上 下
44 / 318
第1章過去と前世と贖罪と

41・エドナの過去①

しおりを挟む
かなり暗い話なので、苦手な方は注意です。



「私が生まれたのはとある領地にある領主の家だった。
当然のごとく父も母も貴族で、私も貴族だったわ。
貴族といえば、
お金持ちで何不自由もない生活をしているイメージだけど、私は違った。
私は屋根裏部屋に住んでいたの。それも埃だらけで、カビ臭い場所だった。
もちろん…そこが好きで暮らしていたわけじゃないわ。
物心ついた時から、当たり前のようにそこで暮らすことを強要されていた。
同世代の友達なんて居ない。ただ屋根裏にある本だけが私の友達だった」

静かな口調でエドナは語り出した。

「……私の両親は私を愛してはくれなかった。
当たり前のように頭を撫でられることも、
抱きしめられたことも記憶の中に無いわ。
名前を呼ばれたことすら無かったような気がする……。
そもそも育ててくれたのは使用人だったしね。
その使用人も、変わってしまうことも多かったから、
だから私の友達は本だったわ。本だけは頼めば持ってきてくれたから、
ずっと私は本だけを読んで過ごしていた。
本の中で、空想にふけることで、
…嫌な現実から逃避していたのかもしれない」

それは言葉には言い表せない寂しさかもしれない。
両親の愛情も無く、
ただ本を読むだけの毎日…。
それは寂しいことこの上ない生活だったろう……。

「だって…私から両親に駆け寄るのは禁止されていたもの。
いや勝手に屋根裏を出ることすら許されなかった。
でも遠くから見るのは許されていたから、
屋根裏部屋の窓から、
そっと帰ってきた両親の姿を眺めるのが私の日課だった…。
そんな生活が続くと、
それが当たり前なんだと思えるのかもしれないわ…。
でも違ったの、私にはどうあがいても手に届かない存在がいたの。
それが私の弟だった…」
「弟さんがいらっしゃるんですか」

初耳だったので思わずそう聞いてしまった。

「そうよ。…もっとも姉弟らしいふれあいなんてした事は無いけどね」

少し寂しそうにエドナはそう言った。

「弟はね――両親にとても愛されていたの。
私は両親に頭を撫でられたことも無いのに、
弟は当たり前のようにそれをされた。
私は屋根裏部屋に住んでいるのに、弟は両親と同じ部屋に住んでいた。
それに何より、両親の私に対する態度は腫れ物に触るような態度なのに、
弟は、本当に愛されているんだと…そういう態度だった」

…比較対象が居れば嫌でも気がついてしまったのかも知れない。

自分は愛されていないのだと…幼いエドナは気がついてしまった。

「だから私は弟に激しく嫉妬した。
本来自分が受けるはずの両親の愛情を弟が盗んだと思えたのかもしれない。
我ながら、嫌な子供だったと思うわ…」
「そういう状況に置かれたら誰でもそうなりますよ」
「え?」
「自分の持っていないものを、
他人が持っていたら妬ましくなるのは当然のことです。
特に子供ならなおさらです」

私がそう言うとエドナは大きくため息を吐いた。

「そう…そうかもしれないわね。
…とにかく私はその時に、
人間は生まれながらにして平等じゃないことを知ったの。
そうこうしているうちに私は成長して、私が成長したら弟も成長した。
そして私が成長して、8歳になった時、弟は5歳になった。
…5歳といえば、生意気になり、行動力も増す年頃よね。
…弟は誰から聞いたのか知らないけど、
自分の姉が屋根裏部屋で過ごしているという事を知ってしまったのね…。
そして実際に会いに来てしまった」

――お姉ちゃん?

