上 下
179 / 261
第2部

前進⑥

しおりを挟む
…ごめんなさい、じゃないよね…。

部屋を出たあと、由良さんを見上げながら考えた。

俺が想像できるようなことは全て承知でここまでしてくれたのだから、俺の言う言葉はきっと謝罪じゃない。

「あの、ありがとうございます…。」

俺がそう告げると、彼はまず口元に穏やかな笑みを浮かべたが、それから少し不安げに眉根を寄せた。

…俺、何かしたかな?

「かっとなってしまったから、怖い思いをさせてない?」

尋ねられ、彼が不安がっている理由に驚く。

怖い思いはしていない。

たしかに由良さんの威圧的な声には震えたけれど、恐怖とか、そう言う類の感情は抱かなかった。

由良さんが御坂に対して怒っている間は余裕がなくてただ黙って固まっていることしかできなかったが、今あの時の彼の表情や声、言葉を思い出すと痛いくらいに心臓が疼いて泣きそうなくらいに嬉しくなる。

「いえ、その、

…格好良くて嬉しかった…。」

正直に答えると、由良さんは少し困ったような笑みを浮かべた。

「格好悪い、の間違いじゃないかな?頭に血が上ると言う経験を人生で初めてしたよ。恥ずかしい。」

「なおさら嬉しっ…あれっ… 」

突然涙が溢れてきて戸惑う。

俺のことで人生で初めて頭に血が上ったと言ってくれたことは嬉しい。

でも、嬉しいけれど同じくらいにやるせなくて。

きっと仕事のことでとても迷惑をかけてしまった。

ごめんなさいを言ったら由良さんのしてくれたことを否定してしまう気がするからそれは言わないけれど、でもこの涙を止めることもできなくて。

「…幹斗君、こっちを見て。」

柱の影に連れ込まれ、優しくあごを掬われる。

目を開ければ、温かい光を宿した彼の瞳が視界に入った。

「僕ね、もともとこの会社を辞めようと思っていたんだ。嘘じゃない。一年前からずっと他社から誘いがかかっているんだ。

部署も同じで、役職は一つ下になるけど給与もそっちの方が高い。自宅からの距離も一駅先になるだけ。昨日その話を受けたから、ここはもう辞める。」

「えっ…。」

会社を移ると言う話の内容より、その話を今この状況で彼が俺に聞かせたことに驚く。

「もちろん辞める辞めないに関わらず今日ぐらいの事はした。むしろし足りないくらいだと思う。…ただ、今回の件について、君が僕のために泣く必要はないって、それだけ伝えたくて。幹斗君は優しいから。」

…どうして。

また涙が溢れてくる。

どうして由良さんはこんなにも俺の気持ちをわかってくれるのだろうか。

いつだってまるでエスパーみたいに俺の心を読んで欲しい言葉をくれる。

「…いつ、俺の心を読んだんっ、ですかっ… 」

「いつも幹斗君を見てる。」

非科学的な俺の問いかけに対する由良さんの答えは、噛み合っていないようで案外噛み合っていた。

いつも見ているから君のことならなんでもわかると、きっとそう言う意味なのだろう。

「このあとデートしようか。どこ行きたい?」

しんみりとした空気を吹き飛ばすように由良さんが話題を変えてくれた。

でも今どこに行きたいと聞かれたら、困ってしまう。

どうしようもなく彼に忠誠を示したい…つまりプレイをして欲しいと思ってしまったから。

じっと彼の目を見つめると、“参ったな”、と言いながら彼は今度は少し雑に俺の頭をくしゃりと撫でる。

「身体は大丈夫?」

「大丈夫です。」

「じゃあ家に帰ろうか。」

…どうしよう、心臓、うるさい…。

目を見ただけで俺の考えを理解してくれるなんて、やっぱり由良さんは少しおかしい。

でもそんなところも大好きだと、心の中で少し惚気てみた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

風邪をひいてフラフラの大学生がトイレ行きたくなる話

こじらせた処女
BL
 風邪でフラフラの大学生がトイレに行きたくなるけど、体が思い通りに動かない話

女装とメス調教をさせられ、担任だった教師の亡くなった奥さんの代わりをさせられる元教え子の男

湊戸アサギリ
BL
また女装メス調教です。見ていただきありがとうございます。 何も知らない息子視点です。今回はエロ無しです。他の作品もよろしくお願いします。

ずっと女の子になりたかった 男の娘の私

ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。 ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。 そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。

【R-18】クリしつけ

蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。

バイト先のお客さんに電車で痴漢され続けてたDDの話

ルシーアンナ
BL
イケメンなのに痴漢常習な攻めと、戸惑いながらも無抵抗な受け。 大学生×大学生

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?

こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。 自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。 ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?

処理中です...