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第3章 イリスの嵐
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「人殺し……!」
「助けて、誰か……!」
「キャーッ!」
「ひいいッ……!」
劫火と狂気の中を逃げまどう人々。生きながら、手足を引き裂かれる兵士の絶叫。犯され、殺されてゆく女官たち。イリス聖王家随一の巫女であるロザンナには人々の恐怖と絶叫が、そして、虐殺が眼前で起こっているかの様に感じられた。
(いったい、何故?)
とどまることを知らない地獄図の中で、人はどこまで阿修羅と化すことが出来るのだろうか。
(太陽神ルアーよ。あなたの末裔が死に瀕してます。どうしたらいいのでしょう……)
惑星イリスは、GPSに約千五百ある惑星国家の内、唯一王制を執っている国家である。第七十四代聖王オーディン三世が治世し、すでに十余年が経っていた。総人口約一億三千万人はこの間、大きな戦乱や政治および経済的制裁を受けることなく、自由と平和を満喫していた。
しかし、その惑星イリスにクーデターが勃発したのである。その首謀者も規模も、現時点では不明であった。ただひとつ言えるのは、聖都オディッセアを中心として勃発し、イリス聖王家の中枢とも言えるこのクリスタル神殿さえも、戦乱と狂乱の真っ直中におかれていることであった。
「いたぞッ! ロザンナ王女だ!」
黒い重機動スーツに身を包んだ降下兵が、<聖王の間>のドアを蹴破って入ってきた。
「……!」
ロザンナは驚きのあまり言葉を失って立ちつくした。
降下兵がRSー839型レーザー・キャノンの照準をロザンナに合わせた。RSー839は惑星警察特殊部隊が採用している対装甲車輌用高出力レーザーで、射程距離が従来のレーザーの約二倍と長く、焦点温度は八万度以上ある。このような至近距離での対人殺傷力は計り知れなかった。
「聖王オーディン三世は何処だ?」
降下兵が銃口をロザンナに向けたまま叫んだ。
「……!」
ロザンナの視線が降下兵の背後の人影を捉えた。
「ロザンナッ!」
人影は彼女の名を叫ぶと同時に、背後から降下兵の頭部を撃ち抜いた。後頭部から額にかけて九ミリ・パラペラ弾が貫通した降下兵は、断末魔の悲鳴も上げられずに即死した。
「兄さんッ!」
ロザンナが兄のもとへ駆け寄った。
彼女の兄アラン=アルファ=イリスは、イリス聖王家第一王位継承者であり、惑星イリス軍の総司令長官であった。彼の勇名は惑星イリスのみならず、近隣の惑星国家までも鳴り響いている。
今から約十年前、現聖王オーディン三世とその叔父ハミルトン公爵の聖王位争いが行われたSD一二九五年の<惑星イリス内乱>の時、若干十八歳ながらも特殊工作部隊<スコーピオン>の精鋭二十名を率いて、反乱軍が占拠する軍事衛星<ガダルカナル>を鎮圧し、その中枢を撃破したことは記憶に新しい。
「まだ、こんなところにいたのか? 父上と母上は……?」
アランは、彼の胸に飛び込んできたロザンナの長い金髪を撫でながら訊ねた。
「わからないわ。私……」
ロザンナの美しい碧眼から涙が溢れ出た。彼女には瞳を閉じても、虐殺の光景が見えているのである。
「今は国民よりも我々の命の方が大切な時だ。特に父上、聖王オーディン三世の命が……」
「はい……」
ロザンナは涙を振り払いながら答えた。
「お父様はたぶん、<破邪の路>へ向かってらっしゃるわ」
<破邪の路>とは、<聖王の間>から緊急脱出艇のある地下カタパルトまで続く約二キロメートルの地下通路である。
「見えるのか?」
アランが訊いた。
「こんな状況だからはっきりとは……。でも、<破邪の路>を駆けている人影が二人……」
ロザンナが瞳を閉じて答えた。彼女の有名な能力のひとつ、<千里眼>であった。
「わかった、急ごう!」
アランはロザンナの手を引いて駆け出した。
「……!」
恒星間ヴィジフォーンが鳴り響いた。それも、GPS緊急回線である。
(いったい、何時だと思っているのよ!)
ジェシカ=アンドロメダはベッドから悪態をついて抜け出した。暗闇の中でも、透けるような白い肌が眩しい。全裸であった。
デジタル・クロックは銀河標準時間で午前四時を告げていた。
長い漆黒の髪をかき上げ薄いシルクのガウンを羽織ると、ヴィジフォーンのスイッチをオンにした。
(悪戯だったら、容赦しないわよ!)
