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甘い匂い(静留side)

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久しぶりに日中を1人で過ごして、新しい曲の練習に身が入らず、静留は指が鈍らないようにひたすら基礎練習をして過ごした。

__…東弥さん、まだかな…。

弾き続けているうちに梨花が来て、シャワーを浴びるように言われてしまった。

じっと目を見て“お風呂入っておいで”、と東弥に指示される瞬間が、何故だかはわからないがとても心地良くて好きなのに。

__…ひとりは、さびしい…。

ここから出た時には東弥が帰っていて、一緒にご飯を食べてくれたらいいのに、と、シャワーを浴びながら静留は思う。

けれどシャワーを浴び終わって家の中を探しても結局東弥は帰っていなくて、雑に髪をタオルで拭い、静留はまたピアノの椅子に座った。

寂しさを紛らわせようと、思いついたメロディーをいくつか奏でてみる。

奏でているうちに少しずつ気が紛れて、少しして“ただいま”、という東弥の声が聞こえてきた。

__東弥さんだ。

弾く手を止め、東弥のもとへ駆けていく。

「お帰りなさい、西くん。」

彼は少し疲れた様子だったが、静留を見るといつものように温かく笑ってくれて。

それが嬉しくて、静留は衝動的に彼の身体に抱きついた。

抱きつく力を強くすると彼のにおいがより感じられて、いつまでもこのままでいたくなる。

しかし、いつも抱きしめ返してくれる腕は、やんわりと静留の身体を押し返した。

「シャワー浴びてくるから、静留はピアノを弾いて待っていてね。」

「えっ… 」

「すぐ戻るから。そうしたら髪も乾かそうね。」

__…どうして?きらわれた…?

押し退けられたことがショックで、静留はその理由を探し首を傾げる。

静留の様子を気にせずに、東弥はバスルームへ行ってしまった。

「…あまいにおい…。」

ふと、すれ違った彼から彼のものではない香りがして、静留は小さな胸の痛みを覚える。

その香りは、昔母が男の人と会うときにつけていたものに似ていて、そしてその香りを纏うとき、母は決まって静留を遠ざけたのだ。

東弥に身体を押し退けられたのは初めてで、彼がこの香りを纏っていたのも初めてで、その意味を考えると途端に怖くなる。

拒絶。その二文字しか、静留の頭には思い浮かばない。

そして理由は確定している。そもそも彼は静留と一緒にいてくれているだけなのだ。静留がかわいそうだから。それは朝からわかっていたことで。

洗面所のドアに近づくと、シャワーの音が聞こえる。

今静留と彼を隔てるのは、ここと浴室のドア、二枚だけ。

けれど、もうじき静留は彼に自分からは会えなくなってしまう。

自分はもともと1人だった。それを西弥に救ってもらって、2人になった。西弥が去ったあとは、東弥が2人にしてくれた。そしてこれから東弥が離れていったら、またひとりに戻るだけ。

__…それだけのこと…。

自分に言い聞かせる。

ドアの前で静留はいつのまにか、自分を抱え込むようにして床に座り込んでいた。

「…あれ、ピアノ弾いてなかったの?もしかして待っててくれた?」

バタン、と音がしてドアが開いて、スウェット姿になった東弥がそこから出てきた。

彼は静留を見て、太陽みたいに優しく笑む。

もう彼から、あの甘い香りはしない。

__…これからできなくなるから、いまだけ…。

温かい身体に擦り寄ると、今度は優しく抱きしめ返された。

「髪、乾かそうか?」

穏やかな声で尋ねられたが、静留はそれを拒絶する。

「…もうすこし、このまま…。」

風邪ひいちゃうよ?と彼ははじめ静留に言い聞かせたが、静留が何も言わず首を横に振っていると、黙ってまだ乾いていない髪を撫でてくれた。

せめておぼえていようと、彼の温もりを噛み締める。

西弥との時間が終わるなんて思ってもいなかったから、静留はこの優しい時間をただ享受していた。

でもこの時間は本当はいつ消えてもおかしくないもので、そうしたら静留にはピアノしか残らないわけで。

「そろそろ乾かそう?そしたらまたこうしていいから。」

「うん…。」

再び心配そうに言われて、静留は渋々彼から離れた。

そして、いい子、と頭を撫でられれて、寂しいのに幸せな、不思議な感覚に包まれたのだった。
「」
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