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すみません、と謝ろうとしたら、隣からぐいっと引っ張られ、痛いほどに身体が締め付けられた。

「…ありがとう。僕なんかに、君はもったいない。」

ややあって、耳元でそう囁かれた。肩に押し付けられた由良さんの目元から、じっとりと水が滲んでくる。

由良さんの体温が心地いい。こんなふうに抱きしめられて、いつもなら心臓が爆発しそうになるけれど、今はなぜかただ安心した。

ああでも、由良さんに俺がもったいないという言葉は聞き捨てならない。確実に逆だ。俺なんかに由良さんはもったいない。

俺には由良さんしかいないのだと、この堅い忠誠を、どうしたら伝えられるのだろう。

しばらく考えていると、隣のソファから歓声が上がった。不思議に思ってカーテンの隙間から水槽を覗くと、人魚を模したダイビングスーツを着たダイバーが、ライトアップされながら水槽を泳いでいる。

酸素マスクもせず、命綱一本で、この広い水槽の中、彼女は微笑む。

ふと、考えた。もし、限界になっても彼女の命綱が引かれなかったらと。

足の自由を奪われた彼女は、そのまま溺死してしまうかもしれない。もちろんその前に、誰かが助けに来るのはわかっているけれど。

…ああそうか、これなら由良さんに、伝えられるかもしれない。

「…由良さん、俺、ひとつお願いがあります。」

ん?と優しく答えた由良さんは、もういつも通りの様子だ。

「なんでも言って。」

愛おしそうに微笑む、少し潤んだその瞳は、いつもよりずっと優しい。

「マリンホテルで、水槽の中に入りたい。」

「…幹斗君、それ、意味わかって言ってる?」

優しい表情から一転、由良さんが困ったような表情をした。

「もちろんです。俺、由良さんにだったら、命だって預けられる。」

マリンホテル。そこはチェーンのラブホテルで、けれど、普通のラブホテルとは一つだけ大きな違いがある。

「…それがお願い?」

「はい。」

「どうなっても知らないからね?」

「相手が由良さんなら大丈夫です。」

きっぱりと答えると、頭を撫でられ、優しく抱きしめられた。

“どこまでも愛おしいな、君は。”と、綿菓子のような甘い声で言われ、顔が赤くなる。

結局、束の間の安心は、すぐに凄まじいドキドキに変わってしまった。

「じゃあ、行こうか。」

ソファーのカーテンを開け、順路を進む。

残りの展示やギフトショップにはほとんど立ち寄らず、足早に水族館を後にして、俺たちはマリンホテルに向かった。
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