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第8章 A級指名手配
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雨が降っていた。
惑星イリスの首都オディッセアに、激しい雨が降っていた。
その中を一人の女性が歩いている。びしょ濡れになった黒いTシャツとパンツが、彼女の素晴らしいプロポーションをより艶めかしく見せていた。
午前二時のオディッセアを徘徊する人影はほとんどない。少し離れたハイウェイを走るエアカーのヘッドライトが、漆黒の闇を引き裂いては消えていった。
降りしきる雨の中で、その女性は不意に立ち止まった。額にまとわりつく濡れた淡青色の髪を右手でかき上げながら、彼女は空を見上げた。その哀しみをたたえたプルシアン・ブルーの瞳には、暗闇の中で何を映しているのだろうか?
雨が降っていた。
激しい雨が降っていた。
しかし、彼女の頬を流れるのは雨だけだったのか?
彼女……テア=スクルトは、後悔と哀しみの雨の中をひとり歩いていた。
「何を見ているんだ?」
突然声をかけられ、バルコニーにひとり立っていたテアは驚いて振り向いた。<クロス>という言葉以外、全ての記憶を失った彼女にとって、唯一心を許せる友が近づいて来た。
「アラン、驚かさないでよ」
テアは、彼が差し出したワイングラスを受け取りながら言った。
「別に驚かすつもりはなかったんだが……」
イリス聖王家第一王位継承者アラン=アルファ=イリスが、自分のワイングラスをテアのグラスに軽く触れさせながら言った。
テアがこのアルカディア要塞に身を寄せてから、二週間が過ぎようとしていた。しかし、アルカディア要塞の最新医療設備を用いても、彼女の記憶喪失の治療はいっこうにはかどらなかった。
「私はあの星々を駆け、数限りない戦闘を続けてきたのね……」
プルシアン・ブルーの瞳に深い哀愁をたたえながら、テアが呟いた。夜風を受けて、長い淡青色の髪が美しく靡いた。
「それが仕事と言えども、たぶん多くの命を奪ったことは許されることではないわ」
「そう悲観的になることはない。私だって<惑星イリス内乱>では、数多くの敵を倒してきた。人間から全ての戦いをなくすことは不可能だ。事実、この惑星イリスに起こっているクーデターを収拾し、生きていればの話だが、聖王と皇后、そして妹を救出するために私は再び闘わなければならない」
アランがワインを飲み干しながら告げた。近隣の惑星国家に勇名が響きわたっている彼でさえ、戦いを好んでいないのだ。彼の言葉が、テアを現実に引き戻した。
「ごめんなさい。つまらないことを言ったわ」
テアはアランに詫びた。
「君を見ていると、とても<銀河系最強の魔女>と恐れられている女性とは思えない」
「それはそうよ。私自身がそう思えないのだから」
テアが笑って言った。事実、彼女は全ての記憶とともにΣナンバー(最強クラス)と呼ばれたESP(超能力)さえも失っていたのだった。
元GPS特別犯罪課特殊捜査官の肩書きを持つ女。
青い魔女と呼ばれ、銀河中のクリミナル・ESPを震撼させた美女。
そして、GPSからA級指名手配され、現在はSHL大統領暗殺犯として全銀河系から追われている女性。
それが、テア=スクルトであった。
「ロザンナの監禁されている場所が分かった」
アランが不意に言った。テアはプルシアン・ブルーの瞳を見開いてアランを見つめた。
ロザンナ=アルファ=フィオナは彼の実妹であり、イリス聖王家第二王位継承者である。彼女は一五日前のクーデターで反乱軍に拉致され、今日までその消息がつかめなかったのだった。
「何処にいるの?」
「先程入った情報によると、カレドール塔の何処かに幽閉されている可能性が強い」
アランが苦悩に満ちた表情で告げた。
イリス宮殿には五つの塔が存在している。
聖王やその王族の居住している<クリスタル塔>。
司法機関が集中している<ライナール塔>。
行政機関の中枢となる<フランデール塔>。
立法機関が管理している<デビナール塔>。
そして、聖都オディッセアの凶悪犯罪者を収容する刑務所として恐れられている<カレドール塔>である。
「カレドール塔?」
テアが訊ねた。
「君がこの惑星のことを知らないのも無理はない。また、仮に知っていたとしても、今の君は記憶を失っているのだからね」
「確か、この間教えてもらった五つの塔のひとつね」
テアが、アランの言葉を思い出しながら言った。
「そうだ。そして、五つの塔の中でも最も救出が困難な塔だ」
「相手が凶悪犯罪者を収容する刑務所じゃね。あなたの言うように、私がテレポート出来れば問題ないんでしょうけれど……」
テアが顔を伏せながら言った。彼女はアランとの約束……彼女の持つ全ての知識と能力をイリス宮殿奪還とロザンナ救出に貸すという約束に、協力できない責任を感じていた。
アランはこの二週間、彼女にとって唯一の味方であった。A級指名手配犯であり、SHL大統領暗殺犯であるかも知れないテアを信じ、周囲の猛反対を押し切って彼女に協力を仰ぐと同時に、彼女の安全を保証した唯ひとりの男であった。彼の誠意に応えられない自分が、テアは許せなくなっていたのである。
「今の君はESPはおろか、戦闘に関する知識さえも失っている。確かにこれは、我々にとっては大きな誤算だった」
「……」
「しかし、私個人にとってはそうでもないさ」
アランが笑って言った。
「どういう事……?」