そう言って、
部屋に入ってきた弟の姿をエドナは今でも覚えているそうだ。
エドナは屋根裏部屋に閉じこめられていても、
窓の外から弟の姿を見ていたから、
すぐにその少年が自分の弟であることに気がついた。

…弟とエドナは似ても似つかない姉弟だった。
髪の色も、目の色も、容姿も、エドナとは全く似ていない。
…いや、エドナが似ていない。
エドナは両親とは全く似ていない子供だった。
そしてそれこそが姉弟の格差を生んだ原因だったとエドナは言った。

「あの子は多分…自分の姉に会いたかっただけなのかもしれない。
でも私は弟を思いっきり罵った。
今思い出しても…酷いことをしたと思うわ。
弟には何の責任もないのに、私は弟が妬ましくてならなかった。
弟は泣き出していたわ。
私はそれに構わず、弟を殴り、蹴り、
そしてしまいには屋根裏部屋の階段から突き落してしまった――」

…エドナは自分でもどうしてそんなことをしたのかわからないと言った。
魔が差してしまったのかもしれないし、
ひょっとしたら弟さえ居なくなれば、
自分が両親から愛されると思ったのかもしれない。
でも階段の下で、頭から血を流して倒れている弟を見て、
怖くなってすぐに人を呼んだ。
使用人がすぐに駆けつけて、応急処置をして、医者を呼んで、
エドナはただそれを見ているだけだった。
何かしようと思っても体が動かなかった。
ただ棒立ちになって、
自分のやってしまったことの恐ろしさに身を震わせていた。

「…やがて両親が帰ってきて、私は父に殴られた。
私は泣きながら謝罪したわ。もう二度としないと父に言った。
でも父は許してはくれなかった。
この悪魔と…父に言われたわ。
自分を苦しめるために生まれた忌まわしい子供と…」
「何て酷いことを…。
自分達が子供を育児放棄したせいでそんなことになったのに…」
「いや、私は父の子供じゃなかったの」
「え?」
「その時に、私は父に出生の秘密を教えられたの。
お前が父だと思っているのは父では無く、
母だと思っていたのは母では無いと、
私は両親の本当の子供ではなかったの…」

それは子供のエドナには理解出来ない部分もたくさんあったが、
今までの価値観を崩壊させるには充分なものだった。

「…私の本当の母親は父の前妻で、そしてもう亡くなっていた。
そして本当の父親は屋敷で働いていた使用人で、
今はもう生きているのか死んでいるのか、素性すらも分からない…。
…私は母の不倫の末に生まれた子供だったの」
「なっ、…そんなこと幼い子供に教えたんですか…」

エドナは無表情に頷いた。
何て…親だ。そんなこと幼い子供に教えるなんて…。

「…ことの始まりは、
私の本当の母が父の家に嫁いできたことから始まった。
そして嫁いで1年ぐらい経ってから、
母は女の子を1人産んだわ。それが私。
普通どこの家庭も女の子が生まれたらガッカリするものだけど、
父は喜んだらしいわ。
初めての自分の子供だと、それはそれは喜んで溺愛した。
でもそんな幸せも長く続かなかった――」

エドナは大きくため息を吐くと、
まるで胸の中にたまっていたもの吐き出すように言葉を出した。

「でも、しばらくして父は使用人からこんな話を聞かされた。
奥方が男と密会していましたよと――――。
父は最初は信じられなかった。
政略結婚だったけど、母と上手くやれている自信はあったみたいだし。
母とは歳は親子程に離れていたけど、欲しいものは与えていたし、
母は従順な女だったらしいから、
自己主張もそれほどすることもなかったみたいだしね。
…父は最初は信じられなかったみたいだけど、
でも気になった父はある日、母の後をつけてしまった。
そして母は男と会っていた。それも馬の世話をする使用人と。
身分の差はあれど惹かれ合うものが2人にあったのかわからない…。
でもそれは父にとって許せるものじゃなかった…。
父はすぐにその使用人を辞めさせ、母に問い詰めた。
一体いつからあの男とそういう関係になっている、
私は本当に自分の子なのかと。
だけど母は私が父の子供だということを譲らなかった。
でも父には私が本当に自分の子供なのかどうかという確証がなかったの」

当然のごとくこの世界には、DNA鑑定のようなものは無い。
父親は裏切られたショックと、
疑心暗鬼で次第にエドナを遠ざけるようになってしまった。

「それから仲が良かった夫婦の仲は、
一気にギスギスしたものに変わった。
母はずっと私は父の子だと主張していたし、
父は本当に私が自分の子なのかどうか疑っていた。
そしてそんな生活に耐え切れなくなったのか、ある日母は自殺した。
ベランダで首を吊って死んでいるのを使用人が見つけたの」
「え、…何で?」

