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終章

9 女豹の決断

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「はるか、純ッ……! 凛桜さんは突き当たりの部屋よッ!」
 暗視機能付防弾ゴーグルから伸びるマイクロフォンに向かって、瑞紀が告げた。瑞紀の言葉を聞いた二人が船室の捜索を中断して駆け寄って来た。
 廊下の端を駆けているはるかと違い、純一郎は中央を走っていた。その位置が凛桜が囚われている部屋のドアと一直線であることに気づき、瑞紀が叫んだ。
「純ッ! 真ん中を走ってはダメッ! 横にずれてッ!」

 ドーンッ……!

 重厚な射撃音が響き渡り、ドアが粉砕された。最強の弾丸と呼ばれる.50AE弾が、木製の扉一枚を通してもその威力をいささかも減じずに、純一郎の胸板を防弾ベストごと貫通した。
「がはッ……!」
 大量の血を吐きながら、純一郎が後方に倒れ込んだ。その背中から鮮血が溢れだし、見る見るうちに廊下に大きな血だまりを作った。

「純ッ……!」
 純一郎に駆け寄ろうとした瑞紀を、はるかの叫びが止めた。
「瑞紀さん、伏せてッ! この威力、.50AE弾ですッ!」
「くッ……!」
 はるかの言葉に、瑞紀が床に伏せた。その瞬間、轟音とともに瑞紀の頭上の壁を貫通して、.50AE弾が撃ち込まれた。身を伏せていなければ、瑞紀の頭部は粉砕されていた。

「瑞紀さん、早くこっちへッ!」
 突き当たりの部屋から最も近い船室に身を隠しながら、はるかが叫んだ。瑞紀は身を潜めながら廊下を斜めに横切り、はるかのいる部屋に滑り込んだ。
「純が、まだ廊下にッ……!」
「今は無理ですッ! 落ち着いてッ!」
 再び廊下に飛び出そうとした瑞紀を羽交い締めにしながら、はるかが叫んだ。

「でも、純がッ……!」
「神崎さんは<星月夜シュテルネンナハト>の最新式防弾ベストを着ていますッ! たとえ.50AE弾が貫通しても、その威力は大きく減少しているはずですッ! 心臓を撃ち抜かれていなければ即死はしませんッ!」
 はるかの言葉に、瑞紀は冷静さを取り戻した。
「撃たれたのは胸部だったわッ! 中にいるのは恐らくベーカーよッ! 私がドアを開けるから、はるかはその隙にベーカーを撃ってッ!」

「無茶言わないでくださいッ! 至近距離から.50AE弾を喰らったら、いくら最新式防弾ベストを着ているとは言っても即死しますよッ!」
「無茶は承知よッ! 時間がないのッ! 頼んだわよッ!」
 そう叫ぶと、瑞紀ははるかの腕を振りほどいて廊下に飛び出した。床を前転しながら反対側の壁に辿り着くと、身をかがめて正面のドアに近づいていった。

 ドーンッ……!
 ドーンッ……!
 ドーンッ……!

 続けざまに三発の轟音が響くと、.50AE弾が正面の扉を貫通して廊下を飛翔していった。
(銃撃の間隔は1.5秒から2秒くらいね……)
 最強の拳銃弾と呼ばれる.50AE弾は、その威力に比例して撃ったときの衝撃が大きい。その銃口の跳ね上がりマズルジャンプは、鍛え上げた男性の両腕を頭上まで跳ね上げるほどだ。9mmパラベラム弾のように連射など不可能だった。

(大砲も当たらなければ意味がないわッ!)
 威力の大きい.44マグナム弾や.50AE弾を<星月夜シュテルネンナハト>で採用していない理由は、連射が不可能なことだった。テロ制圧など多人数を相手にする場合には、一発の威力が大きな弾丸よりも連射が可能な9mm弾の方が効果が大きいのだ。その9mm弾を一度に三発発射可能な3点射スリー・ポイント・バーストに瑞紀がこだわる理由は、連射と制圧力の両方を兼ね備えるからに他ならなかった。

(.50AE弾を撃てる拳銃だとすると、恐らくデザートイーグルだわ。装填不良ジャムの多いオートマグⅤは生産中止になっているはず……。デザートイーグルだとすれば、マガジン数は装弾数は七発……。あらかじめ薬室チェンバーに一発装填していたとしても、残弾数は最大であと三発のはず……)

 ドーンッ……!
 ドーンッ……!
 ドーンッ……!

