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第1章 女豹蹂躙
7 救出
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楪瑞紀と七瀬美咲が消息を絶ってから、三日が経過した。瑞紀を拉致したと思われる黒のワンボックスには盗難願いが出されており、調布飛行場の駐車場に乗り捨てられているのが発見された。車の後部座席には電動マッサージ器が放置されており、そこに付着していた体液が瑞紀のDNAと一致した。それは瑞紀がこの電動マッサージ器で凌辱を受けた証拠に他ならなかった。その他に数本の毛髪が採取されたが、個人が特定できたのは瑞紀だけであった。
調布飛行場から飛び立ったのはセスナ社のサイテーション・ジェットCJ9型機で、パイロットを含めて六人乗りの民間小型機だった。調布飛行場の管制室にあるフライトレコーダーのログ・データから伊豆諸島方面に向かったことは特定されたが、伊豆諸島の拠点空港や地方管理空港、公共用ヘリポートには同機の着陸記録は見当たらなかった。また、国土交通省に登録された伊豆諸島にある民間飛行場すべてに問い合わせたが、当該の機体が着陸した記録はなかった。残された可能性は未申請の飛行場だが、どこにどれだけの飛行場があるのかさえ分からず、調査は手詰まり状態だった。
昨日、龍成は事件の進捗を報告するために七瀬美咲の両親に会った。美咲の母親は憔悴した表情で、娘が事件に巻き込まれたのは<楪探偵事務所>に勤めていたからだと言い募り、泣きながら瑞紀を激しく罵った。瑞紀も被害者だと告げても納得してもらえず、龍成は事件に進展があったら報告することを約束して早々に二人の元を辞した。
拉致誘拐事件の被害者生存率は発生後二十四時間以内が七十パーセント、四十八時間以内が五十パーセントであり、それ以降は極めて低くなる。瑞紀が拉致されてからはすでに六十六時間が経過し、美咲については八十時間以上が経過していると思われた。龍成は最終手段の実行許可を得るために、統合作戦本部長である高城雄斗に面会を求めた。
「失礼します。白銀特別捜査官、入ります」
統合作戦本部長室のドアをノックし、入室の許可を告げる声を聞くと龍成はドアを開いて室内に足を踏み入れた。
「白銀君、君の用件は予想が付く。だが、許可はできん……」
敬礼をした龍成を一瞥すると、高城は厳しい表情で告げた。
「何故です、本部長……! もう時間がありません。これ以上は彼女たちの生命に関わります。いえ、すでに危険な状態になっていますッ!」
「君の考えは、<玉龍会>を武力で制圧して、その幹部から<蛇咬会>本部の場所を聞き出そうと言うのだろう? だが、それはリスクが高すぎる」
高城が告げた言葉に、龍成が噛みつくような口調で訊ねた。
「それは、<玉龍会>に突入するリスクですか? それとも、<玉龍会>が制圧されたことを知った<蛇咬会>が、瑞紀たちを殺害するリスクのことでしょうか?」
龍成もそれらのリスクについては十分に検討済みだった。特に後者のリスクが高いため、今日まで実行に踏み切れなかったのだ。
「仮に<蛇咬会>本部の位置が判明したとして、それが予想通り伊豆諸島であるのなら、島の場所にもよるが移動に船で八時間から十四時間はかかる。その間に<玉龍会>が制圧されたことは<蛇咬会>にも必ず伝わる。そうなった場合に、楪瑞紀と七瀬美咲の生命は危険に晒される」
高城はすでに龍成の案を検討済みのようだった。
「この<星月夜>本部からヘリを飛ばせば、八丈島までも一時間かかりません。上手く行けば、<玉龍会>制圧を知られる前に<蛇咬会>を叩けますッ!」
「<星月夜>の輸送ヘリコプター・シコルスキーS-110では、パイロットを含めて最大十八名しか搭乗できない。仮に十八名を伊豆諸島に送り込むとすれば、<玉龍会>を制圧する人数が足りなくなる。このような緊急事態に対応できるのは、君たち特別捜査部の特別捜査官しかいない」
高城の言葉に、龍成は異論を唱えた。
「特別捜査部の特別捜査官は現在二十四名です。そのうち、二十名を<玉龍会>制圧に向かわせます。俺を含む四人組で伊豆諸島に向かいますッ!」
龍成の言葉に、高城が驚愕のあまり目を大きく見開いた。<蛇咬会>は構成員三千人を越える大組織だ。その本部となれば、少なく見積もっても百人程度の構成員が配置されていると思われた。龍成はそこにたった四人で突入し、瑞紀たちを救出すると言っているのだ。
「馬鹿を言うなッ! 四人で何ができるッ! そんなものは作戦とは呼べんッ! 生命を軽く見るなッ!」
高城の怒号を、龍成はたった一言で黙らせた。
「ステルス・コブラを使いますッ!」
