開けると、いつもの席に座っていた鹿島くんが、
「よう、やっぱりか」
と手を挙げた。
机の上には教科書、ノート、そして分厚い紙の辞書。
空き教室に来る。国語辞書に触れる。どちらも鹿島くんのルーティーンだ。
「準備はばっちりみたいね」
私が尋ねると、鹿島くんは「君こそ、準備はいいのか?」と訊き返してきた。
「ルーティーンならもうやってるよ」
「違う」と鹿島くんは首を横に振った。
「遺書の準備だ。一番になるのは僕だからな」
面くらい、思わず「は?」と声を出してしまった。
一瞬置いてから、今度は笑いがこみ上げてきた。
「鹿島くんこそ、言い残したことはない? 偉そうなことばかり言ってすみませんでしたとか」
「そんな戯言は生涯言わないな」
鼻で笑った後、鹿島くんは辞書を撫でつつ呟いた。
「……言い残していきたくはないな」
鹿島くんとの冗談めいた会話は久しぶりで、楽しかった。
地雷原で踊るような危うさすらもエンタテインメントだった。
だから、おかしな話なのだ。
冗談で泣きそうになるなんて、馬鹿げている。
顔を背け、欠伸をする振りをして目許を擦る。
「……そろそろ教室行こうか」
そう促すと、鹿島くんは「いや」と首を振った。
「僕は保健室でテストを受ける。それが一時外出の条件なんだ」
退院できたわけではなかったのか。
「じゃあ、ここでお別れだね」
「ああ」
空き教室のドアを開け、廊下に出たところで、背中から声をかけられた。
「『いつか山の上で君達と握手する時があるかも知れない』」
その言葉は、実篤の『友情』、その一節だった。
電車の窓から見下ろした井の頭公園は、朝露の装いを煌めかせていた。
駅から井の高への道も、日差しの下で眩く輝いているようだった。
時刻は七時半。
ホームルームは一時間後だが、通学路にも、校門から校舎までの間にも、結構な数の生徒たちがいた。早く来て最後の勉強をしたり、気持ちを落ち着かせたりするのだろう。私と同じだ。
職員室にも半数ほどの先生が来ていた。ちょうど青木先生の姿があったので、空き教室の鍵を借りることにした。
「おう、鶴崎。期末も期待してるぞ」
「すみません。今回、本気なんですよ。ネタ回答はちょっと」
「そこじゃねえよ! 順位だ、順位」
「最下位はないと思います」
「俺もねえと思うよ! 逆だろ、逆。狙うは一位、そうだろ?」
「当然ですよ」
それが何か? という顔をしたら、青木先生は「はっ」と愉快そうに笑った。
「……なあ、鶴崎」
そして先生は、私に鍵を手渡しながら問い掛けてきた。
「意味が、見つかったんか?」
そういえば、以前先生にも聞いたことがあった。報われない努力に意味なんてあるのかと。
そして先生は答えた。意味があるか決められるのはお前だけだと。
考えてみれば鹿島くんも似たようなことを言っていた。意味は見いださなければならないと。
「……見つけたような気もしますけど、まだ全部じゃないって気もしてます。だから、今探してるところですよ」
「そうか」
「先生も探してるんですか? 離婚に強い弁護士」
「お前はあれか、余分なこと言わないと死ぬんか?」
特別棟の廊下はいつものように寒かった。
いくら天気がよくても、日陰には関係ない。
空き教室の前に立つ。
そのドアを開けるのが、怖い。開けて確かめるのが……。
中を見るまでは、何も確定していない。
そこに鹿島くんがいるのか。
鹿島くんがテストを受けられるのか。
そして、私が彼に勝てるのか。
ふと、思ってしまった。
いつまでもあの頃が続いてくれればよかったと。
夏休みの、追追試のために補習を受けていたあの頃が。
夏の喧騒を向こうにして、ただ二人いられたあの頃が。
無為な思いにピリオドを打つため、私は空き教室のドアに手をかけた。
ドアが動くか動かないか、そんな微妙な力を込める。
手応えはなく、ドアは動いた。
「もしかして、君か?」
と、ドアの隙間から声が届いた。聞き慣れた彼の声だ。
ドアを開けると、いつもの席に座っていた鹿島くんが、
「よう、やっぱりか」
と手を挙げた。
机の上には教科書、ノート、そして分厚い紙の辞書。
空き教室に来る。国語辞書に触れる。どちらも鹿島くんのルーティーンだ。
「準備はばっちりみたいね」
私が尋ねると、鹿島くんは「君こそ、準備はいいのか?」と訊き返してきた。
「ルーティーンならもうやってるよ」
「違う」と鹿島くんは首を横に振った。
「遺書の準備だ。一番になるのは僕だからな」
面くらい、思わず「は?」と声を出してしまった。
一瞬置いてから、今度は笑いがこみ上げてきた。
「鹿島くんこそ、言い残したことはない? 偉そうなことばかり言ってすみませんでしたとか」
「そんな戯言は生涯言わないな」
鼻で笑った後、鹿島くんは辞書を撫でつつ呟いた。
「……言い残していきたくはないな」
鹿島くんとの冗談めいた会話は久しぶりで、楽しかった。
地雷原で踊るような危うさすらもエンタテインメントだった。
だから、おかしな話なのだ。
冗談で泣きそうになるなんて、馬鹿げている。
顔を背け、欠伸をする振りをして目許を擦る。
「……そろそろ教室行こうか」
そう促すと、鹿島くんは「いや」と首を振った。
「僕は保健室でテストを受ける。それが一時外出の条件なんだ」
退院できたわけではなかったのか。
「じゃあ、ここでお別れだね」
「ああ」
空き教室のドアを開け、廊下に出たところで、背中から声をかけられた。
「『いつか山の上で君達と握手する時があるかも知れない』」
その言葉は、実篤の『友情』、その一節だった。
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