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第三章 昔の自分を救いたかったら
09.
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翌日の朝、カフェオレ二杯を入れた紙袋を抱えて登校し、空き教室のドアに手をかけるところまではいつもの通りだった。
ドアには鍵が掛かっていた。スマホを取り出しホームボタンを押したところ、時刻は八時二十五分。いつもより特別早いわけでもない。それなのに鹿島くんがまだ来ていないなんて。
珍しい。寝坊かな? 後で鹿島くんが来たらたっぷり嫌味を言い返さないと。
そんなことを企みながら職員室まで鍵を借りに行く足取りは軽かった。
この日は一日かけて追追試の自己採点と復習をした。どんなに厳しく見ても九割以上はできている。合格ラインは六割。何だ、やればできるんだ。今更ながらの手応えに満足を覚えながらも、私は満たされずにいた。この結果を、早く報告したいのに。空き教室は、一人では広すぎた。
結局、この日鹿島くんは現れなかった。
急用ができた。急にサボりたくなった。急に家出したくなった。急に私の勉強をみるのが面倒になった。
色々な可能性が頭に浮かんだけれど、それを確かめることはできなかった。
何しろ私は鹿島くんの連絡先を知らないのだから。以前待ち合わせをしたときも、連絡は安曇経由でとった。
かといって安曇に訊くのは躊躇われた。たった一日来なかっただけで『鹿島くんどうしたの?』なんて大騒ぎしているみたいで……。
それに、最近安曇とは連絡をとっていない。普段も放課後は一緒にいたけれど、土日に出かけたりはしなかった。それが夏休みになって急に一緒に遊んだりするようになるわけがないし、何もなくとも連絡を取り合う仲になるわけもない。
だから、『鹿島くん』というトピックについて安曇と話をしたことは殆どない。安曇と鹿島くんとの関係性がよく分からないこともあり、私の鹿島くんに対するスタンスはまだ決められていない。
というわけで、私は一人でカフェオレを二杯飲み、お昼にお弁当を食べ、職員室に鍵を返して学校を後にした。
その後も、鹿島くんは姿を現さなかった。
八月のカレンダーは一日一日とその寿命を減らしていった。
その間、私は毎日カフェオレを二杯持って空き教室へ行き、鍵を借り、スマホ越しにレネに会い、一学期と一年生の復習をして、お弁当を食べ、窓外の空に広がる夏の騒がしさが薄れていくのを見送り、職員室に鍵を返した。
そして夏の最後の日。夕焼けの赤い気配が忍び込む空き教室で、私は安曇にメッセージを送った。
『鹿島くん、どうしたの?』
返事はなかった。
九月一日の朝。
「あ、そういえば今日から二学期なんだっけ? 舞夕ちゃん、ずっと学校行ってたから、あんまり実感ないね」
出掛けの季帆さんから言われた通り、朝家を出るまでは夏休み中と何も変わらなかった。
ただ、吉祥寺の駅まで向かう道にも、井の頭線のホームにも学生服が多くて、そこでようやく今日が九月であることを実感した。
いつものように空き教室へ向かおうとする足を押し留め、二年一組の教室へ向かう。
八時二十五分の教室には、既に大半の生徒が集っていた。
そして、その中には私の求める彼女の姿もあった。
「ねえ、安曇。鹿島くんはどうしたの?」
挨拶とか前置きとか、そんなことに費やしている時間が勿体なかった。
この十日間、ずっと待ち焦がれていた答えがすぐそこにあるのだから。
安曇は徐に顔を上げ、私の顔を見ると、
「そんな深刻な顔しちゃって」
と薄く笑った。何もかも全てどうでもいいとでも言いたげな、胡乱で投げ遣りな笑みだった。
「……深刻な事態ではないのね?」
私がそう問うと、安曇は顔を背けた。
「鶴ちゃんが心配するようなことじゃないよ」
「じゃあ今、鹿島くんはどうしてるの?」
どのくらいだろう。暫くの沈黙があった。
数秒か、数分か。
それから安曇は「ふん」と鼻で笑い、ようやく私の問に答えを返した。
「怜央、今は入院してる」
夏休みの残滓を引きずった教室内の喧騒が、耳に届かなくなった。
