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第2部
帰省⑩
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しばらく本当に色々な話をして、気がつくと空が暗くなり始めていた。
「そろそろ帰らなきゃ。」
俺が言うと祖母は少し残念そうな表情を浮かべたが、“そうね”、と静かに納得してくれた。
「その前に一つだけ、いいかしら?」
真剣に紡がれた祖母の言葉が、先程までの砕けた空気を一気に張り詰めたものに変える。
何を言われるのか疑問に思いながらも否定する理由を持たない俺は、祖母の言葉にじっと頷いた。
ありがとう、と祖母が目を細める。
「秋月さん、幹斗には両親がいません。私たちが娘…幹斗の母に無理やり相手を決めて結婚を強いたから、娘は誰か私たちの知らない相手の子を授かり、そして相手が誰かも知らせないまま幹斗を出産して亡くなりました。」
…あっ、この話はまずい。
話題を変えようと口を開きかけたが、その前に由良さんが机の下で俺の手の上に大きな手を重ね、ぎゅっと力を込めた。
まるで大丈夫とでも言うように。
大丈夫なんて、そんなわけがない。だって今の由良さんの表情はとても苦しそうだ。
「だから私たちは、決めたんです。幹斗が決めた相手なら、たとえどんな相手でも受け入れようと。それが貴方みたいな素敵な人で、本当に嬉しいです。」
…もうやめて。お願いだから、由良さんをこれ以上傷つけないで。
俺への優しさから紡がれた言葉は、同時に意図しない形で彼を傷つけてしまうから。
そう思うのに、祖母は話すのをやめてくれなくて。
「本来受けるべき父母からの愛情を受けずに育った子ですから、こんなことを私たちがお願いするのは勝手だけれど、どうか幸せにしてあげてください。」
最後に祖父母が頭を下げた時、俺は2人からの優しさよりも由良さんのことが気になって、ずっと彼の表情を窺っていた。
…あれ。由良さんが朝から苦しげだった理由って…。
ふと考え、はっとした。
緊張していたからじゃない。
この2人に会うということは、ただそれだけで彼の傷を抉る行為だったのだ。
ずっとずっと心の中に抱えて、1人で苦しんだその傷を。
自分のことに手一杯で気づかなかった自分に腹が立つ。
「もちろんです。そんな、顔をあげてください。彼が僕といることを幸せだと思う限りずっと、全てを彼に捧げます。幹斗君を僕に託してくださってありがとうございます。」
口元に笑みを浮かべ穏やかに言った、彼の瞳の奥には途方もない闇が見えた。
凛とした声もいつもより上擦って小刻みに震えている。
「2人とも心配しすぎ。そろそろ時間がまずいからもう行くね。」
早くこの場を去らなければという焦りから咄嗟に嘘をついた。本当は電車の時間など調べていない。
「ええ、気をつけてね。」
「うん、ありがとう。史明さんもすみれさんも、身体に気をつけて。またくるね。」
「お菓子とてもおいしかったです。ごちそうさまでした。僕もまた伺わせてください。」
2人が玄関先まで送ると言うのを身体に悪いからと言って止め、由良さんの手を引き急ぎ足で道路までの道を歩いた。
久しぶりに会った自分を育ててくれた人のもとをこんなふうに去るなんて、心が痛い。
でも、繋いだ彼の手は驚くほどに冷たくて、力もまるで入っていないのだ。
どうしてこんなにも大切なことに気がつかなかったのだろう。
立ち止まり仰いだ空は皮肉なくらいに美しく、紅葉で染めたような茜を前に、俺はただ唇を噛み締めた。
「そろそろ帰らなきゃ。」
俺が言うと祖母は少し残念そうな表情を浮かべたが、“そうね”、と静かに納得してくれた。
「その前に一つだけ、いいかしら?」
真剣に紡がれた祖母の言葉が、先程までの砕けた空気を一気に張り詰めたものに変える。
何を言われるのか疑問に思いながらも否定する理由を持たない俺は、祖母の言葉にじっと頷いた。
ありがとう、と祖母が目を細める。
「秋月さん、幹斗には両親がいません。私たちが娘…幹斗の母に無理やり相手を決めて結婚を強いたから、娘は誰か私たちの知らない相手の子を授かり、そして相手が誰かも知らせないまま幹斗を出産して亡くなりました。」
…あっ、この話はまずい。
話題を変えようと口を開きかけたが、その前に由良さんが机の下で俺の手の上に大きな手を重ね、ぎゅっと力を込めた。
まるで大丈夫とでも言うように。
大丈夫なんて、そんなわけがない。だって今の由良さんの表情はとても苦しそうだ。
「だから私たちは、決めたんです。幹斗が決めた相手なら、たとえどんな相手でも受け入れようと。それが貴方みたいな素敵な人で、本当に嬉しいです。」
…もうやめて。お願いだから、由良さんをこれ以上傷つけないで。
俺への優しさから紡がれた言葉は、同時に意図しない形で彼を傷つけてしまうから。
そう思うのに、祖母は話すのをやめてくれなくて。
「本来受けるべき父母からの愛情を受けずに育った子ですから、こんなことを私たちがお願いするのは勝手だけれど、どうか幸せにしてあげてください。」
最後に祖父母が頭を下げた時、俺は2人からの優しさよりも由良さんのことが気になって、ずっと彼の表情を窺っていた。
…あれ。由良さんが朝から苦しげだった理由って…。
ふと考え、はっとした。
緊張していたからじゃない。
この2人に会うということは、ただそれだけで彼の傷を抉る行為だったのだ。
ずっとずっと心の中に抱えて、1人で苦しんだその傷を。
自分のことに手一杯で気づかなかった自分に腹が立つ。
「もちろんです。そんな、顔をあげてください。彼が僕といることを幸せだと思う限りずっと、全てを彼に捧げます。幹斗君を僕に託してくださってありがとうございます。」
口元に笑みを浮かべ穏やかに言った、彼の瞳の奥には途方もない闇が見えた。
凛とした声もいつもより上擦って小刻みに震えている。
「2人とも心配しすぎ。そろそろ時間がまずいからもう行くね。」
早くこの場を去らなければという焦りから咄嗟に嘘をついた。本当は電車の時間など調べていない。
「ええ、気をつけてね。」
「うん、ありがとう。史明さんもすみれさんも、身体に気をつけて。またくるね。」
「お菓子とてもおいしかったです。ごちそうさまでした。僕もまた伺わせてください。」
2人が玄関先まで送ると言うのを身体に悪いからと言って止め、由良さんの手を引き急ぎ足で道路までの道を歩いた。
久しぶりに会った自分を育ててくれた人のもとをこんなふうに去るなんて、心が痛い。
でも、繋いだ彼の手は驚くほどに冷たくて、力もまるで入っていないのだ。
どうしてこんなにも大切なことに気がつかなかったのだろう。
立ち止まり仰いだ空は皮肉なくらいに美しく、紅葉で染めたような茜を前に、俺はただ唇を噛み締めた。
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