「なッ……!」
龍成の提案に、高城が言葉を失った。
ステルス・コブラとは、正式名称をAH-10Sと言い、その名の通りレーダー波を反射する特殊コーティングをされた戦闘ヘリコプターだ。乗員数はパイロットを含めて最大四名。AGM-114空対地ミサイルを十六本搭載し、機首下の回転式銃座にある30mmガトリング砲は多目的榴弾を毎分六百五十発の速度で発射可能だった。それは紛れもなく世界最強の攻撃ヘリコプターであった。
調達価格はおよそ三十億円で、<星月夜>にも半年前に一機だけ配備された最新鋭の戦闘ヘリコプターだ。
「パイロットはどうする……?」
龍成の作戦案は一見無謀に見えるが、成功率を考えると非常に魅力的なものだった。少なくても、攻撃力だけならばこれ以上の戦力はなかった。ステルス・コブラであれば、小さな軍事要塞くらいなら十分もかからずに殲滅できるからだ。たとえ<蛇咬会>が構成員三千人の大マフィアであっても、本部が軍事要塞化している可能性など考えられなかった。
しかし、ステルス・コブラは<星月夜>に配備されてからまだ六ヶ月しか経っていない。航空課のパイロットが何度か模擬飛行をしていたが、とても実戦に投入できるレベルではなかった。
「凛桜、入れッ……」
「失礼します。西園寺、入りますッ!」
龍成の言葉を聞くと、統合作戦本部長室の扉をノックして凛桜が入室して来た。そして、高城に敬礼をしながら自己紹介をした。
「<星月夜>受付嬢、西園寺凛桜ですッ!」
「受付嬢……?」
彼女を入室させた理由が分からず、高城が龍成を見つめた。
「凛桜、前職の肩書きを言えッ……」
「はッ……! 元陸上自衛隊木更津駐屯地所属、東部方面航空隊第四対戦車ヘリコプター隊、西条凛桜二等陸尉でありますッ!」
「陸自の対戦車ヘリコプター隊だと……!?」
高城が呆然として、凛桜の顔を見つめた。統合作戦本部長という立場上、高城は職員採用時の最終面接には必ず面接官として出席していた。だが、元陸上自衛隊のヘリコプター隊に所属していた職員など、採用した覚えがなかった。
「本部長、凛桜は応募時の履歴書を偽造したわけではありません。単に、職歴を一行書き忘れただけです」
龍成がニヤリと笑みを浮かべながら、凛桜の顔を見つめた。
「はいッ! 陸自は依願退職しましたので、わざわざ職歴に記載する必要はないと判断いたしました。申し訳ありませんッ!」
凛桜が敬礼しながら、高城に報告した。それを龍成がフォローするように告げた。
「陸自の木更津駐屯地にいる知り合いに問い合わせたところ、西園寺二尉のパイロットとしての腕は超一流だそうです」
「いえ、それほどでも……」
統合作戦本部長の目の前で憧れの龍成に褒められ、凛桜は顔を赤らめた。
「しかし、性格はぶっ飛んでいて、デートの約束に遅れるからと勝手にAH-1Zヴァイパーをタクシー代わりに使ったそうです。依願退職と言えば聞こえはいいが、早い話がクビです」
「し、白銀さんッ……!」
陸自の黒歴史を本部長の高城にバラされ、凛桜は真っ赤になって龍成を睨んだ。
「AH-1Zヴァイパーをタクシー代わりだと……? ハッ、ハッ、ハハッ……! うちにそんな愉快な社員がいたとは知らなかったッ!」
一瞬、唖然として凛桜を見つめていた高城が、面白そうに笑い出した。AH-1ZヴァイパーはAH-10Sステルス・コブラの旧型とは言え、陸上自衛隊に実戦配備されている紛れもない攻撃ヘリコプターだった。
「ほ、本部長……」
恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で、凛桜が呟いた。
「西園寺君、君を受付嬢にしたのは、私の人事ミスだ。たった今から、君を特別捜査部特別捜査官に任命するッ! 白銀特別捜査官の作戦指示に従い、楪瑞紀および七瀬美咲の救出任務に当たれッ!」
「はッ、はいッ!」
突然申し渡された転属命令を受けて、凛桜は高城に敬礼した。
「本部長、作戦の承認ありがとうございますッ! それともう一つ……」
龍成の言わんとしていることを察すると、高城が真剣な表情で頷いた。
「今回も、非常時特別発砲権を発動するッ! ただし、可能な限り、犠牲は少なくするように努力しろッ!」
「はッ……!」
龍成が凛桜とともに、高城に敬礼をした。
非常時特別発砲権とは、自分や仲間の生命が危険だと判断した場合、相手を射殺しても罪に問われないという超法規的措置のことである。一年前の瑞紀救出作戦の際にも、龍成は高城からこの権利を得ていた。
「では、失礼します、本部長ッ! 凛桜、行くぞッ……!」
「はいッ……!」
再び、高城に敬礼をすると、二人は踵を返して本部長室を後にした。
(瑞紀、待っていろッ! 今から助けに行くッ……!)
