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第一章『伝説の始まり』

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「どうです?大津さんの様子は?」

 フレッドセンはカクテルグラスを片手に青いワンピースの女性に向かって問い掛けた。

「順調ですよ。流石は『マリア』が見染めた方ですねぇ。まさかだったの二ヶ月でここまで空手と剣道を物にするとは思いませんでしたよ」

 青いワンピースの女性は懐から携帯端末を開き、指で動画再生の場面を開いていった。

 携帯端末から宙に向かって映し出された映像には修也が空手指導役の江田山と互角に渡り合っている場面や剣道の先生を押している場面だった。ほんの少し前までは格闘技経験など一切なかった一般の会社員と同じとは到底思えないものだ。

「見事です。ですが射撃訓練や無重力訓練の復習も忘れていませんよね?」

 フレッドセンは両目を鋭く尖らせながら青いワンピースの女性へと問い掛けた。

「その辺りも抜かりはありませんよー、毎日大津さんが出勤されるたびに肩慣らしと称して訓練を受けさせてますから」

「よろしい」

 秘書からの言葉を聞いたフレッドセンは満足気な笑みを浮かべて言った。それから片手に持っていた酒を口に付け、一気に飲み干していった。

「引き続き大津さんの研修には力を入れてください。彼は我が社の『救世主メシア』になってもらわなくてはなりませんので」

 その言葉を聞いた青いワンピースの女性は丁寧に頭を下げてその場から立ち去っていった。
 フレッドセンはカクテルグラスの杯の中に新たなカクテルを注ぎ、窓から中野区の街を見下ろしていく。

 窓の下の景色は見えない。人間の目視できる力はいくら技術が進んだとしても変わらないらしい。
 だが、その下には忙しなく働く人間やアンドロイドの姿があることは容易に想像できた。

 ご苦労なことだ。フレッドセンは同情を露わにするように視線を下に向けた。フレッドセンは社長である。それも成り上がって商売を築いたわけではなく、親からメトロポリス社の株と地位を受け継いだいわゆる世襲社長である。

 だが、彼は一度実の父親からアンドロイドと駆け落ちをしたということで勘当を喰らっていた。そのため日銭を稼ぐことの苦労というのは重役たちよりも詳しく知っていた。

 実の父の死後に彼は社長の地位を受け継ぎ、これによって彼は再び世間でいうところの貴族階級ブルジョワジーとしての地位に返り咲いた。

 それからのフレッドセンは順調に会社の規模を拡大し、シェアを国内にのみにとどまらず、日本が所有する植民星や未知の惑星との交易を開拓し、海外とも連携を組んで会社を父親の時代よりも大きくした。

『ロトワング』や『メトロイドスーツ』はそんなフレッドセンの成功を象徴するものであったといってもいい。
 だが、それを着て現地の異性獣や或いは蛮族と呼ばれる話の愛の通じない異性人とことを構えるのは彼ではなかった。

 それはフレッドセンの妻であり、『メトロポリス』の頭脳である人工知能『マリア』が算出した大津修也という男だった。
 自分よりも年上の冴えない人物で、修也はあの秘書の女性に連れられ、初めて対面した時に侮蔑的な感情を抱いたことを覚えている。
 それは優秀な自分とあの年まで零細企業で昼行燈をしていた中年とを比較してしまったゆえに出てきた感情だった。

 だが、先ほどの報告で少し認識を改めなければいけないようだ。
 二ヶ月で空手と剣道を取得するほどに彼は努力を重ねてきたのだ。フレッドセンが感心したように笑っていると、社長室の扉を叩く音が聞こえた。

「入りなさい」

「失礼します」

 扉の向こうから少女の声が聞こえた。ゆっくりと扉のノブが開かれ、黒い髪を腰にまで伸ばした可憐な美少女が現れた。

「ただいま帰りました。義父おとう様」

 少女は丁寧に頭を下げた。

「お帰り、マリー」

 マリーと呼ばれた少女は両頬に紅のように赤く染め、フレッドセンに赤い袋を差し出す。

「これは?」

「今日の家庭科の授業で作りましたの。せっかくですのでお父様にお召し上がりいただこうと思いまして」

「なるほど、後で勤務の合間にいただきましょう。それよりもマリー。あなたにお願いしたいことがありまして」

「はい、なんでしょう。義父様」

「『ロトワング』を身に付けてほしいのです。とある男の模擬戦の相手になっていただこうと思いまして」

「畏まりました。お安いご用です」

 マリーは穏やかな笑みを浮かべながら丁寧に頭を下げた。

 マリー=冴子さえこ・村井。フレッドセン=克之・村井社長の養女であり、メトロポリス社の誇る『ロトワング』装着者の一人である。

 マリーというセカンドネームがあることから彼女自身も養父であるフレッドセンと同様にハーフだとよく誤解されるが、彼女自身は純日本人だ。

 フレッドセンがマリーを引き取った際にセカンドネームを市役所に登録して受理されたのでセカンドネームを持っているだけなのだ。

 彼女は幼い頃から『ロトワング』の装着者としての英才教育を受けてきた。
 そればかりではない。彼女はフレッドセンが『最高傑作』と評してやまない天才であった。

 一般的な学業はもちろんのこと刺繍や料理、礼儀作法といった淑女レディにとって必要な作法や教養は全て身に付けている。

 そんな彼女であったが、従来の優しさ故か可愛らしい顔を浮かべ、道中で買ったと思われるミネラルウォーターの入った水を片手に休憩室で一息を入れている修也の前に現れたのである。

「失礼します。大津さんですよね?」

「は、はい。いかにも……私が大津修也ですが……あの、何か御用ですか?」

 巨大ハイテク企業とはあまり縁のなさそうな女子高生を前にして修也も戸惑いを感じているようだ。いつもより口が吃っているように思われた。

「初めまして、私養父ちちより大津さんの模擬戦闘のお相手を務めるように命じられましたマリー=冴子・村井です。以後お見知り置きを願います」

「あっ、どうも、これは丁寧に」

 修也はサラリーマンとしての特性ゆえ、社長令嬢に対して丁寧に頭を下げ返していた。

「これ、差し入れです。では、休憩が終わった後にトレーニングルームでお会い致しましょうね」

 と、マリーは丁寧に頭を下げてその場を去っていった。
 修也はマリーが手渡したペットボトルを手に取り、一気に飲み干していく。

 心地の良い水が喉を潤していった。本来であるのならば気持ちいいと思うはずであるのだが、その時修也は何も感じなかった。

 文字通り何も感じなかったのである。
 まるで、彼女の待ってきた水だけが温もりのようなものをなくしてしまったかのような印象を受けた。
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