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砂時計

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ここは、どこだろう。



そこは、空中に浮かぶ


花畑の様な場所だった。



初めて嗅ぐ花々の匂いに


私の心は跳ね回る。





それにしてもどうして


こんな場所にいるのだろう。



キョロキョロと


辺りを見回しながら


歩みを進めると



その中央には


素敵なお庭にあるような


モザイクテーブルが置かれている。



更に、その上には


ガラス製の砂時計と


1冊のノート


そしてテレビが置かれていた。


「なんだろ、これ」


パラっとノートをひとめくり。



すると一番最初のページには


驚くような真実が書かれていた。



“ あなたは、死にました”



「……なに、これ?」



記憶を巡るけれど


事故にあった事も


病気に苦しんでいた事も


自殺するほど


悩んでいた記憶もない。



私の視線は好奇心のまま


そのノートを読み進めていく。



“ あなたが天界へ旅立つ前に下界とコンタクトをとる機会が与えられました”



「下界……と」



“ コンタクトをとれるのは一人だけ。時間制限は三分です”



そして


次の白紙だったはずのページには


いつの間にか


ひとりの女性の名が記されていた。



小波 梨花



聞き覚えのない名前だった。





ブゥン…


今では疾うに見なくなった、


ブラウン管のテレビが


ひとりでについた。



私は、かじりつくように


テレビを見つめる。




白い壁


白い天井


白いベッド




病院のような場所だ。



リクライニングさせたベッドに座り


涙を落とす女性と


その女性に寄り添う男性の姿。




「……梨花」


「う…っ、どうして……っ」


押し込めるような泣き声は


やがて大きな波になる。




「私っ、私の、私の……っっ」


「梨花……仕方がなかったんだ」


「ちが、違うよ、私のせいだっ」





心を劈くような、悲痛な泣き声に


私の心は、大きく揺れた。



辛い



苦しい



悲しい



寂しい



その女性が涙をひとつ


こぼす度に


私の中に渦巻く感情。




私の瞳から涙が溢れる。


「泣かないで……」


テレビに手をかけ


私は叫んでいた。



「お母さんっっ………」



今…、私、なんて?





テレビの中の女性を


母と呼んだ途端に私は


とても暖かいものにとりこまれた。



心地のいい、時間


気持ちのいい眠り


大好きなお母さんの声と


ドン、ドンという


規則的な音。







ああ、思い出した。


私は梨花の中にいた、胎児だ。



お父さんは、和彦。



私は二人の間に出来た子どもだった。



二人とも私が産まれるのを


楽しみにしてくれていた。



お母さんが毎日


話しかけてくれた。



ちびちゃん、


そう私を呼んで



お母さんのお腹に


生きてるよ、の合図をしたら



いつも「今日も元気だねぇ」


そう、笑い声がしたんだ。



赤く輝く胎内。


お腹ごしに


お父さんの手のひらを感じた。



「元気に育てよ」



お父さんはきっと笑ってた。





なのに



私は……死んでしまった。



ふたりに会えなかったんだ。



これから


楽しいこと


いっぱい


三人でするはずだったのに。




お父さんの泣き出しそうな顔。


お母さんの泣き声。



胸が、痛い……



せっかくもらった生命を


大事に出来なくて


ごめんなさい。




「ほら、疲れただろ…まだ術後数時間だよ、もう少し、眠りな」



和彦が梨花に言う。


「……うん、和くんも……少し休んで」


梨花は布団をかぶり、


また唇を噛みながら泣きじゃくった。


すすり泣く声を耳にした和彦が


どうしたらいいのかわからずに


病室を後にしたその時だ。





チリチリチリチリチリリン




目の前の、線のない受話器が


音を立て始める。



その音に誘われるように


受話器を手にすると



くるん



砂時計が反転し



さらさらと砂が落ち始めた。




「……お、かあさん……?」



私がそう声をあげると


テレビに映る梨花は


身動ぎひとつしなくなった。



「お母さん…?」


もう一声、呼ぶと


梨花は勢いよくベッドから跳ね起きる。



「……ちび、ちゃん……?」


「うん」


「ごめ、んね、げんきに生んであげられなくて…ごめんね」


梨花の口から出るのは


悲しい謝罪ばかり。



お母さんは何も悪くないのに。



「お母さん……大丈夫だよ、私、痛くないよ、苦しくないよ」


私は言葉を焦る。


伝えたいことがたくさんある。


きっと、三分じゃ足りないくらい。



ごめんなんて、寂しい言葉より


ずっと大切な何かに突き動かされ


私は、言葉を連ねた。




「お母さん、泣かないで」


「お母さん、ありがとう」


「お母さんのこどもでよかった」


「大切にしてくれたこと知ってる」


「お母さんのせいじゃない」


「お母さんの笑い声が好き」


「お母さんの歌声が好き」


「私、幸せだよ」


たくさんの言葉が生まれる。



まだ、文字も言葉も知らない私が


大好きな人を想って紡ぐ想い。



梨花の涙は、止まらなかった。


もう、砂は、なくなる…。



私は最後にもう一言



「お母さん、大好きだよ」


精一杯、笑ってそう告げた。



梨花は


泣いていた。



拭っても拭っても


止まらなかった。



でも、



最後にぐしゃぐしゃの泣き顔で


震える口角を持ち上げて笑った。



「お母さんもこはるが大好きだよ」




ブチン…テレビが消える。

 

「お母さん、お母さんっ」


いくら呼びかけても


受話器からはもう梨花の声はしない。




無常にも、時は過ぎた。



「お母さん……っ」


私はさっきまで梨花の声が


聴こえてきていた受話器を抱き締め


しばらく、泣いた。


しばらく泣いて、涙を拭い立ち上がる。



パリン


突然、砂時計が壊れたかと思うと


優しい風が時計の中の砂を巻き上げる。


風に舞う砂はあっという間に


光の中へ続く一本の道を作り上げた。



「行かなきゃ」


私は1歩、踏み締める。




梨花は最後に


最高のプレゼントを残してくれた。



「こはる」


顔も見られず死んでしまったのに


名前をつけてくれていた。



お別れはとても寂しいけれど


私を愛してくれた、証が


名前の中に詰まっているから



「お母さん、笑ってね」



私は、その言葉を最後に


光の世界へと、消えた。










---------


「梨花、今日はずいぶん食べるな」


「だって元気になるんだもん」


泣き腫らした目を細めて笑う梨花に


俺はほっと胸を撫で下ろす。



あと二ヶ月で会えるはずだった我が子。


突然の胎内死を告げられた。


三年間、子供に恵まれず


やっと授かった子だっただけに


俺はもちろんのこと


梨花の落ち込みようは


筆舌に尽くし難かった。



しかし


死産から四日目


昨日のこと。



一本のミネラルウォーターを


飲み干して病室に戻ると


「こはるの声を聴いた」


と、梨花は言う。


こどもを亡くしたショックで


おかしくなったのかとも思ったが


梨花は泣きながら笑っていた。


今日も


「こはるに心配はかけられない」


そう言って、


よく食べるし、よく笑う。


たまに零れる涙は


俺が拭ってやればいい。



こはるの声を聴いた。


それは本当かもしれないと


思い始めている。



きっと梨花が


あまりに落ち込んでいるから


こはるが心配したに違いない。



天国からの、贈り物だ。



こはる、ありがとう


病室の窓から見上げた青い空に


俺は、心の中で呟いた。



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