龍成は特別捜査部長の藤木に作戦内容を伝えるため、凛桜とともに八階にある特別捜査部に向かって走り出した。
東京都新宿区百人町二丁目にある中国系マフィア<玉龍会>の本社ビルから五十メートルほど離れた都道433号線沿いに、一台の大型バスが停車した。全面に漆黒の塗装が施された車体の横には、ドイツ語で「Sternen Nacht」という白い文字が書かれていた。意味は「星降る夜」である。アジア最大の総合警備コンツェルン<星月夜>の名称でもあった。
そのバスの中には、漆黒の実戦戦闘服に身を包んだ二十人の男たちが待機していた。その全員が上着の上に防弾ベストを装着し、通信機能が内蔵されたゴーグル付のヘルメットを被っていた。右腰のホルスターにはグロッグ17が挿し込まれ、両手には特殊部隊用戦闘アサルトライフルであるFN SCARを携帯していた。
グロッグ17はオーストリアにあるグロッグ社が開発した9×19mmパラベラム弾を使用可能な自動拳銃で、装填可能な弾丸数は17+1発である。弾倉外側がプラスチック製となっいるのが特徴で、軽量であるだけでなく、寒冷地で使用する場合にも冷えた金属に皮膚が張り付く事故を防ぐ工夫がされていた。世界各国の軍隊で制式採用されている実戦的な軍用拳銃だ。
また、FN SCARは正式名称を「FN Special operations Forces Combat Assault Rifle」と言い、ベルギーの銃火器メーカーであるFNハースタル社がアメリカ特殊作戦軍向けに開発した自動小銃だ。7.62×51mm NATO弾を一分間に六百発発射可能で、有効射程距離も六百メートルと長く、イラク戦争やアフガニスタン紛争に投入された実績を持ち、アメリカ麻薬取締局の特殊部隊でも使用されて高い評価を得ていた。
「これより、中国系マフィア<玉龍会>強襲作戦を行う。作戦開始時刻は18:00だ。作戦目標は<玉龍会>会長、周俊傑および幹部の確保である。本作戦には、非常時特別発砲権が発動されている」
最前列の席を立ち、バス内に着座している全員の顔を見渡しながらアラン=ブライトがよく通るバリトンで告げた。白銀龍成と並ぶ<星月夜>特別捜査部のトップ・エージェントで、<殺戮者>の異名を持つ元イギリス情報局員だ。<炎龍>という四人組のリーダーでもある。
「勘違いしないで欲しいが、この作戦は<玉龍会>の殲滅が目的ではない。よって、非常時特別発砲権下であるとは言え、無闇な射殺は禁止する。可能な限り相手を戦闘不能にするように努力して欲しい」
アランはそこで言葉を切って、再び全員の顔を見渡した。そして、自分の言葉がきちんと理解されていることを確認すると、話を続けた。
「ただし、自分および仲間が危険だと判断した場合には、射殺を許可する。その時には、躊躇わずに撃てッ! では、時間合わせを行うッ! 時間合わせ後、各員は配置に付けッ!」
アランが左腕にはめたリスト・タブレットの時間を見た。十七時五十八分五十二秒だった。
「時間合わせ始めッ! 五……四……三……二……一……合わせッ!」
二十人の特別捜査官が一斉にリスト・タブレットの時間をリセットした。そして、バスの後部扉が開かれると、次々に降車して<玉龍会>本社ビルの入口に殺到した。バスの中に残ったのは、ドライバーとアランの他にはスーツ姿の男ひとりだけだった。
(何なんだ、こいつら……! まるで、軍隊そのものじゃねえか……? これでも、民間の会社かよ……)
アランとともにバスに残った錦織雄作が驚きに目を見開いていた。噂では<星月夜>が民間軍隊と呼ばれていることは知っていたが、実際にその行動を目の当たりにすると驚愕を禁じ得なかった。
(うちの所長は、こんな奴らと一緒にいたのか……。それも、こいつらを相手に射撃大会で優勝した射撃手だと……?)
