星と花

佐々森りろ

文字の大きさ
上 下
36 / 41
第十八章 失恋

失恋

しおりを挟む
 千冬の検査は明日。窓から見える景色は真っ黒な空から相変わらずに激しい雨粒がシャワーのように降り注いでいる。そんな外の嵐とは反対に、あたしはしばらく千冬とのおしゃべりを楽しんでいた。

「あ、そーいえば、お花! 春一ってば、適当なんだから」

 思い出すように視界に入った花瓶の前に行って、薔薇2本とカスミソウをバランスよくこちらに向くように飾った。

「春一くんって、なんかすごいよね。あたしの中で彼は……ヒーローなんだっ」

 千冬が後ろで嬉しそうに言うから、あたしは直ぐに振り返った。

「え? やっぱり千冬、春一が好きなの⁉︎」
「え⁉︎ あ、違う違う! あたしはヒロインにはなれませんっ。憧れの人って事! いつもあたしに、嬉しい言葉や行動をくれるから」

 千冬は微笑んで、花瓶を指差した。

「そのお花も、きっとあたしが寂しくないようにって事だと思うの」

 あたしは花瓶の花を見て、春一のことを思い出す。
『これは、俺と春一となずなだよ』
 光夜くんがそう言っていたけど、お花を選んで用意したのは春一だと思った。

「春一は、ヒーロー……かぁ。確かに」

 頷いて納得すると、千冬と目を合わせて微笑んだ。

「春一ってさ、なんか大人なんだよね。久しぶりに会った瞬間は、全然変わらないって思ったけど、やっぱりあたしの知らない五年間があるわけだし……」

 あたしはピンクの薔薇を見つめて思い返す。春一が青ちゃんの家に来た時のことや、小説のこと、そして、春一がたった一人、愛していた広海さんのこと。

「……もしかして、なずなちゃん」
「え?」
「ううん、何でもない」
「何それっ! 気になるんだけど、なに? 千冬」

 何かを言いかけて、言うのをやめた千冬にあたしは詰め寄る。

「いーのいーの! 気にしないで」

 笑ってごまかす千冬に、あたしは気になりつつも問い詰めるのをやめて聞いた。

「明日、検査早いの?」
「ん、確か午後からだよ」
「そっか。光夜くんにメールするんだよ、千冬。パワーもらわないと!」

 念を押すように、あたしは千冬の目の前にスマホをちらつかせた。

「……あれ? なんか通知来てるよ?」

 千冬はあたしのスマホの画面に視線を止めて指差す。

「ほんとだ。メッセージだね」

 誰からだろうと見てみると、春一からメッセージが届いていた。

 》まだ千冬んとこか?
 さっき、光夜からメールが来て、明後日から一週間くらい北海道まで写真撮影に行くらしい。アゲハさんについてくらしいよ。多分、なずなや千冬には言ってないと思ったから、一応教えとく。

