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case.1

私のアルバイト

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 大学生活ももうすぐ折り返し地点になる二年生の十一月の半ばの木曜日。
 少し寒くなったが、もう少しは我慢できそうだと、少し厚着をして私たちはテラス席にいた。
「いいなぁ、忘年会なんて」
 弘安大学の学食で、食事を目の前にしながら唸っているのは同期の愛理だ。学部が違う私たちは、よくお昼ご飯を一緒に食べている。

 話題は忘年会。

 ちょうど今日、大学職員の忘年会があるらしいと、どこからか愛理がそんな情報を持ってきたことからこの話題が始まった。
「ま、私たちは全国チェーン店ですからね。当たり前っちゃあ、当たり前なんだけれどさ。でも、やっぱり、ねぇ」
 愛理のバイト先にもあるにはあるらしいのだが、どちらかというと社員さんがメインの忘年会らしく、去年も今年も参加のお誘いすら来ないという。
 そう言って、ガブリとサンドイッチを食べる姿はとても豪快でまぶしい。少し羨ましく、一度だけ愛理の前でそれをしてみたんだが、すぐさま彼女に『あんたには合わないからやめときな』って言われてしまったので、それから一切していない。
 むう。
 そんなに私に似合わないんだろうかと、その時から思ってるが、とにかく似合わないから、二度としないで、と愛理に言われてしまっているので、理由を聞くことさえ諦めた。

「そういえば、美香んところのバイトって普通の居酒屋での忘年会っていうイメージがないんだよね。どんなところ行くの?」
 食べながらそう愛理が尋ねる。思い出しながら、去年のことを思い出してみる。
「私の場合は、先生たち家族の食事会に参加させてもらっているっていう感じかな?」
 そう。
 バイト先である『鹿野歯科』は家族経営で、六十代の大先生と、その息子さんである若先生の二人で診ていらっしゃるのだ。で、現在は私が働いていないときは奥様が一人で受付も助手も担当されていて、完全に私一人が赤の他人なのだ。だが、去年のこの時期に、大先生からある晩の予定を聞かれ、何も考えずに空いてますと答えると、あれよこれよという間に忘年会という名の食事会に参加することが決まっていたのだ。
 まあ、一人暮らしだから何にも周りに気を遣うこともないので、問題はなかったのだが。
 私の答えに愛理の目が少し光る。こういう時の愛理は少し怖い。
「ねえ、なんか撮ってないの?」
 ほら、やっぱり。だが、おあいにく様。私は基本、料理の写真は撮らないのだ。だが、店の名前なら憶えている。スマホで検索して、公式ホームページのトップを愛理に見せると、彼女は目を丸くし、絶句していた。
 うん、その反応は正しい。

「――――――こ、ここって、まさか名古屋駅のあのマーメイド・ホ」

 こら。そんな事を大声で言うんじゃありません。
 愛理は大声で叫び、その声に反応した周りの人がこちらを凝視したので、私はこら、と言って、周りの人に軽く頭を下げた。彼女も周りの視線に気づいたらしく、私の後に続いて頭を下げた。
 そう、去年の忘年会は名古屋駅直上にある有名ホテルに入っているお店だったのだ。最初に集合場所を伝えられた時は、そんな馬鹿なと思ったが、本当にそこに連れていかれた時は、私も言葉が出なかった。
 個室に案内された私たちに、コース料理が次から次に出てきた。その中でも最後に北京ダックが出てきたのが印象に残っている。
 私にはメニュー表は見せてもらえなかったので具体的な値段は分からないが、『北京ダック』という時点で、ねぇ? 運ばれてきた瞬間、私も固まってしまったよ。
 しかも、私はお金を払っていない。私一人のバイトといえども、居酒屋での忘年会と比べると下手すりゃ桁が違ってくる。
 さすがに、こんな話をここでするわけにはいかないので、お口にチャックしたが、愛理は私の様子を見て、何かを悟ったらしい。
「ひゃ――すっごいわぁ。さすがバイト先だけあって、羨ましいわ」
 愛理は机に突っ伏した。
「じゃあ、うちに来る?」
 私はすかさず愛理にニヤリと笑いながら尋ねる。しかし、愛理は行くわけないじゃない、と首を横に振る。