楪瑞紀の美しい貌を思い出しながら、錦織は言葉を失った。瑞紀の実力はある程度分かっていたつもりでいたのだが、それを大きく上方修正する必要を錦織は認めた。
(確かに白銀さんが言うとおり、ベレッタM93Rさえ持っていれば、所長一人で<玉龍会>くらい殲滅できそうだな……)
だが、その瑞紀も現在は徒手空拳であることを思い出すと、錦織は信じてもいない神に祈った。
(所長……姫……、どうか無事でいてくれ……)
その祈りが通じるかどうかは、文字通り神のみぞ知るところであった。
「あッ……いやッ……! あッ、あぁッ……イッちゃうッ……! イクッ……イクぅうッ……!」
緊縛された肢体をビックンッビックンッと大きく痙攣させると、七瀬美咲は上体を大きく仰け反らせながら絶頂を極めた。縄をかけられ絞り出された乳房の媚芯はツンと尖り勃ち、羞恥の源泉からはプシャアッという音を立てて愛蜜が迸った。火の喘ぎを吐く唇の端から涎の糸を垂らすと、美咲は愉悦の硬直を解き放ってグッタリと男の胸に身を沈めた。
(気持ちいい……こんなの知ったら……あたし……もう、戻れない……)
わずかに残った意識の片隅で、美咲の脳裏に三人の顔が浮かんだ。長い黒髪を靡かせながら颯爽と歩く美しい女性……。少し軽薄そうで愛嬌のある笑顔を浮かべた青年……。そして、自分を「姫」と呼ぶ恐い顔の優しいおじさん……。
(楽しかったな……。帰りたいな……)
閉じた瞼の端から涙が溢れ、頬を伝って一筋流れ落ちた。すべてが遠い過去の出来事のように、美咲の脳裏を走馬灯の如く走り抜けた。
ダンッ……ダンッ……ダンッ……!
ダッ、ダッ、ダッ、ダッ……!
遠くで銃声が響き渡った。怒号と悲鳴が交差し、大勢の足音が鳴り響いた。
(うるさいなぁ……疲れてるんだから、寝かせてよ……)
いくつもの足音が近づいてきた。そして、バタンッと荒々しく入口の扉が開かれると、ダンッという銃声とともに、自分を抱いていた男が右肩を押さえて仰け反った。
生暖かい鮮血が自分の体に降りかかり、美咲の意識は現実に引き戻された。
「きゃああッ……!」
驚愕に大きく見開いた焦げ茶色の瞳に、右肩を押さえながらベッドの上をのたうち廻る男の姿が映った。その男が自分を凌辱し続けていた周俊傑であると知ったとき、美咲は思わず微笑みを浮かべた。
(あたしに酷いことばっかりするからよ……。だから、バチが当たったんだ……)
「姫ッ……!」
聞き覚えのある叫び声を耳にして、美咲は顔を上げた。逆光で顔がよく見えないが、一人の男が駆け寄って来た。男の体からも血の臭いがした。どこか怪我をしているようだった。
「大丈夫か、姫ッ……!」
男は美咲を抱き締めると、両腕と胸を拘束している縄を解いてくれた。そして、自分の上着を脱いで、美咲の体に掛けてきた。
「オリ……さん……?」
「よかったッ……! 生きてたッ……!」
錦織が強面の顔をくしゃくしゃにしながら美咲を抱き締めてきた。その肩が震えていることに美咲は気づいた。泣いているようだった。
(あたし、助かったの……? オリさんが……助けに来てくれた……?)
呆然としている美咲に、錦織が笑顔で告げた。まるで「泣いた赤鬼」が笑ったようだと美咲は思った。
「怖い眼に遭ったな、姫……。もう大丈夫だ。おじさんがチョコレートあげるから、一緒に帰ろう……」
その言葉を聞いたとき、美咲の眼から涙が溢れた。自分が元の世界に戻れたことを実感した。美咲は錦織に抱きつきながら、泣き出した。
「うん……」
小さな肩を震わせながら、錦織の胸の中で美咲が頷いた。
「姫ッ……」
錦織が美咲の体を抱き締めながら、優しく髪を撫ぜてきた。その大きな手の温かさに、美咲は心の底から安心を覚えた。
その時、美咲の左側で何かが動く気配がした。その気配の正体に気づいた瞬間、美咲は両手で力一杯錦織の胸を押していた。
パーンッ……!
背中に激痛が走った。まるで、上半身が焼かれたように熱くなった。視界が急激に光を失って、周囲が暗くなっていった。
ダンッ……ダンッ……!
