上 下
42 / 120
大魔術師編

天使が人を愛するのは罪か?

しおりを挟む
タンプルは窮地に立たされていた。腹を蹴られ、背中に蹴りを入れられる。
それを行なっているのはセイウチの怪物である。二本の白くて鋭い刀のような牙を顎から生やしている他に猟の時に使うような罠のようなトゲを思わせる牙が生え揃った歯が見えた。
その目は垂れ目であるが、常に鋭く睨んでいる気がして思わず身を震わせてしまう。

そんな悍ましい化け物に仲間が嬲られ続けられる光景など見ていられない。
あのセイウチなどタンプルが狼に姿を変えれば一瞬で葬り去れるだろうというのにあくまでも魔法での討伐にこだわり続けているのでセイウチに嬲られるのだ。
見るに見かねて、私が助けに行こうとした時も彼は小さく首を横に振る。

その目には彼の確固たる意思のようなものが伝わってきた。
絶対にこの怪物は自分の手で倒すのだという確固たる意思である。
彼はセイウチの足を両手で握ったかと思うと、そのままセイウチの体を投げ飛ばす。

これで起き上がることには成功した。彼は投げ飛ばされた衝撃で我を忘れたのか、手元のランスを振り回しながらタンプルに向かって突っ込む。

「おい、待ちやがれ!」と怪物を呼び止めたのは討伐隊の一員だと思われる柄の悪そうな少年である。

「テメェ、それ以上、タンプルを痛ぶるんだったら、オレがこいつを臭い口にぶち込んで黙らせてやるぞ!」

その言葉を聞いてセイウチが向きを変えた。どうやら彼の暴言に激昂したらしい。牛のような雄叫びを上げながら少年に向かってランスから衝撃波を放っていく。
少年は同じく衝撃波を纏わせた剣でランスからの衝撃波を打ち消す。
それからそのままセイウチと武器をかち合わせた。

「ま、待ってくださいよ!あまりにも危険すぎます!」

敬語で仲間を呼び止めたのは先程の穏やかそうな青年である。

「止めるなッ!オレが戦わねぇとポゴが殺されちまうだろうがッ!」

彼は剣で相手のセイウチのランスを弾き、その体に強い蹴りを入れながら少年に向かって叫ぶ。

「そうですけど……でも、それであなたが死んでポゴが喜ぶとでも思っているんですか!?」

「そうだろうと、オレはこいつを見殺しにすることはできねぇ!」

少年は叫びながらセイウチと剣を切り結ぶ。目の前からランスの穂先が掠めようとも、ランスの先端が心臓を狙おうとも、彼はその都度、上手くランスを交わし、彼と戦うことをやめようとしない。
それを見て、胸を痛めるのはあの穏やかな少年であるらしい。
彼は膝から崩れ落ち、悲痛な声を上げて涙を流していく。

「どうしよう……このままだとギレアが殺されてしまう……」

どうやら、タンプルのために戦う少年の名前はギレアと呼ぶらしい。
しかし、あの戦いに割って入るのは難しい。下手に戦いに介入してしまえばあのセイウチに好機とばかりに二人まとめて殺されてしまうだろう。
見守るしかできない自分が悔しかった。その時だ。タンプルが私たちの前に割って入り、一言、私たちに向かって告げた。

「……やっぱり、オレが戦うよ」

「無茶はやめてくださいよ!ポゴくんはさっき戦って弱っているじゃあないですか!」

穏やかな少年は心の底からポゴもといタンプルのことを心配しているようで、彼の前に立って彼が出撃しようとするのを防ごうとしたが、タンプルはそれを押し除けて、セイウチに向かって挑み掛かっていく。

「……全く無茶をして」

忌々しげに吐き捨てたのは彼の仲間で駆け付けた討伐隊の中の紅一点。
清楚な風貌の少女である。彼女がタンプルの前に近付いた時だ。
彼女はタンプルに異変を感じたらしく、慌てて足を止める。

「どうしたんですか!?」

少年の呼び掛けに対し、少女は黙って人差し指を指す。
黙って指を刺す彼女の前にはなぜか武器を振り上げないセイウチとそのセイウチと対峙するタンプルの姿が見えた。

二人の対峙する姿から異様なものを感じ取ったらしく、彼女は指を指していたのだろう。
二人は黙って対峙していたのだが、やがてお互いに距離を取り、今度は武器を構えて対峙する。
その時だ。タンプルが私に気が付いて振り向く。

「なぁ、ハル!お前、天使がその姿を隠して人の世界に暮らし、そこで人を愛することはいけないことだと思うか!?」

私は予想外の事態に困惑している他の三人を放置し、黙って首を横に振る。
私のその姿を見て、タンプルは顔に満面の笑みを浮かべる。

「だよな!けど、それが罪だっていう奴もいるッ!天使の中にも天使が人を守ることを罪だっていう奴がいるッ!けど、そんな罪なら喜んで引き受けるッ!オレがその罪を喜んで背負ってやるッ!」

タンプルは雄叫びを上げ、その姿を異形の姿へと変えていく。彼の本来の姿である狼を思わせる怪物である。
彼は両手に生えた鋭い爪を構えてセイウチに飛び掛かっていく。

セイウチは慌てて真上から自身の命を狙う狼を突き殺そうとしたが、狼はそれを慌てることもなく回避し、セイウチの顔を引っ掻いたのである。
セイウチは爪による攻撃を受けて、悲鳴を上げ地面の上を転がっていく。
だが、タンプルは容赦することなくセイウチに向かって容赦のない一撃を繰り出していく。

セイウチは続けての攻撃を受けて弱ってしまったらしい。先程までは耳が張り裂けんばかりの大きな悲鳴を上げていたのだが、徐々にその悲鳴がか細く、弱いものとなっていく。

「信じられませんよ。まさかポゴがエンジェリオンだったなんて」

「……オレもだ。この事実をどう話す?」

「同感、下手をしたら討伐隊施設が取り壊されちゃうよ」

少し前の私たちと似たような会話をするここの討伐隊。どこか親近感のようなものを感じる。
私は三人の耳に耳打ちを行う。

「……ポゴを死んだことにする!?」

「確かに、妙案だが、今回は目撃者がいるんだぞ」

「そうだよ。まさか目撃者の口を封じろっていうの?」

「……そこは国家に訴えかけようよ?国家からしても国の中にエンジェリオンが忍び込んでいたなんてことを公にするのは危ういはずだよ。だから、目撃者の意見を封殺してまでも、あなたたちの意見を採用することになると思う」

「……それは妙案ですね」

「突っ込まれたらそうしてみるわ」

「うん。このハルって子、なかなか頭も切れるみたいだよ」

少女が自身の頭をコツコツと人差し指で叩きながら言った。
しおりを挟む

処理中です...