テアが訊ねた。アランはテアの問いに答えようとせず、彼女の美しい瞳を凝っと見つめた。
「アラン……?」
急に真顔になったアランに気づき、テアは緊張が高まるのを感じた。アランがゆっくりと顔を近づけてきた。テアの右手からワイングラスが落ちた。グラスが砕け、赤ワインがバルコニーに花を咲かせた。
「何を……んッ!」
アランの力強い腕がテアの腰を抱き、その魅惑的な唇を奪った。プルシアン・ブルーの瞳が驚きに大きく開かれた。
「冗談はやめて……!」
アランの腕を放し、テアが言った。
「すまない……」
「……」
テアは困惑を隠せずに、アランから目をそらした。
「私は君があのブルー・ウィッチだろうと構わない。君をイリス聖王家第三王位継承者として迎えたい」
アランが、テアの美しい瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「……! 無理だわ、そんな事……」
テアが喘ぐように呟いた。
「私はGPSからA級指名手配を受けているのよ。その上、今はSHL大統領暗殺犯として銀河中から追われている身だわ。イリス聖王家第一王位継承者と釣り合いがとれるはずがない……」
「テア=スクルトの名前を捨てて欲しい」
アランが真剣な眼差しでテアを見つめながら告げた。テアは絶句した。<銀河系最強の魔女>に全ての過去を捨てろと言うアランの真意を、テアは痛いほど感じ取った。
「いずれ君は全ての記憶を思い出すだろう。そして、再び血なまぐさい戦場へと戻っていくかも知れない。だが、私は君を危険な戦いの場へは送りたくない」
「……」
「<銀河系最強の魔女>の名を捨てて、私のもとに留まって欲しいんだ」
アランがテアの両肩をつかんで言った。
「しばらく考えさせて……」
テアはアランの視線を避けるように、下を向いて言った。
翌朝、アランはアルカディア要塞から、テア=スクルトの姿を見い出すことは出来なかった。
激しい雨の中を、テアはずぶ濡れになって歩いていた。
午前二時を過ぎたオディッセアのダウン・タウンはネオンの光もまばらだ。テアは行くあてもなく歩くことに疲れ、怪しいネオンを灯している店の前で立ち止まった。汚れた白いネオンに、<ワンダーズ・バー(彷徨える酒場)>という赤い文字が浮かび上がっていた。
テアは数秒のためらいの後、<ワンダーズ・バー>の扉を開けた。
「いらっしゃい」
バーの中は、十人も入れば満席になるような小さなカウンターがあるだけであった。カウンターの奥にはテアに声をかけた初老のバーテンダーが一人いるだけだ。客は一人もいない。
テアはカウンターの中央の席を選んで、スツールに腰を下ろした。
「お客さん、何時間この雨の中を歩かれたんです? 温かい飲み物でも作りましょうか?」
テアは無言で頷いた。
彼女の前に、熱い湯気をあげる鮮血色のカクテルが置かれた。
「これは?」
テアがバーテンダーに渡されたタオルで、淡青色の長い髪を拭きながら訊ねた。
「<ロイヤル・ルビー>というカクテルです。アルコールはそんなに強くないが、体が温まりますよ」
テアはバーテンダーに礼を言うと、それを一口飲んだ。甘酸っぱい香りと口当たりのよいレッド・キュラソーがほど良く調和したカクテルだった。
「おじさん、この商売長いの?」
一杯目のロイヤル・ルビーを飲み干し、人心地ついてテアが訊ねた。
「もう三十年近くになりますよ」
「そう……。それなら、この惑星イリスについても良くご存じね」
「まあ、商売柄たいがいの事はいやでも耳に入ってきます」
バーテンダーが二杯目のロイヤル・ルビーをカウンターに置きながら答えた。
「イリス聖王家の不穏な動きについても何か知っている?」
テアはアランの言葉を思い出しながら訊ねた。彼の言葉を信じるならば、イリス聖王家のクーデターは公表されていないはずであった。
「お客さん、刑事かい?」
バーテンダーが急に態度を硬化させた。
「違うわ。私の知り合いがイリス宮殿で働いているの。彼女と連絡を取りたいのだけれど、消息がつかめなくなって……」
「そうですか……。残念ながら、その人の生死は分かりませんよ」
バーテンダーが同情的な表情で告げた。
「どういう意味……?」
「今、イリス宮殿では大規模なクーデターが発生しているらしいんです。もちろん、そんなニュースはまったく流れてませんがね」
「クーデター……?」
テアが驚いた表情で、バーテンダーの話の続きを待った。バーテンダーの中には、情報屋として暗躍する者も多い。彼女は本能的にバーテンダーたちの持つ情報の確かさを感じ取っていた。
「そうです。これはあくまでうわさですが、聖王と皇后は殺され、アラン王子は行方不明、ロザンナ王女は反乱軍に拉致されたそうですよ」
「聖王と皇后が殺された……?」
この情報はテアにとっても初めてのものであった。アランの情報では、彼らの生死は不明とのことであったのだ。
「そんな重大ニュースが何故流されないの?」
「たぶん、かなりの上層部から報道管制が布かれているんでしょう」
「あなた、何処からそんな情報を聞いたの?」
「出所は言えませんが、かなり信頼できる筋です。それでなくては、『お客さん』に話しませんよ」
バーテンダーが笑った。彼の瞳の奥に奇妙な光が浮かんだことを、テアは見逃さなかった。
「初めての客である私に、どうしてそのような情報を提供するの?」
テアがスツールから立ち上がった。
「……!」
その時……。彼女は急に体中の力が抜けていくのを感じた。視界が急激にぐるぐると廻り始める。
(まさか……?)
