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4.魔女の化粧水

信用と信頼

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 いつも以上に挨拶した数が多いドーラはくたくたになって帰ってきたが、翌日こそ店を開けなければならない。多くの貴族たちが来る以上、公都の中心部にある『ステルラ』を三日連続で閉めるわけにはいかないのだ。
 早く起きたドーラは朝のハーブティーを一杯飲み、開店前に一昨日作った石鹸のカッティングを行った。昨日のうちにミールが型から外しておいてくれたようで、細い麻のひもを使って切り分けていく。断面もきれいに固まっていて、今年度の石鹸づくりも好調だったようだ。
 これで石鹸が完成かというとそうではない。加えた苛性ソーダは皮膚をおかすので、ここからさらに四十八日間熟成させて、苛性ソーダの影響を弱めなければならない。切り分けられた石鹸は一つ一つ空気に触れるようにして、熟成部屋に戻された。

 シーズンが終わった後の来客数は少なくなる。
 今日の予約も午後から二件入っているだけなので、午前中は飛び込みの来客に備えて店を開けておくだけにして、奥のカウンターで帳簿の管理をすることにした。
 帳簿の管理をし始めてから小一時間たったころ店の出入り口が開く音がしてそちらを見ると、見知らぬ女性がたっていた。
 アイゼル=ワードの女大公が来たときは一目で高貴な身分だという格好をしていたが、今回の客人はそうではなさそうだった。見た目的にはドーラより少し上ぐらいだろうか。テレーゼよりも少し若そうな彼女はドーラを見て、すがるように尋ねてくる。
 
「……あの、ここって、駆け込みでも診ていただけますでしょうか?」

 しかし、あの時の彼女を思わせる格好――季節にはそぐっているものの、それでも重装と呼ぶにはふさわしいぶ厚すぎる手袋をしていた。
 きれいな金髪の髪はまとめられ、燃えるような赤い瞳は不安げに揺れている。

「大丈夫ですよ。どうされたんですか?」

 もちろん本職の医者ほどの心構えは持ち合わせていないものの、ドーラは貴賤問わず診る。
 お忍びで来ていようが、そうでなかろうが、きちんと診ることには変わらない。
 女性を奥の小部屋に通し、店のカウンターには接客中と札を置いておいた。部屋に通された彼女は少し憔悴したような様子で手袋を外し、着ていた服を脱いでいく。
 その彼女の肌を見たドーラは納得してしまった。

 肌全体が赤く、腫れてこそいないものの、乾燥しきっていて、いまにも出血しそうな箇所が多い。
 あのとき・・・・を思い出してしまったが、今回の理由にもなっているだろうか。

 調香師に肌を見せた彼女――帝国資本の商会主の妻、ジーナは心なしかほっとしているような気がした。

「なにか肌に塗られていたりしましたか?」

 こうなったのは彼女の生まれつきの性質か、それともによるものか。ドーラの質問に処方箋レシピを次々と出していくジーナ。
 一枚一枚目を通していくと、そこには普通の美容液や化粧水、ごく普通流通している化粧品の処方箋レシピしか載っていなかった。
 しかも、どれもそこそこ名の通った調香師が作ったもので、彼らを疑う余地は少なかった。とはいっても、長年アイゼル=ワード大公国の調香師をしてきたゲオルグの前例があるので、予断は許されないのだが。

「どの粉黛師の方にもこれでよくなるからと似たような化粧水や美容液をいただいているんですけれど、まったく効かなくて」

 ジーナの説明に、化粧水や美容液で効かないのはあまり例がないのではとドーラは思ってしまった。基本的に調香師の作る化粧水や美容液は収れん作用があるものを配合する。
 テレーゼの事件・・はハンドクリームだからアンジェリカを混合させる処方箋レシピがあり、ルートシードを取り違えるということによって光毒性を引き起こしてしまったわけだが、目の前の女性の場合――この化粧水の場合には光毒性のものを混ぜ込む余地がない。
 もちろん処方箋レシピ通りの調合ならばという前提がつくが。
 だから、もう一つの可能性を考えた。

