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九歳

スフォルツァ家にて1

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「さすがだわね」

 あきれ半分に言ったのは、さっき別れたばかりのベアトリーチェだった。彼女は今日、話してすぐに、家族ともども匿われるとは思わなかったらしい。
 だけれど、それはアリアも同じだったので、肩をすくめるだけにとどめておいた。


 しばらくして、針子の母子や伯爵一家のことが伝わったのか、父親が王宮から慌てて帰ってきた。
 その父親を母親が捕まえ、談話室へ連れていき、二人でかなり長い時間、話をしていた。
 ときどき悲鳴に似た声や物を投げる音が自室にまで聞こえてきたものの、アリアは聞こえなかったことにした。

 その間、ベアトリーチェは家族とともに、ユリウスは母親と二人で過ごしていたようだった。

 今までおとなしかった母親が父親を問いただしているのが小一時間続き、音がやんだあとに、リリスとユリウス以外の家族が呼ばれた。
 アリアが談話室へ行くと、気配を感じさせないほど縮こまっている父親と、なぜか鞭を持っている母親の姿があった。

 部屋に入ってきたアリアたちを順番に見て、まず、初っ端にこんな内部を見せて申し訳ないわねと、客人たちに謝った。女主人の謝罪に思わず目を見合わせた客人たちだったが、特に咎めるような声は聞こえなかった。

「こちらこそわたくしのために尽力いただくことになってしまい申し訳ありません」
 この中で一番落ち着いていただろうセレネ伯爵はそう言った。

「構いませんわ。あなたの不名誉に関わる噂の元と言えば、すべては主人の妹がしでかしたこと。あの妹にかわって潔白をしめすのは当然の義務です」

 エレノアはきっぱりと言った。その言葉にセレネ伯爵夫妻は驚いていた。

 そりゃそうだろう。
 いままで高みの見物を決めていた(はずの)スフォルツァ家の当主夫人が頭を下げているのだから。

「はっきり言いますと、あの事件があったとはいえ、先王は私の嫁ぎ先を間違えたようでしたね」

 エレノアは、今回の一連の流れを作った首謀者であるアリアも聞いていないことを言い出した。
 だが、『あの事件』という意味が分かるのか、セレネ伯爵夫妻やユリウスの母親は何も言わなかった。

「あなたがたも知っている通り、あの事件のおかげで私は王族から離れました。
 ですが、この人――マグナム・スフォルツァ――の父親である先代当主は今までにないくらい野心が強く、息子の嫁に王族の娘を望みました。
 もちろん、最初は年の釣り合う娘がいないこと、そして、スフォルツァ家の力を増やさないようにと断ったようです。
 断られた前当主は何を思ったのか、当時、王太子であったディートリヒ王に娘のフレデリカ・スフォルツァを差し出しました。
 ですが、周囲は“すべてのことを考慮した結果”、公爵家よりも格下である伯爵令嬢であるシシィを王妃としました」

 そこで区切って、ため息をついたエレノアは続けた。
「前当主もそこで王の意向に気付けばいいものを、娘を王妃にできないのならば、と再び王族籍の娘を望みました。
 しかし、王族として残っている女子はおらず、仕方なくもっとも王族に近い私が嫁ぐことになりました。
 なので、私がここに嫁いできた時は、プライドばかりが高い前当主と、それに洗脳されている前当主夫人、そして、そんな両親に教育されている兄妹しかいなかったんです」

 そうエレノアが言うとマグナムは顔をさらに真っ青にした。
 しかし、エレノアは父親の方を一瞥もせずにさらに続けた。

「不幸は重なり、生まれた二人の娘もつい最近までは、性格が父親に似たのか高飛車で人を人とも思わない態度でしたのよ」

 アリアを見ていった。『転生者』のアリアは違った意味で肩身が狭く、顔が自然に赤くなってしまった。

「まあ、幸い片方はきちんと自分で過ちに気づいて、性格を直してくれたみたいだけれど、片方はいまだに目が覚めていないようですので、どうしようもありませんが」

 エレノアはアリアに微笑んだ。

「ふふ。この子には先読みができるみたいで、こうやって気づいてくれたので、あなた方を手助けするきっかけができましたの」

 その言葉になるほど、と頷くセレネ伯爵夫妻。その顔には安どの表情が読み取れた。
 ベアトリーチェは顔色を変えなかったが、多少は納得しているようだった。

「で、ここからが先ほどのお願いになるのだけれど」
 エレノアはマチルダと伯爵夫妻に向き直った。そんなエレノアの態度に彼らもまた、背筋を伸ばした。

「まずはマチルダ」

 エレノアに呼ばれたマチルダは肩を少し震わせた。
 マチルダの様子に気づいたエレノアは安心させるように側に行き、手を彼女の肩に置いた。

「嫌だったら断っても構わないのだけれど、貴女さえ良ければここで2人ともスフォルツァの一員として暮らさない? もちろん、貴女の息子はスフォルツァの嫡男としてだけれど」

 くすんだ金色の髪を持つマチルダはその言葉に迷っていた。
 唯一、残されていた公爵との子供がこの夫人によって取られるのではないかと、思ったのだろうか。

 それに気づいたエレノアは、
「迷っていただいて構いませんわ。腹を痛めた子は、かけがえのないものです。心配して当然だわね。
 だから、しばらくの間は、様子を見ていてくれていいわ。
 私とアリアがもし、あなたの意にそぐわないことをしたり、発言したりしたならば、すぐにこの屋敷を出て行っていただいて構わないわ」

 と続けた。
 おそらく、父親やリリスを含めなかったのは、それをする自信があるのだろう。もっとも、アリアもそれは同感だったが。

「――――ええ。そうですね。このような身分の低い私がお願いするのは、おこがましいかもしれませんが、その条件でお願いいたします」

 マチルダは頭を下げた。マチルダも同じことを考えていたようだった。
 まだ、スフォルツァ家に対する不信感は拭えないようだ。

「マチルダさん」
 そんな恐縮しているマチルダに母親は声をかけた。

「何でしょうか」
 これ以上何かあるのかと思ったのか、マチルダの表情は少し強張っていた。

「あなたは母親だから、子供を守るのは当たり前です。
 今までの生活は終わりなのだ、と無理やり連れてきたのは私たちです。
 だから、たとえ無理難題であっても条件をつけるのは、母親としてしょうがないことなのですよ」

 本当にごめんなさいね、と謝るエレノア。アリアも自分がマチルダの不信を買っている一因であることを理解しているので、ともに頭を下げた。

「私がもう少し強く持っていれば、おそらくこんなことになってはいなかったのでしょう。これからは共にこの家を直していきましょう、マチルダさん」

 そう言いながら、彼女はマチルダの手を強く握った。

「―――はい」
 公爵夫人の言葉に驚きつつも、了承したマチルダだった。
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