 轟音とともに三発の.50AE弾が木製のドアを貫通して廊下を飛翔していった。これで、八発すべてを撃ち尽くしたはずだ。
(今だッ……!)
 瑞紀はドアノブに左手を掛けると、全力で大きく廊下側にドアを開け放った。そして、右手で構えたM93RMK2を室内に向けて銃爪トリガーに指を掛けた。

 ドーンッ……!

「ぐッ……!」
 義手にも拘わらず、凄まじい衝撃が右腕を襲い、M93RMK2が弾き飛ばされた。廊下を転がっていくM93RMK2の銃身が、.50AE弾の直撃を受けて折れ曲がっていた。
(マガジンを撃ち尽くさずに交換していた……? それも、右手だけでデザートイーグルを撃っている……!)
 部屋の奥にいる金髪碧眼の男……レオナルド=ベーカーが、デザートイーグルの銃口を真っ直ぐに瑞紀に向けながら立ちはだかっていた。その左横には、後ろ手に両腕を拘束され、ボールギャグを噛まされた姿の凛桜が全裸で立っていた。

「凛桜さん、伏せてッ!」
 はるかがM93RSSを両手で構えながら叫んだ。はるかの位置からでは射線上に凛桜の体があり、レオナルドを直接狙えなかったのだ。だが、レオナルドは後ろ手に縛られた凛桜の左腕を掴むと、その後頭部にデザートイーグルの銃口を押しつけた。そして、ニヤリと笑みを浮かべながら告げた。

「この距離で撃てば、リオの頭はザクロのように弾け飛ぶ。それでも良ければ撃ってみろッ!」
 レオナルドの言葉に、はるかは銃爪トリガーに駆けた指を凍らせた。レオナルドを撃ち抜くよりも、凛桜の頭部が粉砕される方が間違いなく先だった。

「ベーカーッ! 私の名前は、ゆずりは瑞紀よッ! 私もあなたの標的ターゲットの一人のはず……。凛桜さんの代わりに私が人質になるわッ! 凛桜さんを解放してッ!」
 瑞紀の言葉に、凛桜が何か叫びながら激しく首を振った。だが、ボールギャグを噛まされている状態では、凛桜の言葉は瑞紀に届かなかった。

「ほう……。お前がミズキ=ユズリハか? 写真よりも美しいな……。よし、その勇気に免じて人質交換に応じてやろう。衣服を全部脱いでから、両手を上げてゆっくりと歩いて来いッ!」
「くッ……!」
 瑞紀は腰の後ろのベルト部分に、ベレッタM93RCCを挿して隠し持っていた。レオナルドが凛桜を解放した瞬間にM93RCCを抜いて、彼を撃つつもりだったのだ。だが、全裸にされてはそんなことは不可能になってしまう。

(はるか、何とか私が隙を作るから、それを逃さずにベーカーを撃って……)
 背中にはるかの視線を感じながら、瑞紀はヘルメットと暗視機能付防弾ゴーグルを外した。そして、<星月夜シュテルネンナハト>の最新型防弾ベストを脱ぎ捨てると、中に着ていたTシャツを脱いでブラジャーだけを残した。淡青色のブラジャーに包まれた白い胸の谷間が、レオナルドの目に晒された。

「胸はやや小ぶりだが、引き締まったいい躰をしている。早く下も脱げ……」
(誰と比べてるのよ、この変態ッ……!)
 レオナルドの言葉に顔を赤らめながら、瑞紀がキッと彼を睨みつけた。そして、彼の言葉に従って、ベルトを緩めて革のパンツから両脚を抜いた。その時、瑞紀はベルトの後ろに挿していたM93RCCを、レオナルドの目を盗みながらパンティの尻部分に挿し込んだ。はるかだけがそれに気づいたが、当然のことながら何も言わずにM93RSSの銃口をレオナルドに向けていた。

「全部脱げと言ったはずだ……」
 レオナルドが淡青色のブラジャーとパンティだけの姿になった瑞紀の肢体を舐めるように見つめながら告げた。だが、瑞紀は彼の言葉を無視すると、恥辱に顔を赤らめながらゆっくりと歩き出した。そして、恥ずかしそうに黒瞳を潤ませながらレオナルドを見つめると、熱い吐息とともに言い放った。
「女の下着を脱がせるのは、男の役目よ……」