 春一からのメッセージにどう返信しようかと悩んでしまう。だけど、目の前で「何だろう?」と素知らぬ顔でこちらを伺う千冬には、教えてあげないといけない気がした。

「光夜くん、明後日から北海道だって!」

 あたしの勢いに目をぱちくりさせた後に、千冬は少し考える風なポーズをとった。

「じゃあ、ラベンダー買ってきてもらっちゃお!」
「へ⁉︎」

 満面の笑みで笑う千冬に、あたしは脱力してしまった。
 
「あたし、検査頑張る! 光夜くんが戻って来た時に、びっくりするくらいに、元気になる! だから、想いは光夜くんがラベンダーを買ってきてくれたら伝えるよ」

 目の前の千冬は、目を疑うようなくらいに希望に満ちていて、あたしの方が圧倒されてしまっていた。どうして、千冬はこんなに強いんだろうって。

「メッセージ、送ってみるね」

 にっこり笑って、千冬は自分のスマホを手に取り、早速メッセージを入力し始めた。

「千冬……」
「ん~?」
「……頑張ってね」

 検査を乗り越えて、また、あたし達と海に行けるように。体のことを気にしないで遊べるように、十年越しのこの友情が、いつまでも続きますように……

「うん、ありがとう」

 微笑む千冬に、あたしも微笑んだ。

「あたしもね、お母さんと喧嘩しちゃってるから、今度ちゃんと話してみる」
「え! 喧嘩してるの⁉︎ なにか……あったの?」

 少し聞きづらそうにそっと聞いてくるから、あたしは困った様に笑った。

「あたしが意地張って怒っちゃっただけなんだ」

 あたしからみんな離れて行ってしまうんだって、あの時は寂しくなってしまったから。

「……なずなちゃんも、頑張ってね」
「……え」
「なずなちゃんなら、ちゃんと素直になれるはずだよ。だから、仲直り、頑張ってね」

 微笑む千冬は、十年経っても変わらずに優しくて心強くて、湧き上がってきそうになる涙をグッと堪えてあたしは笑顔に変えた。

 話に夢中になっていたら、いつの間にか外は穏やかになっているのに気が付いた。

「あれっ? 千冬! 外……」

 空には灰色の雲に混じって、明るい白と青色が所々覗いていた。

「台風……行っちゃった?」
「……のかなぁ?」

 驚いてあたしは窓際に立ち、外を見渡す。

「……あ……」

 見下ろした地上、雨上りの水溜まり。車の水滴に反射する太陽の光。そして、見覚えあるシルエットが目に入ってきた。

「……なずなちゃん……」

 千冬が声を振るわせてあたしの名前を呼ぶから、慌て振り返った。千冬がスマホを握りしめて、困ったような顔を向けてくる。

「……光夜、くん。今、病院に来てるって……」

 やっぱり。見覚えあるシルエットは、光夜くんだった。
 千冬は「どうしよう……」と、いつになく弱気におろおろと焦っている。そうこうしているうちに、光夜くんはここへ向かっているはずだ。
 あたしは、千冬の肩にそっと手を置くと、微笑んだ。

「千冬、さっきあたしに伝えてくれたみたいに、ちゃんと光夜くんに伝えるんだよ。千冬の本当の気持ち」

 ねっと言って、あたしはバックを手にして、千冬に手振る。

「また来るからね」
「ちょっ! なずなちゃーん」

 千冬に引き止められるけれど、お構いなしにあたしは病室を出た。
 エレベーターのある方向とは逆に歩き出す。廊下の陰に隠れるようにして壁によりかかると、聞こえてきた足音が徐々に近づいてくる。あたしは振り向くのを懸命に我慢した。やがて、その足音は千冬の病室の前で止まり、ドアを静かに開けて、中へと入って行った。
 立ち聞きしてしまうのは悪いとは思いつつ、あたしは千冬に頑張って欲しくて、病室前に戻った。すぐに、光夜くんの戸惑うような低い声が聞こえてきた。

「千冬。突然、ごめんな……明後日から、北海道に行くんだ。検査の日いつかわかんねぇけど、たぶんいないから、それだけ、伝えたくて」

 何も千冬の返事が返ってこないから、あたしは焦ってしまいつつも、じっと我慢する。きっと、千冬にも勇気がいることだから、頑張ってほしい。あたしは祈るように胸の前で手を組む。

「……じゃあ、それだけだから」
「ま……まっ……て! 光夜くん……ごめんなさい。あたし、ずっと光夜くんに側にいてもらっていたのに、あんなヒドイこと言って、ごめんなさい……」
「……千冬?」
「……検査、明日なの」
「え?」
「あたし光夜くんなしじゃ、今まで頑張ってこれなかった。光夜くんがいたから、頑張れたんだよ……だから……だから……これからも、側にいっ……」

 あたしまで胸が苦しくなる。千冬の勇気が光夜くんに届いてほしいと願った瞬間、途切れた千冬の言葉。驚いたように光夜くんの名前を呼んだ千冬の声が、くぐもって聞こえた。

「いるから、ずっと、俺は千冬の側にいるから」

 力強い光夜くんの言葉を聞いて、あたしはほっとして組んでいた手にこめていた力を緩めて、顔をあげた。

 突き当たりの窓から、外が見える。虹色が視界に入った気がして近づいていくと、ビルとビルの間を通りながら架かる、綺麗な虹があった。端と端は全然見えなくて、いつも青ちゃんちから見ていた虹よりもずっとずっと小さくて。向こう端が見えなくて、不安で、なんだか少しだけ、心にぽっかり穴が空いた様な気になった。
 千冬も光夜くんも、ちゃんと想いを伝え合えた。もう心配いらない。そう思うと、無性に泣きたくなってくる。

