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第一部『人界の秩序と魔界の理屈』

新たなテロの動き

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 ヴェストリア帝国の傘下の中に組み込まれているアレム王国は辺りを森林に覆われた小規模な国家だ。この王国の中には魔族もほとんどおらず、少ないコミュニティで貴族も平民も王族さえも農業に従事して暮らすような平和な国であった。
 半ば忘れ去られたような王国であったといってもいいだろう。
 そんな平和な王国の中で国王殺しという大事件が起きたというのだから人々は驚いた。

 深夜、寝室に蜘蛛の姿をした怪物が忍び込み、国王の体を六本の剣の先で突き殺し、その遺体を自身の糸を使って窓の外へと吊るすという残虐なものだった。
 その死体を初めて発見したのは城の中で洗濯係を務めていた若い女性だった。

 洗濯桶と洗濯物を持って歩いていたところ、吊るされた国王の姿を見つけて悲鳴を上げた。
 同時に寝室へと王族たちが向かっていく。そして扉を開けた先にはそれを待ち構えていた蜘蛛の怪物がいた。
 怪物は蜘蛛の糸を放ち、王族たちを拘束した。

 国王を殺害したのは先の魔族コミューン『妖霊軍』の元幹部であり、逃亡中だったマイケルというスパイダドル族の青年である。
 既にレイチェルに撃たれていた左真ん中に位置する腕の傷は回復しており、尚も抵抗を続けようとする他の王族を嬲り殺しにしたのである。

 その上で彼は残った王族たちを人質とし、アレム王国の国旗だという畑を耕す国王の旗を下ろし、代わりに自分たちがコミューンの間で掲げていた『妖霊軍』の旗を塔の上へと吊るしていく。

 この事態を重く見た各国は軍隊を派遣、しかし平民ならばともかく、王族が人質とあっては迂闊に手を出すこともできなかった。

 それこそが前回の戦いでマイケルが学んだことだったのである。マイケルは玉座の上で足を組み、部下が用意した黒い豆を炒ったものを汁にした液体を飲みながら指示を出していく。

「食糧の確保は終わったな?」

「はい、同志マイケル。各村から徴収した食料は全て倉庫の中に詰め込まれております」

「うむ。武器は?」

「はい、武器も同様です。近接から遠距離まで、どのようなものも一通り武器を揃えております。これでまた人間どもが徒党を組んで攻めてきたとしてもある程度は持ち堪えられるでしょう」

 それを聞いたマイケルは満足気に頷いていく。

「よし、では、例のモノは?」

「城の地下に繋いでおります。これで人間どもに一泡吹かせてやることができるでしょう」

 マイケルはまたしても満足気に笑う。マイケルの言う例のアレがあればもう人間に負けることはない。
 これで完璧だ。

 受け答えに満足したマイケルは一度部下を下がらせたものの、その後でもう一度部下を呼びつけ、今度は別のことを問い掛けた。

「例のお客人はどうしてる?」

「はい、お部屋でゆっくりお休みになられておりますが……」

「後で夕食に招待してくれ。あの人の意見を聞いてみたい」

 マイケルの言葉を聞いた部下は首を小さく縦に動かし、玉座の間から立ち去っていく。例の客人というのは少し前ヴェストリア帝国内にて魔族と人間との共存を試みる記事を書いたリタという少女のことだ。事件を聞いて潜入したので、捕らえて捕虜にしている。

 それからマイケルは玉座の上から立ち上がり、外に出てバルコニーへと向かっていく。
 城の巨大なバルコニーからは雄大な自然が広がっていた。特にアレム王国の国土の実に60%を占めるという広大な森林は実に美しいものだ。
 マイケルが感心した顔で辺りの景色を眺めていると、王国の西には名物だという黒い森の姿が見えた。黒い森というのはそこに生えてある木の葉が影色で遠目からは夜の色のように黒く見えることからそう名付けられた森である。

 それはあくまでも見た目だけだと感じる人もいるかもしれない。しかし実際に足を踏み入れてみると、昼間でも暗いのだ。本当に夜の闇を切り取って、その場所にだけ保管しているかのようだった。

 マイケルはそんな面白い森を興味深い眼差しで眺めていた。いつ見ても人界にある自然は綺麗だ。そう感心させられる。

 魔界において自然はあまり育たない。草木が美味しげなくても食べられるような作物が取れるので畑から作物が取れなかった時期はないとマイケルは自身の両親から聞いていた。
 生まれも育ちも人界であるマイケルからすれば自然は見慣れたものであるはずだが、魔界生まれの両親たちはそうでもなかったらしく、広大な自然を見るたびにその雄大さに心を奪われていた。

 子どもであった頃、マイケルはそんな両親の心境が理解できずにいたが、大人になるにつれて働き余裕がなくなるたびに昔のことを思い返すたびに両親の気持ちが分かるようになっていた。
 そんなマイケルだったが、やがて声を掛けられた。マイケルがゆっくりと背後を振り返ると、そこには神妙な顔をした部下の姿が見えた。