二発の銃声が響き渡り、誰かが自分の体を抱き起こした。
「姫ッ……! 姫ぇええッ……!」
錦織の声が遠くで聞こえた。美咲は眼を開いたが、何も見えなかった。もしかしたら、眼を開けたつもりになっただけで、実際は閉じたままだったのかも知れない。体中の感覚がなかった。
(助けてくれたお礼……言わないと……)
思うように唇が動かなかった。美咲は精一杯の努力で言葉を紡ぎ出した。
「オリ……さん……ありが……と……」
上手く話せたかどうか、美咲には分からなかった。遠くで錦織が叫んでいるような気がした。その思考を最後に、美咲の意識は途絶えた。
調布飛行場から飛び立ったのはセスナ社のサイテーション・ジェットCJ9型機で、パイロットを含めて六人乗りの民間小型機だった。調布飛行場の管制室にあるフライトレコーダーのログ・データから伊豆諸島方面に向かったことは特定されたが、伊豆諸島の拠点空港や地方管理空港、公共用ヘリポートには同機の着陸記録は見当たらなかった。また、国土交通省に登録された伊豆諸島にある民間飛行場すべてに問い合わせたが、当該の機体が着陸した記録はなかった。残された可能性は未申請の飛行場だが、どこにどれだけの飛行場があるのかさえ分からず、調査は手詰まり状態だった。
昨日、龍成は事件の進捗を報告するために七瀬美咲の両親に会った。美咲の母親は憔悴した表情で、娘が事件に巻き込まれたのは<楪探偵事務所>に勤めていたからだと言い募り、泣きながら瑞紀を激しく罵った。瑞紀も被害者だと告げても納得してもらえず、龍成は事件に進展があったら報告することを約束して早々に二人の元を辞した。
拉致誘拐事件の被害者生存率は発生後二十四時間以内が七十パーセント、四十八時間以内が五十パーセントであり、それ以降は極めて低くなる。瑞紀が拉致されてからはすでに六十六時間が経過し、美咲については八十時間以上が経過していると思われた。龍成は最終手段の実行許可を得るために、統合作戦本部長である高城雄斗に面会を求めた。
「失礼します。白銀特別捜査官、入ります」
統合作戦本部長室のドアをノックし、入室の許可を告げる声を聞くと龍成はドアを開いて室内に足を踏み入れた。
「白銀君、君の用件は予想が付く。だが、許可はできん……」
敬礼をした龍成を一瞥すると、高城は厳しい表情で告げた。
「何故です、本部長……! もう時間がありません。これ以上は彼女たちの生命に関わります。いえ、すでに危険な状態になっていますッ!」
「君の考えは、<玉龍会>を武力で制圧して、その幹部から<蛇咬会>本部の場所を聞き出そうと言うのだろう? だが、それはリスクが高すぎる」
高城が告げた言葉に、龍成が噛みつくような口調で訊ねた。
「それは、<玉龍会>に突入するリスクですか? それとも、<玉龍会>が制圧されたことを知った<蛇咬会>が、瑞紀たちを殺害するリスクのことでしょうか?」
龍成もそれらのリスクについては十分に検討済みだった。特に後者のリスクが高いため、今日まで実行に踏み切れなかったのだ。
「仮に<蛇咬会>本部の位置が判明したとして、それが予想通り伊豆諸島であるのなら、島の場所にもよるが移動に船で八時間から十四時間はかかる。その間に<玉龍会>が制圧されたことは<蛇咬会>にも必ず伝わる。そうなった場合に、楪瑞紀と七瀬美咲の生命は危険に晒される」
高城はすでに龍成の案を検討済みのようだった。
「この<星月夜>本部からヘリを飛ばせば、八丈島までも一時間かかりません。上手く行けば、<玉龍会>制圧を知られる前に<蛇咬会>を叩けますッ!」
「<星月夜>の輸送ヘリコプター・シコルスキーS-110では、パイロットを含めて最大十八名しか搭乗できない。仮に十八名を伊豆諸島に送り込むとすれば、<玉龍会>を制圧する人数が足りなくなる。このような緊急事態に対応できるのは、君たち特別捜査部の特別捜査官しかいない」
高城の言葉に、龍成は異論を唱えた。
「特別捜査部の特別捜査官は現在二十四名です。そのうち、二十名を<玉龍会>制圧に向かわせます。俺を含む四人組で伊豆諸島に向かいますッ!」
龍成の言葉に、高城が驚愕のあまり目を大きく見開いた。<蛇咬会>は構成員三千人を越える大組織だ。その本部となれば、少なく見積もっても百人程度の構成員が配置されていると思われた。龍成はそこにたった四人で突入し、瑞紀たちを救出すると言っているのだ。
「馬鹿を言うなッ! 四人で何ができるッ! そんなものは作戦とは呼べんッ! 生命を軽く見るなッ!」
高城の怒号を、龍成はたった一言で黙らせた。
「ステルス・コブラを使いますッ!」
「なッ……!」
龍成の提案に、高城が言葉を失った。
