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天使王編

二つだけのパン

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「お前さん、人から奪った金で呑む酒は美味いかね?」

「なんだぁ、テメェは?オレを誰だと思ってーー」

男がそれ以上の言葉を吐き散らしてジミーの苛立ちを増長させるよりも前にジミーは男の腹に勢いよく短剣を突き刺したのである。
往来の真ん中で堂々と刺したのだ。本来ならば街を歩く人々が大なり小なりの声を上げて騒ぐはずだ。だが、この時間は草木も眠るような時間帯である。人などいるはずがない。

男はそのことも見越して、今回の強行に及んだのである。
ジミーは短剣を抜き、剣についた血痕を大きく振り払って血を捨てると、そのまま来た道を引き返し、自らの家へと帰っていくのである。

街外れに構えているジミーの小さな家では彼の盟友であるトミー・ハロウィンが出来たばかりなのか、湯気が出ているカボチャのスープと丸パン。それに剥き出しのいちじくの果物をお盆に乗せて待っていた。

「おや、来てたのか?トミー?」

「まぁね、今回の殺しは大変だったと思ってその苦労を労ってあげようと思ってね」

トミーはお盆を机の上に置くと、そのまま自身が持ってきたと思われる巨大なぶどう酒の瓶を置いてジミーに向かって笑いかけた。

「さぁ、こいつで一杯やりましょうや」

「トミー。私は明日、仕事だよ」

そうは言いながらでも満更ではない様子だ。結局ジミーは誘惑に抗いきれずぶどう酒の入ったジョッキに口を付けた。





今のは『惨殺騎士ジミー・ウォーカー2ジミー死の骸骨が呼ぶ』第三章十五節である。あまりにも面白かったので私は無意識のうちに小説の台詞を口走っていたことに驚いた。同時に私は嫌悪感にも似た感情に襲われていき、自問自答していた。暗い部屋の中で私は一人で何をしていたのだろうか、と。
そこで急に虚しくなってしまい小説から顔を離してしまった。

その瞬間に読書のために忘れていた私の腹の虫が鳴ったことに気が付いた。
恐らくあの小説の食事描写が秀絶であったことも大いに影響していたのだろう。無理やりにでも腹の虫を抑えようとしたのだが、どう足掻いても抑制できるものではなかった。

我慢がしきれなくなり、私は食堂へと向かう。食堂で余った丸パンを貰えるかと判断しての行動であった。
見つかれば懲罰ものであるが、私なので多少は多めに見てもらえるもしれない。
その時だ。背後から声を掛けられた。私が両肩を強張らせながら背後を見つめるとそこには驚いた様子で目を丸くしているブレードの姿が見えた。

「どうしたの?こんな時間に出歩くなんて……」

「……ごめんなさい。お腹が減ったので食堂に行って余った丸パンを貰えないかなと思って」

嘘を吐いてもいずれは明らかになるだろう。そう考えて私は説明したのだ。

「えっ、きみも?ちょうどぼくも貰ってきたばかりだよ。よかったら一緒に食べるかい?」

思いがけない誘いに私は二つ返事で了承し、ブレードから手渡されるパンを二人で廊下の四角で食べることになった。
ブレードがもらった丸パンは二つであったらしく、一つを私にくれた。

私は渡された丸パンを齧りながらブレードの方をこっそりと見ていた。

廊下の視角であるので顔が影に覆われていてよく見えない。私が残念に思っていた時だ。運良く月明かりがブレードの顔を照らし、ブレードの白い陶器を思わせるような透き通るような肌と気品の溢れる顔立ち輝かせていた。
改めて見ると、やはりその美しさに痺れてしまう。

初対面の時には優しそうという印象しか受けなかったが、彼は本当に美青年だ。
魔法に関する手解きを受けた際に私は彼のことを理想の王子のように感じたが、彼は実際に王子であった。
もしかすれば……。と妙な期待が胸を高鳴らせていく。

だが、すぐに首を横に振って私の中に芽生えた馬鹿げた考えを打ち消していく。
その時だ。ブレードがポツリと吐き捨てるように言った。

「……正直に言えば不安なんだ。ぼく」

「えっと、それって?」

「王太子なんて稼業が務まるのか不安でさ……本当は討伐隊の隊長だけをやりたいんだ。正確に言えば戻りたいんだ。孤児院の時代に……ほら、王太子ってあぁしろッ!とか、こうしろッ!とか周りがうるさいじゃない」

ブレードは苦笑しながら私に向かって語り掛けていたのだが、その笑顔には陰りが見えた。

弱々しく微笑む姿に私は胸が締め付けられた。彼の弱音は痛いほどにわかる。突然民間人であった人間が王族となり、その双肩にかつてないほどの責任を背負いこまされるのだ。ましてやブレードは思春期の少年だ。重圧に押し潰されそうになっているのではないだろうか。

見ていて気の毒になる。その他にも討伐隊の隊長の任務もあるが、何より彼は王太子としての公務までもある。それに伴っての勉学の時間さえも必要となる。
恐らく先程まで寝る時間も削って彼は勉学に励んでいたのだろう。

彼の苦悩を推し量ると、ますます私一人だけが部屋でのんびりと娯楽小説を読んでいたことが悔やまれる。
私が一人罪悪感に押し潰されそうになっていた時だ。彼がまたしても思い出したように吐き捨てたのだ。

「……でも、これはぼくに課せられた罰だと思うと受け入れられた。父さんから母さんを奪った最低な男に対する罰なんだよ……」

「ちょっと待って、それってどういうことなの?」

「……ぼくが産まれる時にね、母さんが死んでしまったんだ。産褥熱っていう熱でね。耐えきれなくなって死んでしまったんだ」

私は知らなかった。ブレードにそんな過去があったという事を。
私から言葉が返ってこないのを聞いていると判断したのだろう。ブレードはボツボツと話を続けていく。

「父さんはそんなことを気にせずにぼくを育ててくれた。母さんを奪った憎い男を……ぼくに残された父さんを生涯支えて生きていこうと思ったんだ。初めは二人だけの屋敷……それがやがて王立孤児院になって、ぼくらに新しい家族ができた。そこでは誰でも受け入れた。人種も関係ない。魔法も関係ない。『去る者追わず、来る者拒まず』それが院の方針だった。幼い子に父さんが取られるのはちょっと悔しかったけど、それ以上にぼくは父に尽くしたかったし、何よりぼくの父さんがみんなの『とおさん』になったのが誇らしかった。そして大きくなって討伐隊が組織されて、そこの隊長となって父さんのことを支えられるのが嬉しかったんだ」

ブレードはいつも通りの優しい笑顔を浮かべながらポツリポツリと語っていく。
既に話を聞き終える頃には手に持っていた丸パンを食べ終えていた。
なかなかにいい話である。ブレードが孤児院の時代に叶わぬ願いだと知りつつ戻りたがっているのも理解ができた。

ブレードに私が何かを言おうとした時だ。真横から「邪魔するぜ」という言葉が聞こえた。私とブレードが慌てて声がした方向を振り向くと、そこにはぶどう酒が入った瓶を下げて顔を赤くしたモギー・ドルーマンの姿が見えた。
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