テアは愕然としてバーテンダーを見つめた。バーテンダーの顔に、嘲笑とも言える笑みが浮かんでいた。
「何を……入れたの……?」
テアがカウンターに崩れ落ちながら訊ねた。
「まさかこんな大物がかかるとはな! この店の地下は、<テュポーン>の惑星イリス第二支部になっているんだ、ブルー・ウィッチ。これで俺もしがない情報屋から<テュポーン>の幹部へと大躍進だ!」
バーテンダーが笑いながら告げた。
「<テュ……ポー……ン>……」
体中が痺れ、言葉もうまく発せられなかった。
(アランは……嘘をついていなかった)
急速に朦朧としていく意識の中で、テアはバーテンダーの言葉が真実であることを実感した。
(やはり、私は……<銀河系最強の魔女>……)
次の瞬間、彼女の意識はブラック・アウトした。
スティンガーズ・ホテルは、オディッセアでも最古参のホテルであった。
その設立は、惑星イリスに人類が移民をしてきた時代と時期を同じくする。歴代の聖王や大貴族のパーティが幾度となく開催された「イリスの間」を始め、伝統と格式とによって作られた数々の部屋を持つ高級ホテルである。
「凄い部屋ね……」
ジェシカはその部屋に一歩足を踏み入れるなり、絶句した。
五百平方メートルは優にあるスティンガーズ・ホテルのロイヤル・スイートルームであった。シャンデリアを始め数々の装飾品は、何れも有名な芸術家たちの手による最高級品ばかりだ。この部屋の装飾品だけで、一億クレジット以上の価値はあるだろう。
「ぼんやりと突っ立ってないで、早く入れよ」
黒い本革張りのソファに腰を下ろしたシュンが、彼女に向かって言った。
「ノヴァのエースパイロットって、儲かるのね。私も職替えしようかしら?」
ジェシカが感嘆しながら部屋に入り、シュンの前に腰を下ろした。
「バカ言うな。この星でMICチップを解析できるコンピューターがある部屋なんて、そうはないんだ。このホテルでも、この部屋だけだったんだぜ」
「そうなの。私のために取ってくれたんじゃないんだ」
ジェシカが笑いながら言った。
「当たり前だ。誰が見ず知らずの女のために、給料をはたいてスイートルームなんか予約するんだ?」
「嘘でもいいから、お前のためだって言えないの? 女の扱いに慣れてないのね」
長い漆黒の髪をかき上げながら、ジェシカが拗ねるように告げた。
「知るか、そんなこと。それより、MICチップの解析を始めるぞ」
シュンが席を立ち、MICチップをバイオ・コンピューター・システムに挿入した。
「その前に、データーをハックされる可能性はないの?」
「このコンピューターは自己防衛システム付きだ。心配ない」
シュンはそう言うと、マウスを動かし始めた。
「解析を開始しろ」
シュンがバイオ・コンピューターに短く命じた。
『分かりました』
モニターに数字とアルファベットが目まぐるしく映っては消えて行く。
『データー量が膨大です。十分ほどお待ち下さい』
コンピューターの疑似音声が、若い女性の声で答えた。
「何か飲む?」
ジェシカが部屋の冷蔵庫を開けながら訊ねた。
「イリス・ビールでも貰おうか」
「OK」
彼女が缶ビールを取り出し、プルリングを開けてシュンに渡した。自分はグレープフルーツ・ジュースを取り出す。
「あなたがテアを狙う理由を知りたいわ」
ジェシカが、グレープフルーツ・ジュースに口を付けながら訊ねた。
「先にジェイのビデオ・レターを見るか?」
「そうしてくれる?」
シュンが、ビデオ・システムにマイクロ・ビデオ・テープを入れた。
七十インチの大モニターに、懐かしいジェイ=マキシアンの顔が映し出された。
宇宙空間のような漆黒の髪と、星々のきらめきを映し出す瞳。精悍さと優しさが混在する浅黒い顔。『全宇宙最強のESP』と呼ばれ、初代SHとして数々の難事件や凶悪犯罪を解決してきた男。
ジェイ=マキシアン。
彼こそはGPSを代表するESPであり、その強大な能力で銀河系最大の麻薬ギルド<テュポーン>の総本部、人工惑星ジオイドを消滅させた英雄であった。
「シュン、久しぶりだな」
懐かしいジェイの低い声が響きわたった。
(ジェイ……)
ジェシカは彼の声を聞いた途端、涙が溢れるのを止められなくなった。ジェイとは、彼女が駆け出しのSHの頃にチームを組んだことがあり、彼女にとっても誰よりも大切な存在であったのだった。
「俺はテアとある任務に就くことになった。詳細は言えないが、今までのどれよりも重大であり危険な任務だ。たぶん、俺かテア……もしかしたら、両方とも生きて帰ることが出来ないかも知れない。その時のために、このテープを遺言としてお前に送る」
二人はジェイの言葉に聞き入った。
「俺の遺産は全てお前に託す。SHとして得た報酬全てだ。ギャラクシー・バンクのVIP口座に預けてある。たぶん、お前が一生苦労せずに暮らしてゆけるだけあると思う。キャッシュ・カードは俺の死が確認されたら自動的にお前の手元に届くようにしてある」
ジェシカはシュンの横顔を見た。
SHはその危険な任務と比例して、GPSの中でも年棒はずば抜けて高い。まして、そのリーダーであるジェイがSHとして得た全ての報酬と言ったら、恒星間宇宙船が数隻買えるほどの金額であるはずだ。
「その代わり、俺の願いを一つ聞いて欲しい。お前は自分で気づいていないが、俺と同等かそれ以上の潜在ESPを有している」
「……!」
ジェイの言葉に、ジェシカは驚愕した。
(『全宇宙最強のESP』以上の能力……? ジェイは、Σナンバー・ランクαのESPよ。それより強大なESPなんて、そう存在するはずはないわ!)