ジェシカはGPSのSHである。
GPS特別犯罪課特殊捜査官とは、Bクラス以上の超能力を有し、数年間にわたる特殊訓練を受けた者のみに与えられる一種の称号であった。彼らは複雑化するE犯罪(超能力者による特別犯罪)に対応するため、GPS最新鋭の万能型超光速宇宙艇を駆使し、特別な治外法権を有するGPSのエリートである。
SHはその性格上、任務のほとんどを独自の宇宙艇の中で過ごしている。ジェシカも例外ではなかった。
GPSの通常連絡は普通、HD通信で行われる。これは亜空間超光速航法原理を応用したもので、光速の数万倍の速度を有するニュートリノ波を亜空間に送り込むものであり、理論的には数億光年離れていても通信が可能であった。しかし、その通信可能距離が仇となり、傍受しやすいため、極秘を要する事項については恒星間ヴィジフォーンを利用するケースが多い。
恒星間ヴィジフォーンは宇宙空間におけるTV電話であるため回線の暗号化がしやすく、また、指向性が強いので非常に傍受が困難であった。欠点は、通信可能距離が約五十光年と短いことである。
今、ジェシカが受けた通信は、恒星間ヴィジフォーンのGPS緊急回線レベル7であった。これは、GPSがSH専用に設けた回線であり、その発信者は同じSHであるはずだった。しかし……。
「ジェシカ=アンドロメダか……?」
「誰……?」
モニターに映し出された男に、ジェシカは見覚えがなかった。彼女はその仕事柄、記憶力には自信がある。また、この通信は民間人はもちろん、GPSの軍人でさえも知っている者はほとんどいないはずであった。
(新人かしら? でも、そんな話、聞いていない……)
「テア=スクルトを知っているな……」
彼女の戸惑いを無視して男が話し出した。二十歳前後の若い男性である。浅黒く日焼けした顔に、漆黒の瞳が強い意志を浮かべていた。美男と言うより、精悍さと自信とに溢れた男だった。
「あなた、誰? SHじゃないわね!」
ジェシカの美しい顔に緊張が走った。GPS緊急回線を見ず知らずの男がハッキングしている。異常事態であった。
「俺はシュン=カイザード。テアの命を狙った男だ」
「……! 何ですって!」
<銀河系最強の魔女>と呼ばれ、E犯罪者たちから怖れられている女性の命を狙う。常識で考えられることではなかった。
「もっとも、失敗したがね。それより、彼女から面白い物を預かった。あんたに渡して欲しいとの言葉と一緒にね」
シュンが、モニターの前にマイクロ集積回路ディスクをかざした。
「……! それは……」
ジェシカが驚愕した。
彼女自身もGPSで指折りの優秀なSHである。よって、MICチップの持つ重要性はいやというほど認識していた。それを他人に渡すということは普通考えられない。もし、テアが本当にこの男にMICチップ渡したとすれば……。
「テアは死んだの?」
ジェシカが思わず叫んだ。
「さあ……。とにかく、惑星イリスに来てくれ。俺が今いる惑星ファラオには、DNA戦争の影響でこれを解析できるコンピューターがない。ここから一番近い惑星国家がイリスだ」
「わかったわ。ここからイリスまで約四五光年ある。三日かかるわ」
ジェシカは、彼女の愛機<ミューズ>の座標を確認しながら言った。
「銀河標準時間の七月十日午前九時に惑星イリスのクリュティエ宇宙港第二ロビーで待っている」
「待って……」
通信が一方的に切られた。
ジェシカはブラック・アウトしたモニターを呆然と見つめた。
(いったい、テアは何に巻き込まれたの?)
話がまるで見えなかった。
(シュン=カイザード。どこかで聞いた名前だわ)
ジェシカは混乱した頭を振った。美しい黒髪が大きく舞った。
(とにかく、イリスへ行けば分かるわ)
「HD準備! 最終座標、惑星イリス!」
ジェシカの美しいメゾ・アルトが愛機<ミューズ>のバイオ・コンピューターに命令を下した。漆黒の宇宙空間を飛翔するGPS万能型宇宙艇<ミューズ>の機体が、虹色の光彩に包まれた。
古代ギリシャ神話に登場する歴史を司る女神<ミューズ>が、今新たな歴史を刻まんと、HD空間に消えていった。
「助けて、誰か……!」
「キャーッ!」
「ひいいッ……!」
劫火と狂気の中を逃げまどう人々。生きながら、手足を引き裂かれる兵士の絶叫。犯され、殺されてゆく女官たち。イリス聖王家随一の巫女であるロザンナには人々の恐怖と絶叫が、そして、虐殺が眼前で起こっているかの様に感じられた。
(いったい、何故?)
