上 下
36 / 67

36. 密室、実験

しおりを挟む
 俺と詩日さんは、駅まで少々足早に歩いた。
 途中でまた女性陣のヒソヒソが発生し、

……え? 今度は光る方?……
……大学生かなぁ……
……なんかがさつっぽい人だね……

「輝くん」
「何でしょう」
「詩雨から聞いたことがある。きみと先ほどの早川くんは何とかコンビと呼ばれていて女子生徒から絶大な人気を誇る、と」
「ああ……ええ、はい……恥ずかしながら」
「そうか……どうりで周囲の視線に殺意がこもっているわけだ」
「え、すみません! 店に入ればあんなヒソヒソやら殺意やらはないですから!」
 勢いでそう言った俺は、思わず詩日さんの白くて細い腕を掴んで一歩踏み出した。

 あ。

「失策だったみたいだねぇ」
 詩日さんは早足で歩きながら呑気にそう言った。  

……見た?! 光る方から行ったよ?!……
……えー、ダブルライト両方彼女持ちってことか……
……まあ目の保養にはなるけどさぁ…… 

 掴んだ詩日さんの腕を、失礼でない程度に下ろし、俺も心持ち大股で歩き続けた。


 駅まで何とか到着し、一度駅舎に登ってから北口に降りた。暉隆の言う通り、目の前がカラオケボックスだ。すぐ入店し、90分のオーダーで手続きをした。
 
「随分手慣れているね。流石は若者」
「はあ……」
 詩日さん用の灰皿とマイクが入った籠を手に、俺たちは三階の部屋に向かった。
 指定の部屋のドアを開けてみると、とんでもない展開が俺を待っていた。

「随分と窮屈な部屋だなぁ。まあいい」

 詩日さんですらそう言うほど部屋は狭く、二人で並んで座ったらそれ以上何も載せられないサイズのソファがあり、正面のカラオケ機器は最新のヒット曲を紹介していた。
 これは……危険だ。

「もっと大きな部屋に変えて貰いましょうか、こ、ここだとその、身体が密着してしまいます」
「ん? それはレッスンができないってこと?」
「いえ、その……」
「私は問題ない。ところで今日は”s”と”sh”の発音について質問があって」
 詩日さんはすでに教材を取り出していて、俺はもうどうにでもなれと思い、詩日さんの隣に座った。

……体温が、伝わってくる。

 動悸がする。頬が熱い気がする。なのに頭は何だかぽかぽかしてて平穏だ。嬉しさもあるのだろうか。

「そうですね、”s”はもっと、口を縦に開ける感じで、大して”sh”は口をいーっとした状態で声を出します」
「ふむ……。スィ、シ、スィー?」
 やべぇこの距離で見るといつもよりさらに可愛い。
「”s”はお上手です。”sh”の方が日本語の『シ』に近いですが、そこはあまり意識せず、あくまで英語の発音として覚えてください。この二つの区別化ができなければ、割と大変なことになります」
「大変なこと」
「はい、汚い言葉ですが、”shit”という単語は非常に下品な意味で、”sit”は座ることを意味します。ですからこれを誤用すれば、会話が成立しないどころか悪印象になります。もっと危険な発音もありますよ。”l”と”r”は……」
 そこまで言ったところで声が続かなくなった。
 詩日さんが身を乗り出して俺の顔を見ているのだ。あの時みたいに。
「ち、近いですね……」
「さっきの早川くんときみはどちらがよりモテるのだろうか」
 容赦ないスルースキルを発揮して詩日さんは言った。無表情だから恐い。
「お、俺は親父のことがありますから、暉隆と比べるのは不可能というか。で、でも暉隆は男が見てもかっこいいタイプですよ。俺なんかは単なる優男で……」
 詩日さんは俺が適当にまくし立てる中、さらに接近してきた。ヤバい、耐えろ俺。
「実は前々からしてみたかったことがあるんだが」
「は、はいなんでしょう?」
「ちょっと失礼」
 詩日さんはそう言うと一度身を引き、ソファに膝を立てて俺の方へ向いた。

 何が起こるんだ?

 若干震えながら俺は硬直していた。
 詩日さんは右腕を伸ばし、俺が追いやられている側の壁に手のひらを置いて、無表情なまま、俺を見下ろした。

「ふむ……。よく分からないが、そうか」

「な、何がですか……?」
「や、以前から『壁ドン』というものが話題だが、私には経験がなくてだね、ちょうどきみが近くに座っていたから体験したくなって実行した」

 唖然。

「……し、失礼ですが詩日さん、一般的に言う『壁ドン』は、男性が女性を壁まで追いやって、男性が壁に手をつく行為というのが定説です」
「そうなのか、男女で役割があるとは知らなかった。じゃあ頼む」

 はい?

「私がここまで下がるから、輝くん、こっちの壁に手をドンとやってくれるかな」

 な、何を言っているのだこの人は。

「かなり至近距離になりますが、よろしいでしょうか」
「いいよ、減るもんじゃないし」
「減ります」

 もうここまで来たらヤケだ。
 俺は頭がバクバク、いや、心臓がバクバクしたまま、腕を伸ばし、壁に右手の前腕を置いた。少し頭を下げれば、詩日さんの顔はすぐそこにあった。

「ど、どうですか」

 詩日さんは目をそらし、しばし固まっていたが、

「確かにこれは面白い感情を引き出す行為だ」

 とだけ言った。
 その頬が若干桜色に見えるのは、この密室の照明のせいか何なのか、俺には分からなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

処理中です...