ステルス・コブラとは、正式名称をAH-10Sと言い、その名の通りレーダー波を反射する特殊コーティングをされた戦闘ヘリコプターだ。乗員数はパイロットを含めて最大四名。AGM-114空対地ミサイルを十六本搭載し、機首下の回転式銃座にある30mmガトリング砲は多目的榴弾を毎分六百五十発の速度で発射可能だった。それは紛れもなく世界最強の攻撃ヘリコプターであった。
調達価格はおよそ三十億円で、<星月夜>にも半年前に一機だけ配備された最新鋭の戦闘ヘリコプターだ。
「パイロットはどうする……?」
龍成の作戦案は一見無謀に見えるが、成功率を考えると非常に魅力的なものだった。少なくても、攻撃力だけならばこれ以上の戦力はなかった。ステルス・コブラであれば、小さな軍事要塞くらいなら十分もかからずに殲滅できるからだ。たとえ<蛇咬会>が構成員三千人の大マフィアであっても、本部が軍事要塞化している可能性など考えられなかった。
しかし、ステルス・コブラは<星月夜>に配備されてからまだ六ヶ月しか経っていない。航空課のパイロットが何度か模擬飛行をしていたが、とても実戦に投入できるレベルではなかった。
「凛桜、入れッ……」
「失礼します。西園寺、入りますッ!」
龍成の言葉を聞くと、統合作戦本部長室の扉をノックして凛桜が入室して来た。そして、高城に敬礼をしながら自己紹介をした。
「<星月夜>受付嬢、西園寺凛桜ですッ!」
「受付嬢……?」
彼女を入室させた理由が分からず、高城が龍成を見つめた。
「凛桜、前職の肩書きを言えッ……」
「はッ……! 元陸上自衛隊木更津駐屯地所属、東部方面航空隊第四対戦車ヘリコプター隊、西条凛桜二等陸尉でありますッ!」
「陸自の対戦車ヘリコプター隊だと……!?」
高城が呆然として、凛桜の顔を見つめた。統合作戦本部長という立場上、高城は職員採用時の最終面接には必ず面接官として出席していた。だが、元陸上自衛隊のヘリコプター隊に所属していた職員など、採用した覚えがなかった。
「本部長、凛桜は応募時の履歴書を偽造したわけではありません。単に、職歴を一行書き忘れただけです」
龍成がニヤリと笑みを浮かべながら、凛桜の顔を見つめた。
「はいッ! 陸自は依願退職しましたので、わざわざ職歴に記載する必要はないと判断いたしました。申し訳ありませんッ!」
凛桜が敬礼しながら、高城に報告した。それを龍成がフォローするように告げた。
「陸自の木更津駐屯地にいる知り合いに問い合わせたところ、西園寺二尉のパイロットとしての腕は超一流だそうです」
「いえ、それほどでも……」
統合作戦本部長の目の前で憧れの龍成に褒められ、凛桜は顔を赤らめた。
「しかし、性格はぶっ飛んでいて、デートの約束に遅れるからと勝手にAH-1Zヴァイパーをタクシー代わりに使ったそうです。依願退職と言えば聞こえはいいが、早い話がクビです」
「し、白銀さんッ……!」
陸自の黒歴史を本部長の高城にバラされ、凛桜は真っ赤になって龍成を睨んだ。
「AH-1Zヴァイパーをタクシー代わりだと……? ハッ、ハッ、ハハッ……! うちにそんな愉快な社員がいたとは知らなかったッ!」
一瞬、唖然として凛桜を見つめていた高城が、面白そうに笑い出した。AH-1ZヴァイパーはAH-10Sステルス・コブラの旧型とは言え、陸上自衛隊に実戦配備されている紛れもない攻撃ヘリコプターだった。
「ほ、本部長……」
恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で、凛桜が呟いた。
「西園寺君、君を受付嬢にしたのは、私の人事ミスだ。たった今から、君を特別捜査部特別捜査官に任命するッ! 白銀特別捜査官の作戦指示に従い、楪瑞紀および七瀬美咲の救出任務に当たれッ!」
「はッ、はいッ!」
突然申し渡された転属命令を受けて、凛桜は高城に敬礼した。
「本部長、作戦の承認ありがとうございますッ! それともう一つ……」
龍成の言わんとしていることを察すると、高城が真剣な表情で頷いた。
「今回も、非常時特別発砲権を発動するッ! ただし、可能な限り、犠牲は少なくするように努力しろッ!」
「はッ……!」
龍成が凛桜とともに、高城に敬礼をした。
非常時特別発砲権とは、自分や仲間の生命が危険だと判断した場合、相手を射殺しても罪に問われないという超法規的措置のことである。一年前の瑞紀救出作戦の際にも、龍成は高城からこの権利を得ていた。
「では、失礼します、本部長ッ! 凛桜、行くぞッ……!」
「はいッ……!」
再び、高城に敬礼をすると、二人は踵を返して本部長室を後にした。
(瑞紀、待っていろッ! 今から助けに行くッ……!)