亡くなったと聞いたので、
てっきり病死か事故死かと思ったが、自殺?
何で自殺するんだ。このタイミングで自殺したら、
エドナが不倫して出来た子供だと認めるようなものじゃないか。

「それは知らないわ。確認しようもないことだし…でもそうね。
ひょっとしたら、
彼との仲を引き裂いた父のことが憎かったのかもしれない。
自殺すればずっと父が苦しむ事は確かだからね。
そして私を残すことによって、
父に苦しみを背負わせたのかも知れない…。
女って怖いのよ。時に男が出来ないことを平気でやってのける…」
「そんなことって…」

じゃあ残されたエドナは復讐の道具として利用されたということか…。
それではあまりにも、可哀想じゃないか…。救いが…無さ過ぎる。

「そして父は実際に苦しんだ。私が自分の子なのか確かめる術が無いし、
それに私は女だったから、
女では家督は継げないし、でも母は死んでしまった。
だから再婚するしか方法がなかった。
私が自分の母だと思っていた人は本当は後妻だったのよ。
私とは血のつながりもない、ただの女だったの――。
そりゃ弟と接する態度が違うはずよね…。
自分が産んでないんだから…」

自嘲するようにエドナは笑った。
笑っているのにその笑みがあまりにも痛々しくて、
私は見ていられなかった。

「まぁ父は私が成長した時、自分に似ている部分があればちゃんと、
自分の子供として育てようと思っていたみたいだけど…。
でも私は――母に瓜二つと言っていいぐらいにそっくりだったのよ。
この赤い髪も緑色の瞳も、
そしてこの容姿も――何もかもがそっくりだった。
私の顔を見る度、
父は自分が自殺へと追い込んでしまった母の姿を再確認することになった。
だから私を人目がつかない屋根裏部屋に閉じ込めたの」
「何でそんなことするんですか。
エドナさんは何の罪も無いじゃないですか。
お母さんに似ていることも、お母さんが自殺してしまったことも、
何も責任がないのに、そんなのは酷いっ…」

私がそう言うと、
エドナは驚いたように目を見開き、やがて諦めたようにため息をついた。

「酷くは無いでしょうね…私は実際に存在しているだけで父を苦しめていた。
だから最終的には屋根裏部屋に閉じ込めるだけでは飽き足らず、
父は私を家から追い出した。勘当してしまったのよ」

勘当って、たった8歳の子供をか?
そりゃエドナは弟に酷いことをしたかもしれないけど、
子供を家から追い出すなんて、そんなの…やりすぎだ。

「私は馬車で父の領地から遠く離れた森の中に捨てられた。
もちろん魔物も徘徊しているような場所よ。
…父は多分本当に死んでしまえっていう気持ちだったんだと思う。
私のことを憎んでいたから、そうしたんだと思う」

そう言うとエドナは喉が渇いたのか、
机の上に置いてあるコップを手に取る。
そして感情を失ってしまったような目で、コップの水を眺めた。
私はその様子を見て、
なんて励ましていいのか、言葉が浮かんで来なかった。
やがて絞り出すように出した言葉はたった一言だった。

「エドナさんは悪くないです…」
「……あなたは本当に優しい子ね」

そう言うとエドナはコップの水を飲み干した。
それを机に起き、大きくため息をついた。

「私は…その時にもう二度と家に帰らないことを決めたの。
弟は――だいぶ後になってから顔を隠して、
屋敷の前に行ったら、
元気にしていた姿が見えたから一命はとりとめたみたいだけど、
一歩間違えれば、取り返しのつかないことになっていたわ…。
だから…私はもう両親が許してくれない事は分かっていた。
そもそも私の本当の両親じゃないんだし…、
家族ですらなかったから仕方がないの。
私は存在しない方がいいの。
両親にとって私の存在は苦しみでしかないから、
家には絶対に帰らない。
その時にそう決めたわ。
それ以来、私は家には帰っていないし、両親にも会っていない」
「それで苦しくないんですか。会いたいって思わないんですか?」
「…それは無いわ。それだけは無い。
私は存在しているだけで両親を苦しめていた。
そもそも本当の両親ですらないし、
今更会ったところで何か変わるということもない。
このまま一生会わない方がいいのよ…。その方がきっと正しい」