とどまることを知らない地獄図の中で、人はどこまで阿修羅と化すことが出来るのだろうか。
(太陽神ルアーよ。あなたの末裔が死に瀕してます。どうしたらいいのでしょう……)
惑星イリスは、GPSに約千五百ある惑星国家の内、唯一王制を執っている国家である。第七十四代聖王オーディン三世が治世し、すでに十余年が経っていた。総人口約一億三千万人はこの間、大きな戦乱や政治および経済的制裁を受けることなく、自由と平和を満喫していた。
しかし、その惑星イリスにクーデターが勃発したのである。その首謀者も規模も、現時点では不明であった。ただひとつ言えるのは、聖都オディッセアを中心として勃発し、イリス聖王家の中枢とも言えるこのクリスタル神殿さえも、戦乱と狂乱の真っ直中におかれていることであった。
「いたぞッ! ロザンナ王女だ!」
黒い重機動スーツに身を包んだ降下兵が、<聖王の間>のドアを蹴破って入ってきた。
「……!」
ロザンナは驚きのあまり言葉を失って立ちつくした。
降下兵がRSー839型レーザー・キャノンの照準をロザンナに合わせた。RSー839は惑星警察特殊部隊が採用している対装甲車輌用高出力レーザーで、射程距離が従来のレーザーの約二倍と長く、焦点温度は八万度以上ある。このような至近距離での対人殺傷力は計り知れなかった。
「聖王オーディン三世は何処だ?」
降下兵が銃口をロザンナに向けたまま叫んだ。
「……!」
ロザンナの視線が降下兵の背後の人影を捉えた。
「ロザンナッ!」
人影は彼女の名を叫ぶと同時に、背後から降下兵の頭部を撃ち抜いた。後頭部から額にかけて九ミリ・パラペラ弾が貫通した降下兵は、断末魔の悲鳴も上げられずに即死した。
「兄さんッ!」
ロザンナが兄のもとへ駆け寄った。
彼女の兄アラン=アルファ=イリスは、イリス聖王家第一王位継承者であり、惑星イリス軍の総司令長官であった。彼の勇名は惑星イリスのみならず、近隣の惑星国家までも鳴り響いている。
今から約十年前、現聖王オーディン三世とその叔父ハミルトン公爵の聖王位争いが行われたSD一二九五年の<惑星イリス内乱>の時、若干十八歳ながらも特殊工作部隊<スコーピオン>の精鋭二十名を率いて、反乱軍が占拠する軍事衛星<ガダルカナル>を鎮圧し、その中枢を撃破したことは記憶に新しい。
「まだ、こんなところにいたのか? 父上と母上は……?」
アランは、彼の胸に飛び込んできたロザンナの長い金髪を撫でながら訊ねた。
「わからないわ。私……」
ロザンナの美しい碧眼から涙が溢れ出た。彼女には瞳を閉じても、虐殺の光景が見えているのである。
「今は国民よりも我々の命の方が大切な時だ。特に父上、聖王オーディン三世の命が……」
「はい……」
ロザンナは涙を振り払いながら答えた。
「お父様はたぶん、<破邪の路>へ向かってらっしゃるわ」
<破邪の路>とは、<聖王の間>から緊急脱出艇のある地下カタパルトまで続く約二キロメートルの地下通路である。
「見えるのか?」
アランが訊いた。
「こんな状況だからはっきりとは……。でも、<破邪の路>を駆けている人影が二人……」
ロザンナが瞳を閉じて答えた。彼女の有名な能力のひとつ、<千里眼>であった。
「わかった、急ごう!」
アランはロザンナの手を引いて駆け出した。
「……!」
恒星間ヴィジフォーンが鳴り響いた。それも、GPS緊急回線である。
(いったい、何時だと思っているのよ!)
ジェシカ=アンドロメダはベッドから悪態をついて抜け出した。暗闇の中でも、透けるような白い肌が眩しい。全裸であった。
デジタル・クロックは銀河標準時間で午前四時を告げていた。
長い漆黒の髪をかき上げ薄いシルクのガウンを羽織ると、ヴィジフォーンのスイッチをオンにした。
(悪戯だったら、容赦しないわよ!)
