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本編

11話:俺っちが作った無責任な歌を

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 講義後、学生ラウンジにて。
 緋色と真由香は同じテーブルで各々実験レポートを進めていた。
 緋色の手元には参考資料の本が積んである。
 すべて付属の図書館で借りたものであるが、図書館から学生ラウンジまで運ぶにしては重そうだ。
 緋色の近くにある蓋つきの大きめのカップコップにはホットコーヒーが入っており、真由香の近くにあるペットボトルにはクリームソーダが入っている。
「少し休憩しようかな」
 緋色は蓋を外してコーヒーを一口飲む。
「緋色ちゃん、残ってくれてありがとうなのです」
「残ったというか、二年の実験レポートも学校で進めてたから。図書館で調べたりもするし」
「すっごい大変です!」
「学科が違うから分からないけど、真由香さんもきっと大変だと思うわ」
「そんなあ」
 真由香は背負いバッグから板チョコを取り出す。アルミ製の包装ごと割った。
「食べます?」
「もらっていいの?」
「俺っちの人生ごともらってください」
「え?」
 緋色が焦ったように言う。
「顔赤くしました? もー、俺っちのこと大好きじゃないですか」
「からかわないでください」
 真由香はチョコの欠片を緋色の口に放る。
「これで貸し借りなしになったりしません?」
 真由香は調子よく微笑む。
「なりません」
「ならない、なのか。ところで」
 真由香はスマートフォンを取り出す。
「俺っちの作った曲は聴きました?」
「聞きました。メロが綺麗です」
「まだまだ未完成ですが、デモ音源ってことで。緋色ちゃんの声で完成です」
「けど、私は歌わないです」
 緋色は一度パソコンを閉じた。
「歌わなきゃ駄目です。絶対歌わなきゃ」
「カラオケはいいけど、私の歌を真由香さんが発信するのは嫌だから」
 緋色は下を向いた。
 緋色が配信を否定する理由は二つある。一つは、緋色自身の歌を発信して欲しくないこと。もう一つは緋色も真由香もネットにさらけ出すことで傷つけられる可能性があること。
 真由香は、緋色が配信を否定する本質が“歌うこと”にはないことを確信していた。
「負けちゃ駄目です」
 真由香は席を立った。
「負ける? どういうこと?」
 緋色は震えた声で言う。
 真由香は緋色に睨まれた気がした。
「緋色ちゃんが、らぶらぶ・ホイップに配属していたことも、そのグループのリーダーが自殺を図って飛び降りたことも知っています」
 途端、緋色は立ち上がって真由香の腕を掴む。
 掴む力のあまりの強さに真由香は恐怖を覚えるが、決してここで負けてはいけないと覚悟していた。
「何を知ったつもりで」
「緋色ちゃんが誰よりも優しいことは知ってる。明るくて元気な女の子であることは知ってる。いじわるするとかわいらしく顔を真っ赤にすることは知ってる」
 真由香は緋色の手を振り払った。
 そして、両手で頬を打つ。
「それに歌うことが大好きなのも知ってる」
「部外者に足を踏み入れて欲しくないのに」
 緋色は怒る。
「その言葉は俺っちに、ですか?」
 真由香は弱弱しい声で尋ねる。その声はすがるようにもみえた。
「あ、ちが……」
 緋色は真由香の悲しそうな表情を見て反射的に否定しようとする。
 失敗した、と緋色が気づいたときにはもう遅い。
「誰よりも優しいくせに」
 真由香の声を聞いて、緋色は一旦落ち着いた。
「部外者は真由香さんじゃない。私は勝手に助けたつもりになった大人も、そんな大人が否定されないこの世界も大嫌いだ」
 初めて会ったときから緋色を探し続けた、生意気ながらも慕ってくれる、緋色の声に期待する、もし緋色が歌わないと言ってもそれでも友達でいたいと言ってくれた少女が部外者であるはずがない。
 それでも部外者という言葉が出てきてしまったのは、未成年労働だの、性的搾取だの騒ぎ続けた大人たちは緋色にとって部外者でしかなかったからだ。
「うん。緋色ちゃんの話全部聞きたい。それに、どうしてもだ」
 真由香は背伸びして緋色の頭を撫でる。
「緋色ちゃんが歌ってくれないと、俺っちたちは始まらない。無理に歌ってほしいわけではなくて、緋色ちゃんは歌を歌うことが楽しいに違いないって思ったから」