それは確かに両親にとっては良いかもしれない。
でもエドナは?
エドナはこのままずっと孤独なんだろうか。
ただ不倫して生まれた子供だというだけで、
こんなにも苦しい思いを背負わないといけないなんて…。

「…話を戻すわね。
それからどうやって人が居る町に移動したのかは覚えていない。
普通、子供が1人でいたら魔物に襲われるのが普通だけど、
今こうして生きているということは、
運良く襲われなかったのかもしれない。
私は町に移動して、そこでしばらく暮らしていたわ。
といっても私は子供だから雇ってくれるところがないし、
頼れる大人もいなかったから、路上でずっと寝起きして暮らしていた。
ほとんど浮浪者と変わりなかったと思う。
でも具体的にどうやって生活していたのか…それはよく覚えていないわ。
ただあの頃の私は、世界を憎んでいた。
自分をこんな境遇に貶めた母が憎かった…。
本当に殺してやりたいぐらいだった…。
心の底から母と同じ容姿を持って生まれてきたことを呪った…。
それは…今でも変わっていないわ」

だからか、――美人ですね。スタイルいいですね。
そんな容姿を褒める言葉にエドナが全く喜んでいなかったのは――。
自分の容姿を褒める事はつまり、
お母さんを褒めることになってしまうからだ。
エドナは不倫をしてしまったお母さんが憎いんだ。
そして不倫して生まれてしまった自分が嫌なんだ。

「…助けてくれる人は居なかったんですか?」
「………別にそんな大人は居なかったわ。
だって自分のことで精一杯なのに、
自分の子供でもないような子供の面倒を見られないでしょう。
それに私はとてもみすぼらしい格好していたから余計にでしょうね。
神殿の神官ですら、
私の姿を見たら、棒を持って叩き出そうとしたしね。
そんな風だから、私はずっと1人だった。
でも転機が訪れたとしたら、あの時だった」

エドナは左手で強くシーツを握りしめた。

「ある日、見知らぬ男にお金をあげるから家に来なさいと言われた。
ちょうどお腹が空いていたから私は男についていったの。
そこで私は…お――」
「言いたくないなら言わなくていいですよッ!」

その先の言葉を推測して、私はエドナの左手を両手で包んだ。
成人男性が女の子を家に連れこんでやることといったら決まっている。
わざわざ辛い記憶を自分の口から言わせる必要は無い。

「…いや、この機会を逃したら一生誰にも言えないと思うから言うわ。
私はその男に強姦されたの。
逃げようとしたけど、力が強すぎて出来なかった。
痛みで死ぬかと思った。
でも良い様にされていると思うと、屈辱だった。
…それで、ようやく解放された時、私は悔しくて仕方がなかった。
どうしてあんな風に好きなようにさせてしまったのだろうと…。
悔しくて悔しくて、その時初めて、――強くなりたいと思ったのよ。
強くなって、あんなことがあったとしても、
返り討ちにしてやるぐらいの力を身につけたいと――」
「それで剣の修行を始めたんですか?」
「そうよ、だから剣術道場に行ったら、
みすぼらしいからって理由で、相手にもされなかったけど」

普通だったらここで諦めるのかも知れない。
だがエドナは諦めきれずに、
誰も居ない時に隠れて、道場の様子を見ていた。
そしてやってきた道場の師範が弟子に教える様子を見て覚えた。
例えば剣の持ち方、魔物との戦い方、受け身の仕方など。
そういうことを見て盗み、後から誰も居ない所で必死に練習した。
もちろんその時は剣なんて持って居なかったから、
木の棒なんかを使ったり、
カカシみたいなのを作って、敵に見立てて倒したりしたらしい。
本当にそれこそ夜が明けるまで必死に練習し続けた。
それぐらいに強くなりたかった。
それぐらいに苦しかったから。