龍成は特別捜査部長の藤木に作戦内容を伝えるため、凛桜とともに八階にある特別捜査部に向かって走り出した。
東京都新宿区百人町二丁目にある中国系マフィア<玉龍会>の本社ビルから五十メートルほど離れた都道433号線沿いに、一台の大型バスが停車した。全面に漆黒の塗装が施された車体の横には、ドイツ語で「Sternen Nacht」という白い文字が書かれていた。意味は「星降る夜」である。アジア最大の総合警備コンツェルン<星月夜>の名称でもあった。
そのバスの中には、漆黒の実戦戦闘服に身を包んだ二十人の男たちが待機していた。その全員が上着の上に防弾ベストを装着し、通信機能が内蔵されたゴーグル付のヘルメットを被っていた。右腰のホルスターにはグロッグ17が挿し込まれ、両手には特殊部隊用戦闘アサルトライフルであるFN SCARを携帯していた。
グロッグ17はオーストリアにあるグロッグ社が開発した9×19mmパラベラム弾を使用可能な自動拳銃で、装填可能な弾丸数は17+1発である。弾倉外側がプラスチック製となっいるのが特徴で、軽量であるだけでなく、寒冷地で使用する場合にも冷えた金属に皮膚が張り付く事故を防ぐ工夫がされていた。世界各国の軍隊で制式採用されている実戦的な軍用拳銃だ。
また、FN SCARは正式名称を「FN Special operations Forces Combat Assault Rifle」と言い、ベルギーの銃火器メーカーであるFNハースタル社がアメリカ特殊作戦軍向けに開発した自動小銃だ。7.62×51mm NATO弾を一分間に六百発発射可能で、有効射程距離も六百メートルと長く、イラク戦争やアフガニスタン紛争に投入された実績を持ち、アメリカ麻薬取締局の特殊部隊でも使用されて高い評価を得ていた。
「これより、中国系マフィア<玉龍会>強襲作戦を行う。作戦開始時刻は18:00だ。作戦目標は<玉龍会>会長、周俊傑および幹部の確保である。本作戦には、非常時特別発砲権が発動されている」
最前列の席を立ち、バス内に着座している全員の顔を見渡しながらアラン=ブライトがよく通るバリトンで告げた。白銀龍成と並ぶ<星月夜>特別捜査部のトップ・エージェントで、<殺戮者>の異名を持つ元イギリス情報局員だ。<炎龍>という四人組のリーダーでもある。
「勘違いしないで欲しいが、この作戦は<玉龍会>の殲滅が目的ではない。よって、非常時特別発砲権下であるとは言え、無闇な射殺は禁止する。可能な限り相手を戦闘不能にするように努力して欲しい」
アランはそこで言葉を切って、再び全員の顔を見渡した。そして、自分の言葉がきちんと理解されていることを確認すると、話を続けた。
「ただし、自分および仲間が危険だと判断した場合には、射殺を許可する。その時には、躊躇わずに撃てッ! では、時間合わせを行うッ! 時間合わせ後、各員は配置に付けッ!」
アランが左腕にはめたリスト・タブレットの時間を見た。十七時五十八分五十二秒だった。
「時間合わせ始めッ! 五……四……三……二……一……合わせッ!」
二十人の特別捜査官が一斉にリスト・タブレットの時間をリセットした。そして、バスの後部扉が開かれると、次々に降車して<玉龍会>本社ビルの入口に殺到した。バスの中に残ったのは、ドライバーとアランの他にはスーツ姿の男ひとりだけだった。
(何なんだ、こいつら……! まるで、軍隊そのものじゃねえか……? これでも、民間の会社かよ……)
アランとともにバスに残った錦織雄作が驚きに目を見開いていた。噂では<星月夜>が民間軍隊と呼ばれていることは知っていたが、実際にその行動を目の当たりにすると驚愕を禁じ得なかった。
(うちの所長は、こんな奴らと一緒にいたのか……。それも、こいつらを相手に射撃大会で優勝した射撃手だと……?)