彼女はシュンの精悍な横顔を見つめた。彼は動じた様子もなく、ジェイのビデオを見ている。
「俺はテアを愛している。今度の任務がどんな危険をはらんでいても、彼女だけは救い出すつもりだ。その為に、俺が死んだとしても……。そこで、お前には俺の後継者となって欲しい。テアも<銀河系最強の魔女>と呼ばれるΣナンバーのESPだ。だが、何と言っても彼女は若い女性だ。俺の意志を継ぐには、あまりにも危険と責任が大き過ぎる」
ジェイの告げる内容は、ジェシカの予想をはるかに超えていた。
(この男が、ジェイの後継者……? そんな、バカな……)
ジェシカは先ほど戦ったシュンの能力を思い出した。たしかに強力なESPであったが、ジェイが告げるほど巨大なESPをシュンが有しているとは思えなかった。
「俺の代わりに、テアを補佐してくれ。それを頼めるのは、広大な銀河系でもお前しかいない。テアは俺が死んだらGPSを脱走し、<テュポーン>の総統ジュピターを倒そうとするだろう。しかし、ジュピターは間違いなく、今の俺以上のESPを持つ銀河最強のESPだ。彼女一人で倒すのは不可能に近い」
この言葉に、ジェシカは大きく頷いた。ジェシカも惑星アルピナで総統ジュピターのESPを目の当たりにした一人である。彼のESPは、テアやジェシカの常識をはるかに超越したものだった。
「俺の死後、テアの親友ジェシカ=アンドロメダというSHが、テアを助けようとするだろう」
「……!」
(ジェイはそこまで読んでいるの……?)
「ジェシカもAクラスESPだが、彼女がテアと同調してもおそらくジュピターは倒せない。奴を倒すにはΣナンバーのESPが数人同調しないと無理だ」
ジェイが苦悩に満ちた表情で告げた。
「SHになれとは言わない。だが、さっきも言ったとおり、この銀河系でブルー・ウィッチを超えるESPを持つものは、シュン、お前だけだ。俺の最後の願いを聞いて欲しい」
そこでビデオ・テープは終わった。
「……」
ジェシカはしばらくの間、無言でシュンの横顔を見つめた。
(でも、このテープのどこに、シュンがテアを仇敵と決めつける内容があるの? ジェイはテアを守って欲しいと言った。彼女がジェイの仇敵だなんて、一言も言っていないわ)
ジェシカの疑問に答えるかの様に、シュンが口を開いた。
「これはテレパシー・ビデオだ」
「……! テレパシー・ビデオ?」
ジェシカが驚いて訊ねた。
「そうだ。特定の人間……この場合は俺のことだが……、その人間以外の者が見ても、今見たとおりの内容でしかない。だが、俺には別の映像が見えた」
「ジェイはこう言った。『テアはDNAアンドロイドの血を受け継いでいる。お前も知っている通り、DNAアンドロイドには重大な欠陥がある。それは、強大なESPを制御出来ないと言うことだ。テアの本当の力は、惑星どころか太陽系をも破壊するパワーを持っている。その力が無限解放されれば、間違いなく銀河系人類の大多数は消滅する。俺がテアを守って欲しいと依頼するのは、彼女にその超烈なESPを使わせるなと言うことだ』と……」
「……! 太陽系をも消滅させるESPなんて……! 個人レベルの能力では不可能よ!」
思わず、ジェシカが叫んだ。
「ジェイが言うのでなければ、俺も信用しない。だが、『全宇宙最強のESP』と呼ばれた男の言葉だ。あながち、嘘とも思えない」
シュンが、イリス・ビールを飲みながら言った。
「そして、ジェイはこうも告げていた。『DNAアンドロイド二世であるテアは、その呪われた血によって、いつか必ずその強大なESPに目覚めるだろう。それを防ぐ自信がなければ、彼女を殺してくれ。俺は、テアが歴史に「魔女」の名を残すことを、何としても防ぎたい。それが俺の願いであり、愛するテアの為でもある』と……」
「あなたは、テアを本気で殺すつもり……?」
ジェシカの黒曜石の瞳が、真っ直ぐにシュンを見つめた。
「正直言って、分からない……。だが、確実に言えることは、俺にはテアを止める自信がないって事だ」
「シュン……」
ジェシカがシュンの横顔を見つめた。そこには明らかな苦悩の色が見て取れた。
「ジェイの言葉が本当ならば、あなたはジェイ以上の能力を持っているのよ。彼女を止めることは可能だわ」
「もし、本当に俺がジェイを超えるESPを持っていたとしても、俺の力は、お前も知っているとおり覚醒していないんだ」
「……」
「そして今、テアは総統ジュピターと闘おうとしている。彼女がジュピターとの戦いの最中に、本当の力に目覚めたらどうする?」
「それは……」
シュンの言わんとしていることは、ジェシカにも十分に伝わった。ジェイが言うとおりの力を本当にテアが持っているとしたら、誰にも彼女を止めることは不可能だった。
『データーの解析準備が整いました』
その時、ジェシカの思考を中断するかのように、バイオ・コンピューターが告げた。
「この話はまた後だ。解析を始めろ!」
シュンがバイオ・コンピューターに命令した。
『了解しました。解析を始めます』
先程の大型モニターに、今度は銀河系で最も美しい魔女の姿が映し出された。
惑星イリスの首都オディッセアに、激しい雨が降っていた。
その中を一人の女性が歩いている。びしょ濡れになった黒いTシャツとパンツが、彼女の素晴らしいプロポーションをより艶めかしく見せていた。
午前二時のオディッセアを徘徊する人影はほとんどない。少し離れたハイウェイを走るエアカーのヘッドライトが、漆黒の闇を引き裂いては消えていった。
降りしきる雨の中で、その女性は不意に立ち止まった。額にまとわりつく濡れた淡青色の髪を右手でかき上げながら、彼女は空を見上げた。その哀しみをたたえたプルシアン・ブルーの瞳には、暗闇の中で何を映しているのだろうか?