「それで昼間道場に行き、師範が弟子達に教える技を盗んで覚え、
それが終わればすぐに覚えたことを何度も練習して体に叩き込む。
そんな生活が半年ぐらい続いた時だったかしら。
いつものように隠ようとしていたら、
私はその道場の師範に見つかってしまったの」
「怒られたんですか?」
「いや、優しそうな顔でこっちに来なさいと言われたわ。
一緒に朝食を食べようと…その時はとても驚いたわ。
だってその道場の師範はとても厳しい人だって、
見てて知ってたから…。
気になって理由を聞いたら、
実は師範はずいぶんと前に私のことに気がついてきたみたいだったの。
最初は興味本位で来ているのかと思ったみたいだけど、
ある日、偶然私が鍛錬しているところを目撃してしまった。
そこであまりに熱心にやっている私を見て、
興味が湧いたとそう言ったわ。
そして一緒に暮らさないかと言われたけど、私はそれを断った。
多分色々あったせいで、
人間が信用出来なくなっていたんでしょうね。
そしたら師範はそれならうちに通いなさいと言ってくれた。
自分のことは信用しなくてもいい、
お前が剣の腕を磨くために利用する道具だと思えばいいと」
「良い人だったんですね」
「でしょうね。
今にして思えば――師範は私のことを認めてくれた唯一の人間だった。
死んだ娘に似ているとも言われたこともあるから、
私の事が気になっていたのね。
でも私は師範のことを信用しなかった。
だけど強くなりたかったから、彼を利用するつもりでいたの。
もしも彼が私に何か危害を加えてきたら、
すぐに逃げるか、殺してやろうとそう思っていた。
まぁそんな事はなかったけど」

――それからエドナは、毎日その道場に通うようになった。

今までは見て覚えるだけだったけど、今度は直接教えてもらい、
変な癖や、間違って覚えている部分を直してもらった。
師範は厳しい人だったけど、
エドナは必死に努力してその教えを吸収した。
そうこうしているうちに、いつしか服も買い与えられ、
自分用の剣も師範が買ってくれたそうだ。

「そうしていると、私はだんだん師範に心を許すようになったわ…。
それで気が付いたら最初に誘われたとおり、
その道場で一緒に暮らすようになった。
まぁ一緒にといっても、師範の家族も一緒にそこで暮らしていたんだけど、
私は師範の家族からも、道場の仲間からもよく思われていなかったの。
だからそこではあまり居場所はなかった…」
「なんでよく思われていなかったんですか?」
「だって見ず知らずの女の子よ?
どこの馬の骨とも知れない人間を、よく思うはずは無いじゃない…。
それに――私にはたぶん剣術の才能があったんだと思う。
だって気がつけばその道場で、1番強いのは師範を除けば私になっていたから、
道場には20代、30代と長く道場に通っている剣士達や、
師範の息子達なんかよりも、10かそこらの私の方が強かったの。
だから師範が急に亡くなった時、私の居場所は道場に無くなってしまった」
「え、亡くなったんですか」
「病気で突然にね…。
あまりに突然すぎて実感も無かったけど、
私は師範の家族にはよく思われていなかったから、
すぐにその道場を出たわ」

せめてその師範がもっと長生きをしてくれていれば――。
何か変わったかもしれない。
初めて愛情を与えてくれた人を亡くして、
エドナはどれだけ心細かっただろう。

「それから冒険者になろうかと思ったけど、
まだ入れる年齢じゃなかったから、
適当な魔物を退治して、その魔石を売る事で生活していたわ。
そしてようやく13歳になった時、私は冒険者になった。
自分で言うのもなんだけど、かなり稼いでいた方だと思うわ。
それに惹かれたのか、
たくさんの人が私に寄ってきた。
そして当然のようにお金をせびろうとしてきたけど、
私は人が好きじゃなかったから、誰とも付き合わなかった。
多分その様子がお高くとまっているとか、
調子に乗っていると誤解されたのね…」

エドナは大きくため息を吐くと、一気に言葉を出した。

「ある日私は顔を隠した男達に襲撃され、
…後はさっきあなたに言った通りよ。
私は犯された。複数で、取り囲まれて、体を押さえられて…。
……私はそれまで、自分のことを強いと思っていた。
でも男の前ではこんなにも無力で、こんなにも弱いのだと…」