 本当は、喜ばなきゃいけないのに。本当は、祝福してあげなきゃいけないのに……どうしても、あたしの気持ちは、あの虹の様に、終わり端が見えないまま、きっと静かに消えて行く。知らずに抱いていた恋心は、意外と大きかったことに気がついた。だけどもう、この想いは、あとは綺麗に消してしまうしかない。

✳︎
 午後からマーメイドに来るように言われていたあたしは、病院を出てすぐに向かった。約束の時間どころか、お昼よりも前に着いてしまった。入り口の木のドアを静かに開けると、穏やかな風と香ばしいパンの香りが吹き抜ける。

「こんにちわ」
「あらっ! なずなちゃん? 早かったわね~」

 カウンターで作業をしていた由花さんが、すぐにあたしに気が付いて近づいてきた。

「すみません、早く着いちゃいました……」

 はははっと笑って、あたしは中に入った。

「ちょうどお昼にしようと思っていたのよ。あたし一人じゃ寂しいから、良かったら一緒に食べて!」

 そう言いながら、あたしを椅子へと誘導して、あっという間にテーブルには美味しそうなパンやハンバーグや鮮やかな野菜サラダ、フルーツジュースが並んだ。

「わぁ……」

 思わず感動の声を上げた。目の前に由花さんが座ると、由花さんはあたしを見つめてきた。

「……なずなちゃん、悲しい事でもあったの?」

 困った様な表情をして、由花さんはあたしに首をかしげて聞いてきた。

「あ……えっと……」

 さっき泣いたから、まだ目が腫れていたのかもしれない。トイレでさっとメイクは直したつもりだったけど。気がつかれてしまった。あたしも、誰かに聞いてほしいと思っていたのかもしれない。

「失恋……しちゃったんです」

 わざと明るく笑って見せると、由花さんは目を見開いた後で、お皿に乗ったプチトマトのヘタの部分を掴むと、目の前にマイクみたいに差し出してきた。

「良い恋だった?」
「え?」

 真面目な顔で聞かれて、あたしは一瞬戸惑った後で、なんだか胸の重りがゆっくりと降りていくのを感じながら答えた。

「はいっ、とても」

 満面の笑みで返事をすると、真面目な顔を緩めて、由花さんは優しく微笑む。そして、ヘタを外してプチトマトを自分の口にポイッと放り込んだ。

「良かった。きっと素敵な人を好きになったのね?」
「はい」
「じゃあ、次に好きになる人は、もっともっと素敵な人よ!」
「ほんとですか⁉︎」
「そうよ!」

 由花さんの言葉には、根拠はないんだけど、なんだか今のあたしには、すごく温かい言葉で、本当にそうだったらいいなぁと、思えた。

「オープンの日が決まったんだけど、それまでにいろいろと準備があるから、なずなちゃん一週間くらい続けて手伝ってもらってもいい?」
「はいっ、もちろんです。オープンっていつですか?」
「来月からよ。大変だろうけど、宜しくお願いします」

 ペコリと頭を下げる由花さんにあたしも頭を下げる。街中マーメイドのオープンは、千冬の検査の結果も出て、落ち着いた頃だろう。けど、その前にオープン準備があるから、ちょっと忙しくなるなぁ。
 千冬には、光夜くんがいる。大丈夫。検査も何の問題もなく終わるはずだよ。
 千冬の検査が明日だって、帰ってから春一に伝えないと。そして、千冬が光夜くんにちゃんと本当の気持ちを伝えたことも。
 春一は喜ぶんだろうな。あたしも、素直に「良かったよね」って、笑えるように、帰り道、笑顔の練習をたくさんした。
 すっかり日も沈んで春一のマンションに着くと、ドアを開けた瞬間にいい香りが漂ってきて、あたしのお腹は正直に鳴った。

