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職人の惑星『ヒッポタス』

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「起きてください。悠介さん」

 カエデはすっかりと怯えてしまい、猫を目の前にした鼠のように動けなくなっていた悠介の肩を強く揺さぶっていく。三度ほど強く揺すったところで悠介はようやく正気を取り戻したらしい。

 寝坊した時のように慌てて辺りを見回していき、その後で必死な顔を浮かべてカエデに向かって問い掛けた。

「なぁ、あの恐ろしい男はどこに行ったんだ!?」

 悠介は必死の形相で問いかけた。どこまでも怯え切ったような顔をした悠介に対してカエデは呆れたような口調で言った。

「あの方ならもうとっくの昔に森の中へと消えていきましたよ」

「森の中?」

「えぇ、ですからもう安心ですよ」

 カエデは暴れ回る幼稚園児を宥める保育士のような心境だった。

「そっか、オレたちは無事だったんだな」

 悠介は胸の上に手を当てて文字通り胸を撫で下ろしていた。

「えぇ、それよりも心配なのは大津さんとあなたのお姉さん……麗俐さんです」

 カエデの言葉に悠介は目から鱗が落ちたような思いだった。この時の悠介はすっかりと修也と姉麗俐のことが頭から抜け落ちていたのだ。

 修也は慌てて階段を駆け上がり、自身の部屋へと飛び込んだ。そこで自身の携帯端末を取り出し、父親と姉に連絡を入れた。

「もしもし、お父さん!?」

『どうしたんだ?悠介?』

 慌てふためいていた悠介とは対照的に修也の声は比較的落ち着いたものだった。どうやら例の宇宙人はまだ修也の元には到着していないらしい。

 そのことに安堵しつつ、悠介は先ほど自身の身に何が起きたのかを説明していった。

『……なるほど、革のジャンパーを着た宇宙人か……』

「そうなんだよ! とにかく妙な奴で……とにかくお姉ちゃんやお父さんを狙う可能性もあるから気を付けてくれよ」

『わかった。気を付けよう』

 修也はそう言って電話を切った。電話を切り、客室にいる二人に伝言を伝えた後の修也は客室に用意された肘掛け付きの揺り椅子に腰を深く埋めていく。それから大きな溜息を吐いていった。

 どうやらこの星にはあの宇宙人の仲間が関わっていたらしい。悠介の話によれば『惑星連合』という名称を出したらしい。あの時の出来事で頭の中に思い浮かぶのは開発惑星ベルであの宇宙人が話したことだった。

「もしかすればこの星はそいつらの支配下にあるというのか……」

 修也が腕を組んで因果関係を説明しようとしていると、客室の扉をコンコンと鳴らす音が聞こえた。

 修也が許可を出すと、扉を開けて部屋の中に入ってきたのは麗俐だった。

「お父さん、そろそろ夕飯の時間だよ。今日は私たちの歓迎会をしてくれるんだってさ」

 麗俐は地球で家族と過ごしている時と同じような口調で言った。修也は地球とは異なる環境に慣れつつある娘の適応能力の高さに苦笑しながら腰を上げていった。

 修也たちがヒッポタスの人々から客間として与えられたのは屋敷の二階に備え付けられた三つの客間だった。元々は寄り合いで夜遅くなり、帰れなくなった村の人たちを泊めるために作られた場所だそうだが、今の修也たちにはうってつけの場所であった。
 どの部屋が特別ということもないので修也たちは快く泊まることができた。

 そればかりではなく、屋敷の台所を借りて豪勢な宴会を開くことまで約束されていた。実際に夕飯と言われて呼ばれた修也の前には白いテーブルクロスが掛けられた大きな机が置かれており、その上には料理やグラスが所狭しとばかりに並べられていた。

 普通ならばどこかの客間が来賓をもてなすための部屋を準備するため一流ホテルのような立派な部屋にするはずだ。
 しかしこの家にはいいや、下手をすればこの星そのものにそういった文化がないのかもしれない。

 それは多少の貧富の差があれども全ての人間があの恐ろしい鎧によって虐げられているという共通点があるからだろう。

 修也たちの住む地球では成し得ることがなかった全員平等での文明発展が皮肉にもヒッポタスでは『鎧』という共通の脅威のためにそれが成し遂げられたのだ。
 言い換えれば原始共産制のまま中世の時代へと突入したのが惑星ヒッポタスの世界なのだ。

 修也が感心したようなことを考えていると、隣に座っていたジョウジから肩を強く揺さぶられた。

「大津さん、そろそろ時間です。宜しければ皆様にご挨拶いただけませんか?」

「あ、あぁ、そうでした。申し訳ありません」

 修也はジョウジから机の上に置かれていた簡素なグラスを手に取った。グラスの中に注がれているのは葡萄酒。惑星ヒッポタスにも地球と同様に葡萄が存在することになるが、地球の葡萄酒と異なるのはその色が血のように赤いことだった。

 それに加えて地球の葡萄酒に比べれば甘さも劣る。地球のものが品種改良を施されて美味しいというのも大きいが、やはり酒造りの技術に天と地ほどの差があるということも大きい。