――強くなりたい…。

自然とそんな言葉がエドナの口からもれた。
でも男達を笑ってこう言った。
お前なんかが強くなれるはずがないと。
お前は女だから、男より劣っている。
お前は女だから、冒険者を止めてしまえ。
お前は女だから、だめなんだ――と。

「何度も何度も、叩き付けるようなその言葉と共に、
私の中でプライドがへし折れるのが分かった…。
そうして行為が終わると、道端にゴミでも捨てるように捨てられた。
人々に奇異の目で晒され、そして這うように自分の家に帰った。
そして泣いた。ものすごく泣いたわ…。
悔しくて悔しくて、あの男達が許せなくて、
そして何よりこんなことをさせてしまった自分の弱さが許せなくて、
私は泣いた」

何て酷いことをしたんだその男達は――。
私はなんて声をかけたらいいのかすらわからなかった。
励ましの言葉なんて、意味はない。
女性にとってそれがどれだけ辛いことであるのか、想像はつく。
平和な世界で生きてきた私には、
エドナのような悲惨な人生を歩んできた人の苦しみが、
どうすれば癒えるのかわからない。
気がつけば、目に涙が浮かんでいた。

「どうしてあなたがそんなに泣きそうな顔をしているの?」

エドナはふっと笑うと、私の頭に手を乗せた。

「もう昔のことだから大丈夫」

また気を使わせてしまった――。
どうしてこんなにも彼女は優しいんだろう。
どうしてこんなにも気遣ってくれるんだろう。

「あの、私の事は気使わなくていいです。
それよりエドナさんの苦しみが癒える方法が知りたいんです…」

私がそう言うとエドナは驚いた顔をした。

「そうね。じゃあ話を聞いてくれる?」
「はい…それでエドナさんの苦しみが少しでも癒えるのなら」

私がそう言うとエドナは何かを決意したような表情で語り始めた。

「それから、私は前にも増して鍛錬するようになった…。
冒険者の仕事を中断して、ずっとずっと山にこもって修行していたわ。
ひたすら魔物を倒して、狩って、
ただがむしゃらに、ひたすら強くなるためだけに私は戦ったわ。
そうしてしばらく経って町に帰ってきたら、
私がとんでもない淫売だとかそんな噂が広がっていた。
多分家に帰る姿を誰かに見られたのか、
それともあの男達が広めたのかもしれない」
「そんな…ことって」

エドナは強姦された被害者なのに、
そんなのはあまりに理不尽じゃないか。
その時のエドナの気持ちを想像すると、胸が痛くなった。

「だから私はもうここを出ようと思った。
こんな田舎町より、別の場所で自分の実力を試そうと思ったの。
だからずっと住んでいた町を離れ、別の町に移った。
でも…どこに行ったとしても、女だからと言う理由で私は差別されたし、
人と交流することさえだんだんと出来なくなった…」

次第にエドナは人と交流するのを避けるようになっていった。
必要最低限しか話さず、無表情に受け答えする。
そのうち感情が抜け落ちたように、
何を言われてもだんだんと何も感じなくなってきた。
…というか期待することが出来なくなっていたのだという。
期待するのは辛い…。
誰かに期待すると裏切られた時の痛みが強くなるだけ。
人に関心を抱くことすら出来なくなった。
裏切られ、奇異の目で見られ、あるいは嫉妬され、
そういった感情に曝される度に、
エドナの中でだんだんと人間らしさが失われていった。
笑うことが減り、口数が少なくなり、
感情を表に出すことが無くなっていった…。

「…そんな私でも、たくさんの男が私を好きだと言ってくれたわ。
でもその好きの感情の向かい側にあるものは、
獣じみた本性でしかなかった…」
「そんなことは――」

そう言うとエドナは泣きそうな表情をした。

「だってみんな勝手に私に理想を押し付けるの。
そして理想と違うと、勝手に責めて、勝手に去っていく…。
本当に女を物だとしか思っていない。自分の理想を投影した。
理想的に女性らしく、理想的に献身的で、理想的に理想らしい。
そんな女でなければ価値は…ないと」