「春一ぃ、ただいま~!」

 元気よくリビングに向かうと、春一が笑顔で待っていてくれた。

「おかえり」

 こんな生活にも慣れてきて、何だか悪くない。春一といるのは、安心するの。居心地が、すごくいいんだ。だから、あたしは笑顔で居られる。
 だからね、今日の失恋話もきっと、笑って話せるよ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

「桜の樹の下で、笑えたら」✨奨励賞受賞✨

悠里
ライト文芸
高校生になる前の春休み。自分の16歳の誕生日に、幼馴染の悠斗に告白しようと決めていた心春。 会う約束の前に、悠斗が事故で亡くなって、叶わなかった告白。 (霊など、ファンタジー要素を含みます) 安達 心春 悠斗の事が出会った時から好き 相沢 悠斗 心春の幼馴染 上宮 伊織 神社の息子  テーマは、「切ない別れ」からの「未来」です。 最後までお読み頂けたら、嬉しいです(*'ω'*) 

想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月
恋愛
 第7回ほっこり・じんわり大賞 奨励賞をいただきました。応援くださり、ありがとうございました。 ――珈琲が織りなす、家族の物語  バリスタとして働く桝田亜夜[ますだあや・25歳]は、短期留学していたローマのバルで、途方に暮れている二人の日本人男性に出会った。  ほんの少し手助けするつもりが、彼らから思いがけない頼み事をされる。それは、上司の婚約者になること。   亜夜は断りきれず、その上司だという穂積薫[ほづみかおる・33歳]に引き合わされると、数日間だけ薫の婚約者のふりをすることになった。それが終わりを迎えたとき、二人の間には情熱の火が灯っていた。   旅先の思い出として終わるはずだった関係は、二人を思いも寄らぬ運命の渦に巻き込んでいた。

鎌倉古民家カフェ「かおりぎ」

水川サキ
ライト文芸
旧題」:かおりぎの庭~鎌倉薬膳カフェの出会い~ 【私にとって大切なものが、ここには満ちあふれている】 彼氏と別れて、会社が倒産。 不運に見舞われていた夏芽(なつめ)に、父親が見合いを勧めてきた。 夏芽は見合いをする前に彼が暮らしているというカフェにこっそり行ってどんな人か見てみることにしたのだが。 静かで、穏やかだけど、たしかに強い生彩を感じた。

12年目の恋物語

真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。 だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。 すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。 2人が結ばれるまでの物語。 第一部「12年目の恋物語」完結 第二部「13年目のやさしい願い」完結 第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中 ※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。

【完結】最愛の人 〜三年後、君が蘇るその日まで〜

雪則
恋愛
〜はじめに〜 この作品は、私が10年ほど前に「魔法のiらんど」という小説投稿サイトで執筆した作品です。 既に完結している作品ですが、アルファポリスのCMを見て、当時はあまり陽の目を見なかったこの作品にもう一度チャンスを与えたいと思い、投稿することにしました。 完結作品の掲載なので、毎日4回コンスタントにアップしていくので、出来ればアルファポリス上での更新をお持ちして頂き、ゆっくりと読んでいって頂ければと思います。 〜あらすじ〜 彼女にふりかかった悲劇。 そして命を救うために彼が悪魔と交わした契約。 残りの寿命の半分を捧げることで彼女を蘇らせる。 だが彼女がこの世に戻ってくるのは3年後。 彼は誓う。 彼女が戻ってくるその日まで、 変わらぬ自分で居続けることを。 人を想う気持ちの強さ、 そして無情なほどの儚さを描いた長編恋愛小説。 3年という途方もなく長い時のなかで、 彼の誰よりも深い愛情はどのように変化していってしまうのだろうか。 衝撃のラストを見たとき、貴方はなにを感じますか?

涙の味に変わるまで【完結】

真名川正志
ライト文芸
28歳の山上正道(やまがみまさみち)は、片思いの初恋の相手である朝日奈明日奈(あさひなあすな)と10年ぶりに再会した。しかし、核シェルターの取材に来ていた明日奈は、正道のことを憶えていなかった。やがて核戦争が勃発したことがニュースで報道され、明日奈と正道は核シェルターの中に閉じ込められてしまい――。 (おかげ様で完結しました。応援ありがとうございました)

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...