「だって、覚えることいっぱいあるんでしょ? ただでさえ、こっちは授業多いし、バイト先から呼び出し食らって参ってんのに、これ以上覚えることややること増やしたくないもん」
 愛理の言い草に苦笑いした。
 昔、愛理から聞いたことがあるが、ドラッグストアのバイトは意外と、何もさせてくれないという。もちろん、ある程度の品物の説明は行えた方がいいというが、薬の説明や販売を行うのに資格が必要なこともあり、基本は専門の方に丸投げした方がいいというのだ。なので、一般のバイトはレジ打ちや陳列棚の整理、清掃、ポップの切り貼りくらいが仕事だという。もちろん、それでも覚えなければならない業務は多いらしい。ただ、自己都合で休むこともあったり、社員さん側の都合で、人員不足になることもあるらしく、結構バイト先から呼び出されることが多いという。
 まあ、この時期でさえ愛理が学部の授業で忙しいというのも知っているし、私も冗談でしか言っていないので、その言い方に怒る必要がなかった。

 そしてなによりだ。

 歯科助手ってやること多いんだ。そのうえ、受付と兼務しているのに、現在バイト一人だけ、ということから分かる通り、なかなかの激務だ。休みはどうしてもの用事で以外休んだことがない。去年も今年もなんとか完全防備で風邪をひかないように頑張って来たのだ。

 だが。
 そんな私にもミスはある。
 何より、まとめて『歯科助手』といっても、当然、患者さんは選べない。
 何が言いたいのかというと、症状によっても治療方法が変わってきて、二年間勤めていても、ほんの数回しかやったことのない、治療の助手をすることもあるのだ。言い訳でしかないが、昨日もほとんど行ったことのなかった治療をする患者さんがいたのだが、私は全く方法を覚えておらず、最初にとったメモを見る時間もなく、次から次にオーダーされたのについていけず、しまいには若先生に怒られて凹んでいたのだ。
 しかも、この若先生の怒り方って、うん、一番いい喩え方だと猛吹雪のような感じ。そう、静かに私の行動を指摘してくるから、余計に怖いのだ。

 うん。

 いろいろ思い出した私は机に突っ伏した。
「どうしたの?」
 愛理が心配してくれた。なんて優しいんだ、愛理は。
 愛理とは年も違うし、何より学部が違う。本来なら接点がなかった私たちだが、偶々一年生で受ける教養科目の授業で隣同士の席になり、それ以来、仲良くしてもらっている。
「もう、なんか、昨日のバイトのことを思い出すとつらい」
 私の思わぬ愚痴に、愛理はどうしたの?って尋ねてくる。昨日会った出来事をある程度かみ砕いて話すと、愛理もあー、それ分かるわぁと言う。
「うちんところのバイト先だって似たようなことあるわよ。
 例えば、陳列用のコーヒー牛乳を運んでいたら、段差で躓いて、全ておじゃんにしちゃったとかさ。まあ、主任がいい人だったっていうのもあって、お咎めはなかったけれどね。そのあと、私ずっと凹んでたねぇ。でも、次から次にお客さん来るじゃん?だから、凹んでる暇なんてなくてさ、その日終わるころには、もう、凹んでいたのなんてどっか、行っちゃったのよね。だから、あんたもきっと大丈夫だよ」
 その話を聞いていた私は、愛理の言う通りなのだろうが、愛理の規模とは違うとも思ってしまった。愛理は別に人の命にかかわってこない。でも、私の場合は、助手の動き一つで先生の手元が狂うことがある。すなわち、助手の動き一つで患者さんの人生に関わってくるのだ。だからこそ、バイトといえども、しっかりしていなければならない。
 私の顔が晴れないことに気付いた愛理だったが、それ以上は何も言わなかった。もしかしたら愛理だってそれに気づいているのかもしれない。そう思うことにした。
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