「なるほど……。<星月夜の女豹レオパーディン・シュテルネンナハト>は、<西新宿の女豹>や元陸自のヘリパイロットよりも遥かに肝が据わっているようだ。いいだろう……。そのまま来い。望み通り、私の手ですべてを取り除いてやろう……」
 瑞紀の言葉にニヤリと笑みを浮かべると、レオナルドがデザートイーグルの銃口を凛桜の頭部に押しつけたまま告げた。

(こんな状況でも、デザートイーグルの銃口が少しもブレていない……。これ以上近づいたら、M93RCCを隠し持っていることがバレてしまうわ……)
 レオナルドとの距離はあと三メートルほどだった。四、五歩も歩けば到達してしまう距離だ。その間に、レオナルドの意識を逸らす手を考えなければ、誰一人として助かることは難しかった。

「凛桜さん、その姿で龍成に会いたい?」
 レオナルドの左隣に立っている凛桜に向かって、瑞紀が鋭い声で訊ねた。左頬を腫らし、唇から血を流し、凌辱の痕も生々しい全裸の姿で、凛桜は激しく首を振った。
(やはり、凛桜さんは私と同じだ……。私も凌辱された直後の自分を、龍成に見られたくなかった……)
「そうよね。よく分かるわ。本当は今すぐにでも死にたいんじゃない……?」
 瑞紀の言葉に目を見開くと、凛桜は大きく頷いた。

「その願い、私が叶えて上げるわッ!」
 そう告げると、瑞紀は右手で尻に刺したM93RCCを引き抜き、凛桜に向けて躊躇わず銃爪トリガーを絞った。

 ダーンッ……!

 単射セミオートで発射された9mmパラベラム弾が、凛桜の右肩を貫通した。
「ぐふッ……!」
 ボールギャグを噛まされた口からくぐもった悲鳴を漏らすと、凛桜が右に回転しながら後方に倒れ込んだ。右肩から鮮血が噴出し、見る見るうちに白い裸身を赤く染めていった。

「瑞紀さん、何をッ……!」
「何だとッ……!」
 はるかの絶叫に重なって、レオナルドが愕然とした声を上げた。驚愕のあまり、デザートイーグルの銃口が凛桜から外れたことにも気づいていないようだった。

(今だッ……!)
 ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
 素早く発射モードを「3shot」に切り替えると、瑞紀がM93RCCの銃口をレオナルドに向けて銃爪トリガーを引き絞った。銃口初速372m/minで発射された三発の9mmパラベラム弾が、レオナルドの強靱な肉体を貫通した。

 一発目は、右上腕部を突き抜けて肋骨を粉砕し、角度を変えて右肺をズタズタに引き裂きながら背中から飛び出した。
 そして、二発目の弾丸は、銃口の跳ね上がりマズルジャンプにより一発目よりもやや上に着弾した。レオナルドの右首から入ると、第三頸椎を粉々に砕きながら真っ直ぐに左首から射出した。
 致命傷となったのは、三発目だった。二発目よりも上部に着弾した弾丸は、レオナルドの右こめかみを貫いた。その衝撃で視神経を引きちぎられた右目の眼球が、勢いよく飛び出て血痕を描きながら床を転がった。弾丸自体は脳幹と側頭葉を粉砕しながら頭蓋骨を貫通して、左こめかみ上部から飛び出した。

 レオナルドの巨体がスローモーションでも見ているかのようにゆっくりと両膝をつくと、音を立てて床に倒れ込んだ。それを見守ることもせずに、瑞紀は全力で床を蹴りながら部屋を飛び出した。
「はるかッ! 凛桜さんをお願いッ! 鎖骨の上を撃ったからヒビくらい入っているけど、命に別状はないわッ!」
「は、はいッ!」
 瑞紀の言葉に、はるかが凛桜の元に駆け出していった。

「純ッ……! しっかりしてッ……!」
 純一郎の元に駆け寄ると、瑞紀は血まみれの胸に左耳を当てて心音を確認した。夥しい出血で周囲に血の海を作りながらも、純一郎の心臓はかすかに鼓動を刻んでいた。
「純ッ……! 死なないでッ! 純ッ……!」
 純一郎の防弾ベストを脱がすと、瑞紀は左腰に付けたポーチから緊急医療キットを取り出した。ガーゼを銃創に押し当ててテープで固定しようとしたが、あまりの出血の多さに止血の役に立たなかった。