 真由香の落ち着いた声に、緋色は強く唾を飲み込んだ。緋色の目は赤かった。
「私、歌が好きだった。でも、真由香さんの言葉を聞いても、歌を好きと言えない自分がいる」
「うん」
 真由香が頷くのを確認して、緋色は話を続ける。
「部外者に未成年とか女性の搾取だとかグループの否定をされて、正義ぶってるのを見てて、私はみんな、みんな死ねって思った」
「うん」
「どうして私の一番大事な居場所を否定して奪ってのうのうと普通の生活ができるのか分からなかった。みんな死ねって思ったのに、そんな自分が嫌いだった。そんな人生をずっと生きてきた」
「緋色ちゃん、続けて」
 緋色は真由香の顔を見た。
 本性を出して嫌われたのではないのかと怖くなったのだ。
 しかし、真由香の表情は強い決心を抱えていた。
 真由香の力強い目つきを確認する。緋色は真由香を信じる。
「みんな死ねって私自身さえも好きになれない、そんな人生楽しくなかった」
「うん」
「私は真由香さんの配信は成功する、と思う。けど成功したら駄目なんだと思う。絶対誰かが否定する。誰もが望んだ世界、そんなものはない。真由香さんが傷つくのは怖い」
「緋色ちゃんから猛アプローチなんて照れてしまいます」
「変なこと言わないでよ」
「反省します」
 緋色は椅子に座った。
「リーダーは自殺なんてしてほしくなかった。グループが解散した直後も私たちは姉妹みたいな関係だったし、その関係が続くと思っていた。置いていかないでほしかった、責任なんて感じて欲しくなかった」
 緋色は真由香の板チョコを頬張る。
「甘いのが好きなんですね」
「らぶらぶ・ホイップだから。三人でプロデューサー説得してらぶらぶ・ホイップになって。担当も元々カラーだったけど、それぞれが好きな食べ物にして。私、シュークリーム大好物だから」
「あ、緋色ちゃんの好きな食べ物一つ知ってしまいました」
「リーダーが自殺したと聞いて私は世界がもっと嫌いになった。でも意識が戻ったと聞いて嬉しかった。なのに、死のうとしたことが納得できなくて会うのをやめてしまった。疎遠になってしまった」
「うん」
「自殺なんてしてほしくなかった、それでも生きていて嬉しかった、また仲良くしたかった、世界に居場所を否定されたくなかった、みんな死ねって思ってしまった、私は私を嫌いになりたくなかった、真由香さんの夢を否定したくなかった、大好きだった歌を分かち合いたかった」
 緋色の目に涙が浮かぶ。
「私、どうしたらいい?」
「だったら、そういう歌を歌ってやろう」
 緋色は黙って真由香の言葉を聞く。
 それは、緋色は真由香が続ける言葉に期待し託したからだった。
「もう緋色ちゃんは偶像であるアイドルではない。だから、部外者には私たちの邪魔をするなって、大切な人には生きててほしいってまた会いたいって、居場所を奪おうとする奴らにはみんな死ねって、そういう歌を歌ってやろう」
「そんなこと言ったらまた炎上する! 私だけでは責任取れない」
 真由香は笑う。
「誰もが望んだ世界はない。らぶらぶ・ホイップを奪った奴らも責任は取らない。だから、俺っちは無責任な歌を作ってやる」
「そうだけど」
「俺っちが作った無責任な歌を、緋色ちゃんが無責任に歌ってやろう」
 緋色はポケットからタオルハンカチを取り出す。そのハンカチで涙を拭いた。
 そのとき、手の感触は意識の外だ。
「私が伝えたいこと。そっか、どうせ責任って言ってもらぶらぶ・ホイップ無くなったもんね。もう全人類に好かれたいアイドルじゃないっ!」
 緋色の目に輝きが宿った。
 こうして、世界も自分をも憎み堕天使となった少女は再び羽ばたく。
 ただその翼は白くはなかった。しかし、その黒い翼が白い翼よりも強い力を宿していたことは言うまでもない。誰よりも堕天使を信じた黒魔術師が作った翼だった。
「私、強くならなきゃ」
 緋色は決心したようだ。
 ただ吹っ切れた人間というのはちょっぴり怖いもので。
 真由香は、いつの間にか真由香の足元で滴るコーヒーを指摘できずにいた。
 緋色が零れたコーヒーに気づいて謝るまで、真由香はその熱さに耐え続けたのであった。
    
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