ジェシカはGPSのSHである。
GPS特別犯罪課特殊捜査官とは、Bクラス以上の超能力を有し、数年間にわたる特殊訓練を受けた者のみに与えられる一種の称号であった。彼らは複雑化するE犯罪(超能力者による特別犯罪)に対応するため、GPS最新鋭の万能型超光速宇宙艇を駆使し、特別な治外法権を有するGPSのエリートである。
SHはその性格上、任務のほとんどを独自の宇宙艇の中で過ごしている。ジェシカも例外ではなかった。
GPSの通常連絡は普通、HD通信で行われる。これは亜空間超光速航法原理を応用したもので、光速の数万倍の速度を有するニュートリノ波を亜空間に送り込むものであり、理論的には数億光年離れていても通信が可能であった。しかし、その通信可能距離が仇となり、傍受しやすいため、極秘を要する事項については恒星間ヴィジフォーンを利用するケースが多い。
恒星間ヴィジフォーンは宇宙空間におけるTV電話であるため回線の暗号化がしやすく、また、指向性が強いので非常に傍受が困難であった。欠点は、通信可能距離が約五十光年と短いことである。
今、ジェシカが受けた通信は、恒星間ヴィジフォーンのGPS緊急回線レベル7であった。これは、GPSがSH専用に設けた回線であり、その発信者は同じSHであるはずだった。しかし……。
「ジェシカ=アンドロメダか……?」
「誰……?」
モニターに映し出された男に、ジェシカは見覚えがなかった。彼女はその仕事柄、記憶力には自信がある。また、この通信は民間人はもちろん、GPSの軍人でさえも知っている者はほとんどいないはずであった。
(新人かしら? でも、そんな話、聞いていない……)
「テア=スクルトを知っているな……」
彼女の戸惑いを無視して男が話し出した。二十歳前後の若い男性である。浅黒く日焼けした顔に、漆黒の瞳が強い意志を浮かべていた。美男と言うより、精悍さと自信とに溢れた男だった。
「あなた、誰? SHじゃないわね!」
ジェシカの美しい顔に緊張が走った。GPS緊急回線を見ず知らずの男がハッキングしている。異常事態であった。
「俺はシュン=カイザード。テアの命を狙った男だ」
「……! 何ですって!」
<銀河系最強の魔女>と呼ばれ、E犯罪者たちから怖れられている女性の命を狙う。常識で考えられることではなかった。
「もっとも、失敗したがね。それより、彼女から面白い物を預かった。あんたに渡して欲しいとの言葉と一緒にね」
シュンが、モニターの前にマイクロ集積回路ディスクをかざした。
「……! それは……」
ジェシカが驚愕した。
彼女自身もGPSで指折りの優秀なSHである。よって、MICチップの持つ重要性はいやというほど認識していた。それを他人に渡すということは普通考えられない。もし、テアが本当にこの男にMICチップ渡したとすれば……。
「テアは死んだの?」
ジェシカが思わず叫んだ。
「さあ……。とにかく、惑星イリスに来てくれ。俺が今いる惑星ファラオには、DNA戦争の影響でこれを解析できるコンピューターがない。ここから一番近い惑星国家がイリスだ」
「わかったわ。ここからイリスまで約四五光年ある。三日かかるわ」
ジェシカは、彼女の愛機<ミューズ>の座標を確認しながら言った。
「銀河標準時間の七月十日午前九時に惑星イリスのクリュティエ宇宙港第二ロビーで待っている」
「待って……」
通信が一方的に切られた。
ジェシカはブラック・アウトしたモニターを呆然と見つめた。
(いったい、テアは何に巻き込まれたの?)
話がまるで見えなかった。
(シュン=カイザード。どこかで聞いた名前だわ)
ジェシカは混乱した頭を振った。美しい黒髪が大きく舞った。
(とにかく、イリスへ行けば分かるわ)
「HD準備! 最終座標、惑星イリス!」
ジェシカの美しいメゾ・アルトが愛機<ミューズ>のバイオ・コンピューターに命令を下した。漆黒の宇宙空間を飛翔するGPS万能型宇宙艇<ミューズ>の機体が、虹色の光彩に包まれた。
古代ギリシャ神話に登場する歴史を司る女神<ミューズ>が、今新たな歴史を刻まんと、HD空間に消えていった。
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