雨が降っていた。
激しい雨が降っていた。
しかし、彼女の頬を流れるのは雨だけだったのか?
彼女……テア=スクルトは、後悔と哀しみの雨の中をひとり歩いていた。
「何を見ているんだ?」
突然声をかけられ、バルコニーにひとり立っていたテアは驚いて振り向いた。<クロス>という言葉以外、全ての記憶を失った彼女にとって、唯一心を許せる友が近づいて来た。
「アラン、驚かさないでよ」
テアは、彼が差し出したワイングラスを受け取りながら言った。
「別に驚かすつもりはなかったんだが……」
イリス聖王家第一王位継承者アラン=アルファ=イリスが、自分のワイングラスをテアのグラスに軽く触れさせながら言った。
テアがこのアルカディア要塞に身を寄せてから、二週間が過ぎようとしていた。しかし、アルカディア要塞の最新医療設備を用いても、彼女の記憶喪失の治療はいっこうにはかどらなかった。
「私はあの星々を駆け、数限りない戦闘を続けてきたのね……」
プルシアン・ブルーの瞳に深い哀愁をたたえながら、テアが呟いた。夜風を受けて、長い淡青色の髪が美しく靡いた。
「それが仕事と言えども、たぶん多くの命を奪ったことは許されることではないわ」
「そう悲観的になることはない。私だって<惑星イリス内乱>では、数多くの敵を倒してきた。人間から全ての戦いをなくすことは不可能だ。事実、この惑星イリスに起こっているクーデターを収拾し、生きていればの話だが、聖王と皇后、そして妹を救出するために私は再び闘わなければならない」
アランがワインを飲み干しながら告げた。近隣の惑星国家に勇名が響きわたっている彼でさえ、戦いを好んでいないのだ。彼の言葉が、テアを現実に引き戻した。
「ごめんなさい。つまらないことを言ったわ」
テアはアランに詫びた。
「君を見ていると、とても<銀河系最強の魔女>と恐れられている女性とは思えない」
「それはそうよ。私自身がそう思えないのだから」
テアが笑って言った。事実、彼女は全ての記憶とともにΣナンバー(最強クラス)と呼ばれたESP(超能力)さえも失っていたのだった。
元GPS特別犯罪課特殊捜査官の肩書きを持つ女。
青い魔女と呼ばれ、銀河中のクリミナル・ESPを震撼させた美女。
そして、GPSからA級指名手配され、現在はSHL大統領暗殺犯として全銀河系から追われている女性。
それが、テア=スクルトであった。
「ロザンナの監禁されている場所が分かった」
アランが不意に言った。テアはプルシアン・ブルーの瞳を見開いてアランを見つめた。
ロザンナ=アルファ=フィオナは彼の実妹であり、イリス聖王家第二王位継承者である。彼女は一五日前のクーデターで反乱軍に拉致され、今日までその消息がつかめなかったのだった。
「何処にいるの?」
「先程入った情報によると、カレドール塔の何処かに幽閉されている可能性が強い」
アランが苦悩に満ちた表情で告げた。
イリス宮殿には五つの塔が存在している。
聖王やその王族の居住している<クリスタル塔>。
司法機関が集中している<ライナール塔>。
行政機関の中枢となる<フランデール塔>。
立法機関が管理している<デビナール塔>。
そして、聖都オディッセアの凶悪犯罪者を収容する刑務所として恐れられている<カレドール塔>である。
「カレドール塔?」
テアが訊ねた。
「君がこの惑星のことを知らないのも無理はない。また、仮に知っていたとしても、今の君は記憶を失っているのだからね」
「確か、この間教えてもらった五つの塔のひとつね」
テアが、アランの言葉を思い出しながら言った。
「そうだ。そして、五つの塔の中でも最も救出が困難な塔だ」
「相手が凶悪犯罪者を収容する刑務所じゃね。あなたの言うように、私がテレポート出来れば問題ないんでしょうけれど……」
テアが顔を伏せながら言った。彼女はアランとの約束……彼女の持つ全ての知識と能力をイリス宮殿奪還とロザンナ救出に貸すという約束に、協力できない責任を感じていた。
アランはこの二週間、彼女にとって唯一の味方であった。A級指名手配犯であり、SHL大統領暗殺犯であるかも知れないテアを信じ、周囲の猛反対を押し切って彼女に協力を仰ぐと同時に、彼女の安全を保証した唯ひとりの男であった。彼の誠意に応えられない自分が、テアは許せなくなっていたのである。
「今の君はESPはおろか、戦闘に関する知識さえも失っている。確かにこれは、我々にとっては大きな誤算だった」
「……」
「しかし、私個人にとってはそうでもないさ」
アランが笑って言った。
「どういう事……?」
テアが訊ねた。アランはテアの問いに答えようとせず、彼女の美しい瞳を凝っと見つめた。
「アラン……?」
急に真顔になったアランに気づき、テアは緊張が高まるのを感じた。アランがゆっくりと顔を近づけてきた。テアの右手からワイングラスが落ちた。グラスが砕け、赤ワインがバルコニーに花を咲かせた。
「何を……んッ!」
アランの力強い腕がテアの腰を抱き、その魅惑的な唇を奪った。プルシアン・ブルーの瞳が驚きに大きく開かれた。