 しかし技術の差を哀れに思うことは失礼だ。修也はヒッポタスの人々によるもてなしに感謝の意を表し、交易を妨げる鎧たちをこの手で排除することを強く約束した。

 修也はその後でもう一度グラスを掲げて叫んだ。

「それでは皆さま、乾杯をお願い致します!」

 修也の音頭を合図に宴席に参列した人々が互いのグラスを合わせていく。それからグラスの中に注がれていた葡萄酒を一気に飲み干していく。この中で唯一酒に口をつけていないのは麗俐だった。
 不安げな顔を浮かべる麗俐に修也は不思議がっていた。

「どうしたんだ? 葡萄酒嫌いなのか?」

「ううん、私……その未成年だからお酒飲んでいいのかなって」

 麗俐の疑問は尤もだった。地球上では麗俐は高校生。未成年にあたる。地球においては20歳未満の飲酒は犯罪となる。
 これは20世紀からの伝統であり、21世紀に突入して40年が経過する今も変わってはいない。

 シュウヤが困ったような顔を浮かべていると、ジョウジが麗俐の前に置かれたグラスを手に取って一気に飲み干していった。

 全員が言葉を発する暇もないほど一瞬の出来事だった。未だに辞退が飲み込めずぼんやりとする人々に対してジョウジは丁寧な一礼を行った。

 深々と下げた頭を上げたその顔に浮かんでいたのは心地の良い愛想笑いだった。

「大変失礼いたしました。とても美味しいお酒でしたので……つい」

 いい笑顔と完璧な論理を前にすれば宴席に集まった人々も「もてなしを台無しにされた!」と怒るわけにもいかなかったらしい。

 困ったような顔を浮かべつつも麗俐のために新しいグラスを持ってこようとしていた。

 しかしジョウジはそれを寸前のところで阻止した。その時の表情は先ほどと同様の満面の笑顔だった。

「大変恐れて入りますが、彼女は下戸です。つきましては代わりに何かアルコールを用いない飲み物を入れていただければ助かるのですが……」

 すると、ジョウジの要求通りに麗俐の前にはアルコールのない飲み物が入ったというグラスが置かれた。気になった修也がグラスの中を覗き込むと、そこには汚れ一つないシーツのような純白の牛乳が注がれていた。

 今度こそ未成年飲酒のことを気にせずに済みそうだ。麗俐は胸を撫で下ろした。
 麗俐が牛乳を一気に飲み干すと、ここぞとばかりに宴会が始まった。

 宴会の料理として運ばれていたのは牛の脂及び骨髄を染み込ませた牛のパテと同じくうなぎのパテ。豚の血と肉を使ったソーセージ。鉄串に差したスパイス満点の羊肉だった。

 解説役を買って出たジョウジによればこれでもまだフルコースでいうところのオードブルの部類に入るそうだ。

 実際にその後も豪華な料理が続いた。中世ヨーロッパ文明レベルの料理が続いていくかと思われたのだが、予想よりも美味しそうなメニューが続いた。

 玉ねぎや葡萄酒が入ったうさぎのシチューやら牛と羊を使った大ぶり塩漬け肉などが提供された。

 それ以外にも地球では見たことがない三つの目がある魚を使った焼き魚や同じく地球では見たことがない四つの羽を生やしたうずら鳥の丸焼きなどが提供された。締めはデザートのプリンである。

 地球の技術を用いて作られた料理とは異なったものの、ちゃんとした味であったのは意外だった。

 地球における中世ヨーロッパであれば辛いはずの料理だが、この星では既に甘いプリンを生成させられる技術があったらしい。

 ジョウジによれば地球のプリンのようにカスタードを混ぜるのではなく、砂糖とクリームを混ぜているのだそうだ。
 だが、それだけでも驚きである。既にこの町だけでクリームを生成できる技術があるのだから相当なものである。

 非常に満足のゆく夕食であったが、その後に食後のお茶まで勧められたのは意外だった。茶葉も地球で使われている紅茶とまるで同じだったので口を付けることに躊躇いはなかった。

 だが、飲んだ瞬間に地球の茶葉よりも香りが強く、それでいてしっかりとした味わいであることに修也は驚きを隠せなかった。

 これまでも修也は人が住む惑星を交易のために巡ってきたが、ヒッポタスの文化技術はそれらの星より何倍も上だった。
 修也は衝撃で固まって動けなかった。
 それは再びジョウジの手によって椅子の上から動かざるを得ない時まで続いた。

「大津さん、今日はお疲れのようですし、先に休んでください」

「どうもすいません」

 修也は娘の麗俐に支えられながら自身の部屋へと向かっていった。扉を開いてそのままベッドの上に吸い込まれるように倒れ込もうとした時だ。

 部屋の中にある気配に気がついた。目を凝らしてみると、悠介が言っていた革のジャンパーを着た男そのものだ。男はフレシュット・ピストルを構えていた

 咄嗟のことにカプセルを取り出すこともできない二人に向かって男は淡々とした口調で言った。

「あんたら地球人と話がしたい。少しいいか?」

 この要求を断ることはできなさそうだ。二人は否応ながらも男とのディスカッションに臨むこととなった。
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