代わりに、高周波のような耳鳴りと、安曇の静かな声だけが私の聴覚を埋め尽くした。
「もうすぐ死ぬよ」
ドアには鍵が掛かっていた。スマホを取り出しホームボタンを押したところ、時刻は八時二十五分。いつもより特別早いわけでもない。それなのに鹿島くんがまだ来ていないなんて。
珍しい。寝坊かな? 後で鹿島くんが来たらたっぷり嫌味を言い返さないと。
そんなことを企みながら職員室まで鍵を借りに行く足取りは軽かった。
この日は一日かけて追追試の自己採点と復習をした。どんなに厳しく見ても九割以上はできている。合格ラインは六割。何だ、やればできるんだ。今更ながらの手応えに満足を覚えながらも、私は満たされずにいた。この結果を、早く報告したいのに。空き教室は、一人では広すぎた。
結局、この日鹿島くんは現れなかった。
急用ができた。急にサボりたくなった。急に家出したくなった。急に私の勉強をみるのが面倒になった。
色々な可能性が頭に浮かんだけれど、それを確かめることはできなかった。
何しろ私は鹿島くんの連絡先を知らないのだから。以前待ち合わせをしたときも、連絡は安曇経由でとった。
かといって安曇に訊くのは躊躇われた。たった一日来なかっただけで『鹿島くんどうしたの?』なんて大騒ぎしているみたいで……。
それに、最近安曇とは連絡をとっていない。普段も放課後は一緒にいたけれど、土日に出かけたりはしなかった。それが夏休みになって急に一緒に遊んだりするようになるわけがないし、何もなくとも連絡を取り合う仲になるわけもない。
だから、『鹿島くん』というトピックについて安曇と話をしたことは殆どない。安曇と鹿島くんとの関係性がよく分からないこともあり、私の鹿島くんに対するスタンスはまだ決められていない。
というわけで、私は一人でカフェオレを二杯飲み、お昼にお弁当を食べ、職員室に鍵を返して学校を後にした。
その後も、鹿島くんは姿を現さなかった。
八月のカレンダーは一日一日とその寿命を減らしていった。
その間、私は毎日カフェオレを二杯持って空き教室へ行き、鍵を借り、スマホ越しにレネに会い、一学期と一年生の復習をして、お弁当を食べ、窓外の空に広がる夏の騒がしさが薄れていくのを見送り、職員室に鍵を返した。
そして夏の最後の日。夕焼けの赤い気配が忍び込む空き教室で、私は安曇にメッセージを送った。
『鹿島くん、どうしたの?』
返事はなかった。
九月一日の朝。
「あ、そういえば今日から二学期なんだっけ? 舞夕ちゃん、ずっと学校行ってたから、あんまり実感ないね」
出掛けの季帆さんから言われた通り、朝家を出るまでは夏休み中と何も変わらなかった。
ただ、吉祥寺の駅まで向かう道にも、井の頭線のホームにも学生服が多くて、そこでようやく今日が九月であることを実感した。
いつものように空き教室へ向かおうとする足を押し留め、二年一組の教室へ向かう。
八時二十五分の教室には、既に大半の生徒が集っていた。
そして、その中には私の求める彼女の姿もあった。
「ねえ、安曇。鹿島くんはどうしたの?」
挨拶とか前置きとか、そんなことに費やしている時間が勿体なかった。
この十日間、ずっと待ち焦がれていた答えがすぐそこにあるのだから。
安曇は徐に顔を上げ、私の顔を見ると、
「そんな深刻な顔しちゃって」
と薄く笑った。何もかも全てどうでもいいとでも言いたげな、胡乱で投げ遣りな笑みだった。
「……深刻な事態ではないのね?」
私がそう問うと、安曇は顔を背けた。
「鶴ちゃんが心配するようなことじゃないよ」
「じゃあ今、鹿島くんはどうしてるの?」
どのくらいだろう。暫くの沈黙があった。
数秒か、数分か。
それから安曇は「ふん」と鼻で笑い、ようやく私の問に答えを返した。
「怜央、今は入院してる」
夏休みの残滓を引きずった教室内の喧騒が、耳に届かなくなった。
代わりに、高周波のような耳鳴りと、安曇の静かな声だけが私の聴覚を埋め尽くした。
「もうすぐ死ぬよ」
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