「では、日常的に飲用されるもの、摂取されるものはありますでしょうか?」

 化粧水などのアロマクラフトに使われているものとジーナの食生活が合わないのか。
 ほとんどの精油やハーブと一般的に使われる食品の組み合わせに禁忌はない。しかし、うつ症状や女性特有の生理現象での治療薬とセントジョーンズワートと呼ばれるハーブの組み合わせは悪い。
 なので、もしかしたらと尋ねると、少し考えこむジーナ。

「リンデン産の紅茶を飲んだり、エルニーニ帝国産のブレンドハーブティーを飲むのは好きですけれど……」

 なるほど。
 職業の違いというものがあるだろうが、帝国由来の商会主の妻とただの平民の自分の違いを思い知らされてしまった。クララのときもそうだが、少なからず、食生活の違いにげんなりしてしまう自分をなんとかしてしまいたい。
 けれど、今は自分をすがってきてくれている客だ。
 そう思って、ドーラは余計な思考を追っ払った。

「あぁ、あとは食事をするときは必ず白ワインを飲みますわね。すぐに赤くなっちゃうから、あまり飲めないんですけれどね」
「それだ」

 ジーナが指を折りながら絞り出した答えの一つに、今回のカギを見つけてしまった。

「人にはアルコールに強い人と弱い人がいるんです。強い人はいくらお酒を飲んでもへっちゃらなんですが、弱い人だととことん弱い場合もあって、おそらくジーナさんは後者なんです。もともと弱いのにアルコールが含まれているものをあらゆる場所で使っているから、肌に負担がかかって、ここまでひどいかぶれが起きたんです」

 ドーラの説明に首をかしげるジーナ。
 ある一枚の処方箋レシピを指さしつつ、どういうことなのと尋ねてくる。

「化粧水はただの水と精油が混ざったものなんじゃないの?」
「いいえ、違います。調香師わたしたちがお出ししている化粧水はただの水、精油だけではありません。そうすると、“水と油”というように混ざらずに、分離してしまうんです。だから、水にも油にも混ざる物質、アルコールを使って二つの物質をくっつけるんです。それに、おそらく沈殿物から乾燥させたハーブをアルコールに浸したものを化粧水に混ぜています。成分としては最高ですが、アルコール分が多く入っていることで、アルコールと肌が反応し、肌荒れが起きたのではないかと思われます」


 実物を使って説明されたことが、いまだに信じられないようだ。
 ジーナは嘘でしょと目を見開く。

「え? でも、今までそんなことを指摘する人たちはいなかったけれど」

 なるほど。
 ドーラは前の調香師たちによって、彼女の肌が良くならなかった原因がわかった。
 これはジーナが悪いんじゃない。
 今まで見てきた調香師たちはきちんと彼女を見ていないのだ。

「そうでしたか……こういうことを言ってはいけないのかもしれませんが、おそらく、あなたが訪ねた粉黛師は肌のケアというものに興味がないのではないかと思います」
「というと?」
「肌のケアと化粧は別物と考えているのではないかということです。もちろんそれを第一に考えている粉黛師もいるので一概には言えませんが、正直なところ、あなたのかかりつけの粉黛師さんはそう思えてなりません」

 市井の調香師たちを悪く言うつもりはない。
 自分だってその一人なんだから。でも、彼らはドーラが思い描くような調香師たちばかりではないのだろう。
 ドーラの説明にまさかと怪訝な顔をするジーナ。
 最初は・・・それで正しい。
 今まで通っていたところを侮辱されるなんて、普通だったら許しがたいことなんだから。だから、あのときのテレーゼだって、ドーラの言うことすべてを許していたわけではない。

「あなたは治せるの?」
「はい?」
「この肌荒れを治してくれるの?」

 ジーナの質問には答えず、質問で返した。

「そうですね、その粉黛師さんとどちらを信用しますか?」

 そこが問題です。
 あとはだれを信じるのか。たまたまテレーゼはドーラを信用して問題を突き止めることができたし、最後まで見届けることができた。
 だが、ジーナは大商会主の妻。
 利権とかも絡んでくるはず。だから、信用はできないかもしれない。
 彼女はじっとフェオドーラの瞳を見ていたが、やがてふぅっとため息をつき、頷く。

「あなたを信用するわ。治してちょうだい、私の肌荒れを」
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