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第2部

手紙②

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実験、授業など何かしている状況では、都合よく不安なことを忘れられた。

その代わりに帰り道で一人になった途端に反動がきて、ひどく足取りが重くなって。

一応傘はさしていたものの強い雨の中ではほとんど意味をなさず、ずぶ濡れなまま家のドアを開けた。

「…ただいま…。」

形だけのただいまを呟きながら家を濡らさないようハンドタオルで水気を拭うが、濡れすぎてその程度では意味をなさない。

由良さんが帰ってくるまでにはまだきっと時間があるだろうから、ひとまずシャワーを浴びようかな。

「…さむ…。」

服を脱ぐと存外寒い。

その上逃げるように浴室に入り蛇口を捻ったとき初めに出てきた冷水をもろに浴びてしまった。

こう、どうして嫌なことって重なるのだろうか。

そもそも気持ちが沈んでいる時に起こったことだから嫌なのだろうか。

涙が溢れてきて止まらない。

蹲って泣いて、シャワーに紛れさせて全て流して、それでも楽にならない分は飲み込んで。

なんとか涙は収まったところで髪を乾かし浴室のドアを開ける。

その途端、コーヒーの香りが鼻を掠めた。

…由良さんがいるときの匂い…。

「ただいま。雨すごかったね。濡れちゃった?」

キッチンに行くと由良さんがいつも通り柔らかに微笑みながら俺にカフェオレが入ったマグを手渡してくれた。

「ありがとうございます。」

受け取ったマグは温かく、その優しさに泣きそうになる。

職場が新しくなって忙しい由良さんに心配をかけないよう早くこの場を去らなくては。

心ではそう思うのに、身体が言うことを聞かない。

「何かあったね。僕でよければ話して欲しい。君には笑っていて欲しいから。」

穏やかな声と共に目の前の紫紺の瞳がゆっくりと愛しげに細められ、いつも俺に優しく触れる手が今日も変わらず柔らかな力で俺の頭を撫でてくれた。

やっぱり彼に隠し事はできない。

だってきっと彼は俺より俺のことを知っているから。

「…実は…。」

ことんとマグをテーブルに置いてから話し始めると、滝のように言葉が溢れて止まらなくなった。

ただ祖父の病気のこととパートナーが男性だと伝えていないことの2点だけを話すつもりが、由良さんがただ“うん”、と全てを受け入れてくれそうな声音で何度も相槌を打ってくれるから、余計なことまで話してしまう。

例えばこんな状況でバレるのが怖いと心配している自分が最低であること、祖父と会いたいのに現実と向き合うことが怖くてなかなか一歩踏み出せないこと、何より大切な誰かが難病にかかったと聞いて悲しくてたまらずどうしていいのかわからないこと。

俺が話終わるまでずっと、彼は相槌以外の言葉を発さなかった。

そして俺の話が終わると、綿菓子みたいな声で“よく話してくれたね”、といいながら俺の身体を優しく抱きしめてくれて。

泣き疲れた俺はそのままその頼もしい温もりにしばらく身体を預けたまま、動けずにじっと立っていた。

「幹斗君の話を聞く限りきっともう答えは決まっているよね。もやもやと長く考えるよりは早い方がいい。僕の問題でもあるから、まずは今から一緒におばあさんたちに電話しよう。そして、一緒に挨拶に行こう。」

「えっ…。」

しばらくして由良さんが発した言葉のあまりに急な展開に、俺は彼を見上げぽかんと口を開けた。

今からなんて、心の準備ができていない。

でも、心の準備なんていつできるのだろうか。そうやって足踏みしているうちにも時間は決して止まってくれない。

そう考えたら、由良さんの言っていることをもっともだと感じた。

それに彼の言葉はいつも俺のことを安心させてくれる。

“僕の問題でもあるから”、“一緒に”、この状況で自然とその言葉をかけている人がいる俺は、本当に幸せ者だ。

「…あの、でも…。」

少しだけ心の準備をする時間が欲しい。ほんの数分だけ。絶対に、後回しにしたりはしないから。

身体を離し由良さんを見上げれば、彼は何もかもわかっているというように紫紺の瞳を細め、静かに頷いた。

「うん。これを飲み終わってからにしようか。…少し冷めちゃってるね。温め直すから、座って待っていて。」

「はい。」

“でもその前に”、とついでのように彼が紡ぐ。

なんだろうと思って再び顔を上げると、端正な唇がゆっくりと俺の方に近づいてきてふわりと俺のそれに重ねられた。

普段から行われるその行為に、未だに慣れない俺は今日もまたときめいて。

「かわいい、幹斗。」

…ほら、またそういうこと言う…。

顔を赤くして俯けば、悪戯っぽく笑われた。
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