エドナはそこで言葉を詰まらせたのか、少し黙り込み。しばらくして話し出した。

「私は…こんな苦しみを味わうぐらいなら、
女に生まれてきたくなかった。
どうして女に生まれてきてしまったんだろう…。
男に生まれてさえいれば、
あの屈辱的な思いも、言葉の暴力も受けずに済んだのに…。
私はまともな結婚が出来る自信がないし、
家事だけでなく、
根本的な女として大切な要素が欠けていると思っているわ。
でも…私はどうあがいても女で、女でしかない。
だけど顔だけは男にとって魅力的で、
いや、それしか良いところがないんでしょうね。
だからみんな期待と違うとガッカリして勝手に去っていく。
あの女さえ、不倫さえせず、
ちゃんと父の子として私を産んでくれていれば、
こんなことにはならなかったのに。
こんな…自分の分身のような女を産まなければ、
誰もが幸せだったのに…っ」
「エドナさん」

私はたまらずエドナの手を握った。

「あなたは他に良いところはたくさんあります。
だからそんな風に自分を責めないでください」
「あなたも…あの子と同じことを言うのね…」
「あの子?」
「私の―――仲間だった冒険者。
あなたは彼女ととてもよく似ている…」

そう言うとエドナは大きくため息を吐いた。

「彼女もあなたに似て、とてもドジな子だったわ。
思わず助けてしまうぐらいには」

そう言うとエドナは語り始めた。

それまでエドナは、ただ魔物を狩って、
体を鍛えて、武器と装備を整えるだけの毎日を送っていた。
たまにチームに誘われて、一緒に何度か戦うが、
結局人間関係のトラブルで離脱してしまう。

そんな日々に変化をもたらしてくれたのは、1人の女性だった。

彼女の名前をステラといった。
駆け出しの冒険者で、家族を養うために冒険者になったといった。
そしてエドナのことをとても尊敬していて、
エドナみたいになりたいと言ってきた。
エドナはそんなことを言われたのは初めてだった。
同じ冒険者でもエドナの他人への無関心ぶりには知っていたから、
実力はあっても、
人と交流するような人間じゃないことはそのギルドには知れ渡っていた。

当然のごとく、
エドナは彼女のことを無視したし、相手にもしなかったらしい。
だが彼女は何度無下に扱われても、めげずにエドナに話しかけてきた。
というか一方的に話をしてくることが多く、
エドナはそれを一方的に聞かされるということが何度も続いた。
そして頼んでもいないのに、
勝手にエドナの仕事にもついて来るようになり、
そして冒険者をやっている割にはありえないぐらいに弱かった。
本当に今までどうやって冒険者としてやってきたのかと、
エドナが思ってしまう程だった。
だから思わず、エドナが助けてしまい。
流石にもうこりただろうと思っていたら、またついて来る。
そしてピンチになってはエドナに助けられて、
無視されているにも関わらず、何度も話しかけてきた。

ステラはそんな変わった女性だったのだという。

そしてエドナが無視しようが、
無関心だろうがお構いなしに、自分の話をした。
彼女は田舎に生まれて、出稼ぎのためここまで来たといった。
そして自分は長女で、他の弟や妹は幼いため、
自分が働いて兄弟を養わないと生活出来ないといった。
エドナは家族と言うものがよく理解出来なかった。
だから彼女の話は、聞いていて悪いものではなかったらしい。
自分が味わえなかった話ではあったし、
普通の家族がどういうものかも興味があった。

「普通の家族って…こんなにも良いものなんだと、そう思えたわ。
彼女の話は聞いていて悪い話じゃなかった。
でもね。私はそれでも彼女のことが信用出来なかった…。
絶対にどこかで私を裏切るだろうと思っていた。
だから彼女が私の仕事についてきても、
仲間だなんて思ったことは1度もなかった。
いやむしろ……心の中では見下していたような気がする。
彼女はそれほど強い冒険者ではなかったからね…。
実力だって冒険者としての経験だって私の方が上だった…。
そんな彼女を守ってあげることで、
優越感に浸っていたのかもしれない。
多分あの時の私は傲慢になっていたのかもしれない…。
自分は誰よりも強いと自惚れていたのよ…。
だからこそ、完全に忘れていたの」
「何をですか?」