楪瑞紀の美しい貌を思い出しながら、錦織は言葉を失った。瑞紀の実力はある程度分かっていたつもりでいたのだが、それを大きく上方修正する必要を錦織は認めた。
(確かに白銀さんが言うとおり、ベレッタM93Rさえ持っていれば、所長一人で<玉龍会>くらい殲滅できそうだな……)
だが、その瑞紀も現在は徒手空拳であることを思い出すと、錦織は信じてもいない神に祈った。
(所長……姫……、どうか無事でいてくれ……)
その祈りが通じるかどうかは、文字通り神のみぞ知るところであった。
「あッ……いやッ……! あッ、あぁッ……イッちゃうッ……! イクッ……イクぅうッ……!」
緊縛された肢体をビックンッビックンッと大きく痙攣させると、七瀬美咲は上体を大きく仰け反らせながら絶頂を極めた。縄をかけられ絞り出された乳房の媚芯はツンと尖り勃ち、羞恥の源泉からはプシャアッという音を立てて愛蜜が迸った。火の喘ぎを吐く唇の端から涎の糸を垂らすと、美咲は愉悦の硬直を解き放ってグッタリと男の胸に身を沈めた。
(気持ちいい……こんなの知ったら……あたし……もう、戻れない……)
わずかに残った意識の片隅で、美咲の脳裏に三人の顔が浮かんだ。長い黒髪を靡かせながら颯爽と歩く美しい女性……。少し軽薄そうで愛嬌のある笑顔を浮かべた青年……。そして、自分を「姫」と呼ぶ恐い顔の優しいおじさん……。
(楽しかったな……。帰りたいな……)
閉じた瞼の端から涙が溢れ、頬を伝って一筋流れ落ちた。すべてが遠い過去の出来事のように、美咲の脳裏を走馬灯の如く走り抜けた。
ダンッ……ダンッ……ダンッ……!
ダッ、ダッ、ダッ、ダッ……!
遠くで銃声が響き渡った。怒号と悲鳴が交差し、大勢の足音が鳴り響いた。
(うるさいなぁ……疲れてるんだから、寝かせてよ……)
いくつもの足音が近づいてきた。そして、バタンッと荒々しく入口の扉が開かれると、ダンッという銃声とともに、自分を抱いていた男が右肩を押さえて仰け反った。
生暖かい鮮血が自分の体に降りかかり、美咲の意識は現実に引き戻された。
「きゃああッ……!」
驚愕に大きく見開いた焦げ茶色の瞳に、右肩を押さえながらベッドの上をのたうち廻る男の姿が映った。その男が自分を凌辱し続けていた周俊傑であると知ったとき、美咲は思わず微笑みを浮かべた。
(あたしに酷いことばっかりするからよ……。だから、バチが当たったんだ……)
「姫ッ……!」
聞き覚えのある叫び声を耳にして、美咲は顔を上げた。逆光で顔がよく見えないが、一人の男が駆け寄って来た。男の体からも血の臭いがした。どこか怪我をしているようだった。
「大丈夫か、姫ッ……!」
男は美咲を抱き締めると、両腕と胸を拘束している縄を解いてくれた。そして、自分の上着を脱いで、美咲の体に掛けてきた。
「オリ……さん……?」
「よかったッ……! 生きてたッ……!」
錦織が強面の顔をくしゃくしゃにしながら美咲を抱き締めてきた。その肩が震えていることに美咲は気づいた。泣いているようだった。
(あたし、助かったの……? オリさんが……助けに来てくれた……?)
呆然としている美咲に、錦織が笑顔で告げた。まるで「泣いた赤鬼」が笑ったようだと美咲は思った。
「怖い眼に遭ったな、姫……。もう大丈夫だ。おじさんがチョコレートあげるから、一緒に帰ろう……」
その言葉を聞いたとき、美咲の眼から涙が溢れた。自分が元の世界に戻れたことを実感した。美咲は錦織に抱きつきながら、泣き出した。
「うん……」
小さな肩を震わせながら、錦織の胸の中で美咲が頷いた。
「姫ッ……」
錦織が美咲の体を抱き締めながら、優しく髪を撫ぜてきた。その大きな手の温かさに、美咲は心の底から安心を覚えた。
その時、美咲の左側で何かが動く気配がした。その気配の正体に気づいた瞬間、美咲は両手で力一杯錦織の胸を押していた。
パーンッ……!
背中に激痛が走った。まるで、上半身が焼かれたように熱くなった。視界が急激に光を失って、周囲が暗くなっていった。
ダンッ……ダンッ……!
二発の銃声が響き渡り、誰かが自分の体を抱き起こした。
「姫ッ……! 姫ぇええッ……!」
錦織の声が遠くで聞こえた。美咲は眼を開いたが、何も見えなかった。もしかしたら、眼を開けたつもりになっただけで、実際は閉じたままだったのかも知れない。体中の感覚がなかった。
(助けてくれたお礼……言わないと……)
思うように唇が動かなかった。美咲は精一杯の努力で言葉を紡ぎ出した。
「オリ……さん……ありが……と……」
上手く話せたかどうか、美咲には分からなかった。遠くで錦織が叫んでいるような気がした。その思考を最後に、美咲の意識は途絶えた。
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