「龍成ッ! ベーカーを射殺して凛桜さんは助け出したわッ! でも、純が.50mmAE弾で撃たれて重体なのッ! すぐに来てッ!」
 左腕のリスト・タブレットで龍成を呼び出すと、瑞紀が声の限り叫んだ。
「分かったッ! どこにいるッ?」
「二層目の突き当たり近くの廊下よッ! 純が死んじゃうッ! 早くッ……!」
「すぐ行くッ! 待ってろッ!」
 龍成の返事を耳にした時、瑞紀は純一郎の体がピクッと動いたのを感じた。

「純ッ……! しっかりしてッ……!」
「……み……ずき……」
 純一郎が薄目を開けて、瑞紀の名を呟いた。だが、その瞳は焦点を失っていて、何も見えていないようだった。瑞紀は純一郎の右手を両手で握り締めると、泣きながら叫んだ。
「私はここにいるわッ! 純ッ……! しっかり……」
「やく……そく……しろ……」
 そう告げると、純一郎がゴボッと大量の血を吐いた。

「純ッ……! しゃべらないでッ!」
「おれ……の……あとは……おう……な……。おま……え……は……いき……ろ……」
 最後の気力を振り絞って、純一郎が瑞紀に呟いた。
 次の瞬間、瑞紀の両手を握る純一郎の右手から、スッと力が抜けた。
「純……? 純ッ……! 純ッ……!!」
 ガクリと首を折った純一郎の体を、瑞紀は激しく揺さぶった。

「純ッ……! 純ーッ……!」
 薄暗い地下の廊下に、慟哭とも言える女豹の叫びがいつまでも響き渡った。


 純一郎の遺体は、ビニール製の遺体袋ボディ・バッグに入れられて若い特別捜査官エージェントによって運ばれた。
 血だらけの下着姿で呆然と立ち尽くす瑞紀に、龍成が自分の上着を脱いで掛けた。それにも気づかずに、瑞紀は運ばれていく純一郎を見つめていた。

(純が……死んだ……。私を残して……いなくなった……)
 瑞紀の脳裏に、純一郎との思い出が走馬灯のように蘇った。

 いきなり口説かれた初めての出逢い……。
 龍成との別れを慰めてくれた広い胸……。
 初めて抱かれたシチリアの夜……。
 何度も交わした濃厚な口づけ……。
 二人で愛し合ったファヴィニーナの日々……。
 <櫻華会>で誓った婚約の盃……。

 そして、純一郎の最期の言葉……。

『瑞紀、約束しろ……。俺の後は追うな……。お前は、生きろ……』

(最期まで冷たい男ね、純……。あなたのいない世界で、どう生きろって言うの……?)
 瑞紀は右手に握っているベレッタM93RCCに視線を移した。
(麗華、ずるいわよ……。私を残して、純だけを連れて行くなんて……)
 ゆっくりと右手を上げると、瑞紀はM93RCCを持ち替えた。銃口を自分の左胸に当てて、銃爪トリガーに右親指を掛けた。

(純……、私が大人しくあなたの言いなりになる女だとでも思っていたの……?)
 瑞紀がゆっくりと瞳を閉じた。瞼の裏に、純一郎の怒った顔が浮かんできた。
(そんな顔したって、ちっとも恐くないわよ、純……)
 ニッコリと笑顔を浮かべると、瑞紀は大きく息を吸い込んだ。

「瑞紀さんッ! 何をッ……!」
 銃口を自分の左胸に当てている瑞紀に気づき、はるかが悲鳴を上げた。それを聞きつけ、龍成が顔色を変えて瑞紀に駆け寄って来た。
「やめろッ、瑞紀ッ……!」

(待ってなさい、純……。死んだくらいじゃ、私から自由になれないって教えて上げるわ……)
 愛しい男の面影を追いながら、瑞紀は満面に笑みを浮かべた。そして、躊躇わずに銃爪トリガーに掛けた親指を押した・・・

 ダンッ、ダンッ、ダンッ……!

 3点射スリー・ポイント・バーストの連撃音が、虚空に響き渡った。ゆっくりと瑞紀は床に膝をつき、崩れ落ちた。その表情に浮かぶ倖せそうな微笑を、月明かりが優しく照らしていた。
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