エドナは大きくため息を吐くと、目を逸した。

「冒険者は死と隣り合わせの職業であることをよ――」

その言葉に私は驚き、そしてエドナは語り始めた。

自分と彼女の身に何が起こったのかを。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

異世界でも男装標準装備~性別迷子とか普通だけど~

結城 朱煉
ファンタジー
日常から男装している木原祐樹(25歳)は 気が付くと真っ白い空間にいた 自称神という男性によると 部下によるミスが原因だった 元の世界に戻れないので 異世界に行って生きる事を決めました! 異世界に行って、自由気ままに、生きていきます ~☆~☆~☆~☆~☆ 誤字脱字など、気を付けていますが、ありましたら教えて頂けると助かります! また、感想を頂けると大喜びします 気が向いたら書き込んでやって下さい ~☆~☆~☆~☆~☆ カクヨム・小説家になろうでも公開しています もしもシリーズ作りました<異世界でも男装標準装備~もしもシリーズ~> もし、よろしければ読んであげて下さい

転生5回目!? こ、今世は楽しく長生きします! 

実川えむ
ファンタジー
猫獣人のロジータ、10歳。 冒険者登録して初めての仕事で、ダンジョンのポーターを務めることになったのに、 なぜか同行したパーティーメンバーによって、ダンジョンの中の真っ暗闇の竪穴に落とされてしまった。 「なーんーでーっ!」 落下しながら、ロジータは前世の記憶というのを思い出した。 ただそれが……前世だけではなく、前々々々世……4回前? の記憶までも思い出してしまった。 ここから、ロジータのスローなライフを目指す、波乱万丈な冒険が始まります。 ご都合主義なので、スルーと流して読んで頂ければありがたいです。 セルフレイティングは念のため。

システムバグで輪廻の輪から外れましたが、便利グッズ詰め合わせ付きで他の星に転生しました。

大国 鹿児
ファンタジー
輪廻転生のシステムのバグで輪廻の輪から外れちゃった! でも神様から便利なチートグッズ(笑)の詰め合わせをもらって、 他の星に転生しました!特に使命も無いなら自由気ままに生きてみよう! 主人公はチート無双するのか!? それともハーレムか!? はたまた、壮大なファンタジーが始まるのか!? いえ、実は単なる趣味全開の主人公です。 色々な秘密がだんだん明らかになりますので、ゆっくりとお楽しみください。 *** 作品について *** この作品は、真面目なチート物ではありません。 コメディーやギャグ要素やネタの多い作品となっております 重厚な世界観や派手な戦闘描写、ざまあ展開などをお求めの方は、 この作品をスルーして下さい。 *カクヨム様,小説家になろう様でも、別PNで先行して投稿しております。

ゴミスキルでもたくさん集めればチートになるのかもしれない

兎屋亀吉
ファンタジー
底辺冒険者クロードは転生者である。しかしチートはなにひとつ持たない。だが救いがないわけじゃなかった。その世界にはスキルと呼ばれる力を後天的に手に入れる手段があったのだ。迷宮の宝箱から出るスキルオーブ。それがあればスキル無双できると知ったクロードはチートスキルを手に入れるために、今日も薬草を摘むのであった。

異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです

ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。 転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。 前世の記憶を頼りに善悪等を判断。 貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。 2人の兄と、私と、弟と母。 母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。 ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。 前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。

チート転生~チートって本当にあるものですね~

水魔沙希
ファンタジー
死んでしまった片瀬彼方は、突然異世界に転生してしまう。しかも、赤ちゃん時代からやり直せと!?何げにステータスを見ていたら、何やら面白そうなユニークスキルがあった!! そのスキルが、随分チートな事に気付くのは神の加護を得てからだった。 亀更新で気が向いたら、随時更新しようと思います。ご了承お願いいたします。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

神に同情された転生者物語

チャチャ
ファンタジー
ブラック企業に勤めていた安田悠翔(やすだ はると)は、電車を待っていると後から背中を押されて電車に轢かれて死んでしまう。 すると、神様と名乗った青年にこれまでの人生を同情された異世界に転生してのんびりと過ごしてと言われる。 悠翔は、チート能力をもらって異世界を旅する。

処理中です...