「冗談はやめて……!」
アランの腕を放し、テアが言った。
「すまない……」
「……」
テアは困惑を隠せずに、アランから目をそらした。
「私は君があのブルー・ウィッチだろうと構わない。君をイリス聖王家第三王位継承者として迎えたい」
アランが、テアの美しい瞳を真っ直ぐに見据えて言った。
「……! 無理だわ、そんな事……」
テアが喘ぐように呟いた。
「私はGPSからA級指名手配を受けているのよ。その上、今はSHL大統領暗殺犯として銀河中から追われている身だわ。イリス聖王家第一王位継承者と釣り合いがとれるはずがない……」
「テア=スクルトの名前を捨てて欲しい」
アランが真剣な眼差しでテアを見つめながら告げた。テアは絶句した。<銀河系最強の魔女>に全ての過去を捨てろと言うアランの真意を、テアは痛いほど感じ取った。
「いずれ君は全ての記憶を思い出すだろう。そして、再び血なまぐさい戦場へと戻っていくかも知れない。だが、私は君を危険な戦いの場へは送りたくない」
「……」
「<銀河系最強の魔女>の名を捨てて、私のもとに留まって欲しいんだ」
アランがテアの両肩をつかんで言った。
「しばらく考えさせて……」
テアはアランの視線を避けるように、下を向いて言った。
翌朝、アランはアルカディア要塞から、テア=スクルトの姿を見い出すことは出来なかった。
激しい雨の中を、テアはずぶ濡れになって歩いていた。
午前二時を過ぎたオディッセアのダウン・タウンはネオンの光もまばらだ。テアは行くあてもなく歩くことに疲れ、怪しいネオンを灯している店の前で立ち止まった。汚れた白いネオンに、<ワンダーズ・バー(彷徨える酒場)>という赤い文字が浮かび上がっていた。
テアは数秒のためらいの後、<ワンダーズ・バー>の扉を開けた。
「いらっしゃい」
バーの中は、十人も入れば満席になるような小さなカウンターがあるだけであった。カウンターの奥にはテアに声をかけた初老のバーテンダーが一人いるだけだ。客は一人もいない。
テアはカウンターの中央の席を選んで、スツールに腰を下ろした。
「お客さん、何時間この雨の中を歩かれたんです? 温かい飲み物でも作りましょうか?」
テアは無言で頷いた。
彼女の前に、熱い湯気をあげる鮮血色のカクテルが置かれた。
「これは?」
テアがバーテンダーに渡されたタオルで、淡青色の長い髪を拭きながら訊ねた。
「<ロイヤル・ルビー>というカクテルです。アルコールはそんなに強くないが、体が温まりますよ」
テアはバーテンダーに礼を言うと、それを一口飲んだ。甘酸っぱい香りと口当たりのよいレッド・キュラソーがほど良く調和したカクテルだった。
「おじさん、この商売長いの?」
一杯目のロイヤル・ルビーを飲み干し、人心地ついてテアが訊ねた。
「もう三十年近くになりますよ」
「そう……。それなら、この惑星イリスについても良くご存じね」
「まあ、商売柄たいがいの事はいやでも耳に入ってきます」
バーテンダーが二杯目のロイヤル・ルビーをカウンターに置きながら答えた。
「イリス聖王家の不穏な動きについても何か知っている?」
テアはアランの言葉を思い出しながら訊ねた。彼の言葉を信じるならば、イリス聖王家のクーデターは公表されていないはずであった。
「お客さん、刑事かい?」
バーテンダーが急に態度を硬化させた。
「違うわ。私の知り合いがイリス宮殿で働いているの。彼女と連絡を取りたいのだけれど、消息がつかめなくなって……」
「そうですか……。残念ながら、その人の生死は分かりませんよ」
バーテンダーが同情的な表情で告げた。
「どういう意味……?」
「今、イリス宮殿では大規模なクーデターが発生しているらしいんです。もちろん、そんなニュースはまったく流れてませんがね」
「クーデター……?」
テアが驚いた表情で、バーテンダーの話の続きを待った。バーテンダーの中には、情報屋として暗躍する者も多い。彼女は本能的にバーテンダーたちの持つ情報の確かさを感じ取っていた。
「そうです。これはあくまでうわさですが、聖王と皇后は殺され、アラン王子は行方不明、ロザンナ王女は反乱軍に拉致されたそうですよ」
「聖王と皇后が殺された……?」
この情報はテアにとっても初めてのものであった。アランの情報では、彼らの生死は不明とのことであったのだ。
「そんな重大ニュースが何故流されないの?」
「たぶん、かなりの上層部から報道管制が布かれているんでしょう」
「あなた、何処からそんな情報を聞いたの?」
「出所は言えませんが、かなり信頼できる筋です。それでなくては、『お客さん』に話しませんよ」
バーテンダーが笑った。彼の瞳の奥に奇妙な光が浮かんだことを、テアは見逃さなかった。
「初めての客である私に、どうしてそのような情報を提供するの?」
テアがスツールから立ち上がった。
「……!」
その時……。彼女は急に体中の力が抜けていくのを感じた。視界が急激にぐるぐると廻り始める。
(まさか……?)