 部下は鳥の姿に人間のような両足を生やし、人語を喋るというトレボレン族と呼ばれる一族の青年だった。
 鳥の顔に紅色の羽毛を全身に生やし、丸い目玉をした魔族の青年はマイケルに向かって頭を下げて言った。

「同志マイケル、お疲れだとお思いましたので、余計なお世話かもしれませんが、私の方で酒を用意させていただきました」

 そう語る青年の両手はお盆の上に載った酒と酒瓶、そしてグラスがあった。
 マイケルは礼を言うと、酒を手に取り、一気に喉に流し込んでいく。

 美酒というのは今飲んでいる酒のことを指して言うのかもしれない。それ程までに美味しい酒だった。
 マイケルはそれからもう一杯注ぐと、グラスを片手に言った。

「もうそれは持って帰っていいぞ。代わりにキミの分を持ってきたまえ。この大自然を肴に一杯やろうじゃあないか」

「ありがとうございます。同志」

 純真な青年は顔に笑顔を浮かべながら城の中へと引っ込んでいった。
 それからすぐに自身の分の酒が入ったグラスを持ってバルコニーへと戻ってきた。

「よく来た。まぁ、まずはこの景色をゆっくりと見たまえ」

 マイケルはバルコニーの外に広がる自然を指しながら言った。

「見たまえ、この広大な自然を……美しいだろ?」

「えぇ、本当に目を見張るような美しさです」

 青年は大自然に感銘を受けたらしい。その美しさに心を惹かれていたのだろう。しばらくの間、グラスを握ったまま黒い森を黙って見つめていた。
 青年にひとしきり自然を見せ終えた後でマイケルは先ほど感じた自身の思いを伝えていく。

「なるほど、確かに、日々忙しいと自然のことも忘れてしまいますもんね」

「あぁ、だが、最近人間たちに敵対するようになり、心や時間に余裕ができてくると、こうして自然と向き合うことができたんだ」

「いいですね、こういう機会に自然を見つめて、自分の人生を振り返っていきたいと思います」

「フフッ、そうだろ?」

 マイケルはそう言ってグラスに口を付けた。自然を見ているせいか、心地の良い酔いが体の中で回っていく。
 それは青年も同じだったらしい。両頬を赤く染め上げながらも楽しげな顔を浮かべていた。

「いいですね。この自然も人間たちと分け合いたいものです」

「……そうできればどれだけいいだろうな」

 青年の言葉を聞いて、マイケルは悲しげな瞳でそう呟いた。青年の語った言葉はもはやマイケルにとってはどれだけ手を伸ばしても届かない理想郷だったのだ。
 マイケルとて当初は人間との本当の共存を望んでいた。だが、その思いは『妖霊軍』の崩壊と共に消え去ってしまったといってもいい。

 あの後に知ったのだが、仲間たちが総攻撃に逆上し、その手で殺した人質は街の総人口の30%に登るらしい。
 だが、突入した兵士や騎士たちは人質を顧みることなどなかった。酷い時には人質ごと同胞を殺したのだそうだ。

 そんな風に同族ですら平気で見殺しにしてしまうような生き物と共存を行うことは絶対に不可能なのだ。
 だが、そのことは純粋な青年の前ではどうしても口に出すことができなかった。
 悲しげな微笑みを浮かべながら、

「そうだな」

 と、答えることしかできなかった。

 青年は憧れの指導者と対等な立場で話ができたことに満足したらしい。汚れのない白い微笑みを浮かべながらバルコニーを立ち去っていく。

「純粋な男だったな。あんないい奴がオレのような未来を作ってくれればいいんだが……」

 マイケルは自らの老いを悟って自嘲した。マイケルは無意識のうちにあの青年と自分がもっと純粋であった頃のことを重ねていたのだ。
 だが、もう後戻りはできない。自分たちは戦うしかないのだ。

 例えどんなことがあろうとも魔族たちが自由に過ごせる場所を人間界で作り上げてみせる。
 マイケルは改めて決意を固めていく。

 翌日にはマイケルの予想通りに各国の軍隊が姿を現した。
 盟主国と思われるヴェストリア帝国の国旗の裏には無数の国旗が風に揺られてはためいていた。
 そして、その中央には当然ともいうべき顔で魔界執行官、コクラン・ネロスの姿が見えていた。

「来たか、コクラン……ちょうどいい。ここでオレたちの遺恨にケリを付けてやろうじゃねーか」

 マイケルは不適な笑みを浮かべて言った。その背後にはマイケルに従う同志たちが矢や城の中にあった単発式の長銃を構えている。

「ククッ、歓迎してやるぜ。最大にな」

 マイケルはそう言うと、指を鳴らし、背後にいた仲間たちに攻撃の指示を与えた。そして背後に引っ込み、敵の軍隊に攻撃が浴びせられていく姿を笑顔で見つめていた。
 戦闘は今ここに始まった。
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