テアは愕然としてバーテンダーを見つめた。バーテンダーの顔に、嘲笑とも言える笑みが浮かんでいた。
「何を……入れたの……?」
テアがカウンターに崩れ落ちながら訊ねた。
「まさかこんな大物がかかるとはな! この店の地下は、<テュポーン>の惑星イリス第二支部になっているんだ、ブルー・ウィッチ。これで俺もしがない情報屋から<テュポーン>の幹部へと大躍進だ!」
バーテンダーが笑いながら告げた。
「<テュ……ポー……ン>……」
体中が痺れ、言葉もうまく発せられなかった。
(アランは……嘘をついていなかった)
急速に朦朧としていく意識の中で、テアはバーテンダーの言葉が真実であることを実感した。
(やはり、私は……<銀河系最強の魔女>……)
次の瞬間、彼女の意識はブラック・アウトした。
スティンガーズ・ホテルは、オディッセアでも最古参のホテルであった。
その設立は、惑星イリスに人類が移民をしてきた時代と時期を同じくする。歴代の聖王や大貴族のパーティが幾度となく開催された「イリスの間」を始め、伝統と格式とによって作られた数々の部屋を持つ高級ホテルである。
「凄い部屋ね……」
ジェシカはその部屋に一歩足を踏み入れるなり、絶句した。
五百平方メートルは優にあるスティンガーズ・ホテルのロイヤル・スイートルームであった。シャンデリアを始め数々の装飾品は、何れも有名な芸術家たちの手による最高級品ばかりだ。この部屋の装飾品だけで、一億クレジット以上の価値はあるだろう。
「ぼんやりと突っ立ってないで、早く入れよ」
黒い本革張りのソファに腰を下ろしたシュンが、彼女に向かって言った。
「ノヴァのエースパイロットって、儲かるのね。私も職替えしようかしら?」
ジェシカが感嘆しながら部屋に入り、シュンの前に腰を下ろした。
「バカ言うな。この星でMICチップを解析できるコンピューターがある部屋なんて、そうはないんだ。このホテルでも、この部屋だけだったんだぜ」
「そうなの。私のために取ってくれたんじゃないんだ」
ジェシカが笑いながら言った。
「当たり前だ。誰が見ず知らずの女のために、給料をはたいてスイートルームなんか予約するんだ?」
「嘘でもいいから、お前のためだって言えないの? 女の扱いに慣れてないのね」
長い漆黒の髪をかき上げながら、ジェシカが拗ねるように告げた。
「知るか、そんなこと。それより、MICチップの解析を始めるぞ」
シュンが席を立ち、MICチップをバイオ・コンピューター・システムに挿入した。
「その前に、データーをハックされる可能性はないの?」
「このコンピューターは自己防衛システム付きだ。心配ない」
シュンはそう言うと、マウスを動かし始めた。
「解析を開始しろ」
シュンがバイオ・コンピューターに短く命じた。
『分かりました』
モニターに数字とアルファベットが目まぐるしく映っては消えて行く。
『データー量が膨大です。十分ほどお待ち下さい』
コンピューターの疑似音声が、若い女性の声で答えた。
「何か飲む?」
ジェシカが部屋の冷蔵庫を開けながら訊ねた。
「イリス・ビールでも貰おうか」
「OK」
彼女が缶ビールを取り出し、プルリングを開けてシュンに渡した。自分はグレープフルーツ・ジュースを取り出す。
「あなたがテアを狙う理由を知りたいわ」
ジェシカが、グレープフルーツ・ジュースに口を付けながら訊ねた。
「先にジェイのビデオ・レターを見るか?」
「そうしてくれる?」
シュンが、ビデオ・システムにマイクロ・ビデオ・テープを入れた。
七十インチの大モニターに、懐かしいジェイ=マキシアンの顔が映し出された。
宇宙空間のような漆黒の髪と、星々のきらめきを映し出す瞳。精悍さと優しさが混在する浅黒い顔。『全宇宙最強のESP』と呼ばれ、初代SHとして数々の難事件や凶悪犯罪を解決してきた男。
ジェイ=マキシアン。
彼こそはGPSを代表するESPであり、その強大な能力で銀河系最大の麻薬ギルド<テュポーン>の総本部、人工惑星ジオイドを消滅させた英雄であった。
「シュン、久しぶりだな」
懐かしいジェイの低い声が響きわたった。
(ジェイ……)
ジェシカは彼の声を聞いた途端、涙が溢れるのを止められなくなった。ジェイとは、彼女が駆け出しのSHの頃にチームを組んだことがあり、彼女にとっても誰よりも大切な存在であったのだった。
「俺はテアとある任務に就くことになった。詳細は言えないが、今までのどれよりも重大であり危険な任務だ。たぶん、俺かテア……もしかしたら、両方とも生きて帰ることが出来ないかも知れない。その時のために、このテープを遺言としてお前に送る」
二人はジェイの言葉に聞き入った。
「俺の遺産は全てお前に託す。SHとして得た報酬全てだ。ギャラクシー・バンクのVIP口座に預けてある。たぶん、お前が一生苦労せずに暮らしてゆけるだけあると思う。キャッシュ・カードは俺の死が確認されたら自動的にお前の手元に届くようにしてある」
ジェシカはシュンの横顔を見た。
SHはその危険な任務と比例して、GPSの中でも年棒はずば抜けて高い。まして、そのリーダーであるジェイがSHとして得た全ての報酬と言ったら、恒星間宇宙船が数隻買えるほどの金額であるはずだ。
「その代わり、俺の願いを一つ聞いて欲しい。お前は自分で気づいていないが、俺と同等かそれ以上の潜在ESPを有している」
「……!」
ジェイの言葉に、ジェシカは驚愕した。
(『全宇宙最強のESP』以上の能力……? ジェイは、Σナンバー・ランクαのESPよ。それより強大なESPなんて、そう存在するはずはないわ!)
彼女はシュンの精悍な横顔を見つめた。彼は動じた様子もなく、ジェイのビデオを見ている。
「俺はテアを愛している。今度の任務がどんな危険をはらんでいても、彼女だけは救い出すつもりだ。その為に、俺が死んだとしても……。そこで、お前には俺の後継者となって欲しい。テアも<銀河系最強の魔女>と呼ばれるΣナンバーのESPだ。だが、何と言っても彼女は若い女性だ。俺の意志を継ぐには、あまりにも危険と責任が大き過ぎる」
ジェイの告げる内容は、ジェシカの予想をはるかに超えていた。
(この男が、ジェイの後継者……? そんな、バカな……)
ジェシカは先ほど戦ったシュンの能力を思い出した。たしかに強力なESPであったが、ジェイが告げるほど巨大なESPをシュンが有しているとは思えなかった。
「俺の代わりに、テアを補佐してくれ。それを頼めるのは、広大な銀河系でもお前しかいない。テアは俺が死んだらGPSを脱走し、<テュポーン>の総統ジュピターを倒そうとするだろう。しかし、ジュピターは間違いなく、今の俺以上のESPを持つ銀河最強のESPだ。彼女一人で倒すのは不可能に近い」
この言葉に、ジェシカは大きく頷いた。ジェシカも惑星アルピナで総統ジュピターのESPを目の当たりにした一人である。彼のESPは、テアやジェシカの常識をはるかに超越したものだった。
「俺の死後、テアの親友ジェシカ=アンドロメダというSHが、テアを助けようとするだろう」
「……!」
(ジェイはそこまで読んでいるの……?)
「ジェシカもAクラスESPだが、彼女がテアと同調してもおそらくジュピターは倒せない。奴を倒すにはΣナンバーのESPが数人同調しないと無理だ」
ジェイが苦悩に満ちた表情で告げた。
「SHになれとは言わない。だが、さっきも言ったとおり、この銀河系でブルー・ウィッチを超えるESPを持つものは、シュン、お前だけだ。俺の最後の願いを聞いて欲しい」
そこでビデオ・テープは終わった。
「……」
ジェシカはしばらくの間、無言でシュンの横顔を見つめた。
(でも、このテープのどこに、シュンがテアを仇敵と決めつける内容があるの? ジェイはテアを守って欲しいと言った。彼女がジェイの仇敵だなんて、一言も言っていないわ)
ジェシカの疑問に答えるかの様に、シュンが口を開いた。
「これはテレパシー・ビデオだ」
「……! テレパシー・ビデオ?」
ジェシカが驚いて訊ねた。
「そうだ。特定の人間……この場合は俺のことだが……、その人間以外の者が見ても、今見たとおりの内容でしかない。だが、俺には別の映像が見えた」
「ジェイはこう言った。『テアはDNAアンドロイドの血を受け継いでいる。お前も知っている通り、DNAアンドロイドには重大な欠陥がある。それは、強大なESPを制御出来ないと言うことだ。テアの本当の力は、惑星どころか太陽系をも破壊するパワーを持っている。その力が無限解放されれば、間違いなく銀河系人類の大多数は消滅する。俺がテアを守って欲しいと依頼するのは、彼女にその超烈なESPを使わせるなと言うことだ』と……」
「……! 太陽系をも消滅させるESPなんて……! 個人レベルの能力では不可能よ!」
思わず、ジェシカが叫んだ。
「ジェイが言うのでなければ、俺も信用しない。だが、『全宇宙最強のESP』と呼ばれた男の言葉だ。あながち、嘘とも思えない」
シュンが、イリス・ビールを飲みながら言った。
「そして、ジェイはこうも告げていた。『DNAアンドロイド二世であるテアは、その呪われた血によって、いつか必ずその強大なESPに目覚めるだろう。それを防ぐ自信がなければ、彼女を殺してくれ。俺は、テアが歴史に「魔女」の名を残すことを、何としても防ぎたい。それが俺の願いであり、愛するテアの為でもある』と……」
「あなたは、テアを本気で殺すつもり……?」
ジェシカの黒曜石の瞳が、真っ直ぐにシュンを見つめた。
「正直言って、分からない……。だが、確実に言えることは、俺にはテアを止める自信がないって事だ」
「シュン……」
ジェシカがシュンの横顔を見つめた。そこには明らかな苦悩の色が見て取れた。
「ジェイの言葉が本当ならば、あなたはジェイ以上の能力を持っているのよ。彼女を止めることは可能だわ」
「もし、本当に俺がジェイを超えるESPを持っていたとしても、俺の力は、お前も知っているとおり覚醒していないんだ」
「……」
「そして今、テアは総統ジュピターと闘おうとしている。彼女がジュピターとの戦いの最中に、本当の力に目覚めたらどうする?」
「それは……」
シュンの言わんとしていることは、ジェシカにも十分に伝わった。ジェイが言うとおりの力を本当にテアが持っているとしたら、誰にも彼女を止めることは不可能だった。
『データーの解析準備が整いました』
その時、ジェシカの思考を中断するかのように、バイオ・コンピューターが告げた。
「この話はまた後だ。解析を始めろ!」
シュンがバイオ・コンピューターに命令した。
『了解しました。解析を始めます』
先程の大型モニターに、今度は銀河系で最も美しい魔女の姿が映し出された。
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